三つの教会と三人のプリミティフ派画家

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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336047229

感想・レビュー・書評

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  • 口絵を見ていて、おや、と思った。もう一枚のグリューネヴァルトのキリスト磔刑図は有名な作品だが、この女性の肖像画は普通の画集ではなかなかお目にかかれない。美人であることはまちがいないのだが、どことなく人を小馬鹿にしたような口許に浮かぶあるかなしかの微笑といい、真っ直ぐにこちらを見つめる眼の中にある、人の心の秘所を突くような辛辣な視線といい、この若い女性がただの美人ではないことをよく物語っている。

    実は、学生時代に読んだ埴谷雄高の「ルクレティア・ボルジァ」という文章の中に作家本人が美術館で盗み撮りした写真として紹介されていた一枚なのだ。埴谷の文章ではヴェネティア派の画家、バルトロメオ・ヴェネトが描いたとされていた。モデルが、悪名高いチェザーレ・ボルジァと近親相姦の噂もあった妹のルクレティアその人である。真偽のほどは確かではない。ただ、そう思わせる何かがこの絵にはある。

    ユイスマンスがフランクフルト・アム・マインにある小さな美術館でこの絵を見たときには、絵には15世紀フィレンツェ派(?)による「若い娘の胸像」というクレジットが付されていたようだ。ユイスマンスは、先のバルトロメオ説も考慮に入れながら、北方ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーとの類似点を探すなど大胆な推理を試みているが、この絵に関して言えば画家探しはどうでもよい。

    問題は誰を描いた絵かという点である。ユイスマンスはルクレティア説を採らず、その父である教皇アレクサンデル三世が、60歳をこえてから見初めた15歳の金髪の美女ジュリアーノではないかと考えている。このジュリアーノという美女もまた、稀代の悪女ルクレティアに負けず劣らずの女性であったらしいことはユイスマンスの語る逸話からも分かる。

    細く撚った金髪が波打ちながら肩口から胸元にかけて広がる様や、頭に被った純白のターバンの上にまとわりつく黄楊の葉でできた冠、堅く締まった乳房の間に下げられた司教型十字架のペンダントと、この謎の美女を飾る意匠には、どことなく芝居がかったものがある。両性具有者とも見紛う華奢な体つきからは、同じフィレンツェに咲いた名花で、ボッティチェッリのモデル兼愛人シモネッタ・ベスプッチにはない異端の官能美がある。

    日本というカトリック神学からは遠く離れた地で、独り悪魔学に勤しんだ経験を持つ幻視の文学者と、世紀末デカダンスの聖書と呼ばれた『さかしま』を著しながら、後にカトリックに劇的な回心を遂げることになるユイスマンスが、偶然とはいえ、さほど有名でもない画家の一枚の絵に、魂を射抜かれるほどの関心を抱いたところが興味深い。おそらく、この絵には「美」だけではなく、その裏に「悪」が貼りついているにちがいない。

    非合法政党の活動家として獄中生活を経験し、後に転向するという経歴をもつ埴谷と、世紀末美学の体現者として脚光を浴びながら、それに満たされないものを感じ、次作で黒ミサや幼児殺戮者ジル・ド・レエを描き大衆の反撥をかったことで、今度は一転して過激なカトリック者となるユイスマンス。善と悪、天国と地獄、美と醜、自然と人工という二項対立を通して世界を見ることを余儀なくされた二人が期せずして一人の美女に目を止めずにいられなかったことが、不思議でも何でもないような気がしてくる。

    後になったが、ノートル・ダムを含む三つの教会から中世神学の象徴大系を読み取り、今は失われつつある古きパリを偲ぶ「三つの教会」は、今風の教会建築に対する激越な批判、辛辣な皮肉、悪意ある称揚の中から、静謐な祈りの空間を希求する作家の真摯な声が響く苦みを利かせた探訪記。挿入された銅版画風の挿絵が興趣を誘う。「三人のプリミティフ派画家」は三枚の絵についての批評。彫刻工の息子で、画家でもあったユイスマンスの怜悧な分析と作家ならではの大胆な想像力が相俟って、独自の鑑賞眼が光る。

  • 多くの図版やカラー写真が散りばめられている豪華版である。

    五編の文章のうち四編はユイスマンスの生前に各所に発表されたらしいが、ユイスマンス没年の翌年に五編が遺作としてフランスで公刊されている。

    三つの教会とは、パリに今も現存する ノートルダム寺院 サン・ジェルマン・ロクセロワ教会 サン・メリ教会 であり、

    三人のプリミティフ派画家とは、グリューネヴァルト 小花を持ち、透かし模様のようなウェーブの金髪の若い女を描いた画家(バルトロメオ・ヴェネト作?とされている) 本書の表紙を飾る<聖母子>を描いたフレマールの画家を指す。

    ユイスマンスのいうプリミティフ派画家とは、14.5世紀のイタリア、フランドルの画家を示す。

    よくユイスマンスのことを書くとき、回心前、回心後という思想的に重要な分岐点のことを引き合いに出すが、この作品は、晩年に描かれたものであり、当然回心後の作品に属する。

    回心後のユイスマンスは教会によく通い、『大伽藍』を上梓している。
    これはシャルトルを詳細に描写、分析しているが、三つの教会は、『大伽藍』のように主人公はいないが、やはり、教会を精密に描写し分析考察を加えている。

  • J. K. ユイスマンス、田辺保訳、『三つの教会と三人のプリミティフ派画家』、国書刊行会、2005年。

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