松田聖子と中森明菜 (幻冬舎新書 な 1-2)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344980631

感想・レビュー・書評

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  • 2021年12月7日読了。伝説のアイドル・山口百恵の後釜を狙うべく80年代にデビューした数多のアイドルの中で抜きん出た二人の女性歌手、松田聖子と中森明菜の活動・作品履歴とその戦略を追う本。「蒲池法子が扮する「松田聖子」が演じるアイドル『松田聖子』」」という虚構を積み重ねた構造が聖子自身と周りのスタッフたちに自由度と戦略を与えた、という指摘と、初期の作曲家小田裕一郎がデビュー間もない聖子に「インテリジェンスを感じた」と評した言葉が記憶に残る。中森明菜は本名で活動し、その結果楽曲の虚構に自分のパーソナリティ・生活に取り込まれてしまった、という指摘も印象的だが、明菜については書きにくそうだ…。著者の明菜びいきは十分に感じるが。この二人が歌謡曲の世界・日本の文化に対して及ぼした影響、についてはまだまだ十分に研究・評価されていないのかもしれないな。

  • 『1984年の歌謡曲』に続いてこちら。
    タイトルは『松田聖子と中森明菜』だけど、比率としては山口百恵3、松田聖子5、中森明菜2くらいな感じ。
    聖子が結婚する1985年くらいまでの話が中心で、明菜は1986年の『DESIRE』がピークだと思うけど、そこらへんの話はエピローグ的に語られている。
    
    山口百恵『ひと夏の経験』は名曲だけど、これを15歳の女の子に歌わせていたのは今から見るとほとんどセクハラ。山口百恵があっけらかんと歌っているので、エロさより挑発的なかっこよさになっているけど、本人がしっかりしてないとあっという間に大人たちの思惑に流されていくと思う。
    
    結論からいうと「松田聖子すげー」って話ですね。当時は「かわいいけど歌はヘタ」という印象だったけど、あらためて歌番組などの映像を確認してみると、生歌でこれだけ歌ってるのかとびっくりします。
    結構難しい歌もすらっと歌ってるので簡単そうにみえるけど、『白いパラソル』や『風立ちぬ』など、歌っているのが彼女でなければもっと地味な凡曲だったのでは。
    
    著者は松田聖子を高く評価しているらしいのに彼女の行動原理を「外見を重視し、中身はどうでもいい」と繰り返しているのは不思議。
    こうやって振り返ってみると、声という実力はもちろんだけど、むしろ「独特のインテリジェンス」こそが彼女を成功させたのだと思う。
    
    高校生男子と小学生女子ではとらえかたが違って当たり前ですが、結構著者と私の評価が異なる曲も多かったです。
    (『小麦色のマーメイド』の「裸足のマーメイド」に解説など野暮なだけ。女の子たちは「人魚なのに足があるなんておかしい」とは思わず、「彼女は人魚みたいな気分なんだ」と素直に理解したはず。)
    
    松田聖子の歌が家父長制を崩壊させていったというのも私からみると「えー」という感じ。聖子の歌が時代を変えたのではなく、時代の気分を読みとった彼女の歌が支持されただけ。むしろ松田聖子と松本隆、松任谷由実が恋愛至上主義という幻影を女の子たちに植えつけたのは「ユーミン最大の罪」だと思います。
    
    『1984年の歌謡曲』でも感じましたが、こうやって時系列で整理してみると、歌謡曲の変遷がちゃんと見えてきておもしろい。
    山口百恵『さよならの向う側』と松田聖子『青い珊瑚礁』が同時期にベストテン入りしているとか、松田聖子を松本隆がプロデュースすることではっぴいえんど的才能が集結していくとか。
    
    以下、引用。
    
    一九八〇年代の少なくとも前半において、日本人が最も多く「聴いた声」と「認識した日本語」は、ときの総理大臣の声でもなければ、人気作家のベストセラー小説でもなく、二人の歌だった。
    
    日本社会の核であった「家父長制的」でありながら同時に「母権的」でもあった「家」を崩壊させ、さらに社会と個人を分断させることが、松田聖子の歌に込められた思想だった。
    
    各学年で一人ずつ選ばれる、行事のたびにみんなの前で聖書を読む「女神」という役職に選ばれてもいる。
    
    ヒットの一番の要因は、作曲した小田裕一郎の歌い方にあったと分析する。「最初の頃は、小田さんから口伝えでレッスンを受け、それから歌っていましたから」と当時の状況を説明し、二曲目の《青い珊瑚礁》を例に出し、「〝あーっア、わたしっのオ こオいはアー〟という母音をしゃくりあげるような歌い方」は小田のくせだと指摘している。
    
    松田聖子によって、はっぴいえんどは再結集するのである。
    
    《風立ちぬ》で明らかになったように、松田聖子は最初期の売り物だった高音が出なくなっていた。
    
    松本隆はこの曲(《赤いスイートピー》)で、彼と松田聖子とが「同期した」と言う。これにより、松本隆、松田聖子、時代は三位一体となった、と。(CD「風街図鑑」解説)。
    
    松本は書くときに「かなり悩んだ。ためらったんだよ」と語る。松任谷由実ですら、できた詞を読んだとき、「この詞は歌うと、どうなるんだろう」と心配したくらいだった。
    しかし、松田聖子は、松本が言うには「無意識で歌って」きた。そして、あの、「バッカね」の歌唱が生まれた。誰も、不快さなど感じなかった。
    
    当時の松田聖子については「何曲か書きましたが、どんな曲を書いても歌っちゃうんです。一回歌うと、もう完成しているんですよ、ほとんど。すごい音感がよくて。だから天才かなあと思わせるところがあったんです」
    
    八一年十月二十一日のアルバム【風立ちぬ】では大滝詠一、鈴木茂、財津和夫が、八ニ年五月二十一日の【Pinapple】では来生たかお、原田真二が、八ニ年十一月十日の【Candy】では細野晴臣、南佳孝、大村雅朗が作曲陣に新たに加わっていた。
    
    杉真理作曲《ピーチ・シャーベット》、来生たかお作曲《マイアミ午前5時》、大村雅朗作曲《セイシェルの夕陽》、財津和夫作曲《小さなラブソング》、細野晴臣作曲《天国のキッス》でA面が終わり、甲斐祥弘作曲《ハートをRock》、財津和夫作曲《Bye-bye playboy》、甲斐祥弘作曲《赤い靴のバレリーナ》、松任谷由実作曲《秘密の花園》、上田知華作曲《メディテーション》で終わる。
    
    松田聖子という稀有なシンガーを媒介にして、日本音楽界の最先端にして頂点にある才能が、大衆と結びつこうとしていた。
    
    松本隆は「ミュージックマガジン」八四年五月号のインタビューで「去年(八三年のこと)はたまたま、ある種宗教的な世界、シュプリーム(至上)」が自分にとってのテーマだったので、「花園とか天国とか林檎とか……。そういうものは、性的であって、同時に聖なるものだと思う」と語っている。
    
    いまでもコンサートでは「ピュア、ピュア、リップス」は大合唱となる。もはやカネボウの口紅のことを思い出す人は少ないだろう。カネボウそのものも花王に買収されてしまった。商品は消え、会社は消えても、歌は残る。
    
    フジテレビの〈夜のヒットスタジオ〉はプロデューサーが郷と親しく、その番組内で婚約発表をさせようとしたほどだったので、破局会見以後、松田聖子はこの番組から出演依頼がこなくなった。
    
    
    
    
    
    
    
    
    

  • 松田聖子に関する記述がほとんど。しかし、視点は皮肉っぽい。

  • 今年、出版された「阿久悠と松本隆」読了後、久々に再読。二つの対立する存在をテーマに現在でも確認できる資料の中の記述を時系列に並べ、大きな時代の流れをデコンストラクションする著者独自のスタイルは10年前から生まれていたことを再確認しました。描かれているのは、消費文明が徹底された80年代社会。つまり「おいしい生活」の時代。その前史として「時代と寝た女」山口百恵が成し遂げたことを確認するところから構成されているので、正しい書名は「山口百恵と松田聖子と中森明菜」かも。しかし著者の思い入れが炸裂しているのは、間違いなく松田聖子。いや、松田聖子と松本隆のツープラトン。『ジャンルが違う分野での才能と、異なる個性を持つ二人が結びつくことで傑作を持続的に創造していった点において、「松本隆と松田聖子」の組み合わせに匹敵するものは、ある時期を境に一緒に仕事をしなくなることも含めて、「黒澤明と三船敏郎」しかないであろう。』とはなんたる賛辞か。全てにおいて「外見から入る」松田聖子と「物語を解体させ、イメージのみを提示し、歌詞から意味性を排除する」ことを志向する松本隆の出会いが、いかに創造的だったか、いや、いかに破壊的だったか、ふたりの革命家によって『社会は無意味なものになり、男女の関係すら意味を失っていった。「わたし」と「あなた」は、永遠に「わたし」と「あなた」のままで、「わたしたち」にはならない。』そんな80年代が作られたのです。『松田聖子は無自覚に、松本隆が確信犯的に破壊した、日本の旧来の男女関係、個人と社会のと関係は修復されることはなかった。』百恵が「時代と寝た女」なら聖子は「時代を犯した女」なのか?ならば明菜は「時代に犯された女」なのか?百恵と明菜のあまりにもウェットなことよ。聖子のあまりにドライなことよ。偶然ながら百恵と明菜の芸名が本名であることによるリアルと、法子が聖子を演じるというフィクションにその原因を見る、というのもなんか納得してしまいました。失われた30年の先を考える時、おじさんならではの80年代の再確認はとても価値あると思いました。

  • デビュー前の話などは面白かったし興味深く読んでいたがラストのほうは読むのが面倒になってきた。歌番組内での順位のことが延々と..

    ブックオフで購入

  • 松田聖子と中森明菜。
    いかにもライバルという題名が興味をそそる。
    本屋さんに目に止まって、中身もろくに見ないで、速攻で買った本です。
    家に帰って一気に読みましたが、これが面白い。

    確かに松田聖子は中学、高校、そして大学までずっと聞いていた。
    BEST ALBUM(CD)も持っている。
    自分がリアルタイムで聞いていたときは多感な青春時代まっただ中で
    あったため、とにかく一心不乱に聞いていたと思う。

    そこでこの本の登場である。
    実は松田聖子の4thシングルの「チェリーブラッサム」は当時、本人が好きでは無かったらしい。
    それはデビュー曲から3曲までと違ってリズムが複雑でノリやすくなかったでは無いかとのこと。
    そういうことがあったのかとその曲の持っていた背景を知って、さらに「チェリーブラッサム」の深さを思った。

    他にもALBUMの話やザベストテンなども出て来て面白い。
    そして明菜が登場するに及んで、聖子との戦いが繰り広げられる状況がこれまた面白い。

    確かに当時リアルタイムで聞いていたので、その状況は分からないでもないが、専門家によるきめ細かい分析を目のあたりにすると、そうだったのかと新たな発見もあり、また聖子を聞いて見ようなんて思ったりする。

    この本は題名通りでの内容であるが、どちらかと言えば、聖子に比重があり、またその当時の芸能界の状況に興味がある方にはお勧めである。

  • ザ・ベストテンのランキング推移と松本隆の歌詞の分析(というか深読み)が中心で、「商品」ではなく「人間」松田聖子に興味があると肩透かしかも。
    80年代邦楽市場遷移に興味あれば。結構的をついたジャスティスなことも多く言ってます。ただ、ちょっと主観に寄りすぎな感があるのでしっくりくるかは読者次第かと。
    松田:中森=8:2くらいなので中森に興味あるとこれまた肩透かしな予感。80年代アイドル楽曲が日本の音楽レベルを引き上げた説には激しく共感。

  • 山口百恵、松田聖子、中森明菜というアイドルの歴史を書き記しているだけ、期待していたような松田聖子と中森明菜の比較アイドル論ではなかった。
    私には特に夢中になったアイドルはいない。中学時代は高田みづえファンだということになっていたが、それも友人が榊原郁恵ファンだったので、「なら、おれは高田みづえ」って感じで心酔したわけじゃない。同世代は中森明菜だが、その頃はもうYMOとか聴いててアイドルは一歩引いて見てた。
    この本の前半、山口百恵の登場から松田聖子デビューに至るプロダクションの駆け引きなどの裏話は知らなかったことも多く、面白かった。
    しかし、後半は松田聖子と中森明菜の楽曲を読み解いたり、ザ・ベストテンの順位やレコードの売り上げを列記したりでつまらない。
    ところで、本文の中に歌詞の引用がこれでもかと出てくるがJASRACの表示がない。細切れに歌詞を引用すれば著作権料は発生しないのか?

  • [ 内容 ]
    アイドルを自覚して演じ、虚構の世界を謳歌する松田聖子。
    生身の人間として、唯一無二のアーティストとしてすべてをさらす中森明菜。
    相反する思想と戦略をもった二人の歌姫は、八〇年代消費社会で圧倒的な支持を得た。
    商業主義をシビアに貫くレコード会社や芸能プロ、辛気臭い日本歌謡界の転覆を謀る作詞家や作曲家…背後で蠢く野望と欲望をかいくぐり、二人はいかに生き延びたのか?
    歌番組の全盛時代を駆け抜けたアイドル歌手の、闘争と革命のドラマ。

    [ 目次 ]
    第1章 夜明け前―一九七二年‐七九年
    第2章 遅れてきたアイドル―一九八〇年
    第3章 忍び寄る真のライバル―一九八一年
    第4章 阻まれた独走―一九八二年
    第5章 激突―一九八三年
    第6章 前衛と孤独―一九八四年
    第7章 宴のあと―一九八五年

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 面白い。タイトルの二人だけでなく、その前の人たちとの関係、というか立場も含めて書かれていて、時代の流れを掴んだ上で二人を登場させている。

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著者プロフィール

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。「カメラジャーナル」「クラシックジャーナル」を創刊し、同誌のほか、ドイツ、アメリカ等の出版社と提携して音楽家や文学者の評伝や写真集などを編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、漫画などの分野で執筆活動を行っている。

「2019年 『阪神タイガース1985-2003』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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