- Amazon.co.jp ・本 (428ページ)
- / ISBN・EAN: 9784336039514
感想・レビュー・書評
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ホセ・レサマ=リマの『パラディーソ』(https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4336073848#comment)
を読んだので、同じくキューバの作家でレサマの後輩に当たるレイナルド・アレナスの自伝を読み返した。
アメリカに亡命してエイズを初めとして多くの病気を発症したアレナスは、あと三年のあいだに最後の自伝を書いて、自殺しようと決めた。
キューバでカストロ政権から逃亡生活を送っていたころに書き始めた自伝は、暗い夜になる前に書いていた。そして今、人生の夜になる前に書いている。フィデル・カストロの賛美者に、その独裁を許した人々に、人類に対する復讐となる自伝だった。
こうして書かれた自伝はこの文から始まる。
「僕は二歳だった、裸で立っていた。前屈みになって地面に舌を這わせた。僕が覚えている最初の味は土の味」
この文で、一気にアレナスの人生の旅に惹き込まれた。
アレナスは幼少期をペロナレス地区は田舎で過ごした。巨大な睾丸を持ちあちこちに子供を作っている祖父、神を信じるが常に神に不平を訴える祖母、夫に捨てられ家に戻った母やその姉妹たち、そしてその叔母たちが連れてきた従兄弟たち。貧しく食べるものがなく土を舐め、荒ぶる自然の力にさらされ、そして性と暴力は身近にあった。
そのころキューバでは、独裁を敷いていたバティスタ大統領の打倒を目指し、フィデル・カストロたちが反乱を蜂起する。
アレナスも14歳歳で反乱軍に入る。
だがバティスタが亡命した後のカストロ政権にはすぐに失望した。いままで否定した共和主義、洗脳、独裁、弾圧、監視が相次いだのだ。
小説を発表するようになっていたアレナスだが、反政府主義者で同性愛者のアレナスは革命政権から監視されていた。この自伝では同性愛の性行為、当時のキューバの同性愛社会が赤裸々に、ごく自然に語られる。あらゆるところで男たちは相手もを探し、その場で性行為に及ぶ。同性愛は取締の対象ではあったが、どうやら「やるほう」は男の当然の欲求として同性愛者とは認められず、「されるほう」は男として間違えているという認識だったようだ。まだ男同士での行為がかなり大っぴらに行われていた頃に、寝た男を数えたら五千人になったという。自由なのはいまだけ、これが最後の快感かも知れない、そんな追い詰められた日々で、人間の根源の欲求がきらめくように語られる。
だが国民同士が互いを監視しあい、密告し合うキューバで、ついにアレナスも刑務所に入れられる。
あまりに過酷な刑務所と国家公安局での現実。
出所したアレナスは、自分を密告した親しい友人で一緒に男遊びを繰り広げていた詩人と出会う。詩人は感極まったように挨拶してきて、アレナスも怒りを超えて笑いを堪えられなくなり二人は抱き合う。密告者であるが、これまでの人生で素晴らしい瞬間をともにしてきた優れた詩人なのだ。
アレナスはなんとかアメリカに渡り、体の自由を得る。しかし逃亡者であるアレナスたちにはどこにも居場所はなかった。
この自伝は、キューバの田舎で過ごした幼少期や、革命政権の元で国民が監視しあう社会で刑務所経験、そして障害で数千人を相手にした性行為が多く語られている。抑圧されたからこそ、そこに輝きを見出そうとするかのようであり、怒りが生きる力となっているようだ。
それに対して、アメリカに渡って自由になったはずの日々になると、アレナスの語りから輝きが消える。
エイズをはじめとする多くの病気を併発したアレナスは、三年の間に最後の自伝を書いて自殺する。
公表されることを願って遺された別れの手紙はこの言葉で締めくくられている。
<ぼくのメッセージは敗北のメッセージではない。戦いと希望のメッセージなのだ。キューバは自由になる。ぼくはもう自由だ。P413>
以下印象的だった言葉を記載。
❐自然
<田舎で暮らしていると、誰でも自然の世界に、したがって、エロティックな世界に直接触れるものだということを頭に入れておかなくてはならない。(…中略…)田舎には、あらゆる偏見や抑圧、罰をたいてい乗り越えるようなエロティックな力がある。その力、つまり、自然の力が支配しているのだ、田舎では他の男と関係を持たない男はほとんどいないのじゃないだろうか。肉体の支配は父親がぼくたちの頭に叩き込もううとするどんな男性優位的な感情をも超えているのだ。P45>
<川は抑えられない暴力の魅力に憑かれてとどろいていた、氾濫するその側の力は大抵のものを押し流し、木々や岩、動物、家を運び去っていった。それは破壊の、そしてまた、生の法則の神秘だった。(…中略…)その轟音とともにぼくも行かなくちゃならない、ぼくもその水に飛び込んで消えなくちゃいけない、わずかとはいえ心の安らぎは常に先へと進むその激流の中でしか見いだせない、と何かがぼくに言っていた。でも飛び込む勇気がなかった。P41>
❐性行為
アレナスにとって、性は生命の、そして自由の象徴だ。だから革命軍に入っていた頃、刑務所に入っていた頃はその行為を控えていた。輝きも意味もなかったのだ。
<自由な人間とセックスすること、そして鉄格子の中で隷属化した肉体とセックスすること、この二つは同じではない。(…略…)ぼくは服役囚たちとセックスするのを拒んでいた、その行為に崇高さはまったくなかった。P248>
<性的喜びというのはたいていひどく高くつくものだ。(…略…)それは神の復讐ではなく、美しいものすべての敵である悪魔の復讐なのだ。美しいものというのはいつも危険なものである。(…略…)ぼくなら、美を実践する者は遅かれ早かれ破滅する、というだろう。大いなる人類は美に耐えられない。たぶん美なくしては生きられないからだ。醜悪さの恐怖が日毎、足取りを速めて進んでいるのだ。P264>
❐独裁政権と、それに抵抗すること
<美はそれ自体、どんな独裁にとっても危険なもの、闘争的なものだ。独裁が人々に課している制限を超えていくような世界を含んでいるのだから。それは政治警察の支配の及ばない領域である、したがって誰にも統治されることがない。だからこそ独裁者たちは苛立ち、なんとかして破壊しようとする。日は独裁体制下ではいつでも反体制である。というのも、どんな独裁もそれ自体、見苦しい醜悪なものなのだから。P134>
<ぼくたちの政治史は絶えざる自殺の歴史でもあるのだが、スニョルの死はそんな歴史における一つの自殺にすぎない。P78>
<いままで、いつもぼくはなんとか死を免れてきた。際どいところで。いまは事態は違っている。ともかく、その時は死をどう考えていたのだろう。P91>
<邪悪な政治体制下ではその体制に耐えている人たちの多くが邪悪な人間になる。相容れない人間を破壊させるような、常軌を逸した抑圧制な悪から逃れうる人は多くはいない。P127」>
<独裁の何が一番嘆かわしいかといえば、その一つはすべてを真面目にとり、ユーモア感覚を消し去ることだろう。歴史的にキューバは風刺や嘲笑のおかげで現実からいつも逃げてこられた、しかし、フィデル・カストロとともにユーモア感覚は消えていき、やがて禁じられてしまった。そのためキューバ人はわずかしかない生き延びる手段の一つをなくすことに鳴った。笑いを奪った時、物事にたいする最も深い判断力を国民から奪ったのだ。そう、独裁は取り澄ましたものであり、もったいぶったもの、そして、完全に退屈なものだなのだ。P315>
<肉体は魂よりも苦しむ。なぜなら、魂というものは思い出とか希望とか、しがみつくべきものをいつも見出すからだ>
<そう、勇気は一つの狂気である。だが、崇高さがあふれる狂気なのだ。P284>
❐共産主義と資本主義
<資本主義体制もまた、金儲け第一の浅ましい体制であることはもう分かっていた。(…略…)「共産主義体制と資本主義体制の違いは、いずれの体制もぼくたいの尻を蹴飛ばすものですが、共産主義体制では蹴飛ばされると拍手をしなければいけない、ところが資本主義体制では蹴飛ばされると叫ぶことができるということです。ぼくはここに叫びに来たのです」P371>
<臆病者は決まって悲痛なものだが、不正と愚かさははるかに人を苛立たせることになる。P389>
❐他の作家について
ホセ・レサマ=リマとビルヒリオ・ピニャーラ:革命政権で監視された同士としてべた褒めですね。レサマのことは「人を悲しいままにさせない。人の創作欲を掻き立てる」など。ビルヒリオには永遠の「少数派、確固たる不服従者、不断の反逆者を体現」など。
ボルヘス:重大な作家として敬意。しかし「文化を重要に捉えすぎ」とも。
カルペンティエールたち、カストロ派キューバ作家:権力におもねった人間はもうもとに戻れない!
コルタサル、ガルシア=マルケスたち、キューバ以外のカストロ派作家:カストロの操り人形!ノーベル賞は政治忖度!などなど容赦ない。
❐書くということ
<一ページも書けなくたっておまえは作家だよ、とぼくが言うと、ラサロは元気を出した。ぼくに書き方を教えてもらいたがっていた。でも書くことは職業ではなく呪いみたいなものなのだ。一番怖いことは、ラサロがその呪いに取り憑かれているのに精神状態が欠かせなくしていることだった。白い紙の前に座り、掛けない無力感から泣いているのをみたあの日ほどラサロが愛しかったときはない。P334>
<レサマは「覚えておくんだよ、わたしたちは言葉によってしか救われないってこと。書くんだ」とぼくに言った。P306>詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
価値ある本については、くどくどしく感想を述べることが、つまらない行為に思える。本書がまさにそれ。
十年に一度あるかないかの小説、一段せばめて自伝小説として見渡してみたら、生涯でほかに数冊出会えるかどうか、わたしにとってはそのレベル。 -
幼少期の熱帯の風景、家族の風景で一気に引きこまれる。中盤はキューバの作家陣の名前が頻繁に出てきて、誰がだれだか混乱する。
独裁、革命、そしてより悲惨な独裁へと、国が移り変わっていく様が、ひとりの若者の目を通して語られている。
社会主義国の内情は、外からではわからない。キューバなどは社会主義とはいっても、なんとなくノンビリしたイメージ(カストロも年だし)だが、内部は全くそんなことはなく、苛烈な弾圧がおこなわれていたということが理解できた。
ただ、亡命したからといって、満足な自由が得られるわけではなく、故郷を失った放浪者として孤独を抱え続けなくてはならないと作者は言っている。
最後のグラスが割れるシーンが、とても印象深かった。 -
以前映画を観たが、こんな泥々だったろうか…。
死の際に書いた自伝。まさに凄絶な手記。 -
何度も読み返してる、大好きな本。墓場に持っていきたい。
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最後の一文で、緊張がとける。自由や幸せを離してはいけないって思った。
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昔、図書館で借り、忘れられなくて買った本。
色々と壮絶。映画も良かったけど、こちらはより哀愁が漂う感じ。
かなり大変で、悲惨なこともいっぱいある人生なのに、悲観的にならないあたりが好きです。
そして最後の一言がまた……ズドンと内臓に落ちるような衝撃でした。
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いい本です。