ワイン一杯だけの真実 (幻冬舎文庫)

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著者 : 村上龍
  • 幻冬舎 (2001年8月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344401563

ワイン一杯だけの真実 (幻冬舎文庫)の感想・レビュー・書評

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  • オーパス・ワン
    シャトー・マルゴー
    ラ・ターシュ
    ロス・ヴァスコス(白)
    チェレット・バローロ
    シャトー・デュケム
    モンラッシェ
    トロッケン・ベーレン・アウスレーゼ(ロバート・ヴァイル醸造所)

    このリストで涎を垂らす人はワイン愛好初級者と認めてもよいでしょう。(笑)
    なお、自分もその一人です。じゅるじゅるじゅるじゅる。(笑)

    上記8銘柄をお題にした村上龍の短編小説8編です。
    この小説は1998年の刊行ということで、当時の第○次ワインブームに乗っかった形のお題という気がしないでもありませんが(笑)、お題の「ワイン」ということを除いても、あとがきの作者自身の言う通り、完成度の高い短編集であったと思います。
    主人公はどれも「自分自身や人生に違和感を持っている女性」の一人称であり、「嘘で塗り固められた社会全体を拒否し、グラス一杯のワインの中に真実を見つけ」、「真実は一瞬の中に見え隠れし、必ず甘美で危険なものとして姿を現わす」ような物語の展開だったと思います。
    主人公の女性たちは皆若く、しかし、社会から切り離された存在であり、また、彼女たちには必ず近いようで遠く遠いようで近い存在の男の影がちらついていて、そして、男たちは必ずといってよいほど外国の香りを持っています。まあ、お題が外国のワインだからそうなのかもしれないですが(笑)、作者の言う「ワインを飲んで風景が異化し」た中の一風景の象徴であったのかもしれません。
    出だしの短編はどちらかというと心身ともに孤独な女性のストイックさが全面に出た小説だったのですが、次第に編が進むにつれて村上龍らしく(!)エロぽっくなっていき(笑)、そして終盤にはかなりのエロ度具合になっていき、最後は幻想ともつかない中で消えていくという配置になっています。これは、個々のワインテーマに沿った短編の内容に加えて、短編集全体としても一個のワインを口に含んで味わったかのような構成で、美しい女性たちをワインを飲んだかのように甘美に味わい尽くす趣向になっていたと思われます。で、自分は終盤のあたりが特に好みだったです。(笑)お尻を叩くところとか・・・。(笑)う~む、シャトー・デュケムかあ。(笑)
    当時を反映してかブランド志向が如実に出ているワインリストですが(笑)、ヴィンテージの記載がないとか、特にモンラッシェには造り手表示がないなど、まだまだワイン愛好者としては詰めは甘いのですが(笑)、まあワインは抜きにして美しい女性たちのエロさを味わえたので(!)これは良しとしましょう!
    解説はこれも当時を反映してかソムリエの田崎真也ですが、ワインの一般的なお題目を並べているだけでこれはあまり面白くない。

  • このような、無秩序なのに精錬されている人物が多い世界に生きている人は少ない。村上龍の作品の登場人物はそれが殆どを占める。得体の知れないものには興味を惹かれるし、怖い。ワインは飲めないけれど、ハワイでニートになりたいと思った。

  • さりげなく、そして力強くワインをストーリーに絡めてくるセンスは流石である。ワインとはこんなにも人を魅了する飲み物なのか。私は良いワインを知らない。それは非常に損である事のような気がする。

  • チェレットバローロがとくによい。
    満足度7+

  • きっと、お酒をたしなむ方だったら、
    この気分が「ちょっと酔いたい気分」なんだろうな・・・
    と思いながら、いま、村上龍氏「ワイン 一杯だけの真実」を手に取った。

    「ワイン 一杯だけの真実」とは、
    「驚異的な筆致で描いた極めつけのワイン小説集」(裏表紙カバーから引用)である。
    龍先生ご自身も、
    「極上のワインと、現代を生きる女性という組み合わせが、
    わたしの中で自然に調和して、
    完成度の高い短編集を編むことができたと思う。」
    と、あとがきに記していらっしゃる。

    おそらく、「極上のワイン」も「現代を生きる女性」も、
    龍氏の大得意分野で、
    彼女たちの生活場も、
    龍氏にとっては自然体で表現できる場に設定されているのだろう。

    「愛と幻想のファシズム」をはじめ、「五分後の世界」「希望の国のエクソダス」「ヒュウガ・ウイルス」「半島を出よ」等では、
    小説執筆のため大量に仕入れた知識を、
    半端じゃない把握力と筆力とで、
    なかば強引に、物語に組み込ませている感じがする。

    それはそれで、もちろん高い評価を得るわけだし、
    単純にかっこいいなぁとも思うし、
    「愛と幻想のファシズム」なんかにいたっては、
    登場人物がとてつもなく魅力的で、
    でもその人物造形には、
    龍氏の莫大な知識量が必要不可欠だったのだろうが、

    作家が、執筆時に持っている情報の中だけで、
    完成された物語(=新たに何かを学んだ影はない作品)に、
    わたしはより惹かれる傾向にある。当然、例外はあるけれど。

    そこで「ワイン 一杯だけの真実」は、もう、
    龍先生の本領発揮ぶりがひしひしと伝わってくるので、
    読んでいて、一種の爽快感を味わえるのだ。
    作品のすみずみまで、作家が自信を持って描いている作品が、
    わたしは好きだから。

    さて、この中の一編、「シャトー・マルゴー」には、ある意味はっとさせられる箇所がある。

    「あなたとどこで出会ったのかどうしても思い出すことができない。
    あなたはわたしに近づいてきて、何か印象的なことを言った。
    だがあなたが具体的に何を言ったのかは思いだせない。」

    「わたしはあなたとの出会いの瞬間を思い出そうとする。
    お互いに犬を連れて散歩していて、どちらかが何か言葉をかけたのかも知れない。
    だがわたしに、犬を飼っていた時期があったのだろうか。」

    うーーん、なんて魅惑的な文章なんだろう、
    わたしにとっては、ワインよりもずっと強力で、瞬時に酔ってしまう文章だ・・・
    と、そんなノロケめいた話はどうでもよくて、ここに書いておきたいのは、
    わたしは龍作品と何で出会ったのか、どうしても思い出すことができない、ということ。

    たとえば、中学生のころ、国語の宿題になった問題が、
    「エイジ」の一部分から出題されていて、一目ぼれした、重松清氏とか、
    (まだ当時は、本屋さんにもあまり重松作品が並んでいなくて、
    図書館で、わたしが一生懸命リクエストしたんです 笑)

    音楽雑誌に歌手として載っていて、さすがに目をひくコメントばかりで、
    ざっと読んだだけでも、すっかり名前と顔を覚えてしまった、川上未映子氏とか、

    高校の友人に教わった図書室の本「亡国のイージス」に夢中になり、
    数学の授業中にどうしても涙がおさえられず、
    休み時間に目が赤くなっていて友人に笑われた、福井晴敏氏とか。

    もちろん、最初に読んだ作品が、その作家を好きになるきっかけとは限らなくて、
    「ノルウェイの森」「東京奇譚集」「アフターダーク」などはピンとこなかった村上春樹氏にも、
    「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で惚れてしまったけど。

    ・・・というように、あれこれ、その作家を好きになったきっかけを思い出す作業は楽しいのだが、
    なぜか、村上龍氏に関しては分からない。だいたい、最初に読んだ作品が分からない。

    ベタに(かどうかは分からないけど)「限りなく透明に近いブルー」から入ったような気もするし、
    ちょうど映画化で話題だった「69」(どちらかというとこっちのほうがベタかも)を、
    ファミレスで笑いをこらえながら読んだのが、初めての龍作品だったか、
    タイトルと中身のギャップに驚き、その意味するところを悩んだ「ラブ&ポップ」だったか、
    でももしかしたら、案外「13歳のハローワーク」かもしれない 笑

    ただ「ワイン 一杯だけの真実」の「シャトー・ディケム」には、
    「最初にいつどこで出会ったかなど、そんなことにはあまり意味がない。」とある。
    意味がないとしても、わたしはきっかけが気になるのだけど、
    まあ、自分の記憶力不足が原因で、忘れてしまったのだから、潔くあきらめましょう 笑

    ところで記憶に関して、この短編集を締めくくる作品「トロッケンベーレンアウスレーゼ」に、大変興味深い記述がある。

    「本当はきっとすべてのことをわたしは憶えている。
    生まれてからまだ三十年も経っていない。
    記憶が曖昧になったり、消えてしまったりするわけがない。」

    この次が、“読んで得した”と思える、斬新な発想。笑

    「記憶は、意識の表面から、夢を見るときのような無意識のほうへと沈んでしまっているだけなのだと思う。」

    そうして、こう続く。

    「わたしの経験では、記憶は操作することができる。
    それはわたし達がいやな記憶をできるだけ忘れようとするという意味ではない。
    からだの傷が化膿し、かさぶたになってそのあと、見えなくなるように、本当に耐えられない記憶は化膿する。」

    ふうむ。これを読みつつ、無意識のうちに、記憶のかさぶたをめくる想像をしてしまい、
    自動的に血がにじむさま、それに伴う痛みまで感じるから、
    記憶に関する文章なのに、わたしは鳥肌が立ってしまうのだろう。
    かさぶた、という言葉がここに出てくるところが、龍先生ならでは。

    「シャトー・マルゴー」にある、
    「わたしはどこか遠くの街から絵はがきを書いて出してくれる恋人が欲しかった。
    ・・・(中略)・・・
    その絵はがきを待ちながら無為に過ごす、そういう一日を夢見たものだ。」という感性も、わたしはすごく好き。

    だから、ワインに関して100%無知でもなんら問題はなく、この短編集を楽しめるのだが、
    解説にはご親切に、ワイン講座が用意されている。
    トロッケンベーレンアウスレーゼという名のワインは、非常に完成度が高いらしい。
    トロッケンというのは、ドイツ語でドライを意味する言葉ということで、
    だからだろう、トロッケンベーレンアウスレーゼという名を持つこの短編は、
    そのタイトルにふさわしく、詩的に乾いていて、とても上質な作品だと思う。

    でも、気をゆるしたらすっかり依存してしまうほど、大好きな作品が、「モンラッシュ」。
    冒頭もいい。構成もいい。時おり光るエピソードもいい。
    そしてなんといっても素晴らしいのが、ラストに語られる、
    「モンラッシュを飲んだあとにうたた寝をした。その時に見たわたしの夢。」である。

    この「わたしの夢」を読んでいると、わたしの中にある“美しい悲しみ”という感情が、強烈に現れる。
    ぼんやり・かすかではあっても、頭や胸の奥で常にかかえている悩みを、龍先生は見事に小説化してくれるから。
    「小説家というのはテキストのない翻訳である」という龍先生の名言が、
    確か村山由佳氏「天使の卵」の解説にあったが、
    「モンラッシュ」のような小説を読むと、その言葉の意味を感覚的に理解できる。

    「真実は一瞬の中に見え隠れし、必ず甘美で危険なものとして姿を現わす。」(あとがきより引用)
    という「ワイン 一杯だけの真実」が、実はわたしには、まったく分からない。
    ただ、村上龍氏の小説は、その姿に限りなく近いと思う。

  • これといって印象的ではなかった。村上龍にしては驚くほどあっさり読める。

  • どちらかというと、内容は暗い話しが多い。そのときの自分の気分次第で、静かな気持ちになれたり、暗くなったりしてしまう。でも、その描写から紹介されるワインは、是非とも飲んでみたい気分となった。

  • 往復3時間の通学時間には初めの頃は村上龍のこの類の小説と村上春樹のエッセイを読んでいたように思う。

    2002年5月4日読了

  • この人はものすごく勤勉で、書く前にものすごい調べ物をするらしい。その調べたものをひけらかすのではなく、効果的に使うのがさすが小説家。

  • ★オーパス・ワン<br>
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    ワインにまつわるエピソード。狂った女を書くのが好きであろう彼の、いつも通りの小説。<br>
    現実と妄想との境界線の曖昧さが、快くもあり不快でもある。読み手のテンションを要求する作品。

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複雑さと錯乱の快楽そのもののようなラ・ターシュ。セックス以外では癒せない夜に味わうシャトー・マルゴーの香り。非常に切なく非常に幸福な幼い時期を蘇らせたモンラッシェ-。女たちが八本の宝石のような名酒からひき起こす怖いまでに美しい官能を、驚異的な筆致で描いた極めつけのワイン小説集。

ワイン一杯だけの真実 (幻冬舎文庫)はこんな本です

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