フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344022393

作品紹介・あらすじ

「脱原発」「放射能から子どもを守れ」-声高に叫ばれる正義が、新たな犠牲を生んでいないか。3・11後、ますます大きくなる日本社会の歪みを抉り出す本格論考。『「フクシマ」論』著者による、待望の初評論集。

感想・レビュー・書評

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  •  著者は『フクシマ論』で脚光を浴びた新進社会学者。1984年生まれで、まだ20代。『絶望の国の幸福な若者たち』の古市憲寿とは東大・上野千鶴子ゼミの一年先輩に当たるという。
     本書に収められた対談で高橋源一郎も言っているが、著者と古市には書き手として似たところがある。オジサン論者たちの硬直した言説に異を唱える挑発的な論調が共通しているのだ。

     本書は、著者が3・11以後、一般メディアに発表してきた評論・エッセイ・ルポ・対談などを集めたもの。
     著者は、研究のかたわらライターとしての仕事もしてきたのだそうだ。ゆえに、本書に収められた文章も学者らしからぬ平明さをそなえている。

     『フクシマの正義』という書名ではあるが、第一部のタイトル「正義を疑う」が示すとおり、多くの知識人が脱原発を錦の御旗として叫ぶその「正義」に、むしろ疑問符を突きつける内容である。

     著者は福島に生まれ育ち、2006年からずっと福島原発の調査研究をつづけてきたという。だからこそ、3・11が起きてから急に脱原発を叫ぶようになったニワカ連中の薄っぺらさが、うそ寒く思えるのだろう。

     『「日本の変わらなさ」との闘い』という副題のとおり、著者は3・11以降も日本社会は「何も変わっていない」という。本書所収の文章や対談では、そのことを言葉を変えて何度もリフレインしている。たとえば――。

    《二◯一一年三月一一日を境に、世界が「変わった」と言う人がいる。「いる」というか、少なくとも、震災から数ヶ月は圧倒的にマジョリティとして存在した。
    (中略)
     しかし、「何も変わってなんかいない」。これが、震災直後から、私が述べ続けてきたことだった。(45ページ)》

    《自分たちが声を上げられる、あるいは自分たちの「知識」と「正しさ」をひけらかせる機を見つける毎に中途半端に食いついて安直な希望を語ってみせ、興味がなくなると「忘却」する。まさに「後出しじゃんけん」性そのものを基盤にしたある種の渡り歩きのデモンストレーションの中で、主要な課題が放置されたまま今日に至ってしまった。それこそが近代そのものであった。(108ページ)》

    《今脱原発の喧騒の中にいる者たちが五年後、一◯年後、いや半年後にすら今ほどの熱意を持ってその志向にコミットしている可能性は限りなく低い。脱原発運動の関係者にインタビューをすれば、社会運動にありがちな、自らの絶対的正義を疑わない者同士の内部分裂が始まっていることが漏れ伝わってくる。(300~301ページ/荻上チキとの対談での発言)》

     読みながら、フリクションの「100NEN」の「100年経ったら変わるか?」というフレーズを思い出した。100年経っても、何が起きても、日本は根底のところでは何も変わらないのかもしれない。
     私も一ライターとして福島を含む東北の被災地に通ってきたが、今年3月以降の被災地以外における関心の風化の速さは、驚くばかりだった。脱原発の盛り上がりも、長つづきするとはとても思えない。

     多くの震災関連書が共有する“ありがちな視点”に冷水をかける本書の主張は、読者にとっても苦い。が、それはいまの日本に必要な苦さである。

  • 「日本の変わらなさ」について、共感できるところがたくさんありました。
    自分自身がしなくての問題として、考えていきたいと思います。

  • <閲覧スタッフより>
    著者が目の当たりにした福島の状況と、世界が見つめる「フクシマ」との溝。この内と外の歪みはどうしたら埋まるのか?福島の実態からその課題を照らします。

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    所在記号:539.091||カイ
    資料番号:10215693
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  • 明確な善意と悪意のぶつかり合いならば目指すべき道筋は見えやすい。しかし、そうでなく、善意同士のぶつかり合いに走った分断線を上手く繋ぐ方法を私達はまだ持ち合わせていない

    端的に言えば現在の善意の分断の背景にあるのは、「一つの解がない。にもかかわらず一つの解を求める志向」あるいは「科学的合理性に基づいた複数の解が並立している状況への認識不足」。これを私は近代化の進展の中で現れた、再宗教化とよべる社会現象として捉えている

    私達は、その「一つの解を志向する科学」や「それによって作らられる良き社会」という前提自体が一つのフィクションに過ぎないことに気づきつつある

    社会の善意の分断を再度つなぎ合わせるために今求められるのは、自らの考えが唯一最上のものではないことを自覚し、社会に複数の信心が存在する状況を認め、その前提で議論を進めることだ。自らの考えに合わぬものを、蔑み罵り責任をなすりつける宗教紛争の先には、善意の分断の中で現状の課題が忘却され、坦々と維持される未来があるだけだ

    事実として「こうである」ということと、自らの信念として「こうあるべき」と思うことを混同してはならない

    自分たちが声をあげられる、あるいは自分たちの知識と正しさをひけらかせる機をみつける毎に中途半端に食らいついて安直な希望を語ってみせ、興味がなくなると忘却する。まさに後出しジャンケン性そのものを基盤にしたある種の渡り歩きのデモンストレーションの中で、主要な課題が放置さらたまま今日に至ってしまった。それこそが近代そのものであった。

    敗戦後論 加藤典展 ちくま文庫

    現地に暮らす人々の声、リアリティを無視した形で、知識人と言われる人たちまでもが、原発推進か反対か、安全か危険かといった二項対立の中で議論している。この構造で問題が整理されていくことが、実は問題をより根深くしてしまう。単純な二項対立の議論で切り捨てられる現場の声、リアリティをきっちりみていかないと、本質に迫ることはできません。

    流布している議論は概ね、専門家が他人ごととして、従属化されているひとを善意の目線で分析する枠組みにとどまっている。しかも、その善意の目線が孕む暴力性に非常に鈍感です。

    福島を、あるときは都合のいいように他者表象し、またある時な自分のきれいに化粧した善意の顔を映す鏡にして気持ちよくなるのに利用する。311以前には自分自身であったはずの東電や政権を、あたかも他者であるかのように急に叩き、スケープゴートにするというねじれた構造のなかで、問題が論じられている

    角田光代 空中庭園

  • Kindle版にて読了

  • 『1984 フクシマに生まれて』を読んで、ひさしぶりに開沼さんの名前を検索したのだったか何だったか忘れたけど、図書館で借りてきて読んだ。

    開沼さんの本は、前に『「フクシマ」論』と、開沼さんが編者に入った『「原発避難」論』を読んだことがある。

    この本は、サブタイトルにあるように、"「日本の変わらなさ」との闘い"を書いたものというのが、いちばん近いだろうと思う。「ことさら「3・11による変化」を見ようとすることよりも、3・11によってもこの社会がなお不変であることを見ることこそが求められている」(pp.107-108)というのが、開沼さんの立場。

    「3・11以後、一般向けの媒体に発表してきた、評論、エッセー、ルポ、対談などと様々に分類可能な文の一部を、集め構成し並べ直したものだ」(p.378、あとがき)というこの本は、修士論文をほとんどそのまま出版した『「フクシマ」論』や、研究者方面の方々が寄って書いたらしい『「原発避難」論』の、論文ちっくな文章と比べると、だいぶ読みやすい。

    字がつまり気味の400ページ近い本を読んでいると、開沼さんが追ってきたこと、問うてきたことが、いろんなかたちで繰り返し書かれ、語られていて、じわーっと分かってくる気がした。もういちど、『「フクシマ」論』を読みなおしたいと思った。

    "フクシマ"という対象を通して、近代をなりたたせてきた「支配する眼差し」がどう在ったのかを、開沼さんはしつこく追っている。

    ▼理解せぬものを理解した気になる、変わっていないものを「変わった」「変わるんだ」と騒ぎ立てる、そして「押さえ込んだ」つもりになって忘却する。「支配する眼差し」の無邪気な暴力の構造の中に私自身も加担し、規定されている。このことから逃れることはできない。しかし、逃れることを常に志向し続ける必要は確かにある。
     私が拙著『「フクシマ」論』やその後に続けてきた作業で問い続けてきたのは、やはり「福島」や「震災」のことではない。もちろん「福島」や「震災」のことを対象としてはいるが、日本の近代を支えてきたこの「支配する眼差し」をこそ見据えてきた。それが生み出してきた歪み、暴力と忘却の反復こそが、私の問いの中心的な対象に他ならなかった。(p.374)

    こないだ上映会で「シロウオ~原発立地を断念させた町~」という映画をみた。30年以上前に、住民の反対運動で原発計画を断念させた町として、徳島県阿南市椿町(蒲生田原発)と、和歌山県日高町(日高原発)をとりあげ、主として反対運動をしてきた住民のインタビューを連ねたドキュメンタリーだった。

    原発計画がもちあがったのは、蒲生田原発が1976年、日高原発が1967年だという。この映画のことを思い出しながら、福島で建設された「福島第二原発」と、くい止められた「浪江・小高原発」について書かれた箇所を読む。この二つの原発の建設計画が発表されたのが、1968年。

    1960年代後半から70年代初頭にかけて、水俣病がようやく国によって認められるなど、環境運動ないし反原発運動という対し方が出てくる。そうした原発をめぐる事態の転換とともに、反対運動の方針の違いが、建設の有無という結果の違いにつながったのではないかと開沼さんは考察している。

    ▼福島第二原発建設への反対運動は大きく分けると、社会党系・共産党系・市民運動系のグループによってなされることになった。…(略)…一方、浪江・小高原発への反対運動はあくまで、「農民による農地を守る運動」としての性格を根本にすえていた。農民たちが協力し合って農地を売らない方針を固めながら原発の危険性の勉強を進めていった一方で、第二原発に対する反対運動が、原発の危険性や不正の指摘には強かった一方で、党派的な諍いや分裂を招き、土地を守りきれなかったのに対して、浪江・小高原発は、土地を守るという一点に集約される形で運動がなされ、結果として建設を止めた。(pp.80-81)

    ▼福島第一原発の建設計画が始まったのは60年代の前半で、その頃はまだ「原発は危険」とは考えられていなかった。当時の住民の「原発建設への不満や反対の李優」を調べると、「他の人は土地を買い上げてもらえるのに自分のところはそうではない」「原発が来てここら辺の労賃の平均単価が上がると困る」といったものしか出てこない。つまり、「原発事故や放射能の危険性」という今日では多くの人が共有している前提が当時はまだなかったことが分かる。(p.33)

    また、「歴史の詳細をたどれば、「貧困地域の人々の頬を札束で引っ叩いて強引に危険なものを押しつけた」とか「カネに目がくらんだ無能な政治家や住民が目先の利益のために原発を受け入れた」とかいった、伝統的に反・脱原発の文脈の中で用いられてきたナイーブな善悪二元論が妥当性を持たないことが分かる」(pp.99-100)ともいう。

    ▼…むしろ、拙著でも触れたとおり「子や孫がこの地に残ることができるようにしたい。そのために原発を」という、まさに「未来の他者」を想定したが故に福島のあの地の人々は、あるいは「安定成長と豊かさ」を求めたが故に社会は、「近代の先端」たる原発を受け入れたというのが実際のところだ。(p.100)

    第二部は「見えない現実」、そして第三部が「対談―忘却に抗う」。
    対談8本のなかで、私がいちばんおもしろかったのが「敵も悲劇もつくるな」という高橋源一郎との対談。びらびらと付箋を貼りながら読んだ。

    開沼さんは、震災に突入して自分の中で考えが変わることがありましたかという問いに、「常にアップデートしている…現地で取材しながら、自分の見方を修正していくというやり方を続ける中で、常に自分か変わっているなあという気はしますね」(pp.258-259)という答えが返されている。

    高橋源一郎は「開沼さんにしても古市[憲寿]さんにしても、読むとムカつくのがいいですよね。ムカつくってつまり、自分とは考えが違うということだから」(p.288)と言う。そうやって互いに引っ張りあいながらムカつく話(=自分とは考えの違う話)を聞くことで、神話の暴走や、神話にのみこまれることを防ぐ手段なのではないかというのだ。

    ▼開沼 …これは知り合いの工学系の若い研究者から聞いた話ですが、震災の後、風力発電の学会に行ったら、例えば日本野鳥の会の人が、風力発電は害があると言う。反風力発電運動というのも実は根強くあって、その発表者はもともと指摘されている低周波のリスクに加えて、希少猛禽類を風車に巻き込んで殺してしまう可能性があると主張する。すると、会場にいた風力発電推進派の学者が「いや、そういう事故が起きる確率は0.00何パーセントで、たいしたリスクじゃない」と言い、行政官は「風力発電は地域振興のために必要なんです」と言い、メーカーは「そういうリスクがあるなら技術的に乗り越えます」みたいな話をする。その議論の構図は、まさしく原子力ムラと同じじゃないかって言うんです。脱原発になったところで、原子力ムラが持っている構造を、僕たちはどこかにずらしながら温存してしまうのかもしれないと思うわけです。(pp.286-287)

    原発神話が抜けたあと、すっぽりと脱原発神話がはまりこむだけ、なのかもしれないという危惧と、そこから逃れる方法を考えるセンス。高橋源一郎が、祝島へ行ってみて、ここには資本主義システムに対抗する古い自給自足型共同体が機能している、お金を見せられても何の意味もないと書いてるところも、こないだそういう系の本を読んだ目には印象に残った。

    ▼高橋 …島のほとんどが孤老なんだけど、漁業をやったりみかんを作ったり、みんな働いている。食べ物にも困らないし、険しい道を毎日歩いているからみんな元気で、元気がなくなると隣近所が助けてくれる。つまり自給自足ができるし、助け合いがある。…(略)…どんどん人口が減っていって死んでいくしかない運命の中で、どうやって楽しく負け戦をやっていくかっていう知恵がある。この国も人口が減っていて、全体で見たらみんなでゆっくり下っていくしかないでしょう。それなら楽しく下っていくすべを考えることが、今後のヒントになるんじゃないかな、と思ったわけです。(p.276)

    ほかの対談もおおむねおもしろかったけど、『「原発避難」論』の編者でもある山下祐介との対談は、あの本の"あげる"言葉がものすごく気になったように、この対談でも、「集団としてのまとまりを大事にしてあげたいと思う」(p.237)とか、「これは我々日本人全体の葛藤であって」(p.243)とか、この「あげる」とか「ワレワレ」観とか、この人は気にならないのかなーーーと、私は気になってしまった。

    第一部の途中で「研究なんかで食えると思うな」というのが出てきて、ちょっと笑ってしまった。とくに、「上の世代は「まじめに研究すれば明るい未来が待っている」と言うかもしれないが」(p.94)のところ、福島の双葉町に掲げられていたという「原子力 明るい未来のエネルギー」を思い出させて、上の世代の人たちは、やっぱり明るい未来を信じてたのかな?と考えたりもした。

    開沼さんはそう書くけど、20年ほど前、私が院に行こうとしたときに「路頭に迷う覚悟があれば大丈夫」と先輩に言われたから、それなりの現状認識が、あるところにはあったのではないか、とも思う。

    (3/27了)

    *立ち止まるための社会学1 「フクシマの正義」
    http://school-market.net/lecture/1356430906/

    この本の内容が語られているもよう

  • フクシマ論とあわせて読むのをおすすめ。仙台になれると思って受け入れた原発。東京で言われている脱原発論からは見えてこない当事者の思いが書かれている。フクシマを理解せずして脱原発は実現出来ない。

  • 「必要悪」の「必要」と「悪」は本来切り離せないものなのだが、物事を単純化したがる人びとは往々にして「必要」だから「善」、または「悪」だから「不要」と決め付けたがる。

    「必要」さと「悪」さをそれぞれ直視した上でうまくバランスさせることができるのは、正に成熟した社会だけだろう。

  • 選挙結果を著者はどう見る?

  • サブタイトルで指摘されている「日本の変わらなさ」とは、「中央」の論理による「地方」の視点が震災を通じて存続している(というよりむしろ強化されている)ことと思われる。原発や放射能をめぐる言説が、結局のところ原発を推進してきた「地方」観と同一であるというのが本書のメッセージと捉えると興味深い一冊である。『「フクシマ」論』(青土社)は読みたいけど難しそう、と考えるのであれば本書を足がかりにしてみては。

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著者プロフィール

1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。現在、立命館大学衣笠総合研究機構准教授(2016-)。東日本国際大学客員教授(2016-)。福島大学客員研究員(2016-)。
著書に『福島第一原発廃炉図鑑』『はじめての福島学』『漂白される社会』他。

「2017年 『エッチなお仕事なぜいけないの?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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