ハンバーガーを待つ3分間の値段: ゲームクリエーターの発想術 (幻冬舎セレクト)
- 幻冬舎 (2006年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344008601
感想・レビュー・書評
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久しぶりにのんびりと読書した。
クリエーターの視点というのは、人それぞれ違うものなんだなぁと感心させられた。
久しぶりに読んだ本としては勉強になった。色んな視点を持とう、そう思わさせられた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ところどころ「なぜ待つことは嫌なのか」みたいな考察で、結構真理をついてるんじゃないかと思う記述があったりする。
ま、ちょっとした面白エッセイで、別に発想術が解かれているわけではないけれど、普通の読み物として普通に楽しめる。 -
書店で文庫本に再会して、ずっと昔に読んだが何故かレビューもせずに単行本が何処かに行ってしまったなぁと思い出して、再購入。当時とはまた違う感覚で読めるのが再読の醍醐味。ゲームクリエイターの思考回路を覗き見ている気分で読める。視野は同じはずなのに、そこから疑問を生み出す観察眼に脱帽。それに対する考察の深さと、そこから更に展開させる発想の広さに感心する。著者が生んだ「シーマン」、あのふてぶてしいキャラクターが何故ヒットしたのか理解できた。本当に大切なものは「目に見えない」ところにあり、それに気付くところから始まるのだ。「問題のすげかえ」も、そんな発想から生まれた思考。「行列の科学」「選択の基準」は、私たちの日常生活に潜む、ちょっとした「違和感」をスッキリさせてくれる。こんな視点を持てたら、毎日が更に楽しくなりそうだ。
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期待したより刺激はなかった
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世の中をななめ後ろから見たようなエッセイ本。日常で感じた疑問不満をほっとかずに掘り下げていくので、読んでいてハッとしてばかりでした。昔は情報を物体化させることでお金を払えるようにしてたけど、電子化されるとうまくいかないというのは現状にぴったりだな~とひとりごち。
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ザ・タワーやシーマンを作ったゲームクリエイターのエッセイ集。ちょっとあまのじゃくな視点から物事の本質を突いていて、「なるほど!」という気づきが多かった。新たな着眼点が得られるだけでなく、純粋に読み物としても楽しめる。
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【読書メモ】
●私たちが目にするものはすべて「現象」ですが、もし「本質」がその反対側にあるとすれば、それを発見するためには、少しあまのじゃくな視点が必要なように思えます。
●私たちの仕事は、いや、おそらく品質に関与する仕事はすべて、「見えているものに影響されず、見えていない重要なものをいかに発見するか」が大きなカギのように思います。
●見えないものには名前をつける・・・この状況に名前をつけることにしました。そうすると、いつの間にか、形のないものがメンバーの意識の中に忽然と出現し始めるのです。つまり、特定の現象に対して気づくようになる。
●キス病そのものはずっと以前から存在したのでしょうが、その存在に誰も気づかないまま見過ごされてきたのです。名前がつけられることで感染の予防策が組まれ撲滅への道を歩み始めるわけです。
●人間というのは目に見えるものに引っ張られるせいで、目の前に広がる風景がすべて、と思ってしまいがちです。
●互いに事実は見すえているつもりでも、見えているものが違うから2社の言い分は完全に決裂します。自分の目に見えるもの、形あるものだけを事実としてしまう習性は、人間世界の争いごとの原因となってきました。
●真実はひとつであっても事実はひとつでない・・・事実というのは「合意のもとで成り立っている」そして、「いつか変わってしまうかもしれない」という宿命を背負っているわけです。つまり、「事実」というのは、不安定な砂の上に築かれた城のようなもの、ということになります。
●64bitのグラフィックエンジンとフル3Dモーションを使ったゲームが、果たして二色刷りのトランプや麻雀牌がもたらす興奮に勝てているのだろうか、という疑問です。むしろ、説明過多になればなるほど受けての入り込む余地を狭めてしまうような気がしてならない。
●無限の情報源から何を受け取るかはおのずと受け手のIQに比例します。さらに、この保管能力の度合いには著しく個人差が働きます。解釈する能力が高い人材がそろっていればいるほど効率のいいチームとなり得るわけです。
●人間同士がより効率的にコミュニケーションする――スポーツや企業がそうであるように――競争の鍵はどの業界でもそこに移行しつつあるようです。ラグビーチームからマイクロソフトのようなグローバル企業にいたるまで、あらゆる覇者に共通するのは、この「解釈癖」を味方につけた組織であるということです。
●結局人間の尊厳というのは自分の力で自分の未来を選択していくことを言うのではないか、そして待たされている状態というのはちょうどそれが断たれたような状況を生み出すということではないか、という気がするのです。誰かに仕える、という英語のウェイターという言葉もそういう語源からきているのではないか、という気もします。
●情報というのは、受け手に「より有利な未来を選択する権利」を与えるもの、と思います。何ら選択肢が与えられていないものは「情報」とは言わずに「通告」とか「通達」とか、あるいは「宣告」などと言われているのではないかと思うのです。
●選択肢が与えられず、ただ宣告された側というのは運命を受け入れるしかない訳で、「どうしろというんだ!?」となってしまいます。お役所に腹を立てる人が多いのも、彼らからの情報が、情報ではなく「通達」であることが多いからではないでしょうか。
●豊かさ、とか自由というのは、たとえ同じ結果であってもそこに行きつくまでの過程を納得できる形で提供された場合、おおむねそれは自分で選択した場合になるのでしょうが、そういうときに感じるものなのでしょうか。
●バージョンアップしないハインツを勝利に導いたたった一行のコピー・・・「ハインツのケチャップが、振ってもなかなか出てこないのは、それだけトマトをふんだんに使っているからです」
●情報をお金で売ろうとせずに、情報を置いていってもらう、お金はテレビ放送のようにまったく別の仕組みで発生させる、それが継続可能な情報サービスの姿のようです。むしろ大事なことは参加者のやり取りの方法を示したものという点で、そこに用意されたフォーマットではないか、と。
●広告を「発見」として人が受け入れてくれる場合と、「まったくまとめていないモノ」として排除しようとする場合の違い、それは何なのでしょうか?それは、それぞれの場が持つフォーマットに準じているか否かではないかと思うのです。
●「混ぜればゴミ 分ければ資源」…同じ形状のものが集まると価値が高まるのは、分野を問わずどこでも共通の普遍的な法則のようだ。
●問題のすげかえ…シーマンでは音声が認識できない理由をユーザーに責任転嫁した(「おまえの言葉、何回聞いてもわかんねぇよ!つまんないから帰るわ。バイバイ」と不愉快そうに言い放ち、水槽の奥の方に去ってしまう)。そうするとユーザーはなるべくわかりやすい言葉をゆっくりと話すようになった。
●イソップの「北風と太陽」という逸話ではありませんが、人を動かすのは強制力だけではありません。むしろその意義を理解できれば、人間はどんどんと自分から動く生き物であることをこの話は表していると思うのです。真に人を動かすために必要なのは「力」ではなく「情報」だと思うのです。 -
日常に蔓延る何気なく過ごしていると見逃してしまいがちな出来事をゲームクリエイターの視点から見るとこんな風に映るといった出来事が書かれたもの。
娯楽というものは生活必需品ではないため、消費者を不快にさせたりすると即座に切られる。そんなリスクのある職業だからこそ細やかな配慮や工夫と努力が必要とされる。
その視点から見ると、国や行政のお役所仕事はやっぱり消費者(国民)の事を考えていなかったり、民間事業でも少し間違えればそういった状況に陥る。ほんの少しの気遣い、ほんの少しの工夫で消費者の不満は大きく軽減される。
この発想は色んなビジネスで役に立つと思う。
ただ、評価が少し低いのは、あげてる例が著者が日頃不満に思った事や不快に思った事を事例にしているため、なんだかネガティブな気持ちにもなってしまったからだ。 -
シーマンというゲームが懐かしい。思考方法の大公開とあるが、どこかで見たような内容の部分もあり。ただ、連載当時ならまた違った感想が持てた木がする。