- Amazon.co.jp ・本 (452ページ)
- / ISBN・EAN: 9784336058966
作品紹介・あらすじ
東京創元社で長く編集者として活躍し、伝説の叢書「日本探偵小説全集」を企画する一方で、数多くの新人作家を発掘し戦後の日本ミステリ界を牽引した名編集者、戸川安宣。幼い頃の読書体験、編集者として関わってきた人々、さらにはミステリ専門書店「TRICK+TRAP」の運営まで、「読み手」「編み手」「売り手」として活躍したその編集者人生を語りつくす。
感想・レビュー・書評
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阿久悠の横溝正史賞が出来レースだったとか色んなミステリ界の裏話が読めた。
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自らの読書体験、編集者としての本づくりの体験、そして書店主としての本を売る体験、の三部から構成された自伝的エッセイ。ミステリ好きならこれは読んでいて楽しいですよ。さまざまな作品や作家の裏話がいろいろあったりもして、興味深いところが盛りだくさんです。東京創元社が倒産したことがあるとか、最初は日本人作家の本を扱っていなかったとか、そんなの全然知りませんでしたよ。
「TRICK+TRAP」は、閉店が決まってから一度だけ行ったことがあります。懐かしい。本当にああいうお店があると嬉しいんですけどね。 -
[北村薫さん関連の記事あり]
「北村薫さんとの出会い」 他 -
東京創元社の伝説的な編集者、戸川安宣の自伝。戸川が語り空犬太郎が聞き書きしたもの。「読む」「編む」「売る」の三章に分かれている。「読む」は編集者になるまでの読書体験、「編む」は編集者としての仕事。では「売る」とは?と戸惑ったのだが、戸川はミステリ専門書店「TRICK+TRAP」を切り盛りしていた時期があったのだという。やはり「編む」の章が圧倒的に面白い。
戸川が東京創元社に入社したのは1970(昭和45)年。それ以前の1954年と1961年に二度も倒産し、やっと経営が安定してきたころだったという。それまでの歩みも複雑で面白く、もっと詳しく知りたい。
以下、気になったところを箇条書き。
・M・P・シール『プリンス・ザレスキーの事件簿』は大変難しい作品で、翻訳者の中村能三はあれで寿命を縮めたとまで噂された。(どんな小説なんだ?)
・北村薫は「宝石」にひっかけて「じゅえる」という横長で謄写版刷りの個人誌を出していた。(これは読みたい!)
・〈日本探偵小説全集〉→〈鮎川哲也と13の謎〉→〈創元ミステリ’90〉→〈黄金の13〉で徐々に日本作家を入れるようにした。縛りあり期限つきの叢書ばかりだったが〈創元クライム・クラブ〉で恒久的な刊行にふみきった。
・山口雅也に執筆を頼んだら、ハードボイルドがいいか謎解きがいいかサスペンスがいいかと聞かれ、謎解きを頼んだら『生ける屍の死』ができた。
・高野文子デザインの新文庫〈イエローブックス〉は失敗した。
・ゲームブックの一角獣マークは紀田順一郎制作。
・山口雅也はおじさんマークが好きで講談社の自著にまでおじさんマークをつけたいと言い出した。さすがに他社ではよしてくれと断った。
・戸川安宣も探偵のマークをおじさんマークと呼ぶ。
・カトリーヌ・アルレーは本国では忘れられつつあったのか、新作が出ると昔は原書が送られてきたのが、原稿のコピーが送られてくるようになった。
・阿久悠が横溝賞を受賞したのは角川春樹による出来レース。土屋隆夫だけ猛烈に反対し、激烈な選評を書いたため、横溝賞からは選評がなくなってしまった。
・ミステリーコンペの読者投票で岩崎正吾が組織票を集めたので有栖川有栖が怒って岩崎と一緒のリレー小説を降りた。
・『薔薇の名前』は河島英昭の翻訳があまりにもおそく映画公開にも間に合わず、原書の版元から権利を取り上げられる寸前だった。河島は文庫化の際手直しをしたいと言い、それがまだ続いている。
・70年代までの東京創元社には、女性翻訳家は二人までしか使わないという厚木淳が言い出した決まりのようなものがあり、深町眞理子と小尾芙佐にしかお願いできなかった。
・一時期、雑誌「創元推理」の表紙を描いていた松野安男は「新青年」の表紙を描いていた松野一夫の息子。
・探偵小説研究会を立ち上げ、創元推理評論賞の受賞者たちと勉強会を開いていた。それが本格ミステリ作家クラブの母体になった。
・『物語の迷宮』は名著。『深夜の散歩』に匹敵する。ほれこんで文庫化した。
・ミステリー文学資料館には中島河太郎からの大量の蔵書が寄託されていたが、未整理の状態が続いたため混乱が起こり、中島の死後息子が契約を白紙にしてしまった。
・〈日本探偵小説全集〉第二期は幻に終った。大岡昇平『事件』は他社の文庫にはできないと新潮社から断られ、松本清張からは呼びつけられて怒られた。都筑道夫からは「探偵小説」という言葉が気に入らないと言われた。(今ならできるのでは……?せめて目次だけでも公開してほしい!)
・『貼雑年譜』制作は困難を極めた。点字の暗号は盲学校の先生に古いプリンタを探してもらいようやくできあがった。
・鮎川哲也は潔癖症だったのに最晩年の家はゴミ屋敷になっていた。
・宇山日出臣とは互いに尊敬する中井英夫の話しかしなかった。
・2006年に自宅の庭で脚立から落ち、大怪我をした。首の骨を折っていても不思議ではなかった。
・都筑道夫はすごく自己主張が激しく、葬式にもカラフルな服装で来るし、一事が万事100%「都筑道夫」だった。
・東中野の駅で最晩年の都筑道夫を見かけたが様子がおかしかったのでタクシーで家まで送った。
・中止になった創作講座の応募作の中に一編、これはという作品があった。それが大崎梢のデビューにつながった。
箇条書き終り。
「読む」の章では立教大学のミステリクラブの思い出が面白い。特に「SRマンスリー」での『高層の死角』批判に森村誠一が激怒した、というエピソード。どれほど激しい批判だったのだろう。
「売る」の章では、吉祥寺で出会ったミステリ専門書店のオーナー小林まりこが小林カツ代の娘だというのに驚いた。サロン的ないい雰囲気の本屋だったようで、一度行ってみたかった。検索したところ、閉店イベントでは若竹七海が〈TRICK+TRAP叢書No.1〉と銘打った洒落た冊子を配ったという。http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/117279/105040/16797479「信じたければ」という短編、読んでみたい。 -
自分が一読者として体感してきた、主にミステリ出版界の流れが、東京創元社の編集として関わってきた戸川さんの、中の人ならではの視点で回顧録になるとこうなるのか、と。どのページを読んでも、当時の自分の読書体験など思い返すことがあり、感慨深いモノがありました。
(特に、吉祥寺のミステリ専門店TRICK+TRAPには通いましたので、いろいろと。あそこはまさにミステリ好きには夢の空間でした)
あと、編集者だからこそ知っている、作家、翻訳家、評論家等々の方々との個人エピソードが満載で良かった。(鮎川哲也とか中井英夫先生のお話とかね)こういう個人エピソード、本人の存命中はちょっと憚られる事も、どこかでこういう形で残して貰えるとファンとしては嬉しいものですので、他の方々もぜひ残していただきたい……。 -
これまで、なんとなく知っていた事柄でも、当時を実際に過ごした人の、内側からの視点なので、すんなり入ってきて面白いです。東京創元社すごいな。本のレーベル等など、完成したものしか知らないわけですが、それを作っていってきた世代なのだなぁ、と。
ミステリもそんな詳しくないもんで、いしいひさいちの漫画にちらっとでてきたかな、という位の認識だったのですが...まさかこんな、ファミリーヒストリーでやったら父母ともに調べがいのある、面白い家系だったとは。
薔薇の名前顛末。まだ最後まで読めてないのですが、なぜ文庫ないのかと思ったら。そんなギリギリだったとは。訳者さん!
とりあえず本格ミステリ(あんま読んだこと無い)が読みたくなったので、載っていたリストからよんでいこ、と思います。 -
ミステリーファンでなくても役立つ。出版人は必読。
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戸川氏の物持ちの良さにびっくり。小学生時代の自分の作品が載った文集がまだ保管されているとは。編集者は天職だったのではないでしょうか。創元ノヴェルズにまつわるあれこれは一番翻訳ものに親しんでいた時期だったので、なつかしかった。吉祥寺のお店には行けなかったけれど、岡崎の「ネバーランド」にはわざわざ行ったっけ。