エンベディング (未来の文学)

  • 67人登録
  • 3.21評価
    • (2)
    • (4)
    • (9)
    • (4)
    • (0)
  • 7レビュー
制作 : 山形 浩生 
  • 国書刊行会 (2004年10月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (353ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336045676

エンベディング (未来の文学)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • この世界は言語で構成されている。しかし、われわれの言語には限界があり、多様にして壮麗な世界をとらえきれていない。ドラッグ体験を通じて、あるいは精神を病んでいる人々が見る、無際限な可能的世界の方が、むしろ本来的な世界なのであり、われわれは貧しい言語観が災いして、その芳醇な世界に触れられないでいるのではないか。60~70年代に一世を風靡したドラッグ・カルチャー全盛期になら、人目を引いたアイデアではないか。

    イアン・ワトソンは、多くの平面を共時的に併置し、同時進行する危機的状況を手際よく一本の筋に綯いあわせる。その主題になっているのが、表題でもある「埋め込み」(エンペディング)だ。イギリスの施設では、クリスが四人の子どもを「埋め込み型」言語環境の下に、他の環境とは隔絶して育てるという実験中である。ブラジルでは、やはり埋め込み型言語を持つアマゾンにある少数部族の研究をするピエールがいた。二人はアイリーンというクリスの妻によって繋がる友人である。

    そのころ、アメリカのネヴァダ砂漠に宇宙人が飛来する。その交渉相手としてクリスが選ばれ、交渉の仲介者となる。宇宙人はコミュニケーション能力を研究するため、星間飛行の技術を提供する引きかえに地球人の脳のサンプルを採集する目的で地球に立ち寄ったのだ。

    巨大ダムに水没しようとする少数部族、アメリカ産業資本と結託するブラジル政府に反対する勢力の武力蜂起、米ソ二大国の思惑とそれを暴露する中国のスパイ衛星網、そんな現実的世界の真ん中に人類をはるかに超える能力を持つエイリアンがやってくる。いかにもSFらしい発想だが、アイデアが空回りして拡散し、大事なところに焦点化しない憾みがある。レーモン・ルーセルの詩集『新アフリカの印象』をエンペディングのテキストにしたり、アマゾンの部族につたわる神話を語ったりする部分など、興味深い点もあるだけに惜しい気がする。

  • 実験的とはいかずともアイデア先行の印象がある。

  • なんというか、ぐーっと盛り上がってどこへ行くのかと期待してたらわりとどこへも行かなかった感じの肩すかし感があった…。雰囲気が好きな人は好きかもしれないけど。

  • これは…
    ある作家を思い出すような
    わざとなのかはわからないけど構成が
    お世辞にも上手とはいえない作品です。
    視点変更の多様がかなり仇になっています。

    悪く言うと、レナルズの劣化版。
    何かが明らかに欠けています。
    なんなんだろうなぁ。

    読めないわけではないけど
    構成の荒さが目立つ作品です。

  • ベルクソン『思想と動くもの』 の、とりあえず「緒論」を読み終わっただけだけど、面白い。
     これまでの日記で「時間SF」というところでだけ、わたしは妙に気難しいところがあったわけだが、それはベルクソンの提出した問題があるわけだ。『時間と自由』でやるのがいいんだけど、とりあえず、いま読んでるもので書くことにする。

     ベルクソンがターゲットにするのは、継起的な時間(あるいは運動)を考察するに当たって、人間の悟性はこっそりと空間を把握するための諸方法を持ち込んでしまうということだ。

    「時間を表す言葉は空間の言葉から借りられたものである。われわれが時間を呼び出そうとすると、呼び声に答えるのは空間である。哲学は言語の習慣に従わなければならなかったが、言語の習慣自身は常識の規則に基づいている」

     空間において社会的な効用のある把握のあり方は、正確な座標に位置づけられた情報であるのだから、それは不動のものを扱う思考方式になる。

    「悟性が相手にしようとしているのはいつでも、事象的にせよ可能的にせよ、不動なものなのである」

     人間の認識方法は、運動を探求しようとして、結局のところ切り分けられ、静止したものにたどり着いてしまう。一連の不可分な運動そのものではなく、運動が空間に落とした影ばかりを拾い集めて、かえって運動あるいは時間の全体的な把握から遠ざかってしまう。

    「フィルムを全体として捉える代わりに、一こま一こま切り離すことしかできないわれわれの知覚の弱みを示すことになる。」
    「こういうふうに見た時間は観念的な空間にすぎず、そこには過去現在未来のあらゆる出来事が並んでいるばかりでなく、それらが全体としてわれわれに現われるのを妨げられているものと仮定しているのである」


     このような時間についての認識について、空間化への転倒というよりも、むしろ積極的に時間を空間の一種に過ぎないとしたのがウェルズの「タイム・マシン」である。

    「実際四つの次元が存在する。そのうち三つは、空間の三平面と呼ばれる。そして四番目が時間だ。前の三つの次元と後の一つの間には、実際には区別は存在しないのだが、われわれはつい区別したがる」
    「空間の三次元と時間とのあいだには、何の差異も無い」

     一度、空間の比喩の中に押し込めてしまえば、その中を移動することは感覚的にたやすいことである。
     このウェルズの発明が決定的に後世に影響を与えたのは、人間の時間に対する認識に対して根本的な変革を強いるような過激なものではなく、むしろ日常的な時間の把握の方向性でラディカル化させたようなものだったからかもしれない。

     ドラえもんのタイムマシンの移動がまるで空間の中を移動するのと変わらぬ描かれ方をする時にわたしたちが感じるのは、時間についての普段の考えを脅かされるような不安ではなく、むしろ安心のほうである。

     ウェルズにとって、このような時間の空間的な扱い方というのは、文明批評を成立させるための手段だったのだけれど、このアイデアは独立したガジェットとして便利に利用できるSFというジャンルの共有財産となった。

     空間化されて、日常生活の常識に馴化された「時間」を切り貼りしたようなパズル的なタイムパラドックスなどとたわむれる作品を量産することについて、SFは「日常生活への異化効果」などという図々しい言葉を用いて、それを「時間SF」と呼んできた。だが、それはせいぜい「頭の体操」に過ぎない。そんなことは多湖輝にでもまかせておけ。
     わたしが、ほとんどの「時間SF」について、苛立ちを見せていたのは、上記の理由による。そこには本当の意味での知性による挑戦が不足していた。



     さて、ベルクソンはこのようにも言う。
    「この覆いは本性上空間的でありかつ社会的な効用をもっている。つまりこの空間性とまったく特殊な意味における社会性とが、われわれの認識の相対性の真の原因である。あいだに挿まれたこの覆いを取り除けば、われわれは直截なものに立ちもどり、われわれは絶対的なものに触れる。」

    これは、非常にSF的にも触発されるアイデアだ!
     そしてSFの中には、このような方向での時間へのアプローチをした作品もあるのである。それが、イアン・ワトスンの『エンベディング』だ、こんちくしょー!

    『エンベディング』については以前にあさっての方角から触れたことがあって、そこでは「エンベディング本体についてもそのうち書きたいと思う」とか言っているのだが、なんとそれから丸二年である。恐ろしい話だ。
    http://booklog.jp/users/sukerut/archives/B000AADYUI

     作中のアイデアについては訳者の山形浩生の解説がまとまっているので引用しながら。
    「言語が認識(ひいては現実)を規定する、というだけなら、話にあまり広がりは出ない。でも、実際にはぼくたちは「現実」の外から現実をあれこれ観察しているわけじゃない。ぼくたち自身もその「現実」に埋め込まれているわけだ。つまり言語は何よりもその埋め込まれ方を規定している。そしてその言語の中にも埋め込み構造がある。文の中に、別の文が句や節の形で埋め込まれて階層構造になっている。埋め込みの中の埋め込みの中の埋め込み……という構造がたくさん続いている」

     このような現実への埋め込まれ方から脱出するために宇宙人(笑)がやってくる。宇宙人の要求は、埋め込みの強い言語を差し出せということだった。
     ここで作中にゼマホア語というオリジナル言語が登場する。

    また山形の説明に頼る。
     通常の言語では「ぼくはあの家に向かっている。殺人現場の家だ。いまは立ち入り禁止の札がたっている。でも、やがてここも解体されて、マンションに建て替えられるだろう」と表記される文章があるとする。
     この文章は一読するだけで意味が通るだろう。現在の行為や過去の事件、未来の推測が分けて書かれており、混乱する要素は無い。普通の意味でならまとまった、効率のいい言語の使い方ということになる。
     だがゼマホア語の文法ではこのように書かれることになるだろうと山形は言う。

    「ぼくは殺人現場となって今は立ち入り禁止の札が立っているがいずれ解体されてマンションに建て替えられると思われるあの家に向かっている」

     一見すると、単に要領の悪い人が書いた文章に見えなくもないが、この一文のなかには、
    「過去のこと、未来のことがたくさん入っているけれど、それが全部現在形の文の中に含まれている。つまりこの文は、過去や未来を全て現在の中に含めている。そういう言語をしゃべる人であれば、彼らの時間感覚も現在とか未来といった概念の区分が明確ではなく、すべてが現在の中に宙吊りになったような別物になるだろう、というのが本書の主張だ」(山形)

    「われわれの西洋的な時間談義は完全に間違っている。まったくなっていない。われわれはまるで時間の直接的な体験を持たない。それを直接知覚しない。でもゼマホアの心にとって、時間は直接的な体験としてある」
    「かれらの日常的な口語(ゼマホアA)はきわめて高度な再符号化プロセスを通過して、通常の言語の線形な特徴をばらばらにして、ゼマホアの人々を時空間の統合性に連れ戻す」(『エンベディング』本文)


     お、お、お、面白い!(とあなたは思うだろうか?不安だ)

     実にエンベディングの魅力とは、山形が見事に要約したこのアイデア一発に尽きるといっても過言ではなく、山形のこのネタバレ解説を読んだら本編は読まなくてもよいような気もする(多分、山形もそういうつもりで書いてると思う)。

     ちなみに、この後書きで、山形はさんざん『エンベディング』の小説的欠陥を連ねて悪口を言っており、ネットでちょっと話題にもなったのだけれど、本人のHPではもっとひどいこと言ってるよ!
    http://cruel.org/books/books.html#translations
    「なんかしょせん SF というのは、という気がしなくもない。まじめにやろうとすると、さいごのところでつい逃げを打ってしまうんだよな。」というのは、ごもっともである、山田正紀とか。

     しかし、それでも山形自身が後書きに「こんなめちゃくちゃなアイデアを、そもそも小説に仕立ててしまうというのは、余人には真似のできない荒技だ」と書かざるを得なかったワトスンのトライアルの方を「時間SF」の可能性として、わたしは断固支持するのだ。時間に引き裂かれた恋人など、いかに洗練された技巧を駆使しようが、つまるところ馴化された時間を消費しているだけだ。そんなものはハーレクインにまかせておけ!

     で、言語からアプローチしたということがワトスンの思考の面白さを保障している。一般に『エンベディング』は言語SFとして括られることが多いのだけれど、ベルクソンが言っているように時間の直接的な認識を妨げているものは、空間的な配置の思考と結びついた言語に大きな要因がある。ここから突破しようとしたワトスンの試みは間違っていないはずだ。
     いっぽう、空間的な言語を無反省に使用している、一般的に「時間SF」と称されるパズルからはこのような刺激的な作品が生まれる可能性は非常に低い。

    『エンベディング』に似たアプローチをした作品としてテッド・チャンの「あなたの人生の物語」があって、こちらはワトスンの小説技巧の拙劣さとは別格の、仕掛けが分かったときには息を呑むような技術の高さがあった。(が、両作の近似性を指摘していた書評は、パッと見、大森望くらいしか当たれなかった。 http://www.webdoku.jp/mettakuta/review.php?book=4575&review=929 『WEB本の雑誌』)
    『エンベディング』では、異なる認識の獲得が外側から観察する形でしか行われず、中盤以降は単なる権力ドラマを展開させるための道具としてしか機能していない。どうにもワトスンの手さばきの不器用さが目立って見える。一方、チャンは認識の変化をおもに主人公周辺の小状況の描写にあてたことで、変革を内側から、しかも情感を交えて書くという離れ業に成功したと言える。

     とはいえ、わたしが『エンベディング』を推したいのは、ワトスンには大きなアイデアを大きな物語につなげることへの強い志向があるからである。
    「あなたの人生の物語」の完成度には、どこかそのような欲望をあきらめたところからだけ来るミニマムなものがあって、それはたしかに美しいものではあるけれど、わたしはなおワトスンの蛮勇を好もしいものとしたい。

     ちなみに、日本でこのテーマを試みた作家には、ぼくが知る限り『チョウたちの時間』から『神獣聖戦』シリーズにかけての山田正紀がいる(他にもいるかもしれないが、日本人作家には詳しくないのでご容赦)。


     『チョウたちの時間』角川文庫版の解説で、川又千秋が「人類はこれまで余りにも空間に偏した認識の方法しか持ってこなかったのではないか、という根源的な問いかけ」と書いているように、物語の初発において、はっきりと空間化された意識への問題意識が表明されているんだけど、は人間の時間への認識能力の上昇を阻もうとする未知の超存在との戦いについて物語の大半のページが割かれてしまう。
     これは、やはりいつもの山田正紀とも言えるし、また山形浩生の言うかんじんなところで逃げをうつという、もっと根本的な問題なのかもしれないけれど、しかしとにかく問題を提出してくれただけで、この作品は記憶に残るのであった。


    (ベイリーの「宇宙の探求」についても書こうかと思ったが、もう疲れた)

  • エクストラポレーションという形に安易に寄りかかってしまったSF。期待すると肩透かしを食らいますが、焦らされる過程がなかなか面白いです。アイデアは秀逸。さすがワトスン。

  • 積読中。未読のため、★5つ。

全7件中 1 - 7件を表示

イアン・ワトスンの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
J.L. ボルヘ...
ウンベルト エー...
トマス・M・ディ...
グレッグ イーガ...
ジェイムズ・P・...
トマス・M.ディ...
チャイナ・ミエヴ...
クリストファー ...
ジャック・ヴァン...
グレッグ イーガ...
グレッグ・イーガ...
ハーヴェイ ジェ...
有効な右矢印 無効な右矢印

エンベディング (未来の文学)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

エンベディング (未来の文学)の作品紹介

埋め込み(エンベディング)製造を応用しての人工普遍言語の研究をしている言語学者クリス・ソールは、地球人の言語構造を求めて突如やってきた異星人とのコンタクトという指命に臨む。一方、ソールの旧友ピエールはアマゾンの奥地でドラッグによるトランス状態で生まれる未知の言語を持つ部族とともに新しいを体験していた-多重な語りと視点で同時進行する複数の物語がやがて迎える目眩くクライマックス…ウォーフ=サピア〜チョムスキーの言語学やレーモン・ルーセルの奇書「アフリカの印象」等を用いた溢れ出るアイデアと野心的なヴィジョンを駆使して、言語と世界認識の変革を力強く描き、イギリスSF界を騒然とさせたイアン・ワトスンの"熱い"デビュー作。

ツイートする