僕らのごはんは明日で待ってる (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344424500

感想・レビュー・書評

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  •  瀬尾まいこさんの諸作品を、「癒し」「希望」「浄化」などと形容するレビューをよく見ますが、全く同感です。本書も見事なまでの安定感で、爽やかで心地よい読後感でした。

     一見、ありふれた恋愛小説のようで、実は奥が深いなという印象をもちました。
     葉山亮太と上村小春、同級生。一人たそがれている葉山を、光が見える場所に連れ出してくれたのが上村でした。そして時を経て、上村のいろんな(辛い)ことを平気にしてくれたのが葉山なのでした。

     人付き合いはなかなかにして難しい面もありますが、それでも誰かと関わることを諦めてはいけませんね。平凡でもいいから、誰かと明日を作っていくことはこんなにも素晴らしいことだと、瀬尾さんはさらりと教えてくれているようです。

     「僕らのごはんは明日で待ってる」という題名も素敵です。誰かと共に食べることは貴重であり幸せなことなのですね。「◯◯で待っている」の◯◯には、具体的な場所が来るでしょうに、「明日」というセンスに脱帽です。

     若い2人が辛い現実を共に乗り越えてゆく様子は、まるでストレス軽減サプリのような一冊! とおすすめできる物語でした。

  • 読後『これってラブストーリーだったのだろうか?』と、思うくらいキャラクターが個性的すぎて、ラブストーリーとは思えないスッキリ感と、家族のあり方を考える作品だった。

    二人は高校生の時に知り合い、初めて付き合いその人と結婚する。それ自体が奇跡的である。そんな奇跡の二人が家族となるのだが、二人が考える「家族」にこの先、心が熱くなる。

    イエスというあだ名の葉山亮太。イエスとは、もちろんイエス・キリストからである。キリストのように心が広いからと、大学生になってついたあだ名である。なんとも素敵というか、もったいないというから、とんでもないあだ名である。本人は、心が広いという感覚もなく、感覚が鈍いというか、視点がずれているというか、要するにいわゆる『天然』キャラである。でも、そんなあだ名が付くくらいなので、周りの人間には信頼されているのであろう。
    実は、高校時代は、クラスで浮いている存在であった。兄が亡くなって以降、ぼんやりと窓の外をみて『たそがれ』、死んだ人の小説ばかり読むようになった。それ以来、学校では孤立してしまうのだが、孤立していることすら何とも思わない。そんなクラスでも浮いていた亮太が、体育祭のミラクルリレーの「コメブクロジャンプ」で、羽ばたく(笑)ことになる。米袋の中に村上小春と二人で入ってジャンプしながらゴールに向かっていくのであるが、その米袋がまさに亮太の『明日を開いた』のである。
    そして、また小春にとっても亮太との「コメブクロジャンプ」が、中学からの想い人への告白のきっかけとなる。

    亮太への告白が成功した小春はケンタッキーが大好き女子。思ったことを容赦なくズケズケと言葉に発する男前女子高生。想い人であった亮太にも失礼な言葉が飛んでいく。
    「ちょっと!失礼?!」と、思われる小春からのきつい言葉を受けながらも、この二人が漫才でいうとボケとツッコミのような感じて、バランスがいい。

    こんな自分ペースの二人だからこそ、お互いを飾ることなく素直に表現できたからか、二人の距離感は、お互いが心地よいと感じている。

    しかしながら小春の祖母と面会した亮太に対して、祖母の印象はそれほどよくなく、そのために小春は祖母の言葉を日本国憲法以上に受け止めて、従い亮太と一度別れてしまう。小春が居なくなって初めて小春の存在の大きさと恋愛を意識し、必死で関係を再構築しようとする亮太。その努力が実り、ふたりは無事にゴールインする。
    一度、決めたことは覆さない彼女が、亮太と別れると決めて別れたにもかかわらず、亮太の(意味不明な)真剣な説得を受け入れた時、やっぱりこの二人は会話は変だと思いながらも、二人の間だけにわかる想いが見えた気がした。

    ちょっと(かなり?)頼りなく、小春に頭が上がらない亮太ではあるが、最後はかっこよかったし、小春も素直で可愛かった!亮太の愛あふれる思いが小春にも伝わり、いつも失礼な小春が亮太への感謝の気持ちを素直に伝えた時はやっぱり似たもの夫婦だなぁと微笑ましくなった。
    そして家族に思い入れがある二人が家族ではなく、夫婦であることを受け入れた時、よかったと思うと同時に応援したい気持ちになる。

    「僕らのぼはんは明日で待っている」だから、明日のご飯に向かって生きていこう!

  • 親知らずという歯がある。人生50年と言われていた時代には、自分の子どものこの歯を見ることなく亡くなる親が多かったところからついた名前と言われている。平均寿命が長くなり子供時代に身近な人の死と接することが少なくなった現代。そんな時代に身近にいた兄を突然に亡くした弟は何を思うのか、何を背負うのか。物語はそんな背景から始まります。

    『兄貴が大好きで、兄貴のことを慕っていて、きっと兄貴のために一生懸命だった。でも、両親の愛情のほとんどを受けていた兄貴をうらやましく思う気持ちがないわけがなかった。そう思う自分に対する嫌悪感は底知れなかった。』兄の死は複雑な思いを弟に残しました。『まだ兄貴、高校二年だったんだよ。将来は消防士になりたいとか言って、キラキラしてたのに。』中学生だった弟には一つの憧れの存在でもあった兄。それは弟の中に『兄貴を失った空虚感だけが、気持ちの隅々まで埋め尽くしていた。』という状況を作り出し、どうにか気持ちを繋いで高校に入学しても、クラスの輪にも入らず、窓の外を見てたそがれる毎日を過ごすだけの日々を送ることになります。

    そんな時に体育祭で『ミラクルリレーの第三走者で米袋ジャンプ』を一緒に走ることになった上村。いつも一人の葉山を思いやっての心配りかと思いつつも彼女がかけた言葉は『そうだよね。葉山君、一年の時から、ずっと嫌われてるもんね』という辛辣なもの。でもここから二人の歩みは始まりました。

    何事も後ろ向きにしか考えられない葉山。『最初からなければ、素敵な思いも楽しい思いもできないけど、でも、なくなった時の悲しさも味わわなくてすむだろ。最初からなければ終わりが来ることもないんだから。』そんなことを言っていては何も始まりません。人との繋がりも生まれていきません。自分にはないものを持つ彼女。彼の中で何か気になる存在として彼の内に大きな部分を占めていく上村。兄の死の呪縛を乗り越えて、次第に明るさを取り戻し、上を向く葉山。上手いなぁと思ったのは、いつまで経っても二人の下の名前が明らかにならず、名字だけで繋いでいくところ。下の名前が出てくるのはずっと後半。下の名前は予想外の場面で突然に登場します。

    章が変わるごとにポンと少し時間が経過して、次の章では、前章の結果論の世界がまず描かれる形で物語はテンポ良く進んでいきます。作品によっては本来そこを描くだろうという部分が敢えて飛ばされるある意味独特なリズム感。瀬尾さんが描きたい部分はそこではないこともよくわかります。そして、作品は全部で4つの章から構成されていますが、見事なくらいに各章が『起・承・転・結』の役割を果たしていて、気持ちいいくらいにスッと体に入ってきます。

    瀬尾さんの作品では食事の風景が、それぞれの場面に強い印象を与えてくれます。『二人とも学生の時は、ケンタッキーやマクドナルドで食事をしていたけど、それがガストやココスになった。わずかなことだけど、少し大人になったような気がする』この作品ではファーストフード店のことがよく登場します。それが『転』となる第3章での自宅での食事場面と見事な対称を見せます。そしてとにかく全編に渡って『ごはん』が描かれていきます。それは葉山のちょっと豪華なお弁当であったり、それは大好きなはずの牡蠣が固くなって残る鍋の場面だったり、それは不知の病と闘う人に贈る八十種類ものふりかけだったり…。人が人である限り、私たちは『明日』も『ごはん』を食べるだろうことを特に意識したりはしません。『ごはん』を食べるということは日常を象徴するものでもあります。普通の日常が明日も続いてくれることを願って。『僕らのごはんは明日で待ってる』ことを信じて。

    離れて気付くお互いの存在の大きさ。『神様はなんだっけ、乗り越えられる試練しか与えないって言うからさ』という二人が乗り越えていく日常。『こんなふうに自分たちで未来を思いえがいて、それに自分たちで近づくことができる。そしてすぐそばにその未来が待っている…全部が全部思いどおりにはいかないだろうけど、それでも少しずつ形づくっていける。こういうのを幸せっていうんだ。』真っ平らな道は歩きやすいかもしれません。でも、人生だから山もあれば谷もある。起伏のない人生なんてない。思いどおりにいかないこともある。でも焦る必要はない。神様が時々与えてくれる試練を乗り越え前に進んでいく。そうそう試練なんてやってくるものじゃない。そして、その先にきっと乗り越えたから見える未来がある。起伏があったからこそ見える未来がある。

    人の繋がりがとてもあったかくて、優しく語りかけてくれるようにスッと気持ちの中に入ってくる、そんな作品でした。

  • 題名からは想像がつかなかったのですが、これは恋愛小説なのですね。
    兄が死んでから、死んだ人の出てくる小説ばかり読んでいる葉山亮太は、高3の体育祭がきっかけで、上村小春と付き合うことに。
    亮太を表現するのに、たそがれてるという言葉が頻繫に使われていて、何とも言えない優しい気遣いが感じられます。
    大学生になった葉山と上村。特に盛り上がりがあるわけでもなく、お話が淡々と進んでいく。淡々としているけれど、お互いがなくてはならない存在だということが、手に取るようにわかります。
    私はこの二人の距離感がすごく好きです。
    ずっと葉山と上村という二人の苗字しか出てこなくて、下の名前を知ったのは終盤になってから。なんだか不思議な魅力を持ったお話でした。
    この二人なら、この先もきっとどんな困難でも乗り越えられるに違いないと思えてくる。
    読み終わって、少しの希望と、ほっこりと爽やかな空気を同時に味わうことができました。

  • 恋愛小説。
    兄の死によって心を閉ざしていた亮太(主人公)が、小春と出会い、再び人生に輝きを見つけるストーリー。
    亮太の内面や成長が丁寧に描かれていた。
    普段の生活の中にあるささいな瞬間にも、心を開いて感じ入り、その喜びや感動に共感した。
    二人が試練に立ち向かう姿勢からは、人間の強さや愛の力を感じた。自分自身の希望や活力を見い出せる作品。
    ほのぼのとした温かさやユーモアに包まれながら、心が温かくなる読書体験ができました。

  • 神様は乗り越えられる試練しか与えない。
    この返事に自分は神様に過大評価されていると答えるシーンがとても好き。
    試練なんていらないし、乗り越えるというかやり過ごすしかないと思っていたけれども。
    試練のせい、もしくはおかげで予想しなかった道に進むのは確かかも。
    それを楽しむか楽しめるかで試練は乗り越えた事になるのかな。

  • 素敵なお話でした。

    内容は結構ディープなところがたくさんあるのに、主人公の二人の会話がなんとも軽快で温かく
    明るいので楽しくあっという間に読み終えました。

    人は、いろいろ辛いことやどうやって乗り越えたらいいんだろうと途方に暮れる出来事に何度か
    出くわします。
    そういう時に、誰か一緒にいてくれたり、
    話を聞いてくれたり安心して自分をだしても受け止めてくれる人がいると、なんとか乗り越えて
    一歩一歩前に進めるのかもしれません。
    人生が思い描いた通りにならなくても
    またそこから新しい道を探しながら歩いていくのも人生の醍醐味であるといえるのかもしれません。

  • 瀬尾まいこ作品3作目

    この作品もさらっと読みやすく、軽い語り口で進むのだけど…内容は重い。
    不思議ですね瀬尾作品(*_*)

    なんでしょうか?読み終えた時に癒されてる…


  • はじめは、小春は出会ったことないタイプと思ってましたが、実は身近にいたかも知れない錯覚を起こしてしまう不思議な女の子でした。

  • 主人公ってすごく素敵な人だなあと思った。目の前のことに正面から向き合って、きちんと言葉で伝えて。上村が「私は目の前の状況にちゃんと対応してる葉山君が好きなんだ」という台詞、とても納得した。

    好きな人のことならどんなことだって知りたいし、あまり人に見せないような部分を見せてくれたら安心するというのはすごく分かるから、おばちゃんたちがあっけらかんと笑い飛ばしてくれて自分までスッキリした。語らんのも愛情のうちやっていい言葉。

    自分は人間同士が何も言わずとも100%分かり合えるなんて不可能だと思っている。だからこそ黙って察しろではなくて、ある程度思いを言葉で伝えた方が上手くいくと思っている。でもお互いのことを何を考えてどう行動するのかだいたい想像できるってこの上ない愛情なのかなあと。そんな人には人生の中でそう出会うもんじゃないから、何にも代え難い存在だよなあと。

    そういう理解ってお互いの相性や分かろうとする努力も大事だし、月日をかけて自然と深まっていくところもあるのかなと思ったりもする。まだまだ以心伝心ではないけど、時間をかけながら大事にしたい。関係性に悩んでいる真最中だから、すごく刺さったし読んでよかった。

著者プロフィール

1974年大阪府生まれ。大谷女子大学文学部国文学科卒業。2001年『卵の緒』で「坊っちゃん文学賞大賞」を受賞。翌年、単行本『卵の緒』で作家デビューする。05年『幸福な食卓』で「吉川英治文学新人賞」、08年『戸村飯店 青春100連発』で「坪田譲治文学賞」、19年『そして、バトンは渡された』で「本屋大賞」を受賞する。その他著書に、『あと少し、もう少し』『春、戻る』『傑作はまだ』『夜明けのすべて』『その扉をたたく音』『夏の体温』等がある。

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