新・UFO入門: 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか (幻冬舎新書 か 3-1)
- 幻冬舎 (2007年5月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344980358
作品紹介・あらすじ
黒服の宇宙人に「家族を愛しているなら、見たことを誰にも話すな」と脅迫されたモーリー島事件(アメリカ)や、金星人に核兵器開発を注意されたアダムスキー事件(同)、金髪美女の宇宙人とセックスさせられたアントニオ青年事件(ブラジル)、自宅に天文台を造り円盤観測をしていた三島由紀夫(日本)…。UFOや宇宙人の奇妙な目撃談の数々は人々を魅了してやまない。コンタクティ(宇宙人と出会った人物)の体験談をもとに各国のUFO観から歴史、最新事情までをひもとく画期的な一冊。
感想・レビュー・書評
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基礎知識に寄って本から得られるものは左右される
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UFO現象について、社会的な視点で評価しています。「と学会」の方ですので、そっち方面の内容ではありません。過去のUFO騒動をその社会的背景から考察され、当時の雰囲気が十分理解できます。本文にもありますがCBA騒動等、後のオウム事件と同種の雰囲気を持ち、繰り返されるものだと感じました。
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UFOに関する昔の本を色々読んで面白おかしく紹介。
中でも今では黒歴史となって抹殺された「CBA」関係の事件を掘り起こしているのが面白かった。
読書好きはこんな風に読書で得た知識を役に立てなくてはいけません。
本書のように面白おかしく紹介するとエンタメ・都市伝説ジャンルの本となり、
学究的に紹介すると学術論文となります。
唐沢俊一は読書好きが目指すべき一つのロールモデルではないか……と思いながら本書の口コミを検索すると……?
何と盗作疑惑が持ち上がっていました。
何で知らなかったのだろうと思えば、本書は2007年発行。
当時はまだネットが普及する前で、当然私もネットにつながる手段を持っていなかった。
私も唐沢俊一と関心が重なる部分が多いので今までも接点がありそうだったのに、意外となかった。
というのは、中3時代に発症したうつ病が悪化の進展を辿り好きな本を読むことすらできない精神状態に追い込まれたから。
その上唐沢俊一と考え方が違うのではっきり言って嫌いでした。
唐沢はいわゆるトンデモ本を馬鹿にして飯のタネにしていますが、私は馬鹿にする気にはなれないこと。
そして政治的な考え方が完全に相容れなかった。
(趣味の分野で関心が重なるけど政治的に相容れない先人が多い。原田実なんかは特に)
まあ私もようやく本書のような本も読めるくらいに精神状態が良くなってきました。
遅きに失した感もありますが、これから少しづつペースを上げながら読んでいきたいと思います。
https://sfkid.seesaa.net/article/478414819.html -
どういう人がUFOを見るのか、という考察は興味深かったです。
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レミングの話が嘘だったとは。
UFOの話がウソである以上に悲しい。 -
おばけ 妖怪を巡る人の闇に生まれた都市伝説の発生 終わりを知っていたので同じ要領で納得。
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UFOという口承文芸をめぐる文化史。UFO問題の本質は,UFOが来てるか否かってことよりも,UFOビリーバーのクズ言説がなぜ人を惹きつけるかということ。
UFOの歴史は浅い。1947年6月に起きた最初の目撃事件,ケネス・アーノルド事件はUFOマニアくらいにしか知られていないのに,翌月のロズウェル事件は人口に膾炙している。なぜ?それは,米陸軍が墜落したUFOから宇宙人を回収したというショッキングな事件だったから。
他にも宇宙人に連れ去られたとか,宇宙人とセックスしたとか,奇想天外な話がUFO業界では好まれて広まってきた。特にブラジルでそういう話が枚挙にいとまがないとは寡聞にして知らなかった。さすがラテン系。とんでもない話が好きなのかな。
とはいえ日本でも結構な人々がUFOを結構真に受けていたそうだ。三島由紀夫とか。『美しい星』の火星人,土星人,木星人,水星人は「太陽系のすべての惑星には宇宙人が住んでいる」というアダムスキーの思想を反映してる。それを知らない文学評論家は勝手なことを言ってると不評だったらしい。ちなみに三島由紀夫はUFOを呼ぶ観測会とかにも顔を出したりしてたとか。
アダムスキーっていうのは,宇宙人にUFOに乗せてもらって金星とか行ってきた人。いわゆるコンタクティで,未だに信奉者がいっぱいいるらしい。あの典型的なUFOの円盤の形状も彼が言い始めたそうだ。 アダムスキー型とか言うそうだ。 -
UFOって絶対に存在してうんぬん…という本ではなかったような気がします。いろいろなUFOにまつわる事件を客観的に紹介する本だったでしょうか。
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UFO問題についてもう一度洗いざらい整理して、その本質に迫っていこうという本。幻冬舎からのGS新書で出ている。
実のところ、UFO問題はマスコミの力と人の信心に帰着する。「日本人は、なぜUFOを見なくなったのか?」それは、「テレビでUFO特番をやらなくなったから」というなんとも腑抜けしてしまう答えである。
日本やアメリカではUFOや宇宙人目撃情報が減っている反面、中南米、ロシアでは増えている。しかもブラジルでのUFO関連事件はひじょうにインパクトの大きいものが多い。けれども、世界的に重要視されないのは、そもそも発展途上国の事件など信じるに値しないというおもにアメリカ人の価値観によるところが大きい。要は、明らかな捏造も含めて、虚言・妄想・幻覚の類いがほとんどすべてなのである。
そもそもUFOが巷に話題になる発端となったのは、1947年にケネス・アーノルドが飛行中にUFOの編隊に出くわした、という報告からである。UFOという言葉が定着する1970年代以前は、「空飛ぶ円盤」と呼んでいたことは多くの人が知るところである。
しかし、アーノルドの報告によれば、「飛行機にしては尾部がない」「受け皿かレコードを半分のところでぶつ切りにした形」「凸の形に盛り上がったパイ皿を半分に切った形」と表現している。どうやら半円形のようである。そして、その独特の飛び方を、「丸い皿を放り投げ、水切りしたような飛び方」と表現している。この例えがマスコミによって、「丸い皿の形をしている」と誤って伝えられたことから、「空飛ぶ円盤」が定着したのである。アーノルドが見た物の正体は、おそらく鳥の群れだったのだろう。
その後、テレビや映画で空飛ぶ円盤が登場するにしたがって、円盤の目撃例は増えていく。
日本でもCBAというUFOカルト団体があった。アダムスキーの信奉者によって主催されたUFO研究団体であるが、後にカルト的な性格をあらわにしていく。こうした日本のUFO研究事情についてはかなり詳しく記されている。1960年代には空飛ぶ円盤は先進的な未来文明を示すものであって、三島由紀夫をはじめとして当時の先鋭的な知識人は、まじめに興味の対象としていたのだ。
超能力についてもそうだったが、UFOと宇宙人についても、手を変え品を変え、マスコミは共同幻想を創り出していく。そして、それはある種の人々の求めるものであることにちがいはない。発展途上国ではこの種の捏造がこれからも続くだろう。あからさまな捏造を既に知ってしまった先進国の人々の幻想はこれからどこへ行くのだろうか? いや、きっと手を変え品を変え、人類が憧れと畏怖の眼差しをもって大空を眺め続けるかぎり、UFOはなくなったりしないのだろう。