日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない

  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (249ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344029347

感想・レビュー・書評

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  • ”女が女であることを意識するほどは男は男であることを意識していない”

    これは自分が女だからこそ思う、最も大きな隔たりを感じる男女の性差だ。

    本書は恋愛とそれにまつわる男女のエトセトラから読み取るジェンダー論のエッセンスをふりかけた高級猥談。嫌いでない。

    恋愛=セックスという単純な方程式が通用しなくなったコンテンツ重視のこのご時世、よい男女関係とはよい人間関係を築くことが求められる。
    特に年をとってホルモンという恋愛ガソリンが不足してくると「男女関係」が若い頃のそれとは意味合いが変わってくるのを痛感する。

    より自立したマチュアな大人になりなさい、それにはセックス(=男女関係)を避けては通れないけどそれに振り回されてもいけないと警告してくれるのだ。

  • P10
    コンテンツ愛が充実した人にとっては
    現実のセックスや恋愛のほうが貧しく、
    わざわざする価値なく感じられてしまうのは
    男女ともにありますね

    セックスに肯定感やお得感を見出だせない

    二村ヒトシの本は何冊か読んだ。
    『すべてはモテるため』は力作だと思う。
    あそこまで突き詰められないよ。
    上野千鶴子も絶賛してたけど。

    結局現代はセックスしなくても
    気持ちよくなれる、面白いものがあるという
    構造になっているんだと思う。
    セックスはアナログで手間暇がかかるから。
    もともと代替出来るようなコンテンツだったのかもしれない。
    徒歩が、車や交通手段で縮小したように。

    P15
    もう知っているし、
    あまり面白くない、と

    ただ実際やらないとわからないものってある。
    バーチャルとリアルは違うから。
    そういった点でセックスも過度期なのでは?

    僕は風俗やAVには否定的。
    セックスを下手にすると思うから。
    女性をモノ扱いしてる気がするもん。

    P32
    こっちは演技でやってるつもりが、
    だんだん彼女への軽蔑が芽生えてくる

    AVの妄想がリアルを変形させてしまう怖さがあると思う。

    P33
    他人の粘膜とか体液とか匂いって、
    確かに汚いものだけど、でも、
    特定の好ましい他者である゛誰か゛の
    粘膜や体液や匂いだからこそ「味わってみたい」という
    欲望も出てくるんじゃないかな

    この指摘は、よくわかる。
    キスやクンニやセックスはそういうことだもの。

    いろんなものがシンプルになって
    根源的考え方が見直されている。

    風俗やAVは、妄想。もっといえば煩悩。
    そんな頭でするもじゃなくて
    シンプルに愛し合う。
    それが幸せだって、そうなっていくと僕は思う。
    妄想や欲望や煩悩は際限がない。
    追い求めないのが賢明だということに
    多くの人が気づくと思うよ。

    P90
    湯山/メンヘラの子は、社会で承認欲求を満たされない分、セックスでその欲求を満たそうとするから、セックスにかけるエネルギーが強いんだろうね。メンヘラに学ぶべきは、セックスに最大級のエネルギーを投下するところ。そして、本当に真面目ですよね。その真面目さが、また面倒くさいところでもあるんだけど。

    二村/自分の恋愛に対して真面目だし、自分に刻みつけられてしまった被害者意識について真面目ですよね。そういうメンヘラ傾向のある女性、こちらに依存してくる女性とは、喋っているだけで苦しくなるようになった

    湯山玲子のあとがきが素晴らしく興味深い。

    P248
    私たちのセックス観は、
    成熟した男女が自由に相手を選び
    自由競争だからこそ
    選ばれない男女もいて当然、
    その現実のもと、相手と身も心もとけ合って
    一体に慣れれば本望、
    ということになっているが、そのことが
    完全に「絵に描いたモチ」になっているのが今。
    つまり、セックスはこの世の中、
    普通の人間が普通に出来る欲望行為から、
    一種の贅沢品になってしまっている。

    琵琶湖の湖北にわざわざ鮒鮨を食べに行く
    グルメがいるが、セックスライフを享受している人は、
    そんな輩にも見える。

    そんなグルメを一般の人が
    「ああ、自分もそうなりたい」と羨むのではなく、
    「そういう快楽が好きな人もいるよね」と
    言う意味での贅沢品。

    もちろん、セックスはあった方がいいが、
    そこにエネルギーを投じても損するほうが多いかも、
    と考えがちな時代と環境に突入している。

  • 本書はノウハウとかハウツーの類ではなく、湯山氏、二村氏たちにとっての男女間をすり合わせていくことを通して現状の男女のセックス感や現状認識を洗い出していくものとなっている。

    湯山氏のことは知らなかったがまぁ個性の強い人で、自己主張が強く、各種コンテンツに関して非常に博識、そして達観している。
    二村氏もまた、その仕事を通して男女感が達観していて、言葉の重みが凄い。
    対談なのでさらさらと話題が進んでしまうが、一つ一つの話題の行間が濃密で、感想をまとめるのが難しい。

    自分の今の研究テーマとしては「関係良好な夫婦間における女性の性欲がない又は極めて低いことによるセックスレス、の解消」なので、女性が自分の性欲に自覚的になったという論調や、若い男性の草食化の現状、男性による女性の侮辱や支配欲という視点はここでは役に立たない。
    ただし世の中全体の傾向を示しているとすれば、それに対しては的を得ているように思う。

    本書の肝は湯山氏のあとがきにある。
    要点を抜き出してみる。

    『「こんなイイもんを、人間としてイタしてないのはもったいないだろ」という確信のもと、論を展開すれば良かったのだが、そこにひとつの冷たい風が入ってきた。それは、「セックスは良きもの。充実させて、楽しむべき」という、私たちが信じている前提が、すでに崩壊し始めているのではないか?という実感だった。』

    →より個人主義が進み、また情報化社会となっている現状、そこに女性の解放が進んでいることも鑑みて、こうあるべき、という単一寡占のモデルや規範のようなものは確かになくなっているだろう。
    そうはいっても、セックス自体は娯楽や快楽というだけのものではない。
    一連の生殖活動(練習、準備、本番)という側面、
    男女間の親密なコミュニケーションという側面、
    生物としての健康と肉体健全性の保持高進という側面も併せ持っている。

    上記の側面はすべて、なんらかの他の方法で代替は可能である。あるべき論で愚直に既存概念をなぞるのは短絡的なのも理解できる。
    ただ、わざわざ自覚的にすべて他のものに代替することで、しかも楽しさや精神的豊かさを捨ててまで、面倒臭がるというのはいかがなものかと思う。
    極論、あらゆるものが「あるべき論」から外すことは可能だろう。
    他の選択肢を考えた上で、やはり「セックスは良きもので、充実させて楽しむべき」に戻ってくるんじゃないかと思う。

    『セックスもまた、恋愛同様、「そうすべき論」で展開すべきではない。果たして、エンジョイなのか、そうじゃないのか、結論を決めずにふたりで考察していきたい』
     →これはその通り。仕事にしても、人間関係にしても、当事者みんなで考察していくのはとても大事。

    『既婚者の私の実感、周囲の多くの友人たちも含め、「新婚ならばまだしも、結婚した相手とセックスするなんて考えられない」という声が圧倒的。そこには、「夫(妻)は家族になっちゃったから、家族とイタすことは自分のセックス感としては有り得ない」という、日本のセックス文化(教育も含めて)の問題が頭をもたげてくる。』
    『つまり、生身のセックスは「めんどくさーい」。と、これが、今、そして今後の日本の全世代の男女の大本音なのだと思う。』

     →確かにセックスレスについての研究の中では、「家族とセックスはできない」という意見が出てくる。
    また本書で常々湯山氏が主張しているように、性欲旺盛でかつ文化的にも理解があり積極的だった湯山氏であっても閉経後にはその気が見事に消えてしまったという側面を考えると、湯山氏自身の実感や、その同世代が多いと思われる友人たちの意見の総合的な帰結は、一緒くたに結論付けるのはちょっと危ういように感じる。

    「お前個人の経験に過ぎないだろ」という鏡写しの指摘は飛んできそうだがあえて言えば、僕自身は、家族になった後でも欲情している。

    自分がそうである理由を自問自答して内省していくと、家族に欲情できないという論理打開のヒントが見つかる。

    先に書いたセックスの4つの側面の内、
    娯楽要素としては過去に経験が極めて乏しく、満たされていないこと、
    一連の生殖活動としてはまだ出産適齢期であること、
    コミュニケーションの面では、パートナーとより親密になりたく、親密さを維持したいと思っていること、
    そして健康の側面では、お互いの健やかな今後の人生のために維持向上していきたいと思っていることがその要因としてある。
    これらのそれぞれの要因について、回答がネガティブあったり、無自覚であったりする場合は、家族であろうと未満であろうと、「めんどくさーい」に陥ってしまうだろう。
    しかしこれらを自覚した上で、どうなの?と考えれば、家族だからそういう気持ちにならない、というのは思考が狭いんじゃないかなと思ってしまう。
    「セックス観」という意味で、生理的にその気が起きないのだから仕方ない、という意見もあろう。その解答に関しては以下で続ける。

    『つまり、私たち日本人の性文化は、人間的尊厳がそのまま性的リビドーに繋がる快感回路をほとんど持ち合わせていない』

    →これがより真理に近づいている。伝統的視点、教育的視点、女性復権の流れ、そして性的コンテンツの充実という現実、暴力性や他者に理解されにくい性癖やフェティシズムを打ち出したポルノグラフィによる洗脳的な視点といった要因の複合的な帰結として、セックスが特別で、不潔で、面倒くさいものと受け止められてしまっている構造に問題があるように思う。
    エロ本、マンガ、AV、ドラマなど、セックスがどのようなものであるかを見聞きする機会は色々ある。
    親、先輩、友人からも聞くだろう。
    しかしそれは一般論ではない。ある特定の時代や、フェチや、個人におけるセックス観だ。
    当然、自分自身が接してきた情報がベースになる。
    なので、情報が偏っていれば、不潔にも暴力的にもなるし、ロマンティックにもノーマルにもなる。
    本来は多様な人々の中の、異なるある2人個人の関係性の中に生まれる、我々だけの行為なので、みんな違うし、自分達のやり方を見つけ出すものだろう。

    もしかしたら、インターネットやSNSの進展によって個人の性的な傾向や事実が容易に公になってしまうかもしれないという恐怖や、個人的な趣味嗜好や行為が他者から叩かれやすくなってきたことに対する恐怖心なんかも影響しているのかもしれない。例えば本来は2者またはそのパートナーを含めた4者間程度で完結するはずであった、芸能人や政治家の情事がパパラッチされて炎上するかのように。

    個人主義が進んでいるにも関わらず、依然として他者のプライベートに干渉したり、一方で干渉(劣等感の刺激や嫉妬など)されたり、現代日本人は第3者と自分をやけに結び付けたがる。
    他人が浮気・不倫をしようが、SMや痴漢やNTRモノのAVがあって市民権を得ていようが、正直どうでもいいことだ。
    LGBTQ+問題も同じ文脈で言えそうだが、他人が誰を好いて誰と付き合って何をしようが、それはその人たちの生き方なので、批判するのもおかしい。
    個人主義が必ずしも最善でも最良でもないが、その個人主義ですら、まだまだ成熟していない。

    資本主義、新自由主義的な環境要因も少なからずセックス問題や恋愛問題の要因として挙げられようが、そういった社会的環境的要因によって自分の幸福の形、生き方、セックスでいえば娯楽の選択肢、生殖の有無や方法、コミュニケーション、健康が決定されるのは僕としては不本意だし、そこを一番啓蒙したく思う。

    『セックスはこの世の中、普通の人間が普通に出来る欲望行為から、一種の贅沢品になってしまっている』
    →端的な表現として秀逸だと思う。
     あるものが贅沢であるかどうかは、時代など環境によって変わる。昔は胡椒や砂糖やバナナやコーヒーも白米も贅沢品だった。
     しかし今では満たされている。また地域によっては満たされていない。生水ですらそう。
     なので、セックス自体も贅沢品たり得るし、そうでなくなることもあり得る。つまり、根源的素質として、セックスそれ自体が贅沢品なわけではない。
     地域的、時代的、心理的に、贅沢品のようになってしまっている。
     その環境要因であるハードルを一歩超えれば、手に届くもの。
     セックスは嗜好品的側面を持つとしてもそれは一面でしかないのだから、無くても生きていける胡椒や砂糖やコーヒーのような見方ではなく、鮒鮨を食べに行く以上の積極性を持って認識した方がいいと思う。

    ーーーーーー
    加筆修正版はnoteにて。
    https://note.com/ronnio/n/n0e7a6ca2d97d

  • 私にはあまり興味の持てない内容だった。
    ただこの本の読書会では参加者が
    各々の初体験を言い合ったのは
    面白かった(笑)

  • 湯山さん・二村さんおふたりとも興味がある方なので手にとってみた。
    決してライトな対談でなく、読み進めるのに非常に時間がかかる。それなのにしっかり読んでも理解できない。…な内容だったけど、おふたりの思想の協調や探索や不協和などいろいろ伝わってきて面白かった。

  • 文系教養の雄、湯山姉さんと、AV監督の二村ヒトシ氏による、セックスをめぐる対談。

    正直、結構難しい、混み入った話なので、読んでてスラスラとはいかない。
    この2人が話してる様子は、もし飲み屋で聞いていたら楽しいだろうなとは思う。ついてゆくのは大変だけど。大学の特別講義で聞いてもおかしくないレベルの談議なのだが。

    湯山姉さんは、もう実際のセックスよりも文化的な知的興奮で十分という、脳内派。
    二村さんは、一生、枯れたじいさんになっても女子を撫でたり愛でたりし続けたい、支配のセックスでなく、男女や優劣が入れ替わる、フレクシブルなセックスに憧れている。

    二村さんの、まずは腹筋と骨盤底筋を鍛えようというお言葉に感動した。すべてのエクスタシーは筋トレから。

    確かに、体が健康、かつ、ジェンダーや社会規範から自由で。自分も相手も枠にはめず、かつダンスのような身体能力、感応力、表現力が必要なのがセックスだろう。
    さらに湯山姉さんのように文化的教養が分厚く、タブーに縛られず、愉しみの感性のアンテナの幅が広い人はセックス向き。
    心技体、極めたセックスエリートを想像してしまうが、2人の話の行方は、どちらかというと日本人がセックスしなくなってる風潮について。
    そのうちSF小説みたいに触れただけでokとかになるんじゃない?と。すでにバーチャルな満足で足りてる人も多く。

    まぁ、この談義にしてからがすごく脳内的だし。
    二村さんは、作品を観たことはないが、撮影中もチXXに聞きながら制作をしているそうで、マッチョと逆の、柔軟なセックス観の持ち主で、女子が女子の枠を、男性が男性の枠を外れて感じていくプロセスが好きみたい。すごく理知的で魅力的な語り手だと思った。
    頭脳派の湯山姉さんを身体性で土俵際まで追い詰めた感じ。

  • 社会

  • ネットで最初の方の本文が出てて、面白そうと思ったんだけど、その後延々と面白くなくて対談なのにどえらい時間かかってしまった。
    そもそも、話の中に出てくるAVとかの知識が全くないので話についていけず…。しかも、セックスしなくなって
    いんじゃね?と思ってる代表みたいな自分にはつっこみようもなく…。
    かろうじて最終章、面白くなって、意義ある話が聞けた感。

  • 世代的に理解できない点もありましたが、とてもおもしろかったです。「威張ってるだけのオジサンは皆ケツを掘られるべき」、全くの同意です。

  • タイトルのつけ方が違うと思う。
    二村ヒトシの作品を見てないし、湯山玲子の本も読んでいないので、いまいち二人のイメージが掴めず・・・
    セックスというより性行為全般の哲学書の様相。
    この二人の性に関する感覚に、特に違和感は感じない。
    ただやはり性には個人の嗜好が分かれており、普遍的なものは、なかなか無いと思う。湯山氏の感覚が女性を代表するものではないと思うし、二村氏の感覚もまたしかりだ。
    それにしても二村監督のAVを撮影しながら、監督はオナニーするという撮り方は凄い。見てみたくなった。

  • 『100歳の少年と12通の手紙』というフランス映画がある。10歳の少年が白血病で死ぬ直前の12日間の魂の成長の話なのだが、恋愛とセックスと結婚と別離の話がきちんと出てくる。フランスはそういう文化なのだな、日本とは違うな、と思わされるものであった。

    本書で、二人が語るセックス観に、ほとんど同意である。

    二人が同意できない、現代のセックスについての分析にも、そうなっている人への攻撃がないのが読んでいてやさしい。

    支配や侮辱によらない関係を作りたい。

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著者プロフィール

1960年東京都生まれ。著述家。出版、広告の分野でディレクター、プランナー、プロデューサーとして活動。同時に評論、エッセイストとしても著作活動を行っており、特に女性誌等のメディアにおいては、コメンテーターとしての登場や連載多数。現場主義をモットーに、クラブカルチャー、映画、音楽、食、ファッション等、文化全般を広くそしてディープに横断する独特の視点には、ファンが多い。
クラシックを爆音で聴く「爆クラ」等のイベント、自らが寿司を握る美人寿司などの活動も続行中。著作に『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『クラブカルチャー!』(毎日新聞出版局)、『女装する女』(新潮新書)、『四十路越え!』(ワニブックス)、『ビッチの触り方』(飛鳥新社)など。メールマガジンも刊行(http://magazine.livedoor.com/magazine/37)。(有)ホウ71取締役。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。

「2012年 『だって、女子だもん!! 雨宮まみ対談集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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