だから山谷はやめられねえ―「僕」が日雇い労働者だった180日 (幻冬舎アウトロー文庫 O 98-1)
- 幻冬舎 (2008年12月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344412422
作品紹介・あらすじ
ごく普通の大学生の「僕」は、就職活動を前にしてドロップアウト。そして始めた東京・山谷でのその日暮らし。宿なし・金なし・家族なしの中年男たちと寄せ場や職安に通い、飯場の世界にも飛び込んでいく。彼らは、そして就職を選べなかった「僕」は、ダメな人間なのか?ドヤ街の男たちと寝食を共にした一人の若者による傑作ノンフィクション。幻冬舎アウトロー大賞(ノンフィクション部門)受賞。
感想・レビュー・書評
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大学卒業ごの進路を決めかねた青年が、とりあえず大学院に進み、山谷や飯場で仕事をしてみた体験記。
青年によくあるモラトリアムと言ってしまえばそれまでだが、フリーターではなく、日雇い労働者の生活を体験して彼らの考え方に触れてみようと思うところが、面白い。
あとがきによれば、2008年には番組製作会社で仕事をしているということだが、良質のドキュメント作品を是非つくってもらいたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さいわいなことにというべきか、未だ私には縁のない世界のお話である。飯場やドヤの生活を、言いと思うが絶対イヤだと思うのか、読む人の反応は真っ二つに分かれそうだな。おそらく著者が経験した部分より、さらに酷く、闇が深い部分も多くあるのだろうが。
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大学院生だった筆者が、山谷や飯場での生活を送ることで、実際に生活している労働者の生の声をすくい上げているのが本書の特徴である。
実際に生活が送るとは言っても、筆者には帰れる家があるので、労働者たちとは少し心持ちが違う。
だからこそ、客観的に見られているというところもあるが。
本書を読むまで、僕は山谷にいる人も飯場にいる人も全て日雇い労働者というくくりでしか見られていなかった。
山谷は何度か散歩がてら寄ったことはあるが、確かに異様な感じはあった。
だからこそ、「ここではたくさんの日雇い労働者たちが貧困にあえいで苦労しているんだな」と思っていた。
だが、本書を読むと、どうやらそういうことでもないようだ。
本書で登場する山谷の住民は、ほとんどが好きで山谷に住まっている。
彼らは、サラリーマンのような、規則正しい生活や財産などには興味がなく、最低限の生活をして酒を飲みながらなんとなく日々を過ごす。
そして、飯場で働く男たちは、山谷にいる日雇い労働者たちを見下す。
同じ日雇い労働者だが、下には下がいると思い、線引きをして精神的に安心しているのだ。
これは決して日雇い労働者同士の話ではないと思う。
サラリーマンだって、ホームレスや日雇い労働者のことを見下す。
家庭があり、財産があり、家がある。
同じ労働者なのに、見下すことで安心感を得ている人もいる。
本書を読んで感じることは、「普通の暮らしをしていない人たちの暮らしがわかった」とか、「自分はそうなりたくないな」とかではない。
僕が感じたのは、「あえてそのような暮らしを望む人たちがいるから、山谷や飯場という場所が現代でも存在するのではないか」ということだ。 -
ルポ?の内容も、抱く感想も、想像通りすぎた。話としては興味深い。
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いわゆるドヤ街と呼ばれる山谷と、工事現場の飯場などの滞在記。会った人との交流内容と、人間観察が主。
ドヤ街という言葉は最早過去の物だと思うが、今で言うインターネットカフェやシェアハウスのようなものと言えばどうだろうか。
金がない人の逃避先が酒やギャンブルからインターネットになっていると感じる昨今、名前や場を変えて、このような境遇は今後も残るのだろうと思った。 -
日雇い労働者の実態が書かれたルポ
山谷という場所はセーフティーネットになってるんだなと思った。
やっぱりルポルタージュはなかなか接することのできない世界を生々しく知れておもしろい。知見が広まる。 -
こんな世界もあるんだなあと。
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山谷や飯場での生活に著者が実際に身を投じたノンフィクション
貧困研究というよりは著者自身の自伝的、思索的な部分が多くを占める
著者が実際に炊き出しの列に並ぶ中で、今まで「こっちがわ」を経験せずに炊き出しボランティアなどに参加していた自分を恥じる場面があるが支援においてそこまでの支援対象との「同化」は必須とされるものなのだろうか?支援の姿はそれだけなのだろうか?読んでいて考える部分であった。 -
面白い。
実体験のノンフィクション。
著者と同様に、ホームレスとか、宿無しの日雇いで働いてる人とか、いわゆる社会のレールから外れてるような生き方に興味があるなあ。 -
参与観察としては面白いんじゃないか 民俗ゼミより社会学ゼミ向きの人材な感じはする どこまでも生身