女がそれを食べるとき (幻冬舎文庫)

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制作 : 楊 逸  日本ペンクラブ 
  • 幻冬舎 (2013年4月10日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (333ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344420120

女がそれを食べるとき (幻冬舎文庫)の感想・レビュー・書評

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  • introduction─────
    サモワールの薔薇とオニオングラタン:
     朝起きると体がみっしりと重かった。昨夜眠れなくて、二回も自慰をしてしまったせいだ。…私は痛みに強ばる体をどうにか起こした。それから、シーツを染め抜く自分の血を見た。
    晴れた空の下で:
     わしらは最近、ごはんを食べるのに二時間もかかりよる。いれ歯のせいではない。食べることと生きることとの、区別がようつかんようになったのだ。…わしは最近、ごはんを食べるのに二時間もかかりよる。いれ歯のせいではない。食べることと生きることとの、区別がようつかんようになったのだ。
    家霊:
     山の手の高台で電車の交叉点になっている十字路がある。十字路の間からまた一筋細く岐れ出て下町への谷に向く坂道がある。坂道の途中に八幡宮の境内と向い合って名物のどじょう店がある。拭き磨いた千本格子の真中に入口を開けて古い暖簾が懸けてある。暖簾にはお家流の文字で白く「いのち」と染め出してある。…徳永老人はだんだん瘠せ枯れながら、毎晩必死とどじょう汁をせがみに来る。
    贅肉:
     小学生のころ、私は慶子という名のクラスメートと親しくしていた。…今日もまた、庭に猫の一家が来ている。姉が死んだ時、車の近くにいたあの虎毛の母猫が二度目のお産をしたのだ。私は窓を開け、「猫ちゃん」と呼びかける。その声は姉そっくりになっている。私は太りすぎてうまく曲がらなくなった膝を支えながら、窓辺に立つ。食料品配達の男が、白いバンを家の前に停め、降りて来るのが見える。手には大きな段ボール箱を抱えている。私はそれを見て、舌なめずりをし、そんな自分が惨めになって、ふと涙ぐむ。
    台所のおと:
     佐吉は寝勝手をかえて、仰向きを横むきにしたが、首だけを少しよじって、下側になるほうの耳を枕からよけるようにした。台所のもの音をきいていたいのだった。…女はそれぞれ音をもってるけど、いいか、角だつな。さわやかでおとなしいのがおまえの音だ。その音であきの台所は、先ず出来たというもんだ。お、そうだ。五月には忘れず幟をたてな、秀がいるからな、秀が。ああ、いい雨だ──とえらく沢山しゃべった。
    骨の肉:
     年が替っても、女は自分と共に男が置き去りにして往った、彼の荷物の処置を思いつくことはできなかった。…男の荷物が焼けたあとから、そんなにどっさりの骨や殻が残るなんて! 「そうだったのか、そうだったのか」と頷く女の耳に消防車のサイレンが激しく打ち鳴らされる鐘も加って迫ってきた。とすると、今夢で告げられたのは、今から起ころうとすることの予言だったのであろうか。鐘が弛むのと同時に、消防車のサイレンが窓の下に唸って到着した。が、女は眼を閉じたまま「そうだったのか、そうだったのか」と頷きながら、或いは燃えはじめているかもしれない蒲団の中に一層深くもぐり込んだ。
    たこやき多情:
     農村の嫁飢饉どころではない。「母一人子一人」男の嫁飢饉は、年々、都会でもひどくなっている。それでも中矢も若いころは相応に、女の子にもいろいろ、かまわれたのだ。…悪女というのはお通でも美人でもあれへん、このテル子のようなのをいうのや、と、中矢は憮然とする。しかし……たこやきメイトは捨てがたいのである。
    間食:
     死体の作り方なら、小さな頃から知っていたよ、と花は言う。昼寝をしている母親の顔に白い布巾をかけて遊んでいたのだそうだ。もうしない。若い頃の話だと、彼女は続けて笑いをこらえる。若い頃だって、と雄太は思う。まだ、はたちを越したばかりのくせに。白い布をかぶせただけじゃ死なないって解ってからは、無駄な抵抗は、もう止めた。それに、本当に死んじゃったら困るでしょ? 本当に死んでしまったら困る人。彼女の言葉に彼は頷く。それでも、時折、そういう人の死を誰もが願う。本当に死んじゃったら困る人。…やっぱり西瓜はこう食わなきゃ。たれた汁を拭おうとポケットを探る。白いハンカチがある。葬式用に加代が用意したものだ。口に当てた後、ふと思いつき、広げて、彼女の顔にかけてみた。そして、ながめる。長いこと、ながめる。付いたばかりの赤い染みが、寝息と共に、いつまでもいつまでも上下している。
    幽霊の家:
     「だったら鍋が食べたいけど、ひとりで家で食べてもつまらないから、せっちゃん、一緒に食べない?」私は、単に「バイトの時いろいろかばってもらったから、お礼にバイト料で何かごちそうするよ。」と言っただけだった。そして岩倉くんから返ってきた返事はそれだったのだ。…もしも、もしもあの部屋で彼らを見ていなかったら、私たちは結婚しただろうか? それだけが謎なのだが、多分、しなかったのではないか。なんとなくそういう気がするのだ。
    ───────────


    「食と恋愛」がテーマのアンソロジー。
    恋愛よりも官能と呼ぶほうがしっくりくるのは、「食べる」という行為が「生きる」ことに直結するものだからだろう。

    『サモワールの薔薇とオニオングラタン』
    料理上手で元画家の母は、日々手の込んだ食事をつくることで幸せだった頃の家族の姿を再現し、かつて夫に愛されていた記憶を糧に生きている。娘は、そうして押しつけられる母の理想に食われてしまわないよう、35歳になってようやく抵抗を試みる。毎日少しずつ死んでいく人間ではなく、生きていく人として自分の人生を取り戻すために。

    『晴れた空の下で』
    江國さんてこういう雰囲気の作品も書くのかと、意外に思った。いちばん短く、直接的な表現なんて一切ないのにも関わらず、いちばん官能的で、人間らしさを感じる。

    『家霊』
    どじょう店の女主人は徳永老人が差し出した「いのち」を人生の彩りにして生きた。後を継ぐ娘もきっと同じように、誰かの差し出す「いのち」を食べて生きていく道を選ぶのだろう。そうならないように、放蕩者でない夫を迎えればよさそうなものだけれど、母親と同じ生き方を自分も辿るものとして疑わない姿が『サモワールの薔薇…』の母娘とは対照的。

    『贅肉』
    姉が貪っていたのは、それこそ当然自分の上に降り注ぎ続けると信じて疑わなかった愛情で、けれどそれは結局自分が自分に与える自己愛でしかなかったがために、どこまでいっても満たされなかった。仔猫を拾って、自分以外の誰かに愛情を注ぐことができていたら変わったかもしれない。姉を亡くした妹が食べていたのは、行き場をなくした姉への愛と憎しみと羨望?

    『台所のおと』
    『晴れた空の下で』と似た雰囲気。食べることそのものではなく、料理をすることに焦点をあてた作品はこれだけで、しっとりした愛情を感じた。あきの佇まいと、若い初子の弾むような恋の様子との対比もいい。

    『骨の肉』
    純文学作家らしい作品で、収録作のなかでは異色の存在感。男の荷物が焼けたあとに出てきた骨や殻は、まさか男自身のものだったりして?

    『たこやき多情』
    苦手。関西弁でコミカルに描かれているから、なんとなく笑いを誘われそうになるけれど、一歩間違えれば結婚詐欺だ。

    『間食』
    雄太にとっては花が間食。加代は食事で、本当に死んじゃったら困る人。食物連鎖だなと思う。加代は雄太を食べる。雄太は花を食べる。花は食べられるだけ食べられて切り捨てられる。だけどたぶん、切り捨てられても切り捨てられても、また誰かに愛されて食べられて、過去を切り捨てて生きていけるのは花だ。

    『幽霊の家』
    収録作の集大成的な作品。恋愛のはじまりから、二人で生きていくことを選択して、さらに歳を重ねて死んでいくこと。ロールケーキと洋食。間食と食事。自分たちを生かすもの。女が生きていくために必要なもの。

    収録順が秀逸。意図的にそうしているのかと思ったら、作者の五十音順に並んでいた。本当に無作為なものなのか知る術はないのだけれど。
    読みながら、「ふがいない僕は空を見た」を連想し、続けてそっちを読んでみようと考えていたのだけれど、読み終わって気が変わった。次はさらっと軽い恋愛ものにしよう。

  • 面白かったです。女性作家の、食と恋愛のアンソロジー。食と官能は結び付くのかな、濃密でした。小池真理子さんの「贅肉」が1番印象的でした。じめっとした、不気味な感じで…食べることは欲望に忠実な気がするので、でもここまでいくと病的で恐怖を感じました。転落するように、贅肉がついていく…怖い。対象的な空気の、よしもとばななさんのお話は再読でしたがやっぱり好きでした。主人公と岩倉くんの関係が好きです。江國香織さんのお話が、すごく短いのですが泣きそうになりました。

  • 女性作家9人が、描いた食との関わりの話である。

    どれも、昔読んだことのある小説なのだが、まとまって読むと、なるほど、人間の三欲の中の『食』にまつわる話。
    江國香織の短さにもそこに潜む老人の悲哀さが、長寿社会の思いも片隅に感じられる。
    幸田文の台所の音というものは、昔のお母さんが、まな板の上で、包丁の軽やかな刻む音と、料理の調味料の香りが思い出されるが。今は、まな板、包丁無しの時代、温めるだけのレンジでチンの音になっているかも、、、と、一人で笑ってしまった。
    田邊聖子のたこ焼き多情も、たこ焼きのあれこれよりも、最後のテル子の大胆さには、転倒たのは、中矢氏だけでなく読者も、結末に笑った。
    久しぶりに、料理と恋愛ものを沢山頂いてしまった。

  • タイトルからして、おいしそうな料理の登場する短編集と思いきや、シュールだったり後味悪かったり…

  • 幸田文さんの作品を読んでみたい思っていた
    9人の作家さんの短編

  • 女性作家の食にまつわる小説アンソロジー

    何とも贅沢な名前の並びについつい買ってしまったが、そう言えば女性の艶っぽさが出すぎているものって苦手だった。食と恋愛が絡めばそうなるのは仕方ないが、やっぱりうわぁぁっと思うものや怖いものあり。
    それでもずっと気になっていた幸田文さんを初めて読めたので良かった。『台所のおと』凄く良かった。音って人が表れるし大事。他の作品も読みたいと思えた。あと、山田詠美さんは既読だったけど、やっぱり読まされてしまう不思議。江國さんやばななさんは好きだなぁって再確認。ばななさんが最後で良かった。

  • サモワールの…
    共依存な母娘。おだやかだけれど湿っぽい毎日を抜け出したい娘。抜け出されるのに恐怖を感じる母。
    もう中年女のいやらしい描写は飽きた。

    晴れた空の下で
    わずか数ページの短編。
    読みながら違和感を感じたが、最後に訳がわかった。


    何編か読んだけど、ちょっとこのタイプは合わないみたい。生々しい…。久しぶりに全部読めずに終わりそう。

  • 「女がそれを食べるとき」楊逸 選
    ”官能”短編小説集。薄桃色。

    女性作家9人の食に関する短編を、同じく女流で芥川賞作家の楊逸さんが選んでまとめた短編集。
    食べることは普段生活の通過点でしかないものを、各々女性の繊細な視線で見つめてみると、かくも深く甘く或いは怖ろしく、官能的な営みであることを描き出せる。
    個々の編の女達の人となりは様々なのですが、全体を通して感じたことは、彼女達は食餌においてエネルギー以外の価値に心を奪われている。
    感傷と食が結びついたとき、そこには強い心の動きがある。男の、ただ腹一杯食うという単純な欲望とは違う。

    いや、つくづく思うけどたかだか少しっちい量の皿の料理を有難がったり、記念の食事をことさら拘りかつシチュエーションも大事だったり、女心は複雑だ。
    それから思うんだけれども、男にご飯をつくってやる、そういった甲斐性は(少なくとも初めは)それ自体が愛情に結びついていて、彼女達自身が男への愛情を確かめるために為しているのではないだろうか。なんて。
    (4)

  • 食べることが趣味の私にとって、素晴らしい短編集。

    女子、ではなくて、女、だなぁと納得。

    やっぱり山田詠美さんが一番でしょうか。
    よしもとばななさんも良かった。

    ぞくっとする話も「あー…あるある」とどこかしら共感。

  • 9名の女性作家によるアンソロジー。ゆったりと豊かな気持ちにさせて頂きました。

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女がそれを食べるとき (幻冬舎文庫)の作品紹介

あの人を思うと食べることを忘れる。彼が欲しい気持ちと同じくらい、食欲が止まらない。好きな人と共にする食事は、身体を重ねることに似ている-恋愛と食べることの間には、様々な関係がある。女性作家の描いた"食と恋"を巡る傑作小説を、芥川賞作家・楊逸が選出。甘美なため息がこぼれるほど美味なる9篇を味わえる、贅沢なアンソロジー。

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