逃げてゆく鏡 (バベルの図書館 30)

  • 国書刊行会
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  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336030504

感想・レビュー・書評

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  • ボルヘスを館長として編纂された文学シリーズ、「バベルの図書館」の一冊。
    イタリアから刊行されたシリーズですが、青を基調とした装丁が美しく、並べると美術館のようです。

    ===
    この短編集の中で、登場人物たちは様々な手段で自分を殺す。自分殺しがテーマの作品集も珍しい。

    故郷に帰った私は、かつて理想に燃えていた若い頃の自分に会う。最初は懐かしく親しんだが、徐々に現実を知らないその姿に苛立ちを感じる。
     / 泉水のなかの二つの顔

    訪問者が持ってきた小説で書かれた醜い人間の内面は、隠していた自分自身の真の姿だった。
     / 完全にばかげた話

    望むことにより自分で自分を殺すという自殺方法。
     / 精神の死

    「私は誰かの夢の登場人物なのです。目覚めて私を自由にして欲しいのです…」
     / <病める紳士>の最後の訪問

    ある日突然自分は誰にとっても存在しない人間になった。
     / きみは誰なのか?

    未来とは逃げていく現在の一部、時間とは逃げていく鏡 / 逃げていく鏡

    自分の時間、若さを売る女
     / 返済されなかった一日

  • 日本ではあまり知られていない作者のようで、私はボルヘスの「バベルの図書館」のおかげで知ることができました。人間の内面世界にどっぷりハマりこんでしまうだけではなく、どの作品も、その根底には「死」というものが暗然と横たわっていて、決して明るい作品とはいえません。

    ジョヴァンニ・パピーニ(1881~1956年)はイタリアフィレンツェ生まれの作家。彼の晩年あたりのイタリアはナチズムの台頭もあってかなり混迷していた時期。政治と歴史に翻弄されたパピーニの生きざまも有為転変とし、晩年には難病を患い失明しています。

    ①序文(ボルヘス)、②「泉水のなかの二つの顔」③「完全に馬鹿げた物語」④「精神の死」⑤「病める紳士の最後の訪問」⑥「もはやいまのままのわたしではいたくない」⑦「きみは誰なのか?」⑧「魂を乞う者」⑨「身代わりの自殺」⑩「逃げていく鏡」⑪「返済されなかった一日」

    ときに幼少のころの衝撃的な体験は、子どもにありがちな万能感や自分だけは絶対に死なないスーパーマンのような甘美な思いあがりを無情に打ち砕きます。幼かった私にとって「死」とはあまりにも生々しいもので、ときには自己の存在自体も危うくなるようなもの悲しさを覚え、いつ何時でも「それ」は小さな身体にまつわりついて離れようとしません。幼いジャン・クリストフ(ロマン・ロラン)さながら、目には見えない陰鬱なお化けのような「それ」がひどく私をおののかせてきたものです。
    それからうん十年……ふてぶてしさや感性の鈍麻のおかげでその付き合いもさすがに慣れてきました。なるほど大人になるのも悪くはありませんね(笑)。

    生と死の混濁、現実と夢の連続、過去と記憶と郷愁――はたして「時間」とはなにか? 自我と分身、漏れ出したアイディンティティ……濃厚で特殊な詩情は危うくて、ベケットやカフカまで混ざりこんでくるような少々狂信的な作品。それゆえに読者を限定してしまいそうな予感もするのですが、おそらくハマる人はハマるかも。とてもおもしろかった♪

    「……すべての現在は自分たちの手によって未来のために犠牲にされ、その未来はやがて現在となるが、またもや別の未来のために犠牲とされ、そのようにして最後の現在まで、すなわち死まで、引き延ばされてゆくであろう……すなわち、未来は未来としては存在しない。未来とは空想の産物にすぎず、現在の一部にすぎない」 (『精神の死』)

  • 作者については何も知らないし気まぐれで読んでみただけだが作風があまりにも好みでびっくりした。ほとんどは無名の男を主人公とした短編で登場人物はさほど多くない。現実なのか夢なのか。まるで白昼夢を見ているかのような出来事に遭遇し男性の内面的・精神的な苦悩が生まれる。狂っているのは私かお前か。
    人間の精神について考えさせられる話。

  • ボルヘスがイタリア文学から選んだのがパピーニ。エリアーデやヘンリー・ミラー等からも高い評価を受けているようだが、日本ではあまり知られているとは言い難い。ここには表題作を含めて10の短篇が収録されているが、いずれも小説の持つドラマ性にはきわめて乏しいという共通項を持っている。登場する人物同士の間に葛藤が働かず、したがって人物相互の関係がプロットを形作るという方法をとらないのだ。こうしたところから、ボルヘスの「この作家が度し難いほど徹底的に詩人だった」という評が生まれてくる。あくまでも「孤独な幻視者」なのだ。

  • 逃げてゆく鏡

    泉水のなかの二つの顔
    ※過去の自分と一緒に過ごすようになってしまう。やがて過去の自分が憎らしくなって人しれず殺す。


    完全に馬鹿げた物語
    ※ある日押し入ってきた見ず知らずの、相手も自分を知らない男から聞かされた物語が自分のことそのものであった。

    精神の死
    ※肉体的に、具体的に自殺するのとは別の仕方で自殺する男にめぐり合う物語(ドストエフスキーの「悪霊」第一巻の書き込みから!)。


    <病める紳士>の最後の訪問
    ※荘子の「胡蝶の夢」や映画「マトリックス」に似た夢とリアルを巡る狂信。


    もはやいまのままのわたしではいたくない
    ※村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」第二巻のやりとりのような、別の自分になりたいが決してなれないというリアリティー。


    きみは誰なのか?
    ※ある日それ以前に親しくしていたひとや周りの人々一切から忘れ去られてしまう。ホラーより恐ろしいのでは。「時の流れには裂け目のような箇所があって、わたしだけが、あれらの日々を、いわば束の間の幕間にように、他の人びとには気づかれぬままに、まったくの孤独のうちに生きたのだ、と思っている。」[p126]


    魂を乞う者
    ※短編のアイデアのために街中で見知らぬ人にその人の生涯をきくのだが、あまりにも平凡で波風がないことに戦慄する。それは物語的につくられているか、実際にあったことだとしても、相手が聞き手を軽くあしらったというか、わざとそういうふうにいったということもあるだろう。



    身代わりの自殺
    ※蝋燭の火に手をかざすというのも、「ねじまき鳥クロニクル」で出てきたな……。現在の作者の堕落を戒めるために、または作者ができない自殺を代わりにするという男との会話。


    逃げてゆく鏡
    ※列車を待つ間に見知らぬ男に自分の考えをぶちまける。


    返済されなかった一日
    ※ミヒャエル・エンデの「モモ」のような話。



    「郷愁と苦悩にみちた戯れ」(※ホルヘ・ルイス・ボルヘス序文、p13)






    ※こういった事柄全てがつくりばなしや他人事ではなく、実際に起きる(た)ことであるということ。個人的にはそれぐらいのリアリティー。

  • "自分殺し"(自殺ではなく)がテーマの幻想的な短編集。
    自分を殺すという一つのことに、これだけのバリエーションを持たせることができるとは。

    過去の自分を、恥ずべき自分の一部分を、生きていると信じている自分を、切っても切り離せない自分を、物理的に、精神的に、社会的に、ときには他人のために、殺してしまう。
    各編の主人公に個性があまりないのも、ここでは短所というより、これらの短編群を有機的に結び付ける効果を上げているに感じる。

    お気に入りは、社会的に抹殺される「きみは誰なのか?」と永遠に生きることのできない明日を書いた「逃げてゆく鏡」。

  • 第30冊/全30冊

  •  自分殺しがテーマのはなしたち。もう一人の自分、指輪

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