日本の難点 (幻冬舎新書 み 3-1)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (286ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344981218

作品紹介・あらすじ

現代とは「社会の底が抜けた時代」である。相対主義の時代が終わり、すべての境界線があやふやで恣意的な時代となっている。そのデタラメさを自覚した上で、なぜ社会と現実へコミットメント(深い関わり)していかなければならないのか。本書は、最先端の人文知の成果を総動員して、生きていくのに必要な「評価の物差し」を指し示すべく、「現状→背景→処方箋」の3段ステップで完全解説した「宮台版・日本の論点」である。

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりに宮台節を味わいたくて再読しました。
    高校の時に出会って以来、著者からは良くも悪くも影響を受けましたが大学進学し以後自分の専門分野を研鑽していく中であらためて氏の著作に対して感じるのはこれらは宮台思想でありアカデミアの中で一般に受け入れられている訳ではないということと、意外?と適当な根拠で主張を構成している(そして賢い?のはそれを指摘されても言い逃れ出来るような論理を準備している。真の論点はそこではないみたいな)ことです。
    氏の主張をあまり真に受けると現実世界で痛い目を見ることがあるので特に若い方には気をつけて頂きたいなと実際に痛い目を見た自分は思いました。
    氏から学んだ大事なことの1つは、アカデミシャンがまるで学問的根拠があるかのような口振りで人間の生き方について論じ始めたら眉に唾をつけた方がいいよということです。

  • 私たちが抱えているものについてを時代ごとの事象と意味づけながら記述している。
    表題にもある通り「日本の難点」はそれが課題なのか問題点なのかを明示できない側面がある。複雑に絡み合うものを一つずつ解くことで私たちの社会がより透明になりうるだろう。これからどうあるべきかの思考ができる準備段階に入ることが重要なのかもしれない。その手段としては歴史の理解(把握)が必要だ。

    本章は
    人間関係、教育、幸福、アメリカのこと、日本のこと、の順で進んでいく。
    最終的には私たちの住む国がどうなっていくことで個々の幸福度が高まるのか
    にもっていく。

    教育のシステムと場所の喪失について私は面白く感じた。
    ゆとり教育、さとり教育と世代が区別されてしまうことで過去を生きた人はそれらに属する若者を冷淡な目でみることがある。それは単に人間性の問題ではなく教育指針による結果なのだから大人は考慮すべき、といつも思う。
    また団欒できる場所がなくなっている現代では深く語ったり何かを観て共有する時間が圧倒的に少なくなっている。ネット社会の問題点は文字。言葉だけが先行してしまい些細な一言を懐疑的に受けて人間不信になってしまうことは誰にでもありうる悩み

    私はこの現代社会を割と問題寄りに解釈するが、逆に今の社会が良いと感じることもある。オンライン化によってこれまでになかった関係性がうまれたり、長々やっていた授業が簡素化されて受け身の時間が減ったり。最近では低学年次から英語やプログラミングの導入を行い、よりグローバルな知見を広げる機会も増えたらしい。
    どちらが良い悪いと断定するのではなく時代と傾向を把握することで今後より良い社会を想像してみることが良いのかなー。
    知った上で結局は自分自身がどうするべきか。
    そう考える人の母数が増えることが未来の明るい日本を創りあげていくのではないでしょうか。

  • 読みながら再読しなくちゃ。と思った稀有な本でございました。

  • 現代の日本が直面しているさまざまな問題に対して、著者が解決の道筋をクリアに示した本です。

    著者には、一問一答式でさまざまな問題に回答を示した『これが答えだ!』(朝日文庫)という本もありますが、本書はそれよりももうすこし説明がくわしく、とくにパーソンズやルーマン、ギデンスといった社会学者たちの考えを現実の問題にあてはめる著者の「手つき」を見て学ぶことができるという意味で、おもしろく読むことができました。

    「生活世界」が自明視され、便利な「システム」を利用すると素朴に信じられていた時代が「モダン」(近代)であるとすれば、「システム」が生活世界の全域を覆ってしまい、社会の「底が抜けた」感覚がひろがるのが「ポストモダン」です。ポストモダンでは、人びとは共同体のくびきから解き放たれて、あらゆることが再帰的な自己決定の対象となります。正統化の危機に直面するポストモダンにおいても、社会がまわりつづけるためには「みんな」への「価値コミットメント」が必要です。そして、ミードとパーソンズに始まる現代社会学は、「如何にして「みんな」への「コミットメント」は可能か」という問いを追求してきたのだと著者は述べます。

    そのうえで著者は、ロマン主義的な「生活世界」への回帰を唱える「馬鹿保守」を批判し、「システム」の全域化というポストモダンの現状を認めたうえで、「生活世界」を再構築することに向けての再帰的なコミットメントの必要性を主張し、「社会の自立」と「社会的包摂」が急務だと論じています。

  • 社会学の知識がほとんどない自分にとっては、かなり読み応えがあり、とくに著者の主張については難解な内容も多い1冊でした。それでも何とか読み切れたのは、著者の考えのベースにある、「底の抜けた社会」を感じていたからかもしれません。

    自分にとって、依るべきコミュニティは存在しません。家庭も、地域も、家族も、会社も、ネット社会も、自分がなすべき役割を演じる場、つまりロールプレイの舞台でしかなく、「素の自分」を受け入れてくれるコミュニティにはなりえないといえます。
    結局どこに行ってもうわべの付き合いしかできていないし、それゆえに友達や師と仰ぐ人物に出会うこともありません。とはいえ、現代社会がうわべの付き合いしか許さない社会だと理解しているので、私はそこで生きていくしかないと割り切っています。
    実際には、うわべではない、心からの付き合いというのが、現代社会にも残っているのかもしれません。自分もそれを見つけられれば、本当の意味での友人や師を得ることができ、人間的にももう一段二段と成長できるのかもしれませんが、そうだと信じるにはまだ時間がかかりそうです。

    さて、この書籍は、米国でオバマ大統領が就任した直後、日本で民主党が政権を奪う前に書かれたものです。政治的な見解については、日本の民主党の政策に重なる部分があるのですが、著者がその後どのように考えているのか、興味を持ちました。これはもっと新しい著書に書かれているのだと思いますが。
    底の抜けた社会、自分の感覚ではコミュニティが存在しなくなった社会で、声の大きな人間が皿に声を張り上げるようになっています。社会の歯止めが利かなくなっているんですね。著者の宮台氏は、基本的にそのようなクレームを一切真に受けない、声の大きなものに決して迎合しないという態度を取っていますが、それだけ自分の発言に自信と責任を持っているのだろうと感じました。

    ただ、正しいというのとは違う。政治も社会も教育も同じですが、人の判断は「必ず」誤る、そして「判断しないこと」も判断だという立場にいます。だから誤ることを前提とした社会の構築が必要であり、現代の日本社会に決定的に欠けているのが、誤り前提の視点だということです。この考え方は自分の中にはなかったし、非常に印象深く受け取りました。
    社会自体が誤りを受け入れていないから、目の前の問題を解決すればよくなるか、それでダメなら社会全体をひっくり返すしかないと考えてしまい、結局何ら手が打てなくなる袋小路にはまっています。
    それをどうすればいいのか、自分にはわかりません。宮台氏も何かを伝えようとしているのですが、自分には難解で理解しきれませんでした。

    最後に、
    「周囲に『感染』を繰り広げる本当にスゴイやつは、なぜか必ず利他的です」。
    このフレーズは、すごくわかる。リーダー論でもあり、自分が師を見つけられない理由にもつながってくるのではないかと思うのです。

  • 「本当にスゴイ奴は利他的である」
    現代日本の様々な問題点を社会学の視点から考察する。
    思ったよりも読みやすかった。

  • 半分以上理解できてないと思われる。村社会システムが衰退、選択肢も増えて役割分担とか責任範囲の線引とかも恣意的にしか決められなくて、基準も不明確になる、何が正しいのかも曖昧になって、権力者も民意に流されるようになって、本質を踏み外した政策が蔓延して、それに気づいてないのは日本人だけで、やばいよとの分析。すごい能力と実行力のある人が中心になって活動して、まわりを巻き込んでいくのが有効。地域レベルのコミュニティ復活とセーフティネット整備が行政の役割ではないかという提言。みたいなことと理解した。課題は10年前から何も改善できてないということかな。ただ、個人名を挙げて、何も理解してない、馬鹿などと断定する著者の姿勢に、確証バイアスとか、思い込みも激しそうで、そのまま信じるのは危険だなという印象。自分が腹落ちできる部分を選んで参考にするのが良いかな。

  • 20130328読了。
    わかる人はわかってくれ、という印象で、内容はさておき、その姿勢に共感できない。
    肝心の内容だが『確かに確かに』とうなずきながら読めるところもあるが、『で、結局何が言いたい?』となることが多かった。簡単なことを小難しく表現しているので、正直分かり難い。
    2009年時点での問題はわかったけど、読み終えて自分の中に何も残らなかった。

  • 題名につられて入手したが、とても難しい本だった。「いじめ」を「尊厳」を回復不能なまでに傷つけることで以前と同じ生活を送れないようにしてしまうこと、と定義したり、米国大統領選が南北戦争における「分裂」と「再統合」の模擬演習だと言ったり。こういうところはまさに目からウロコ。結局日本は難点ばかりで少しも良くなっていく気配は無い。教育にしても、政治、各種制度にしてもそう。

  • 「部分的」「断片的」な読みしかできていないことを断りつつ書くなら、宮台真司が「スゴイ人」に「感染」することの重要性を説いていることを興味深く思う。ここまで堅牢に社会学内外の成果・精華を吸収しアウトプットできたのも、彼がニクラス・ルーマンや小室直樹といった「スゴイ人」に「感染」しえたからだろう。つまり、人の中に深遠さ・神秘を認めてその世界の不思議さにひれ伏し、同時に深くそのインパクトを受容して自分自身を積極的に組み替えていくことか。その果敢な冒険精神をあらためて尊敬し、毀誉褒貶あれどあなどれない人と認識した

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著者プロフィール

宮台真司:1959年宮城県生まれ。社会学者、映画評論家。東京都立大学教授。1993年からブルセラ、援助交際、オウム真理教などを論じる。著書に『まちづくりの哲学』(共著、2016年、ミネルヴァ書房)、『制服少女たちの選択』(1994年、講談社)、『終わりなき日常を生きろ』(1996年、筑摩書房)、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(2014年、幻冬舎)など。インターネット放送局ビデオニュース・ドットコムでは、神保哲生とともに「マル激トーク・オン・ディマンド」のホストを務めている。

「2024年 『ルポ 日本異界地図』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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