弱いつながり 検索ワードを探す旅 (幻冬舎文庫)

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  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (181ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344425019

感想・レビュー・書評

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  • 検索エンジンに支配され固定的な生き方をするよりも、偶発的な発見や出会いを求めて新しい旅の可能性を探ろう。利便性は便利で最適化されているように思いがちだが、型にはまりすぎてしまう恐れもあるので要注意。自分は旅行が割と好きな方だが、常にガイドブックとスマホの指示通りに旅していて、パッケージ化されていたなあと思わなくもない。むしろプラン通りいかなかったり、アクシデントがあったからこその発見・出会いがあると、むしろオリジナリティがあって、あとで振り返ってみると意外と楽しい思い出だったなあと思うことはよくある。

    • ともひでさん
      旅をキャリアに読み替えても違和感ないね。
      旅をキャリアに読み替えても違和感ないね。
      2022/06/19
  • 環境を変える!っていうのが目的になると、曖昧にはなるから見失う可能性は高いなとは思う。内発性が動機にある方が続けやすいと思うけれど、観光客として新しい空気をとりこむとか、日常から非日常への飛躍は大切で、そのための旅はすべきやなー。

  • 自分が今いるコミュニティから外に出てよその文化を体験するってことの重要性はとても共感。これは自分の視点として私自身も日頃から志向している。
    そこからさらに、よそ者がよそ様のコミュニティに無責任に首を突っ込んで当事者でもないのに好き勝手思ったことを発信すること は咎められがちだけどむしろ新たな解とか可能性を見出すヒントになりうるからOK という社会の視点は言われるまであまり考えたことがなかった。でも確かにそうだなと学びになった。

    この本を読んで、自分は視野を広げるとか自分自身のことしかなかなか考えていないけど、東さんは世の中の健全な有り様がなんなのかについても当事者意識?を持って考えられているんだなということが改めてしみじみ実感できて、さすがだな と思った。

    陳腐だけど、積極的に未知な領域に飛び込んで、よそ者であることから気後れするのではなくよそ者であるからこその気づきを堂々と述べていこうと思った。

  • 普段本をあまり読まないネット好きな人にこそ、是非おすすめしたい一冊。場を移しただけでは世界は広がらない(悪い意味で)。SNSはあくまでツール。

  • ・膝を打ちすぎて膝が壊れた。
    ・あずまんへは愛憎半ば。

  • 「観光客」であることを、惨めに思う必要はない。
    むしろ、「観光客でいること」に自覚的であるからこそ生み出せるモノがあるのではないか。
    そんなことを考えさせられた。東浩紀さんの本を読んだのは初めてだけど、言葉を扱う仕事をしている人が書くものは、私達が読んでもスッーと身体に入っていくものなんだなと感じた。
    今この時代にこの本と出会えて、本当に良かった。
    自分がなんでこの本を選んだのかはよく思い出せない。この本との出会いも偶然性によるものだったのかなと感じている。
    先行き不安とはよく言われるけど、そもそも未来が予測できる人なんていない。あした自分が、生きていることすらわからない。自分自身のことですら予測できないのだから、まわりのことなんて予測できっこない。だからこそ、今自分がここにいるということに、少しでも意識をむけられたら、けっこう幸せなんじゃないかと思う。だって、いまを意識できるってことはそれだけ余裕があるってことだから。
    東浩紀さん、ありがとう!

  • ・人間は環境の産物。環境を意図的に変えること。
    ・弱い絆はノイズに満ちたもの。ネットはノイズを排除しどんどん絆を強くする方向。弱いリアルは予測できない可能性を広げる。
    ・アウシュビッツ、言葉にできない体験。ネットにはそこに誰かがアップロードしようと思ったものし以外は転がっていない。
    ・旅先で新しい情報に出会う必要はない。出会うべきは新しい欲望。
    ・コピーを怖れない。世界は今急速に均質化している。しかし、そもそも人間は、みな同じ身体をしている。求めるものにそこまでバリエーションがあるわけでもない。一種の必然。
    ・ネットは体力勝負。
    ・無責任な観光客でいよう。狭いコミュニティの人間関係を大切にし過ぎない。
    ・偶然に身をゆだねる。そのことで、情報の固定化を乗り越える。
    ・旅で新しい検索ワードを手に入れる。
    東氏の倫理は、人生をつねに自由な方向に開いていけ、世界の偶然性に身を委ねて楽しめ、というタイプの倫理である。

  • 言葉→メタ化する、抽象化する×

    旅(リアル)→言葉では表象不可能なもの/科学的には言語化できない痛み(ホロコースト等)を空間として認識させ、自己の中に表象可能なものとして受け取らせる。(感情を操作する)◯

    検索エンジンに支配された固定的な人生から脱するためにも、自らの検索ワードを増やす→記号を旅するために現実を旅する

    「モノ」→弁証法的な記憶の書き換えに抵抗する。

    ————————————-
    ネット→強い絆を深める(身近な交友関係、興味関心を強固なものにする)△
    旅→「無責任な弱い繋がりを増やす。」◯
    →偶発性に頼り、計画性を棄てる人生
    ⇄移動は人類を滅亡させる

  • 訂正する力→ゲンロン戦記ときてこれを読んだ。時系列的に遡ってる感じ。ある意味、著者の考えの筋道とか一貫性とかが見通せる感じで、良い流れではなかったかと思う。次に読むのは近々くるはずの「訂正可能性の哲学」になる(その前にゲンロン15か?)と思うけど。本棚で「存在論的、郵便的」が待っているのではあるが。

  • 人生にノイズを入れる必要がある、と思わされた一冊。

    情報に溢れた社会の中では、それ自体が強い繋がりとなって自分を固定化してしまう。それに抗い、人生にノイズを入れること、弱いつながりをつくることで、その情報をもっと豊かにでき、一度きりの人生を豊かにできるのだ、と。
    深く入り込まなくてもいい、浅く、好奇心を持って、半村人であるような感覚でいればいいと説く。

    それだけではなく、東氏がいいたい哲学的、かつ本質的な部分は何度か読むことによって理解できていくのだろうと思う。

  • 読了

  • ちょー読みやすい。あえて自己啓発本風に書いたんだそう。
    ルソーの『社会契約論』、性の欲望の階級闘争性、旅先ではネットには接続すべきだが、人間関係は切断すべき!
    アウシュビッツに「ガス室はなかった」とのたまう歴史修正主義者を論駁するためには実際に遺構が存在して観に行くことができること、つまり「モノ」が大事。

  • 「テーマパーク化する地球」を先に読んでいたので、内容はやや重複気味。それでも東さんの批評は自然と体内に入ってきて、消化しやすくて、吸収した先でどことなく自世界が拡張したような感覚が得られるので、好き。

    以下、はじめにより一部抜粋
    > ぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予想されるパラメータの集合でしかない。
    (中略)
    しかしそれでも、多くの人は、たった一度の人生を、かけがえのないものとして生きたいと願っているはずです。環境から統計的に予測されるだけの人生なんてうんざりだと思っているはずです。ここにこそ人間を苦しめる大きな矛盾があります。
    (中略)
    その矛盾を乗り越えるー少なくとも、乗り越えたようなふりをするために有効な方法は、ただひとつ。環境を意図的に変えることです。環境を変え、考えること、思いつくこと、欲望することそのものが変わる可能性に賭けること。自分が置かれた環境を、自分の意志で壊し、変えていくこと。自分と環境の一致を自ら壊していくこと。環境が求める自分のすがたに、定期的にノイズを忍び込ませること。
    (中略)
    ネットにはノイズがない。だからリアルでノイズを入れる。弱いリアルがあって、はじめてネットの強さを活かせるのです。

  • 「旅」から、「観光客」としての視線で「人生」を考えてみる。

    東さんをTwitterでフォローしているので、いつも誰かに絡めれている面倒くさそうな人だなと、敬して遠ざけていた感があるが、今回Kindleの中に埋もれていたものを読むことにした。読んで正解でした。

    日本人は強いつながりに拘泥しすぎているとして、「村人」としてのつながりから去って、「観光客」としての、あえて言うと「無責任さ」を積極的に受け入れようとしている。「旅」が日常から身体を引き剥がし、そこで喚起される検索への欲望こそが、風通しのよい人生に向けてのステップであるとされている。

    著者は、ネットとは従前の関係を強化する作用を持っているとしている。それは、その人の持っている「検索ワード」郡が持っている傾向に合わせて検索結果が予測されてしまうので、その「見たいもの」しか目の前には現れないことに起因しているとする。

    そうした関係性の強化から遠ざかるために、著者は「旅」を勧めている。身体を移動させ、偶然の要素を取り入れることで、何を検索したいとするかについての「欲望」を更新させることが重要としている。

    私が関心をひかれたのは、「憐れみ」「弱さ」「偶然」などを「つながり」のキイワードとしている点である。そこで参照されているのがルソーなのであるが、「人間は本来は孤立して生きるべきなのに、他人の苦しみをまえにすると「憐れみ」を抱いてしまう(略)、つまり彼(=ルソー。引用者による)は、社会契約の根拠は合理的な判断にではなく、むしろ動物的な(略)、きわめて日常的な感覚」が、「目のまえの不正義に対応する」と述べている。言葉による「正しさ」の追求は、無限の定義のゲームを呼びこむのに対して、その素朴で力強い点を強調しているのである。

    ネットに接続できる環境を持ったまま旅に出ることで、日常的な検索することへの欲望を更新し、計画や予測の硬さよりも、むしろ偶然な出来事によって開かれる可能性を積極的に評価することで、新しい人生の局面が開けるとする、著者も言っていることではあるが「人生論」として書かれている書物であった。

  • 旅に出たくなる。



  • 読んで良かった!

    確かに、ネットだけでは、自分の興味のあることばかり検索してしまいます。

    まずは、色々なことに興味を持つ欲望を持てることが大切。そのためには実際のモノに触れる。実際のモノに会うために、観光は丁度良い。

    今まで観光って、古臭いものかもと思っていたが、結構いいものなんですね。

    いつもと違う検索ワードで検索するということは、今までの自分を超えていくことなのかも。
    でも、観光なら自分にもできるかもと嬉しくなりました。

    今は、コロナで遠出できませんが、いつも観光気分を忘れないようにしたいですね。

  • 筆者が伝えたいであろうことを、これほど!と言うくらいに噛み砕いて説明している。ゆえに読みやすく分かりやすい。

  • 弱いつながりとは、互いに既知の仲ではない偶然会ったような人との関係。それが未知の可能性を与えてくれる。ネット社会においては、SNSやレコメンド等の強いつながりがより強くなるだけなので、むしろ実際に身体を移動することで、検索ワードが変わる、という逆説的な観光客の哲学。
    『ゲンロン0観光客の哲学』を、自己啓発・ビジネス書風にした著作。ボリュームも少なくさっと読める。
    自分探しをしたいなら、本も旅も必要ない。親や町や母校や友人を観察すればいい。人間は環境の産物。自分を変えるためには、環境を変えるしかない。確率がもっとも高い環境に身を置くこと。
    「かけがえのない個人」は存在しない。考え、思いつき、欲望は環境から予測可能。あなたは環境から予想されるパラメータの集合でしかない。「自分が求めること」と「環境から自分が求められると予測されること」が一致するときストレスなく平和に生きられる。
    環境に予測される人生なんてうんざりだと思うなら、その一致を自ら壊し、定期的にノイズを忍び込ませる。
    あなたを深める近い知人「強い絆」は予測可能なことしか教えられないが、浅い関係「弱い絆」であれば知らないがゆえに未知の可能性がある。
    ネットのつながりはノイズを排除し、強い絆をどんどん強くするメディア。ネットでは自分が見たいと思っているものしか見ることができない。
    身体がどういう環境にあるかで、検索する言葉は変わる。移動時間で思考を深める。出会うべきは新しい欲望。
    言葉はズレるが、モノは歴史を残す。歴史認識は共有できないという認識を共有すべき。国民や国家ではなく、個人と個人としてわかりあえることを優先すべき。
    1980年代アメリカの多重人格障害の幼少期の虐待証言、カラマーゾフの兄弟のイワンの今ここの苦しみによる最後の審判批判。こうした記憶の書き換えに抵抗するためにモノを残す。
    20世紀哲学は記号や言語を重視したが、21世紀は物理的な実在を-存在論的ではなく実践的な意味において-重視すべき。
    ルソーは、人間は孤立して生きるべきだが、憐みにより社会を作ってしまうという。同様に性欲は階級を超える。
    人間はみな同じ身体、インフラが効率化・グローバル化していくのは自然。均質化を利用して憐みのネットワークを張りめぐらせるべき。
    批評家の感性は量的な訓練でこそ培われる。しかし人生のリソースには限りがある。
    「新しい検索ワードを探せ」=「統計的な最適とか考えないで偶然に身を曝せ」というメッセージ。
    最適化する計画性より無責任な柔軟性。旅で必要なのは、看板が読める程度の語学力とデータローミングのネット接続、日本の人間関係の切断。ソーシャルネット時代に自由であるために、大切な心得。
    哲学は、答えを追い求める日常から少しだけ自由にしてくれる。観光の旅がそうであるように。
    いま正義とされている当事者間の論争は、排外主義にもつながるため、ものごとの解決には観光客のような第三者の理念が必要だ。

  • とてもわかり易い。
    普段の生活ではついつい相対化して人間(自分含めて)の愚かさに絶望してしまいがちだけど、この本を読んで多少元気になった。
    多少というのは、読んだことですぐにでも旅行に行きたくなったが、行くにしても新型コロナのため気を使うことが多く腰が重くなる…。

    すぐに行けないにしても、書かれている内容に元気づけられた。
    日々なんだかクサクサするのは、所詮頭で考えた予測可能で(記号)効率的なことばかりだから。予測/制御できない身体や偶然(非記号)や非効率的なことに身をまかせることで、日常ではたどり着けない記号に出会え新しい欲望が生まれる。

    体力勝負と消耗戦のくだりも膝うち度高。ほんとそういう場面を減らしていきたい。

    バンコクのターミナル21も行ってみたい。

    解説も愛に触れつつ語られていて熱かった。新しい「カゾク」について自分でも考えていきたい。

  • 「私は批判が起きる事を良しとして書いていますよ」と批判が起きることを狙っていると先に示してから持論を展開することで、まずは全ての読者に持論に耳を傾けてもらう、という表現スタイルが巧妙だと感じた。そのうえで、
    ・チェルノブイリ観光地化計画
    ・裕福なYOU TUBER達が中流の暮らしを演じていること
    ・観光客として観光地化された場所を巡ること
    などについて述べられている。
    心に残ったのは106ページ113ページ。社会である前に個人対個人の間にある弱い絆が必然であることをルソーを引き合いに出しながら説いている箇所が印象に残った。

  • あとがきがすごくいい。

    当事者至上主義のような雰囲気、やっぱりおかしいよなと感じた。

  • 東浩紀(1971年~)氏は、東大教養学部卒の、批評家、哲学者、小説家。
    1999年に発表したデビュー作『存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて』は、浅田彰氏が「自著『構造と力』が過去のものとなった」と評して脚光を浴び、哲学書としては異例のベストセラーとなった。
    領域横断的な「知のプラットフォーム」の構築を目指して2010年に創業した(株)ゲンロンでは、批評誌『ゲンロン』や書籍の出版のほか、カフェイベントの主催やアート・カルチャースクールの運営なども行っている。
    本書は、2014年に出版され、2016年に文庫化された。
    本書の「はじめに」には次のように書かれている。「ぼくたちは環境に規定されています。「かけがえのない個人」などというものは存在しません。ぼくたちが考えること、思いつくこと、欲望することは、たいてい環境から予測可能なことでしかない。あなたは、あなたの環境から予測されるパラメータの集合でしかない。・・・しかしそれでも、多くのひとは、たったいちどの人生を、かけがえのないものとして生きたいと願っているはずです。・・・ここにこそ、人間を苦しめる大きな矛盾があります。・・・その矛盾を乗り越える・・・有効な方法は、ただひとつ。・・・環境を意図的に変えることです。」
    著者は、グーグル等のカスタマイズ検索の進化により、我々はネットによっては他者の規定した世界でしかものを考えられなくなっており、その統制から逃れるためにグーグルが予測できない言葉で検索すること、即ち自分の環境を意図的に変えて、自分に定期的にノイズを入れることにより、グーグルが与えた検索ワードを意図的に裏切ることが必要だと言う。そして、それは、自分を深めていく「強い絆」のほかに、自分の人生をかけがえのないものにするために「弱い絆」を取り入れていくことであり、そのためには、偶然の出会いを見つけるために身体の移動、旅が必要だと語っているのだ。
    本書が発表されてから僅か5年ほどであるが、近年の(個人)情報のビッグデータ化は目覚ましく、我々はあらゆる言動をGAFA等に(中国などでは“当局に”)把握され、知らず知らずのうちに、思考や行動を監視され、更には誘導さえされている。これは究極的には、オルダス・ハクスリーのディストピア小説の古典『すばらしき新世界』(1932年)が暗示する世界に向かっているともいえる。そうした人間性の否定・喪失を避けるためにも、著者が提唱するような「環境を意図的に変え、ノイズを入れる」という視点は今後一層重要になってくるものと思う。
    ただ、他方で思うのは、「弱い絆」を取り入れるために「強い絆」を否定してしまうことへの違和感である。本書の帯には「人間関係を大切にするな!友人に囚われるな!」とも書かれているのだが、その方向性は本当に「かけがえのない人生」につながるのか。。。
    と考えると、望ましい姿はおそらく、「強い絆」と「弱い絆」のバランスをとった中間にあるということなのだろう。
    ITの進歩した今の時代だからこそ、「弱い絆=弱いつながり」を指向する重要性に気付かせてくれる一冊である。
    (2014年8月了)

  • 読む前と読んだ後でものの見方ガラッと変わるような内容だった。
    膨大な情報にいつでもアクセスできるって思い込んでいたけど、検索ワードは自分が選んだものだし、だからバイアスがかかった都合の良い情報にしかアクセスできていないってこの本読まなきゃ気づかなかった。
    SNSが促進する村のような強いつながりが、強固になる程見える世界は狭く届く情報は限定されていくし、だからこそ多様な検索ワードを得るために偶然性による弱いつながりを疎かにしないことが大切。
    当事者として盲目に被害者の声を上げることも、専門家として見下ろすような議論を交わすことも避けたいからと言ってそこに距離を取るのではなく、ただ観光客の目でそこにあることを知る、考える、第3の態度を得ることができた気がする。
    旅行に行きたくなった!堂々と観光するって言える。

  • よみやすすぎてすごい。その昔、読了≠読解するのに何か月も要した『存在論的、郵便的』の読書体験とは明らかに違う。そう言えば当時の己は、本自体から何か“答え”を得ようと頭をフル回転させながら、頁を行きつ戻りつしていたのだった。そういういみでは、ここに“こたえ”はなく、己がかわるきっかけをもらえた(かもしれない)きぶんである。

  • 読みやすくてさらさらーっと読んじゃったからあまり残らなかったな。
    でも解説は何言ってんだかわかんなくて読めなかったのですごいわかりやすく書いてくれたんだなーって。
    福島原発の観光地化の話はいいなって思ったんだけど、今もすすんでるのかな?それを検索しろよってことなんだろうけどなんか嫌なものも見ちゃう気がして気が引けるな。
    うまくいくといいね。

  • 何よりも読みやすかった。インターネットの今まで気付きもしなかった特色に目から鱗というか、妙に納得。気軽に読み終える厚さで、哲学過ぎるわけでもなく、しかし考え込む素材が散らばっているような。手に取りやすい本だと思う。

  • 思想家・東浩紀氏が旅についてとインターネットの検索ワードについての思索を交差させて書いたエッセイです。ネット社会と呼ばれる現代において検索ワードを考えて情報を得ることが自らの世界観を構築するうえで重要な要因といえます。しかし、普段と変わらぬ日常に身を置いていると検索ワードは凡庸になりがちです。そこで旅をして自身を普段と異なる環境を置くことで新たな着想を得、今までになかった世界観を見出すことができるとしています。また、言葉によって世界観は支配されていますが、現物を見聞きして得られるものは言葉以上のちからがあり、言葉重視からモノ重視へとシフトすべきという持論を展開しています。平易な文章で読みやすかったです。

  • 「観光客」でいいんだと書かれていて、私のモヤモヤが晴れ、腑に落ちた。あとキーワードとしては「憐み」。
    議論がいろいろな方面に向いているので、ブクログの感想欄も、人によってさまざまな切り取り方がされていて印象的。

  • 「統計的な最適を考えるのではなく、偶然に身を曝せ」

    ネットの評価経済社会が強いるどぶ板選挙のような体力勝負の消耗戦に身を賭すのではなく、環境を変えインプットを変えることによってアウトプットが変わる可能性に賭けよ。

    消耗戦の中からは本当に新しいコンテンツ、本当に素晴らしいコンテンツは出てこない。そこから離れ、ゆるやかに流れる時間のなかに身を置くために、旅が必要なのだ。

    入門書として書いてある通り、非常に読みやすく示唆に富む内容であったし、これからの生き方を変えるほどの影響を受けた。まだまだ噛み砕くのに時間はかかりそうだが、また読み返したい。最後に仮に賭けに失敗してしまってもあずまんはこう曰く、

    しかし、人生において「失敗」とはなんでしょう。事業の失敗、投資の失敗、結婚の失敗とういう個別例はあると思います。けれどもその失敗はつぎの局面の出発点になるかもしれない。人生そのものには失敗なんてないのです。だってその成否を測る基準はどこにもないのですから。観光ガイドを見て計画を立てるのはよし。けれど実際には計画は無視し、どんどんコースは変更しましょう!そのほうが旅=人生は楽しくなります。

    勇気をもらえた。

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著者プロフィール

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』など。

「2023年 『ゲンロン15』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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