リトル・ピープルの時代

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著者 : 宇野常寛
  • 幻冬舎 (2011年7月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (509ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344020245

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村上 春樹
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リトル・ピープルの時代の感想・レビュー・書評

  • 東日本大震災後の世界をどのように捉え変えていくことができるかについて、村上春樹の小説、戦後の特撮ヒーロー、最近のポップカルチャーを素材に論じている。各論が終わるごとにそれまでのまとめが入る、親切な作りの本。

    過去40年間の特撮ヒーローにおける変身と正義の変遷を論じた箇所はとても面白かった。これも一種の集合知なのか、そのときどきの5歳児にウケる(納得できる)世界観が現実世界を如実にすくい上げている。初代ウルトラマンを見ていたおじさんたちと今の子供たちでは、世界の成り立ちが怖いくらい違うのだ。

    拡張現実に向かって想像力を働かせようという提言は、<いま、ここ>に働きかけるという点で、フェアトレや育児サポートの促進などで世の中をよくしようと活動している今の30・20代の動き方を見ていると腑に落ちる。初代ライダー世代はそういう拡張現実的な表現や活動に物足りなさを感じるかもしれないけれど(日経を読むとそんな感じだ)、なんというか、原発が爆発しても終わらない世界にあっても、ゾンビ化しないでみんな生きていけるんだという気分になった。

    しかしわたしもどちらかといえばオールドタイプであり、「キャラ>>物語」なコンテンツはあまり楽しめない。もうそういう脳みそに仕上がっちゃってるから、これから出てくる最先端の「面白いもの」を楽しむことはできないんだろうなあとちょっとさびしくなった。

  • 時代・価値の変化をウルトラマンと平成仮面ライダーで対比させての論評が新鮮。
    筆者が説く”リトル・ピープル”の時代は、<ここではない、どこか>へ連れて行かれることではなく、<いま、ここ>がどこまでも多様化し、そして拡張していくこと。
    さびしくも感じるけど、これが現実なのだろう。
    比較対象となる”ビッグ・ブラザー”としての象徴ウルトラマンで、何故初期ウルトラマン(というか、市川森一脚本)が今でも面白いのかが分かることも出来ます。
    もうひとつの対象、村上春樹について。
    「卵の側に立つ」と断言した違和感は私も少し感じた。本書で著者は壁=システムは私たちの外側ではなく内側にある、システムの外側で壁を破壊する立場には立てないという現実に目をつぶって、自分たちこそが卵と思いこもうとする人々こそ、壁=システムを築き上げた人たちだと論じる。そんな現実に抗ってきた春樹が「壁」と「卵」を性急に分けようとしていることが原因と言っている。言葉の比喩を取っ払って考えても、この意見は正解かと思う。

  • 目次を見れば一目瞭然であるが、村上春樹と、ヒーローのことと、東日本大震災のことが、大きな3本柱である。

    村上春樹の作品は、新刊が出れば気になって多分8割くらいは読んでると思うし、好きか嫌いかと二者択一を迫られれば好きということになるんだと思うし、もちろん現代文学におけるその大きさについて否定するつもりは全くないのだけれど、どこかにひっかかりを覚えていたんである。
    だから、そのひっかかりとは何なのか、を、考えながら読むことになった。

    村上春樹についての考察の中で、「現代的なコミットメントのコストを母=娘的な女性に転嫁するという性暴力的な構造」つまり「ある種のレイプ・ファンタジィ性」に支えられている、という箇所で、ハタと、そうかそれかな、と思い至った。

    きちんと分析できはしないのだけれど、抱き続けてきた違和感は、「なんか男の主人公が得してる小説だな」という感じだったかもしれない。
    だから、なんで(その割に)こんなに女性ファンがいるのかな、という違和感だったのかも。
    (これは明確な答えではないので、これからも村上春樹の作品を読みながら、ひっかかって考えていくしかないんだけれど)

    しかしこれは結局のところ、「父」「父なるもの」論である(だよね?)。
    論なので、好きも嫌いもない。フムフムなるほどね、そういう考えなわけね、それもアリだよね、と頷いたり、うまく頭の中で整理されなければ、なんだかスッキリしないまま唸ってみたりするだけである。

    しかし関係ないけど、最早「サブカルチャー」というのは死語かもしれないなあ。サブじゃないもん、リッパに「センター」張ってるもんなあ。

  •  序章及び第1章で展開される村上春樹の作品分析が圧巻。「国内においてはポップカルチャーとして消費される村上春樹が、なぜ世界文学たり得るのか」という問いからの出発がいい。蓮見重彦、柄谷行人、浅田彰らの村上批判をも切り捨てながら村上春樹の小説の根幹へと迫る姿勢が見事。ビッグブラザー(国家・帝国)に対するディタッチメントから、貨幣と情報のネットワークが支配するリトル・ピープルの時代へのコミットメントへと舵を切る村上春樹の創作の源へと迫っている。「父」へのかかわり方へのこだわりは一体どこからやってくるのかが気になったが、あとがきでその秘密が明かされる。父との確執があり、ペンネームで父の名前を名乗っているという。鋭く時代を読み、村上文学を分析しながらも、自らの体験を背負い込むしかない人間の姿が浮かび上がってきて興味深い。

  • 知らないうちに、仮面ライダーはとんでもないこと になっていた。13人の仮面ライダーたちが殺しあう『仮面ライダー龍騎』、自身にモンスターを憑依させることで4通りの仮面ライダーに変身する『仮面ライダー電王』、主人公が過去9作品の世界を自在に行き来でき、さらにすべての仮面ライダーに自在に変身できる『仮面ライダーディケイド』…。なんと複雑怪奇な「変身」の進化であることか。

    著者渾身の仮面ライダー論は、村上春樹の『1Q84』で登場するリトル・ピープルと接続する。「資本と情報のネットワークの下、リトル・ピープル=小さな父たちがそれぞれの正義を抱えて乱立するこの新しい世界は、仮面ライダー同士のバトルロワイヤルとして私たちの前に登場した」。つまり、独裁者であれ国民国家であれ、何かが正義/悪をわかりやすく体現するような時代は幕を閉じ、複数の小さな正義や悪が衝突しあう時代に移り変わった。村上春樹の諸作品が描き出したこうした変化を、著者は、ウルトラマンと仮面ライダー両シリーズの読み解きを通じて精密に分析するとともに、新たな時代を生き抜く想像力のありかを探索する。

    著者が探り当てた想像力は、「いま、ここ」を多重化する〈拡張現実〉的想像力だ。たとえば、アニメの舞台となった実在の都市をファンたちが訪れる「聖地巡礼」は、その典型例である。閉塞感に包まれた現実は、工夫次第でいかようにも豊かにできるし、変革できる。歴代仮面ライダーの「変身」は、世界を変身させることにもつながっていたのだ。

  • ヒーローものを語る上で不可欠なのが正義と悪。
    圧倒的な正義/悪、勧善懲悪がなくなった作品には、登場人物には「自分が正義として決断した物語にどう責任をとるのか」だけが残される。

    これは誰にも平等に自由が保障されているようで、人を突き放した残酷なルールでもあると思う。
    正義と悪という思想がなくなると、人々の持つものは全て本人の欲望としてとらえられる。

    例えば『仮面ライダー龍騎』は、「生き残った者が願いを叶えられる」という権利を獲得するため13人の仮面ライダーが殺し合う物語。
    主人公の真司の目的はライダー同士のバトルロワイヤルを止めさせることなのに、ゲームを停止させるためにはゲームの参加者としてバトルロワイヤルに加わざるを得ない。

    正義の概念が失われた舞台では「モンスターから人々を守りたい」「殺し合いを止めさせたい」という正しく見える願いも真司の欲望であり、わがままでしかない。
    だから真司はその他大勢の欲望を抱えたライダーと同列に扱われる。

    普通のヒーローは敵を倒しても、それが正義のため、正しいことだからという後ろ盾を持っている。
    でも、『龍騎』においてその後ろ盾は存在せず、真司は「戦いの辛さとか重さとか、そんなのは自分が背負えばいいことなんだ。自分の手を汚さないで誰かを守ろうなんて甘いんだ!」と、自分の正義を自分のわがままとして背負い、戦い、命を落とす。

  • 平成ライダー批評読みたさに手に取った1冊。
    なので第2章「ヒーローと公共性」は面白かった。

    概要+印象に残ったとこ+ちょこっと私観箇条書き。

    ・「正義」と「ヒーロー」は時代背景に要請されるように変容する。

    ・現代は「ビッグ・ブラザー(大きな物語)」が壊死した「リトル・ピープル(個別の物語)」の時代。

    ・著者の宇野さんは白倉P+井上脚本が好みなのかな。私は「あえて」教義的な正義を描いた「クウガ」も高寺Pも好きだ(批評に好き嫌いで返すのもアレだけど)。

    ・「リトル・ピープル」の時代=現代は「目的」のためにコミュニケーションするのではなく
    コミュニケーションそのものが「目的」。
    幸福感に満ちたコミュニケーションを見ることで欲望を満たす。

    ・今の朝ドラ「ひよっこ」の面白さはまさに「コミュニケーション」の理想系を描くとこだ(空気系)。

    ・BL作品や百合作品のような同性同士のコミュニケーションを描いたものに萌える欲望は、この作中の言葉を借りるなら借りるなら「コミュニケーションそのものへの欲望」だ(異性が入ると「恋愛」という目的を要求される)。

    ・コミュニケーションの連鎖を現実認知で描くとバトルロワイヤル系に、理想化して描くと空気系になる。

    ・インターネットや携帯電話の普及で「世界の終わり/世界の果て」は消滅した。だからこそ「今ここ」に深く潜って「今ここ」を多重化する想像力が台頭した(聖地巡礼現象)。

  • 2012年刊。村上春樹、ウルトラシリーズ、仮面ライダー(特に平成ライダー)をもとに、1968年頃から現在までの文明批評を試みようとするもの。村上春樹もほとんど読まず、平成ライダーシリーズも全く見たことがないので、よく判らないが読後感。ライダーでなくガンダムでも同じ説明ができそうにも思えるし、個人的には拡張現実の章だけでも充分か。ただ、今のアニメーションに興味が持てない理由は解った。多重化された現実をおやじ向けとして見せている作品はないし、今となっては、学園モノはノスタルジー以外の何物でもないからなぁ。

    PS.最近の作品を見るにようになり、アニメーションに関しては少し印象が変わる。数から言えば猛烈に氾濫しているアニメーション。当然、狙うべきターゲットは作品により違い、上の世代を意識した作品がないではない。上記の印象・感想は、あくまでもメイン作品に限って、ということになるのかもしれない。

  • 村上春樹を軸にウルトラマンそして仮面ライダーやエヴァといったサブカルチャーを対比させながら、竜を殺したら毒蛇が溢れかえった21世紀を俯瞰していく。私は春樹ファンなので内田樹のような全肯定批評以外は受け付け無いので著者の批評には違和感もありますが、仮面ライダーとの対比はつくづくと面白かった。電王以降はリアルタイムで見ているのでなおさら。
    ポップカルチャー好きなら読んでおいて損は無い。

  • 春樹は「敵」を前に苦戦している。そのころちまたには無数のヒーローたちが散乱していた。
    『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『ねじ巻き鳥クロニクル』そして『1Q84』へと至る春樹と「敵」、父を巡る長い戦いと、その傍らで紡がれてきた二つのヒーロー、ウルトラマンと仮面ライダーを、庇護するもの・越えるべきもの・倒すべきもの・思いはせるもの、そしてたらざるをえない「父」と時代とを重ね合わせて読み解く。
    論旨は非常にわかりやすい。また、例えも非常にわかりやすく厚い本の割にはさくさくと読み進む。

  • この世界は終わらないし、世界の<外部>も存在しない。私たちは<いま、ここ>に留まったまま、世界を掘り下げ、多重化し、拡大することができる。それは、革命ではなくハッキングすることで世界を変化させていく<拡張現実の時代>である。

    逃げる場所などないということを、覚悟すべし。

  • 村上春樹を通して、現代の世界観を考察する。

  • ライダーや春樹を知ってる人が読めば言ってることはわりとすんなり入るらしい
    どちらも知らないので結構しんどかったけどおもしろかった
    「龍騎」、「キバ」、「ディケイド」はちょっと見てみたくなった
    あとがきにある個人的な事情ってAZMのことかな?

  • 「1Q84」の、”ビッグ・ブラザーの死からリトル・ピープルの時代へ”を軸に世の中の変遷を解説していく。世の中に流布する物語やインターネット、ゲーム、芸能などの娯楽、これらのすべてにおいてこの流れになっていることが示されている。とても興味深く読ませてもらった。

  • 「村上春樹も仮面ライダーもただの娯楽なんだから、その人の好きに読めばいいのに、何を小難しい事をぐちゃぐちゃ言っている」と言う感想。

    巨大で皆で立ち向かうべき悪がいた或は、反権力の「ビッグ・ブラザーの時代」から敵も味方との境界線が曖昧になり、個々の、ネットワークの「リトル・ピープルの時代」の違い、変化を春樹、ライダー、サブカルチャーを題材に捉えようとしている本書。

    一章では、村上春樹を題材に、二章では、春樹とライダーの共通点を無理矢理こじつけ、ヒーローの話に移る。
    特撮ヒーローの一つの見方であるかなと思う。が、こんな風にしか捉えられないのは、寂しい考え方だなと思うし、全体的に何かとても独り善がりな文章と言う印象を受ける。

    宣伝も多く行われ(私もその宣伝につられて本書を手に取ってしまった一人だが)、読者も少なくない様だが、どこに共感を得られたのだろうか?私には分からなかった。

  •  図書館より
     村上春樹と特撮ヒーローから現代社会の批評を行った本。

     大きな壁が失われ、それぞれの人がそれぞれの正義や欲望によって動くようになった現代社会、という議題設定から、それぞれが自分の欲望のため内部に潜っていく、という話になっていくのですが、個人的にはなかなか面白かったです。

     結論に向けて様々なアプローチをされているので、ページ数は多めなのですが書いている内容は自然と頭に入ってきます。そういう意味では分かりやすかったです。

     宇野さんの文章を読んでいると批評や物語構造の分析が非常に面白そうに思えてきます。ポップカルチャーの思想を何かしら調べようと思ったら、この方の文化に対する見方は参考になるのではないか、と思います。

  • 私たちは誰もが『小さな父…リトル・ピープル』である。

  • 村上春樹の「壁と卵」の話の解体とバージョンアップを、宇野さんが仮面ライダーとウルトラマンを使って目指してる1冊だと思った!考えすぎに見えるところもあったけど、でも同時に批評の楽しさを感じさせる、良い意味での軽さもあるのが好きだった!

  • ウルトラマンも仮面ライダーも昭和から平成シリーズまで観ている私には
    とてもとてもおもしろかったのですが、
    村上春樹は読まないのです(笑)
    この本のレビューを観ると「春樹は読まない」という人がやはりいますね。
    あんなに売れてるのに。

    そもそもヒーロー好きな人がデタッチメントな主人公の本を好むはずがないわけですよ。
    おそらく相容れないはずの二者を結びつけて戦後から現在までの父性性の変遷を語ったのはとても面白かったし、意外性がありました。

    父性が変化するなら、母性も変化するはずだけれど、多くの批評家は母性や女性性については語らないのですね。

  • リトル・ピープルの時代――それは、革命ではなくハッキングする事で世界を変化させていく<拡張現実の時代>である。気鋭の評論家である筆者が震災によって書かされたという渾身の一冊です。とにかく熱いし、厚い!

    あとがきにいわく
    「皮肉な話だが、震災がなければ私は本書を書き上げることはできなかったと思う。これは、震災に書かされた本だ」
    とのことで、実に500ページ以上にも及ぶ圧倒的な量と、書いている内容から
    『これは本当に読み終わることができるのだろうか?』
    という一抹の不安まで僕に抱かせてしまい、結局読了したのは1ヶ月近くも
    かかってしまうという有様でございました。

    内容を大雑把に申し上げますと、
    『村上春樹と仮面ライダーを軸に世界を分析する』
    というどう考えても結びつかないものを1つにまとめ、論評を行っている本です。前にも申し上げたかとは思いますが、僕は村上春樹の熱心な読者ではありませんし、仮面ライダー。特に『平成ライダー』と呼ばれる一連の作品群につきましてはせいぜい『アギト』までで、本書で多くの紙面が割かれている『電王』や『ディケイド』についてはまったくついていけず、ウルトラマンについてもほぼ同様で、この2つについては宇野氏の展開する持論を額面どおりに受け取ることしかできず、それは少し残念だなと思っております。

    本書で繰り返し語られているのは『ビッグ・ブラザーの壊死』とその後に来る『リトル・ピープル』の存在であり、それが時代にどのような影響を及ぼしているかということで、それが村上春樹の有名な『壁と卵』の演説に始まり、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』などの有名作を引用しつつ、宇野氏の持論の展開が縦横無尽に行われております。正直ここは僕自身の中に村上春樹がほとんど存在していないので『そうなんですか』としか言いようがなかったのですが…。

    ついで、第二章からは昭和から平成にかけてわれわれの心を常に魅了してきた二大特撮ヒーロー。仮面ライダーとウルトラマンシリーズの論評へと移っていきます。前者が『リトル・ピープル』で後者が『ビッグ・ブラザー』型のヒーローであるというのは本当に驚きました。今までそんなことは考えたこともなかったので。しかし、仮面ライダーやウルトラマンが以下にそのときの『時代』に影響を受けているかが本当によくわかりました。ライダー同士が血みどろの死闘を繰り広げる『ライダーバトル』や物語世界を自由に行き来することのできる「ディケイド」の能力は『n次創作』のメタファーであるというのは本当に読んでいて『なるほどなぁ』と気づかされました。

    第三章では『虚構の時代』から『拡張現実の時代へ』ということで複数の現実があるということを説くわけで読んでいて楽しかったのですが、僕が惹かれたのは『補論』として末尾に加えられている映画『バットマン』の新シリーズである『ダークナイト』について論じたものや宇野氏の真骨頂である『AKB48』がキャラクター消費の永久機関となりつつあるということ。そして、ガンダムの『宇宙世紀』もしくはターンAガンダムで言うところの『黒歴史』がこれからも様々な外伝、アナザーストーリーとして膨張していくというお話はとても面白かったです。

    「ポップカルチャーを論じるということは政治をはじめとする様々な現実について語ることだ」
    という趣旨のことを宇野氏はおっしゃっておりましたが、その言葉の意味がとてもよくわかるとともに、宇野氏の渾身の想いが込められているなと、読んだあとのそんなことを考えておりました。

  • 451 現代における正義(正当性)は常に、究極的な無根拠を織り込んだ上で特定の物語を選択するある種の決断ーー賭けとしてのみ成立する。

    454 繰り返すが現代において正義/悪の区別はあるレベルでは相対的なもので、あなたがどの共同体に所属するかという問題でしかない。

  • 本書は、現代社会における「父的なるもの」の変化を、主としてサブカルチャーの領域から分析している。その変化を一口で言えば、「ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ」ということになる。
    「システムを物語化する巨大な疑似人格=ビッグブラザー」から解放されたことで、物語は僕たちの手に戻ってきた。そして「非人格的なシステムの生むゲームの上でリトルピープルとして戦わなければならない」と。

    分厚い本なのにかなりさらっと読むことができた。本を読んでいるというよりもおしゃべりを聞いている感じ。最初この本を読もうとしたとき、単純に表紙の仮面ライダーがかっこいいなと思ったが、その仮面ライダーが非常にうまくとりあげられていたのが印象的だった。

    ただし、仮面ライダー部分以外はあたしにはちょっと。最初に村上春樹論が展開されて、村上春樹がエルサレム賞のときに行ったスピーチや、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を全面的に見立てに利用して時節を検証しようとしているのだが、正直村上春樹の大昔の小説を1つ取り上げて、今の世界の流れに置き換えようとしているのがちょっと無理がある、と言うか、最初に結論ありき、みたいであたしにはキツくって。むしろど真ん中に、平成の仮面ライダーについて熱く語られる第二章のほうがあたしには好みだったし、断然わかりやすかった。ただし、あまりライダーモノ、特に平成ライダーに興味のない向きには少し食傷気味になるのかも?というこってり詳細な内容だったけど。

    でも、そういった詳細部分を全部省いてもなお、昔の戦隊モノやロボットヒーローズ、あるいはウルトラマンのように巨大な姿で強大な敵を打ち倒すヒーローモノと、等身大であくまでも自分たちの力で敵を倒さざるを得ないライダーを「ビッグ」「リトル」と比較して見せたのには納得した。いくらウルトラマンが時には悩んだり苦しんだりしてヒューマンであるとはいっても、最終的には自身の強大な力で解決はされるわけだから。しかも常に、強大な敵や存在自体が人類を脅かす何者かに対峙する彼らは畢竟、正義であるという価値観が明確に与えられている。その反面ライダーは、自分ひとりの力で、人間と同じ体躯で戦わざるを得ないし、究極の価値判断として時には仮面ライダー龍騎のように、仮面ライダーとしてヒーローであるはずのライダーたちが殺しあう、という、「敵の非存在」という価値表現が許されるところまできているのである。

    でも、それらを大きく俯瞰してみたときに、このストーリーはあくまで、男の子側の理論をなぞっているだけなんじゃないか、ってあたしなんかは思う。絶対正義 vs. 絶対悪とか力での戦いって、男子ヒーローのお約束ではあるけれど一転して女子ヒーローでは決してそうではない表現がずっとなされていたはずなんじゃないのだろうか?キューティーハニーとかめるもちゃんとか、むかしっからかなり、女子は「父的なるもの」よりも筆者の表現で言えば「リトル・ピープル」だったと思う。しかもその、ダンシにとっての「父的」正義は時に、女性蔑視と言う名の相対的な敵だったとさえ思うんだよね。

    ぜひヒーローモノ、と言ったときに女子をごっそりそぎ落とさずに、女性の戦いにも目を向けてもらいたいな、なんてあたしは思うのです。女子ヒーローは、例えばチームを組んでも戦隊にはならずにバディシステムだったり、戦いの相手がクラスメイトだったりもするしさぁ。


    ・・・だいたいあれよね、仮面ライダーに女性って、ほとんどでてこないのよね。

  • 内容が極めて男性的です。
    父を大きなテーマにして書かれているので、それは必然的なのかなと感じました。

    男性的すぎて、女性である私は入り込む余地がないような感覚に陥りました。いい本ではない、という意味ではなく、私には合わない、という意味で★2つです。

    村上春樹氏にもヒーローにも興味がないため、言ってることはわかっても、響きませんでした。ただ、村上春樹氏がなぜか合わない私は、その答えがわかりませんでしたが、本書を通してその意味がわかりました。(ノルウェーの森など、何度かチャレンジして全て吐き気がしたのですが、その理由がわかりました。)それは大きな収穫だったと思います。

  • <印象的な箇所のまとめ>
    ・グローバル資本主義が浸透した現代はビッグブラザー(国家や国家の歴史物語)が力を持っていない。リトルピープルの時代である。
    ・歴史から切断されて生きている人々は、リトルピープルに依存する。
    ・リトルピープルとは、企業とかカルト教団とか売れっ子ビジネス書作家とかカリスマとかアイドルとか。特定の主義主張による精神的な囲い込みを多くの人にもたらす存在。個人はリトルピープルの主義主張に依存していきていくようになる。
    ・オウムと阪神震災後の村上春樹は、オウムや自己啓発セミナーなどカルト集団の精神的囲い込みに対抗するため、抗体としての役割を果たす物語を執筆している。抗体としての物語を読者に届けている。

    ・「世界の終りとハード・ボイルド・ワンダーランド」で世界の終りにいる「僕」は、世界の終りにとどまり続けることで責任を取る道を選ぶ。デタッチメントすることで世界に責任を果たしている。
    ・春樹の小説の語り手「僕」たちは、女性の登場人物に承認されることでナルシズム的欲求を満たしている。女性たちは心に傷を抱えており、女性たちの要求に「僕」が応えることで、コミットメントが成就されてきた。これはハードボイルド小説の手法の変奏といえる。
    ・ハードボイルド小説では社会が複雑化多様化している。ハードボイルド小説の男性はナルシズムを確保するために男のロマンを徹底して自己完結した。春樹の小説の語り手たちは、女性に承認されることでナルシズムを確保してきた。
    ・「ねじまき鳥クロニクル」では、悪が明確に描かれる。悪が擬人化されたワタヤ・ノボルは、主人公オカダ・トオルの妻クミコによって殺害される。クミコは闇の世界にいって帰ってこなくなるが。
    ・春樹の小説では常に女性がコストを支払うことで、男性主体のイノセンスが確保されてきた。女性への責任転嫁とレイプファンタジー。これではリトル・ピープルに対抗する想像力と言えない。
    (以下ヒーローもの番組の分析に続く)

    <所感>
    これを読んだ後「多崎つくる~」について考えるとまさしく女性に承認される男のファンタジー。学生時代の大切な友人の女性シロがレイプを苦に死亡。レイプの犯人が多崎つくるだと思われていたため、多崎つくるは学生時代の仲間から仲間はずれにされる。多崎つくるは大人になってから、仲間はずれにされた理由、シロがレイプされたこと、もう亡くなっていることを知る。本人はレイプしていないと思っているけれど、どうも自分の分身みたいな存在がシロをレイプしたし、自分の分身がシロを殺したような記憶もある。その記憶の再生と、シロ以外の女性たちからの承認によって、多崎つくるは生を取り戻していく。

    この解釈は「多崎つくる~」の多様な物語から一部を切り取った解釈に過ぎないし、優れた小説は多様な解釈ができるけれど、多崎つくるはシロが亡くなったこと、過去は戻らないことを受容し、それでも生きてゆくことを選ぶ。過去の傷を受け入れつつ、未来に向けて生きていくこと、何等かの全部救済してあげますよ的教えにすがることなく、自分の頭で考えて生きていくことを、春樹の物語は推奨している。

  • 序盤は、そう、村上春樹と「1Q84」を軸に社会論が展開します。
    でも、表紙は・・・。
    そう、中盤からはウルトラマンや仮面ライダーなどの「ヒーロー物」を分析をベースに社会の変化を読み説き、最終的は初音ミクとAKB48まで。
    日本のポップカルチャーと社会の変遷を解説しています。

    キーワードは、<虚構の時代>から<拡張現実の時代>へ。
    なるほど、なるほど~。
    時代は変化したんやな~。
    そして、インターネットの登場によってポップカルチャーも変わったんだ。
    http://big-river.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-0767.html

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リトル・ピープルの時代の作品紹介

この世界は終わらないし、世界の"外部"も存在しない。しかし、それは想像力が働く余地が世界から消えたことを意味しない。私たちは"いま、ここ"に留まったまま、世界を掘り下げ、どこまでも潜り、そして多重化し、拡大することができる。そうすることで、世界を変えていくことができる。リトル・ピープルの時代-それは、革命ではなくハッキングすることで世界を変化させていく"拡張現実の時代"である。"虚構の時代"から"拡張現実の時代"へ。震災後の想像力はこの本からはじまる。

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