思春期ポストモダン: 成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書 さ 4-1)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344980594

作品紹介・あらすじ

メール依存、自傷、解離、ひきこもり…「非社会化=未成熟」で特徴づけられる現代の若者問題。しかし、これらを社会のせい、個人のせいと白黒つけることには何の意味もない。彼らが直面する危機は、個人の未熟さを許容する近代成熟社会と、そこで大人になることを強いられる個人との「関係」がもたらす病理だからだ。「社会参加」を前に立ちすくみ、確信的に絶望する若者たちに、大人はどんな成熟のモデルを示すべきなのか?豊富な臨床経験と深い洞察から問う、若者問題への処方箋。

感想・レビュー・書評

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  • 成熟した社会における未成熟の若者(34歳まで:年金受給資格のボーダー)を、構造的、関係論的に論ずる。「病因論的ドライブ」は著者も言うようにちょっと恥ずかしい。「成熟」の定義を曖昧にしながら持論を展開するのは...まあこれもありか、と。未成熟者に対して寛容な社会、というのも10数年経った今ではちょっと違和感...。

  • 携帯電話で繋がり、プリクラの枚数における繋がりの安心。その先には〈性欲〉があるっぽい。携帯を捨て、プリクラを破って別のことしたら? 当時のメンヘラや、精神病、ボーダーライン、精神分析、ひきこもりなどの話をしてるが、私はメンヘラでひきこもり…まだ”ココ”にいるんだ。

  • 「若者論」への懐疑から不登校・ひきこもりまで。なんだか情報が古いと思ったら2007年の本だった。著者の本は他に『キャラクター精神分析』を読んでわ、わからない……! となっただけなのだが(知性が足りない)、この『思春期ポストモダン』を読めば著者のスタンスは概ね把握できると思う。と、いうか、著者のスタンスはわかるけど客観的な事象はこの本ではあまりわからない。先に言ったとおり情報も古いし。

  • 成熟が不可能になった時代=ポストモダンという永遠に続く思春期=成熟前夜になって顕在化し始めたNet社会・DV・摂食障害・不登校・ひきこもりといった現象と、その至近距離に若者という存在。筆者によれば、不登校やひきこもりというのは、彼ら自身が何か本質的な問題を抱えているというよりも、社会との、あるいは家族との接続に原因がある、間主観的な問題なのである。言わば、病むのは脳でも精神でもない、人間関係である、と。一旦発生したそれらの接続ミスは、本人に過度なプレッシャーを与え、ますます追い詰めていくという悪循環を成る。それが「病因論的ドライブ」なのだ、と。
      ――2009/08/31

  • 自分の部屋で勉強していると思ったら、ずっとケータイをいじっていた、そんな中学生が増えている。定期テストの結果が大幅にダウンしたことで発覚、なんていうこともある。仲間はずれになるのがこわくて、一人でいることができず、周りに合わせようと、気をつかう子どもたちが増えている。ちょっとした人間関係のトラブルから、学校に行けなくなる子どもは、40人のクラスに1人や2人は必ずいる。著者は「ひきこもり」の第一人者。以前に同じ著者による「社会的ひきこもり」を読み、さらに「ひきこもり」から立ち直った青年の講演なども聞いた。内省的で、もう少し気楽に考えればいいのに、それができない人たち。正直に自分と向き合うから外に出られなくなる。そんな人が、特に日本で、増えている。本書を読めば、すぐに若者のことが分かるわけではない。ましてや、「ひきこもり」が一気に改善されるような処方箋が書かれているわけではない。それでも、「ひきこもり」や今の若者たちの置かれた状況がどういうものであるのかを理解しておくことは重要と思われる。私自身は、周りから見ると、とっくにオッサンの部類に入る。けれど、自分ではとてもじゃないけど、立派な大人という感じはなく、まだまだ未熟で、頼りないところだらけ。どんな風に大人になっていくのか、それを若者たちに示さないといけない。それなのに、まったく、自分が大人になりきれていない。これはどうしたものなのだろう・・・

  • 不登校やひきこもりといった、思春期を中心に若者に広がる心の病理の原因を、個人の心理か周囲の環境のどちらか一方に求めるのではなく、それらの「関係」のなかで生じる出来事としてとらえようとする著者の立場が示されている本です。

    著者は、こうした立場から、現代という時代においてどのような病理が生まれているのかを考察しています。とくに、個人の性質や能力に病理の原因を求める「心理主義」を批判しながら、そのような「心理主義」が求められる社会と、それに(過剰に)適応しようとすることで「病理」に陥っていく個人のありように迫っている箇所は、興味深く読みました。

    ただ、著者のスタンスが示されているだけで、やや具体性に欠ける印象もあります。もう少し著者自身が診たことのある事例や、社会の中で起きている問題にそくした議論を読みたかったという思いが残ります。

  • 2008-06-07

    「若者問題」はいつも,若者をなぜか客体化することから始まる.
    最近は成熟という事が不可能になってきていると著者はいう.

    たしかに,自分自身,大人になった自信はそんなにない.
    まあ,特に僕は子供っぽいところがあるとは思うけど.


    「若者がわからない」とかいうけど,「わからない」し「不安定」なのが若者なんだってことを受け入れる素地があるところが,
    精神分析とか精神病理関係の学問のすばらしいところ.

    健康が唯一の正しい定常状態でそれに向かうホメオスタシスだけで,生命の躍動を理解しようとする安直な科学,
    医学的価値観とは違う豊かさがあって好きだ.

  • マスグローブの「青年期は蒸気機関とともに発明された」というのは名言。社会の成熟度と個人の成熟度は反比例するのであれば、大人になれない大人が増え続けるのは当然だし避けられないのだろう。そこに社会的不利益や苦しみが生まれるのかもしれないが、それも考え方次第のような気はするし、不可避な状況を解決しようとする事自体ストレスで無駄なような。状況認識だけしておいて、もう諦めるのが肝心なのかもしれない。(機械労働からの解放の先に待っていたのは余暇やヒマではなく、さらに過酷な感情労働であったというのはパラドクスであり、問題をより複雑化しているような気もするが)
    「引きこもり系」と「自分探し系」の比較も興味深く、各々の危うさもわかりやすい。コミュ力が高い人間は自己が不安定であり孤独にも耐えられないというのは納得。そもそも、正常・正気とは何なのか?無根拠に選択された価値観や行動によって区別されただけで、所詮多数決なのかもしれない。
    「精神的健康とは自由さと安定性が高いレベルで一致」も素晴らしい定義だと思う。これを念頭に置きながら両者のバランスをとっていきたいところ。(が、自由と安定を求めて、かつ高次元で維持するって至難の業なのかもしれない)

  • タイトルと内容はちょっと違ったが、読むに値しないわけではない。関係の構造についてもうちょっと詳しく知りたいと思った。

  • こむずかしかった
    結局…?みたいな

    わたしの脳みそが足りないのかな。笑

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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