小さないじわるを消すだけで

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  • 幻冬舎 (2014年10月22日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (105ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344026681

小さないじわるを消すだけでの感想・レビュー・書評

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  • すごくわかりやすくて、さらっと心に入ってくる
    とても素敵な本。
    講演会にあたり、自分は物書きなので、講演ではなく
    書いた原稿を読む、という姿勢もばななさんらしいなと思った。

    タイトルを読んで、小さないじわるとはなんだろうと思っていたら
    新幹線で出会ったエピソードが語られていて、なるほどそういうことか、
    と納得。
    ネットでレビューを見ていたら、このたとえ話がわからないという意見があり
    ちょっと驚いてしまった。
    ばななさんが誤解のないよう、「こういう意味ではない」「こういうことではない」とともすれば回りくどいほど丁寧に
    自分の主旨とは違うものが伝わらないように書かれているのに
    ”こういう意味ではないですよ”と言っている方の意味に悪くとっている人が多くて
    ここまで書いても駄目か、伝わらないのかー、じゃあしょうがないのだろうな
    と思ってしまった。

    多分このエピソードを読んで頷けるか頷けないかで、
    この本全体がすっと入ってくるか入ってこないかが別れてしまうのだと思う。


    念の為書き添えるが、自分がこのエピソードから受け取ったのは
    車掌さんがどうせ起こすなら隣のお客さんが来たときに起こしてくれれば
    元々の席にお客さんが座れるという結果が選びとれたのに
    全てが終わってしまった後でわざわざ伝えて、
    それを聞いたところでもう贖罪の手段も全て断たれているのに
    起こしてきたことの裏には、車掌さんの正義感、それを相手にぶつけて
    解決ではなくただの罪悪感を引き起こすだけで満足したいというエゴ
    それが小さないじわる、ということ。

    疲れていたのに起こすな、とか、旦那に言えば良いとか
    寝てたのだから仕方ないじゃないか、ということは一切ばななさんは仰っていない。
    もっと言えば、車掌のことをいじわるだとも仰っていないと自分は思った。

    amazonのレビューでも良い評価と悪い評価が真っ二つで
    うーんと思ってしまった。
    個人批判ではなくだからこうしたいというのでもなく
    飽く迄ひとつの喩え話として語られているのに
    受け入れられない人がいるのはわかるし
    もしこの車掌の話自体を本気で取り立てるなら
    車掌サイドの言い分も聞かなければフェアじゃないけれど、
    ひとつのエピソード、たとえとして披露しているのに
    作家の権力を振り回しているというように言われてしまうのは
    随分と気の毒だと思った。
    だとすれば、飽くまでも作り話である、と嘘をついて
    このエピソードを始めればよかったのだろうか…?



    自分はなるほど、そういうことを小さないじわると呼ぶのか
    とすっと入ってきたので、
    『こっちの望みを聞かず勝手に判断して腹を立ててぶつけてしまう』
    ということもよくわかったし、
    『よくない雰囲気の波紋』が広がっていく、というニュアンスも
    非常に共感できた。

    こいつは勝手に寝ていて、どきもしない悪びれもしない
    常識のないやつだ!と思い込んで自分の正義感をぶつけて
    自分が正しいと思ったり、
    ぶつけてみたら相手が自分が思ったような非常識な人ではなかったけど
    引込みがつかなくなったり
    そうして言い合いをしている人が同じ車両にいるだけで
    なんとなく嫌な気分になるレベルでも負の連鎖が広がっていく。


    自分は歴史を勉強するにつけ、『昔』の日本と今の日本は違うと思っているので、
    "お金が中心のマニュアル社会と、合理化と、閉塞感から来るストレスがみんな合わさって、日本人は昔持っていた絶妙のさじ加減というものを失いつつあると思います。"
    という言葉にとても納得した。

    この失った資源を取り戻すのは途方も無いことだけれど、小さいことだが
    ひとりの人間が変わることからしか何も始まらないと自分も思うし、
    少しでも取り戻していけたら良いなと思っている。



    中国の僧侶に対し、辛いことや、危機を感じたことはと質問したら、

    中国の役人達に対して慈悲の心を失う危険を感じた

    という回答があったというエピソードには圧倒された。



    "正す手段が存在しているならば、何も心配することなく、正す努力をすればいい。しかしその問題に対して、何も手段がなければ、やはりそれ以上心配しても全く無意味である"
    この言葉も印象的だった。
    普段、やるしかないのに真っ直ぐその努力に向かえずぐだぐだ考えてしまったり、
    手段がないのにいつまでもうじうじ考えたりということが自分には本当に多く
    少しでも切り替えていけたら良いなと思った。

  • 「小さないじわる」…思い当たる節がありすぎて反省した。やられてきたからやり返す、それが大きないじわるに発展していくこと。私という細胞が変われば良い。それを突き通すだけの気持ちを私は今からでも持つことが出来るだろうか?
    「慈悲の心と、論理性の共存」... あまり感情的にならず、正しい心を持つこと。感情は持ちすぎると偏見が含まれてくるのだという。私も正しい心を訓練する必要がありそうだ。
    本書に出てくる出来事は些細なことだけど誰にでも経験があるはず。だからこそ、私は私に出来ることを、私が大切にしたいものを大切にする。『この人は私と違う、まあいっか』ではなく、『なんだか私と違うけれど、この人も細胞の一部分である』ということ。忘れないように長々と記すことにする。

  • どうして、私はイライラしたり人に優しくなれないんだろうと思う。心を整えてから一日を始めたい。

  • 小さないじわるを消していくという小さな一歩から習慣、そして意識を変えていくことで、世の中の生きにくさはすこしずつ解消されていくのではないか、とよしもとばななさんは語ります。小さないじわるとは、自分は自分、他人は他人と考えて、慈悲の心をもたないこと。知人が失恋をして、ちょっと話を聞いてほしそうにしていても、面倒くさいだとか、自分には関係がないからだとかで、知らんぷりをしたり邪険な反応をしたり、そういうのが、小さないじわるなのです。以前、他のひとの本のなかで、世の中は互恵関係なんです、そうであるとわかるべきなんです、みたいな話がありました。つまりは、自分は自分だから、と切り離して考えないことですよね。トータルでみて、自分にも他人にもそれぞれから恩恵があり、持ちつ持たれつである、そういった関係を築くことが、本来的に、世の中の理にかなうんだ、という気づきがあると、ひとも社会も変わるのかもしれません。後半、会場からの質問にダライ・ラマ法王が答えます。どれもすーっと腑に落ちて、だからといって全部を言ってしまわない、絶妙でシンプルな答え方だなあと思いました。

  • 誰にでもわかる嫌がらせではなく、もちろん罪に問われるような悪意を持った行動でもない。
    意識にも止まらぬような『小さないじわる』が、世の中を少しずつ少しずつ害して行くのだとばななさんは語る。
    例えば誰かの幸せに感じる小さな嫉妬、つい口にしてしまう嫌味な一言・・・とるに足らない小さな棘が気がつかないうちに他人をそして自分をもチクチクと刺してしまうのだ。
    棘で刺されるのは嫌だから、いい人そうに見えても
    『あ、この人なんか意地悪かも・・・』と思うと
    つい全力でその人から遠ざかってしまおうとするのだけれど
    ダライ・ラマ14世は相手のすべてを受け入れることを説いていらっしゃる。。。
    それはちょっとハードルが高そうなので
    まずは自分の周りからだけでも
    小さな意地悪を消すことから始めてみようか。

  • ちいさないじわる、という表現がなるほどとおもう。対談感はあんまりない。

  • 大きな文字、そして、ダライ・ラマ氏の「やすらかな死を迎えるために」では、質疑応答のスタイルで、読みやすい。

    最初に、よしもとばなな氏が、『小さないじわる』のとして、「心の平和を得るために」で、例を挙げられている。

    新幹線の席で、自分が寝入ってしまって、隣の席まで陣取ってしまったことへの車掌への配慮の仕方を挙げている。
    この事について、個人攻撃をするものではないと、伝えているが、一方的に、批判出来るものではない。
    車掌は、正義漢と、仕事のマニュアルを持って注意をしたのであろう。
    もしくは、そこに老人か、病人が座れたのかも知れないと、思って注意を促したのかもしれないではないだろうか?
    双方に、言い分があるだろうが、この例は、正しくないのでは、、、、、と、思う。

    人は、相手の事を考えずに、自分の自己を押しつけることがある。
    それが、親切であっても、相手には、迷惑になることもある。
    個人と個人では、余り問題にならないが、国と国とでは、大きな摩擦と、なって行くだろう。

    ダライ・ラマの友人の僧侶が、中国に18年も収監され、身の危険もあったのに、「自分の慈悲の心失ってしまう危険を感じた」と、言う言葉は、一般の人間では無い、高貴な人物と、想像させられた。

    ダライ・ラマ自体、人々を救済する観音菩薩の化身と信じられているが、、、非暴力的問題野解決に取り組んでいる事を、もっと、書いてほしかった。

    ばなな氏の例を大きく取り上げることなく、もっと、ダライ・ラマ氏の話を入れて欲しいと、思ったのは、私だけであろうか?

  • 「ちいさないじわる」という言葉を意識するようになりました。自分がそれをまわりにしてしまわないようにしたいし、それをする人たちからはフェードアウトしていきたい。やっぱりばななさんの言葉は心の純なところにぐっときます。

  • 「相手が自分に何かしてくれたり、優しくしてくれるから愛するのであれば、もしいやなことをされたら私達はもう愛することができなくなってしまいます。」確かに!これが今の私の課題か…。ダライ・ラマ14世×ばななさん×タイトルに惹かれて読んだら「上書き」がここにも出て来てびっくり。今の私に必要なキーワードを発見した1冊でした。

  • ばななさんの、伝えることに対する真摯さに、改めて彼女の生き方に触れた気がした。
    ダライラマさまはいつも、人のことを思う大切さを説いてくれる。
    昨年どうしても行きたかった。だけどわたしのように行けなかった人のために、こうして本にするとき、作る側の、丁寧さを感じた。

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小さないじわるを消すだけでの作品紹介

生きにくさや孤独は、手放せる。"ノーベル平和賞受賞の宗教家"と"人々の心を癒し続ける小説家"による、決定的人生論。穏やかな心で良い人生を生きるための希望に満ちた金言集。

小さないじわるを消すだけではこんな本です

小さないじわるを消すだけでのKindle版

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