リトル・ピープルの時代

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著者 : 宇野常寛
  • 幻冬舎 (2011年7月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (509ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344020245

リトル・ピープルの時代の感想・レビュー・書評

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  • 東日本大震災後の世界をどのように捉え変えていくことができるかについて、村上春樹の小説、戦後の特撮ヒーロー、最近のポップカルチャーを素材に論じている。各論が終わるごとにそれまでのまとめが入る、親切な作りの本。

    過去40年間の特撮ヒーローにおける変身と正義の変遷を論じた箇所はとても面白かった。これも一種の集合知なのか、そのときどきの5歳児にウケる(納得できる)世界観が現実世界を如実にすくい上げている。初代ウルトラマンを見ていたおじさんたちと今の子供たちでは、世界の成り立ちが怖いくらい違うのだ。

    拡張現実に向かって想像力を働かせようという提言は、<いま、ここ>に働きかけるという点で、フェアトレや育児サポートの促進などで世の中をよくしようと活動している今の30・20代の動き方を見ていると腑に落ちる。初代ライダー世代はそういう拡張現実的な表現や活動に物足りなさを感じるかもしれないけれど(日経を読むとそんな感じだ)、なんというか、原発が爆発しても終わらない世界にあっても、ゾンビ化しないでみんな生きていけるんだという気分になった。

    しかしわたしもどちらかといえばオールドタイプであり、「キャラ>>物語」なコンテンツはあまり楽しめない。もうそういう脳みそに仕上がっちゃってるから、これから出てくる最先端の「面白いもの」を楽しむことはできないんだろうなあとちょっとさびしくなった。

  • 時代・価値の変化をウルトラマンと平成仮面ライダーで対比させての論評が新鮮。
    筆者が説く”リトル・ピープル”の時代は、<ここではない、どこか>へ連れて行かれることではなく、<いま、ここ>がどこまでも多様化し、そして拡張していくこと。
    さびしくも感じるけど、これが現実なのだろう。
    比較対象となる”ビッグ・ブラザー”としての象徴ウルトラマンで、何故初期ウルトラマン(というか、市川森一脚本)が今でも面白いのかが分かることも出来ます。
    もうひとつの対象、村上春樹について。
    「卵の側に立つ」と断言した違和感は私も少し感じた。本書で著者は壁=システムは私たちの外側ではなく内側にある、システムの外側で壁を破壊する立場には立てないという現実に目をつぶって、自分たちこそが卵と思いこもうとする人々こそ、壁=システムを築き上げた人たちだと論じる。そんな現実に抗ってきた春樹が「壁」と「卵」を性急に分けようとしていることが原因と言っている。言葉の比喩を取っ払って考えても、この意見は正解かと思う。

  • 目次を見れば一目瞭然であるが、村上春樹と、ヒーローのことと、東日本大震災のことが、大きな3本柱である。

    村上春樹の作品は、新刊が出れば気になって多分8割くらいは読んでると思うし、好きか嫌いかと二者択一を迫られれば好きということになるんだと思うし、もちろん現代文学におけるその大きさについて否定するつもりは全くないのだけれど、どこかにひっかかりを覚えていたんである。
    だから、そのひっかかりとは何なのか、を、考えながら読むことになった。

    村上春樹についての考察の中で、「現代的なコミットメントのコストを母=娘的な女性に転嫁するという性暴力的な構造」つまり「ある種のレイプ・ファンタジィ性」に支えられている、という箇所で、ハタと、そうかそれかな、と思い至った。

    きちんと分析できはしないのだけれど、抱き続けてきた違和感は、「なんか男の主人公が得してる小説だな」という感じだったかもしれない。
    だから、なんで(その割に)こんなに女性ファンがいるのかな、という違和感だったのかも。
    (これは明確な答えではないので、これからも村上春樹の作品を読みながら、ひっかかって考えていくしかないんだけれど)

    しかしこれは結局のところ、「父」「父なるもの」論である(だよね?)。
    論なので、好きも嫌いもない。フムフムなるほどね、そういう考えなわけね、それもアリだよね、と頷いたり、うまく頭の中で整理されなければ、なんだかスッキリしないまま唸ってみたりするだけである。

    しかし関係ないけど、最早「サブカルチャー」というのは死語かもしれないなあ。サブじゃないもん、リッパに「センター」張ってるもんなあ。

  •  序章及び第1章で展開される村上春樹の作品分析が圧巻。「国内においてはポップカルチャーとして消費される村上春樹が、なぜ世界文学たり得るのか」という問いからの出発がいい。蓮見重彦、柄谷行人、浅田彰らの村上批判をも切り捨てながら村上春樹の小説の根幹へと迫る姿勢が見事。ビッグブラザー(国家・帝国)に対するディタッチメントから、貨幣と情報のネットワークが支配するリトル・ピープルの時代へのコミットメントへと舵を切る村上春樹の創作の源へと迫っている。「父」へのかかわり方へのこだわりは一体どこからやってくるのかが気になったが、あとがきでその秘密が明かされる。父との確執があり、ペンネームで父の名前を名乗っているという。鋭く時代を読み、村上文学を分析しながらも、自らの体験を背負い込むしかない人間の姿が浮かび上がってきて興味深い。

  • 知らないうちに、仮面ライダーはとんでもないこと になっていた。13人の仮面ライダーたちが殺しあう『仮面ライダー龍騎』、自身にモンスターを憑依させることで4通りの仮面ライダーに変身する『仮面ライダー電王』、主人公が過去9作品の世界を自在に行き来でき、さらにすべての仮面ライダーに自在に変身できる『仮面ライダーディケイド』…。なんと複雑怪奇な「変身」の進化であることか。

    著者渾身の仮面ライダー論は、村上春樹の『1Q84』で登場するリトル・ピープルと接続する。「資本と情報のネットワークの下、リトル・ピープル=小さな父たちがそれぞれの正義を抱えて乱立するこの新しい世界は、仮面ライダー同士のバトルロワイヤルとして私たちの前に登場した」。つまり、独裁者であれ国民国家であれ、何かが正義/悪をわかりやすく体現するような時代は幕を閉じ、複数の小さな正義や悪が衝突しあう時代に移り変わった。村上春樹の諸作品が描き出したこうした変化を、著者は、ウルトラマンと仮面ライダー両シリーズの読み解きを通じて精密に分析するとともに、新たな時代を生き抜く想像力のありかを探索する。

    著者が探り当てた想像力は、「いま、ここ」を多重化する〈拡張現実〉的想像力だ。たとえば、アニメの舞台となった実在の都市をファンたちが訪れる「聖地巡礼」は、その典型例である。閉塞感に包まれた現実は、工夫次第でいかようにも豊かにできるし、変革できる。歴代仮面ライダーの「変身」は、世界を変身させることにもつながっていたのだ。

  • ヒーローものを語る上で不可欠なのが正義と悪。
    圧倒的な正義/悪、勧善懲悪がなくなった作品には、登場人物には「自分が正義として決断した物語にどう責任をとるのか」だけが残される。

    これは誰にも平等に自由が保障されているようで、人を突き放した残酷なルールでもあると思う。
    正義と悪という思想がなくなると、人々の持つものは全て本人の欲望としてとらえられる。

    例えば『仮面ライダー龍騎』は、「生き残った者が願いを叶えられる」という権利を獲得するため13人の仮面ライダーが殺し合う物語。
    主人公の真司の目的はライダー同士のバトルロワイヤルを止めさせることなのに、ゲームを停止させるためにはゲームの参加者としてバトルロワイヤルに加わざるを得ない。

    正義の概念が失われた舞台では「モンスターから人々を守りたい」「殺し合いを止めさせたい」という正しく見える願いも真司の欲望であり、わがままでしかない。
    だから真司はその他大勢の欲望を抱えたライダーと同列に扱われる。

    普通のヒーローは敵を倒しても、それが正義のため、正しいことだからという後ろ盾を持っている。
    でも、『龍騎』においてその後ろ盾は存在せず、真司は「戦いの辛さとか重さとか、そんなのは自分が背負えばいいことなんだ。自分の手を汚さないで誰かを守ろうなんて甘いんだ!」と、自分の正義を自分のわがままとして背負い、戦い、命を落とす。

  • 平成ライダー批評読みたさに手に取った1冊。
    なので第2章「ヒーローと公共性」は面白かった。

    概要+印象に残ったとこ+ちょこっと私観箇条書き。

    ・「正義」と「ヒーロー」は時代背景に要請されるように変容する。

    ・現代は「ビッグ・ブラザー(大きな物語)」が壊死した「リトル・ピープル(個別の物語)」の時代。

    ・著者の宇野さんは白倉P+井上脚本が好みなのかな。私は「あえて」教義的な正義を描いた「クウガ」も高寺Pも好きだ(批評に好き嫌いで返すのもアレだけど)。

    ・「リトル・ピープル」の時代=現代は「目的」のためにコミュニケーションするのではなく
    コミュニケーションそのものが「目的」。
    幸福感に満ちたコミュニケーションを見ることで欲望を満たす。

    ・今の朝ドラ「ひよっこ」の面白さはまさに「コミュニケーション」の理想系を描くとこだ(空気系)。

    ・BL作品や百合作品のような同性同士のコミュニケーションを描いたものに萌える欲望は、この作中の言葉を借りるなら借りるなら「コミュニケーションそのものへの欲望」だ(異性が入ると「恋愛」という目的を要求される)。

    ・コミュニケーションの連鎖を現実認知で描くとバトルロワイヤル系に、理想化して描くと空気系になる。

    ・インターネットや携帯電話の普及で「世界の終わり/世界の果て」は消滅した。だからこそ「今ここ」に深く潜って「今ここ」を多重化する想像力が台頭した(聖地巡礼現象)。

  • 2012年刊。村上春樹、ウルトラシリーズ、仮面ライダー(特に平成ライダー)をもとに、1968年頃から現在までの文明批評を試みようとするもの。村上春樹もほとんど読まず、平成ライダーシリーズも全く見たことがないので、よく判らないが読後感。ライダーでなくガンダムでも同じ説明ができそうにも思えるし、個人的には拡張現実の章だけでも充分か。ただ、今のアニメーションに興味が持てない理由は解った。多重化された現実をおやじ向けとして見せている作品はないし、今となっては、学園モノはノスタルジー以外の何物でもないからなぁ。

    PS.最近の作品を見るにようになり、アニメーションに関しては少し印象が変わる。数から言えば猛烈に氾濫しているアニメーション。当然、狙うべきターゲットは作品により違い、上の世代を意識した作品がないではない。上記の印象・感想は、あくまでもメイン作品に限って、ということになるのかもしれない。

  • 村上春樹を軸にウルトラマンそして仮面ライダーやエヴァといったサブカルチャーを対比させながら、竜を殺したら毒蛇が溢れかえった21世紀を俯瞰していく。私は春樹ファンなので内田樹のような全肯定批評以外は受け付け無いので著者の批評には違和感もありますが、仮面ライダーとの対比はつくづくと面白かった。電王以降はリアルタイムで見ているのでなおさら。
    ポップカルチャー好きなら読んでおいて損は無い。

  • 春樹は「敵」を前に苦戦している。そのころちまたには無数のヒーローたちが散乱していた。
    『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『ねじ巻き鳥クロニクル』そして『1Q84』へと至る春樹と「敵」、父を巡る長い戦いと、その傍らで紡がれてきた二つのヒーロー、ウルトラマンと仮面ライダーを、庇護するもの・越えるべきもの・倒すべきもの・思いはせるもの、そしてたらざるをえない「父」と時代とを重ね合わせて読み解く。
    論旨は非常にわかりやすい。また、例えも非常にわかりやすく厚い本の割にはさくさくと読み進む。

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リトル・ピープルの時代の作品紹介

この世界は終わらないし、世界の"外部"も存在しない。しかし、それは想像力が働く余地が世界から消えたことを意味しない。私たちは"いま、ここ"に留まったまま、世界を掘り下げ、どこまでも潜り、そして多重化し、拡大することができる。そうすることで、世界を変えていくことができる。リトル・ピープルの時代-それは、革命ではなくハッキングすることで世界を変化させていく"拡張現実の時代"である。"虚構の時代"から"拡張現実の時代"へ。震災後の想像力はこの本からはじまる。

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