スマナサーラ師の初期仏教の本のエントリー版。
読みどころは、仏教の考え方の本質を平易な言葉で説いているところ。
ー時間とか忙しいとか自我とかはすべて錯覚、妄想
ーコンタクト、衝動、認識の3つが老いたときに必要となる心の栄養
ー人間の心には鬼がいる
ー人生は苦。なぜ呼吸をするかというと苦を逃れるため
ー相手の放った言葉はただの「音」
ーいじめとは、他者の足を引っ張る行為。それは社会のシステム。
ー「生きる」とは、生きるためにしている無数の行為の総称にすぎず、実体があるわけではない。考えるべきは「何のために生きるのか」ではなく、「どのように生きるべきか」
ーわたし達は「人間」という学校の生徒
スマナサーラ師の本を読むのは3冊目なので、若干飽きが来ていると言えなくもない。新鮮なところとしては、今回は、目的論的な捉え方をする表現が目についた。これに違和感を感じないではない。人生の出来事は、宿題であり、それは対処する能力のある人のもとにやってくる例として、
ー仕事
ー障害児
が挙げられているが、やはり対応できず苦しみ続ける人はいる。なので、これは真理というより、そう考えるべきということだろう。
また、エゴノミクス egonomics にあるように、過度の自我を悪しきこととする点は、改めて興味深い。謙虚さの原則との対応は以下のとおり。
ーwe, then me ... まず与える、ついでもらう
ーI'm brilliant and I'm not ...まだ道半ば、今に集中
ーone more thing, constructive discontent ... 学び続けること