- Amazon.co.jp ・本 (366ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344400016
感想・レビュー・書評
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石原慎太郎さんと法華経という意外な組み合わせに惹かれ読んでみました。石原さん、法華経、ともに興味がありますが、この組み合わせは意外でした。
石原さんはかなり昔から熱心に法華経を読んだり唱えたりしていたそうですね。そのきっかけは「霊友会」の小谷喜美教主さんとの出会いなどが大きいようです。そして様々な不思議な経験を経ることで宗教的な思いが深まっていったようです。このあたりポイントだなと思いました。理屈を聞いただけでは納得がいかない宗教でも実際に神秘体験を味わうと信じるようになっていくのでしょうね。宗教というのはロジックでは処理できない世界なのだと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
石原慎太郎。。。ある意味食わず嫌いであったが、この本で法華経の哲学(宗教は哲学と考えています)の見方に納得。
まったくの同感とはいえないけれど、共感できることたたあり、またつっかえていた釈尊に対する解釈もわかりやすく、やはり最後であり最高の経典であると思える -
「石原氏の石原氏による石原氏のための」法華経解釈。氏は、とある新興宗教の教祖に帰依したようだが、自身で「信者が一人しかいない石原教の教祖」と述べているくらいだからそういう趣旨の本なのだろう。 おっさんは「法華経」のことは全くわからないのでこの本の解釈が学問的に正しいかどうかはわからない。しかし、氏が「学問的に」ではなく「実践的に」対峙し、それを自分の血と為し肉と為した法華経論は、浮世離れした坊さんよりもよっぽど説得力があるように思われる。学問的に正しいかどうかはわからないが、そんなことはどうでもよい。仏教の魅力を伝えるには十分な内容だ。
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うう。重い。ガッツリ。装丁もマッチして。あの石のブロック。手をのばしても届かなそう。”法華経を生きる”とは何ぞや。そう何回か脳みそでなぞってからゆっくり開いて読み始めた。ボクは熱心な信仰家でもなければ新興宗教の使者でもなんでもないが。石原慎太郎さんもその中でそんな風に言っていた箇所があってつい吹き出してしまったのだが。簡単にいってしまえば考えあぐね悩みぬいた末あの辛い思いはいったいナンだったのだろうと思ってこれを開いたのだ。楽しいことも苦しいこともいろいろ経験していくうちにそもそもこういうことってナンなんだっていうことをここらでハッキリ聞かせていただきたい。そしてまた明日を生きよう!という追い風に乗りたいときって人にはあるんじゃないか。って。迷いのある人は読まれないほうが。。風を感じた人はさあ。飛び乗って。
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様々な宗教を多面的に分析したかったので購入しましたが、ページ数が多かったので後回しにしてます。未読につき★3つです。
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松岡翁の本を読んだあとだけに理解の程度がわかる。
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いったいどうして「地震は天罰」と発言したのかと思い手にとったが、石原慎太郎という人が好きでない自分にとっては読み通すのが非常に苦痛だった。
他人がどう感じようともわたしはこう思うという明確な姿勢や人が言い難いことも大切なことであればハッキリ言うところなど、彼が人気があるのもわからなくはない。
しかし、雑誌の連載だったものをまとめたとはいえ、正直文章のクオリティが低すぎやしないだろうか。ダラダラと締まりない語り口で、あちこちさ飛んではさっき雑誌で読みましたというような科学知識の披露し、「ありはしまい」、「◯◯し尽くす」、「到底無い」などお得意の断言フレーズで押し切る。政治家としての職務で忙しいのだろうが、これで人の文章にどうこう言えるのだろうか。
あらゆる存在は相互依存してなりたっているというのは仏教の縁起説ではあるが、それが特定の価値観に基づいてなんらかの事象や行為の是非を問うて良いものだろうか。軽々しく越えてはならない一線だと思う。
参院選に出馬するとき、育ての父親でだった水野成夫(元産経新聞社主)が霊友会の小谷喜美教主に応援を頼みに行ったというエピソードだけはおもしろかった。水野が「私とあなた(小谷)は義兄弟だから、こいつ(石原)は義理の甥っ子。会員もたくさんいるから20万ほど出してやってください」と言うと、小谷は石原家の宗旨を聞き曹洞宗だと答えると「なら同じ仏法だし問題ない。ぜんぶ票をあげるからわたしの弟子になれ」と言い、石原はその通りにしたそうだ。
霊友会は公称信者数が440万人だというが(ウィキペディア)、いったいどれくらい彼の選挙に影響力を持っているんだろうか。 -
これは昔、親父の葬式の時に親父の同業の人にいただいた本である。生前に読んで欲しかった本だと言って渡されたものだったけれど、当時は本なんてまったく読まなかったから、ずっと書棚に入れっぱなしだった。何をきっかけにと言うわけでもないが、読まずに放っておくのもなんだからと手に取ったまでである。
まあ、そんなことはさておき、内容であるが、タイトルほど宗教くさくはないといったところか。ただ、世間に映る石原慎太郎像とは少し異なるような印象を持った。俺自身石原慎太郎と言う人が何をやってきた人なのかは政治家以降のことしか知らないから、何とも言えない。けれど、本書にある作家から政治家に流れる記述を見ても自分がどうこうしようと言うより、作家から手を広げたくらいの感じしかない。
この人にとっての宗教と言うのも俺からすれば人間の哲学の落としどころみたいな印象を受けた。別に信仰を薦めるでも無し、ただ石原慎太郎と言う人かくあるみたいな。
実際そっちの方が必要で、一神教とかの宗教にのまれてしまうと過度な思想で、人の道を外してしまうように思う。それがいいか悪いかは俺には測れない部分があるけど、しっくりこないのは事実である。
この人に限らず人間には瑕疵があるものなので一概にはいえないけど、白洲次郎さんの言ったプリンシプルは石原さんには少し垣間見えたなあと思う一冊だった。そこに宗教と言うバックボーンがあるからなのかは、特に信仰の対象を持たない俺にはまだわからない。 -
100204(m 100307)