綺想礼讃

著者 :
  • 国書刊行会
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  • Amazon.co.jp ・本 (550ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336051677

作品紹介・あらすじ

澁澤龍彦、稲垣足穂、小栗虫太郎、谷崎潤一郎、宮沢賢治、江戸川乱歩、三島由紀夫ほか、伝説の博学が偏愛の作家に就いて語る。緻密にして破格な論考四十数編をついに集大成。

感想・レビュー・書評

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  • 松山俊太郎。よく知らない。インド、仏教と、幻想文学についての研究をしている。ただ、松山会というブログを見れば、この学者はいま病気にあり、もしかしたら長くないかもということ。この学者は、やり残したことがあると言っていることがわかる。悔しいだろう。これほどの人物のわりに、著書は少ない気がする。おそらく単行本化されていないだけで、膨大な講義録や文章があるのだろうけれど。これからの刊行が気になる。
    この本は、編集素浪人というお気に入りのアマゾンレビュアーが絶賛していて、気になって借りた。
    読むのに、非常に苦労した。というより、苦労することもできずに、読んでしまうことしかできなかった。

    『昔、小泉八雲だったか、キミニセクトーレという言葉を使っていて、キミニというのは一種の木の実で、それをほじくる、重箱の隅をほじくる者という意味に匹敵するんですよ。だからそういうものをほじくる、現実の中にいても現実ではないなかへ逃げ込むという……現実にパンチを食らわせるために、大づかみに人が思っていることと反対のことを言いたいというアマノジャクとして現われるやり方もあるけど、そうなる前に、細かいことを集めてそこへ執着して逃避したいという精神のほうがあまりにも強すぎるから、現実と正面切って対決する段階にいかないわけね。でもまあ、虫太郎がいたか否かで、私の人生はだいぶ変わっているだろうとは思います。ただ、そういう作家も十人やそこらはいるわけで、だから本当に架空のものに依存しているわけですよ、私なんかでも。』(虫太郎研究という不可能願望)

    松山俊太郎は怪物らしいが、どう怪物なのか、知らない。ただ、この文のなかの「虫太郎がいたか否かで、私の人生はだいぶ変わっているだろうとは思います」というのは注目したい。というのも、彼の知識の圧倒的さは、虫太郎の圧倒的さに通じるものがあるからだ。

    『宇宙というものは硫黄みたいなものだと思ったんです。硫黄というのは、気体のときと液体のときと固体のときでは完全に性質が変わる。宇宙というものは、自分の運命を全うするには決して安易な道じゃなくて、あるときは気体になって、あるときは液体になって、あるときは固体になるというような、宇宙がもう一つ面している外的な条件にかろうじて耐えて、みずからの姿も変えていかないと生き延びられないものじゃないか、そういう考えになったんです。』(輪廻思想をめぐって)

    と、これもやばいフレーズだ。「宇宙がもう一つ面している外的な条件にかろうじて耐えて、みずからの姿も変えていかないと生き延びられないものじゃないか」だなんて、うわーなんてこと言うのだ、そんな巨大なものをどーんと手渡されても持てないという気持ちになる。

    『輪廻というのは、ぼくは個人的には大好きなんですけれども、公に輪廻があるということを主張しているものはちょっと信じられなくて、輪廻思想というのは諸悪の根源じゃないかという反対の立場にあるんです。しかし自分個人としては、ある女の人を好きになって、それがうまくいかないと、ああ、これは生まれ合わせや知り合う時期が悪かったんで、この次生まれたときはもっと早く会おうって……。』(輪廻思想をめぐって)

    輪廻思想というのは諸悪の根源といいつつも、個人として恋愛話が出てくる。このダイナミックな感じにふらふらする。

    『わたくし自身も、輪廻のからくりが操れるなら、江戸時代の北陸で犬に転生して、墨染の僧形となり百姓に仏法を説きたいという、複雑な願望を持っている。畜生ながら修行を積みかかる大徳となられたと讃嘆される、己が顔が目に浮かぶのであるが、奇妙なことに、垂れた二枚の三角耳を除けば、どうしても澁澤さんになってしまうのである。』(奇妙な犬神・澁澤龍彦)

    と、これまたすさまじい願望を述べつつ、澁澤を分析する。だが、ここでの分析よりは、作者を飲み込んでいく、語学や原典から作家を飲み込んでいく大きさがある。

    『ところで、「人は、生殖力のある、猿の胎児である」というネオテニー学説と、「男は、昆虫の幽霊である」という自家製の仮説が、筆者の人間を考える基本である。前者によって、胎児化の進んだ人は超人となるという類推が可能となり、天才の幼稚さが根拠づけられる。後者は、羽蟻にとっての死語の段階が、男の固有の領域となるという発想であるから、男らしさとは、雄らしさでなく超越性のことになる。かくして、男にのみ生前と死語の世界が統一的冥界として開かれるから、物質および論理との関与が行われるわけである。ちなみに、女は、特攻隊として永劫回帰する男にとって、生の世界を代表する航空母艦である。超越度と幼稚度で測れば、澁澤氏が「もっとも男らしい天才」となることに異議はあるまい。』(澁澤龍彦集成)

    とまあ、澁澤を結論するのだが、高丘親王航海記の、ミーコミーコと飛んでいって帰ることを知らない感じと、その、天竺を目指そうとする幼稚さ無謀さ夢を追いかける様を考えれば、それはそうだと思える。

    圧倒的知識と、語学と、独自の哲学によって次々と作家等を飲み込んでいく。分析のやり方が、イデオロギーめいたものではなく、データをきっちりあつめて、まるで理系の論文を読んでいるかのような羅列が見られることだ。ひけらかしではなく、証明をしようとしている。しかしあまりに飲み込もうとしているものもでかいし、この人自身もでかいので、何を食べているのか、雲の上なのでわからないというのが正直な感想だ。

    何か、日本がこうであると提示しているわけでもない。今まで読んできた本が、発泡スチロールで出来ていた食品サンプルに過ぎず、この本は、パスタを食べようとしたら、動物や小麦などが総出してきて、ノアの箱舟が皿の上に乗って出てきた、といった感じだ。

  • 前にユリイカなどで、読んだものもあったりしましたが、このように纏められると、その綿密さ、緻密さ、博識あるいは想像力の奔放さに、圧倒される思いです。蓮の研究の関連箇所は(インド哲学に関連する)良く分かりませんでしたが、それにあまりにも詳しすぎて、、、とりあえず目を通すということになってます。

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著者プロフィール




「2017年 『新編・日本幻想文学集成 第7巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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