- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344981225
作品紹介・あらすじ
普段はしっかり者で思いやりのある人が、急に逆ギレする、わざと人を怒らせる、不可解な言動を繰り返す、それが境界性パーソナリティ障害だ。現代人に急速に増えているこれらの例は「性格」の問題でなく、れっきとした病。ある「きっかけ」で突然そういう「状態」になり、果ては場当たり的なセックスや万引き、自傷行為にまでエスカレートする。彼らの心の中では何が起きていて、何が問題なのか。理解しがたい精神の病を、わかりやすく解説。
感想・レビュー・書評
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境界性パーソナリティ障害は、性格に関係なく発症する。
ただ、原因は長い時間をかけて用意されている。きっかけは、たまたま最後のひと押しになっただけなのである。
診断基準は割愛するけど、つまりは以下のようなメカニズムで起こるらしい。
人は思春期を迎えるまでは親から与えられたものをそのまま鵜呑みにして、自分を形成する
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思春期頃から自己意識が育ってくるにつれ、今まで自分だと思っていたものが、実は親から押し付けられたお仕着せにすぎないことに気づく。
それに抗おうと、それを一旦葬り去り、自分の手で自分を作り直そうとする。
この時期に親に嫌悪感を抱くのはこういった心理状況が反映されるかららしい。
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しかし、そこで親に作られた自己の支配力が強すぎると、自己の形成がうまくいかず、不安定になってしまうのだ
✏何でも親がかりで、自分の力で努力して物事を達成するという経験が乏しい人では、本来の自尊心や自信が育まれておらず、心の底では自己否定感を抱いている
✏このタイプの人では、自己と他者との境目が曖昧で、十分に区別できていない。
自分が好きというものは、相手も気に入るに違いない、逆に、自分が嫌いなものは、相手も嫌うはずだと思う
✏自我が未分化で他者と混同しやすい傾向は、その人の中に他者が絶えず介入し、その安全や主体性を脅かしてきたことの名残でもある
✏自分の非を認めることには苦痛が伴う。そのため、それを強がりによって跳ね除けようとする反応が起こる。抑うつポジションを避けるために、強気な態度を取り、自分を守ろうとするメカニズムが「躁的防衛」である
✏境界性パーソナリティ障害の人では、うつになるのを防ごうと、しばしば躁的防衛が見られ、心にもない強気な態度や居丈高な態度を取ってしまう
その一方で、躁的防衛が破れると、急に弱気になり、すべてがだめだと思ってしまって、深く落ち込んでしまいやすい。
周囲の人は、躁的防衛の鎧を真に受けないことがポイントである
✏このケースで両親に共通するのは、とても常識的で、倫理的にもきちんとしているが、自分たちの視点からしか相手のことを考えられず、その子の視点に立って気持ちを汲むということができにくいからである詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
わたしは実は境界性パーソナリティー障害と診断されている。
鬱病と共にそう診断されたとき、妙に納得した。
わたしが生きづらいと感じていた理由がわかった気がした。
中学生の頃には既に、いつか自分は精神科に行くことになると感じていた。きっといつか心が悲鳴をあげる。
だから、なんだか肩の荷がおりたような、やっぱりかと気が抜けたような感じがした。
診断されるより以前に境界性パーソナリティー障害のことは他の統合失調症や鬱病と共に簡単に調べた。
それ以来きちんと調べたことがなかったが、ふと、そういえばちゃんとは知らないと思い本書を購入した。
境界性パーソナリティー障害は、性格上の問題や傾向で発症するのではなく、親からの愛情不足や逆に過保護などの満ち足りていない環境にいると誰もが発症しうるものとあった。
簡単に調べただけで記憶も曖昧だったため、今回読んで救われた気がした。
ずっと生きづらいのは、自分が悪いと責めていたから。
そういう思いから、妙に耐えることが多かった。今思い返すと、あそこまでされても怒らない、怒れない自分に、つい笑ってしまう程だ。
カウンセリングに効果がなく悪化させることもある。
これは、話しはじめることによって、心に納めてなんとかバランスを保っていた感情が爆発してしまうかららしい。
確かにそれはある。
わたしも感情が溢れ出して止まらなくなって、その後元通りに戻したり修復しようとして疲れた記憶がある。
自分のことって、意外とわかっていないことも多い。
寧ろ何がしかの病気や障害と診断されているほうが、気をつける点も把握出来るし、ある程度の対処の仕方を講じることもできる。
現代を生きるひとで、精神的に完全に良好なひとはきっとひとりもいない。みんな気づかないか気づかない振りをしているだけだ。
自分は精神的に健康だと思い込んでいるから、変に自分を責めたり、何でもひとのせいにしてしまう。
病気までは行かないけれど、こういう思考の傾向がある、こういう行動を取りがちだといった自分を知るひとつの手立てとして、こういった本を参考にしてみるのも良いかもしれない。自分はそうでなければ、周りにいるひとへの対応の仕方の参考にもなる。 -
この障害は病気というより、いくつかの症状を持つ症候群だ。その”原因”も実にさまざま。読んでみた印象だと、乳幼児期における環境の是非の影響が大きいこと。何らかの要因で親(あるいはそれに類する大人)が子供の存在を”否定”すると、子のパーソナリティに傷がつく。しかし(ここがこの症候群の難しいところの1つだが)はた目には愛情たっぷりに育てられているように見えても、この障害を発症するケースもある。
本書後半には『車輪の下』などの作品があるヘルマン・ヘッセの半生を例に、発症の状態から回復へいたる様子が参考として紹介されている。興味深いがでもこれとて、参考に過ぎない。ベースとなるもともとの性格も分析されていて、実いろいろなパターンがある。でも注意しなければならないのは、このパターンの人がみんな境界性パーソナリティ障害になるわけではないこと。ここに精神分析では解決しずらいところがある(本書でも取り上げられているが、精神分析でもある程度アプローチは試みられているようだ)。
障害を持っている人の周囲で困るのは、その人の感情の不安定さが1つある。その結果本人はその気がないのに周りは振り回されることになる。「見捨てられ感」から逃れるためになんとか周囲の気を引こうとするとか、逆に「裏切られた」と思い込み、急に逆上して暴力的になったり。
乳幼児にはまだ自己(パーソナリティ)が未熟だから、気に入らないことが起こると感情をそのまま爆発させる(泣く、ぐずるなど)。その時の親の対応がとても大事だ。適切に愛情を注ぐことで、子どもは安心して親から徐々に独立し自己を確立していく。結局、不安定さは自分の存在が不認証されて自己確立が未熟なまま大人になってしまったことが理由の1つという。自分の思考と他人の思考を混同してしまう(自分がこう思うから他人もそうだろう)という現代人に多くある傾向もそうしたことが要因かもしれない。
また、先に書いた”愛情たっぷり”も、実は親の考え方の押しつけがあるかもしれない。いままでの”自分の考え”は実は親の考え方だった……。このショッキングな発見が障害を発症するきっかけになることが多いという。
障害を持っていたある若者はこう語っていた「自分のことだけ考えて、自分のことだけできるということが、うれしかった」
著者もいうように現代の社会は「自己愛性」が強く、「非共感性」が増している。そんな社会のなかにあって「自分のことだけできる」経験がほぼ無かった(感じられなかった)人がいるというのは、驚くことと思うと共に、ある意味そうでないともいえる。境界性パーソナリティ障害に限らず、いろいろな精神的病には、自己確立が阻害されて起こっているものが多いと思う。
この障害はその、本来の自分を取り戻そうとする人の心の叫び、とでもいようか。岡田さんは「かつての自分を否定し、正反対の自分を打ち立てる段階を経て(略)両者を統合した新しい自分へと至る」のが自己確立の活動としているが、その”軋轢”ともいえる一種の苦しみが、傷害となって現れるのか。健全に成長しても、反抗期とかがあるように、存在を「不認証」された人はその苦しみが巨大化するのだ。
本書後半には、そうした障害を持つ人をいかに支えることができるかに焦点が向いている。そのなかで、生活そのものを整えることの重要性も指摘されている。つい精神的な問題は精神を整えることに集中しがちだが、仕事をして生活基盤を持つこともとても重要だ。仕事をすれば何かしら社会や人の役に立つ。ごく当たり前で仕事に慣れるといちいち考えないけど、収入を得て自分で生活ができると確かに精神的余裕も出てくる。普通の人でもそうなのだが、傷害を持っている人にもとても大事なことだ(この辺はヘッセのありようが参考にされている)。 -
境界性パーソナリティ障害の患者のみならず、周りの人がどう接するべきかについても詳しく書かれていたのが良かった。放っておく、関わらないことを推奨されるのではなく、共に生活して互いに幸せになる生き方が提示されていて、温かい本だと思った。
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境界性パーソナリティ障害について,読みやすい文章で,非常に分かりやすく説明されています.
“障害”という名前こそ付いているけれども,実際には,「過去に受けたトラウマや幼少期の親子関係が原因で身についてしまった,本人を苦しめる考え方の癖」という感じなのだろう,ということが分かりました.
本書では様々な具体例が取り上げられています.中には自分自身の経験と重なるようなものもありました.辛い気持ちになりつつも,今までの自分の苦しさに納得がいく思いがしました.
本書では,本人に対する周囲の人の接し方についても,細かく触れられています.また,もしその人が比較的冷静な状態であれば,苦しい本人自身も試してみようと思えそうな方法も,記載されていました.
良い本でした. -
「愛するがゆえに、その愛が裏切られたり拒否されたりすると、それが憎さに変わるという心理メカニズムは、誰にでも見られるものである。」
「深刻な愛情飢餓を抱えた人では、愛情や関心が少しでも脅かされることに敏感で、親しい間柄になるほど、二面性のある行動に出てしまいやすい」
自傷行為
「自分を罰し、痛めつけたから、もう少し生きていてもいい」
過食「食べるという行為は、母乳を貪り吸った乳児の時代においては単なる摂食行動ではなく、愛情と安心を与えられる行為でもあった。」
万引き 浪費「そうした直接的に愛情をもらう行為の代替行為として大きな位置を占めるようになるのが、物を与えられたり、買ってもらったりする行為である。」
「自分を愛してくれる親という存在を、しっかりと心の中に取り込むことのできた人は、自分の心を支える確かなものをもつことができる。」
自己愛の発達ライン 誇大自己 親のイマーゴ
密室化した家族
「かつては、祖父母や叔父叔母、近所の人などの立場の違う多様な人々が子どもたちを取り囲み、違った角度から相手になってくれていた状況と比べると、非常に単純化した。」
「その結果、社会的体験が質・量とともに貧弱になった。他人とともに過ごす機会が減るだけでなく、対人関係の質が、単純化された。その中で、つながりが異様に強まることになったのが、親と子の関係である。親子関係が濃密で、逃げ場のないものになった。」
過保護すぎる環境
・少子化による過保護な養育
・科学技術の進歩による環境の操作
・環境の方を自分に合わせるのが当たり前になる
・メールやネットで以前より気が短くなる。すぐに欲求を満たすことが習慣になると、ちょっと待つということが、ひどく苦痛になる。
強迫性パーソナリティ
依存性パーソナリティ
「アンビバレントな考えが湧き起こりがちである。いいことだけを強調すると、心の中に反対の考えが生じたり、期待が裏切られたりしたときに、反動が強く現れてしまいやすい。」
事実と推測を一緒くたにしてしまう
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決めつける言い回しを使わない
事実確認→理由、気持ちを聞く→推測→語らせる
「きっかけ」の方を問題だと思ってしまい、「本当の問題」にはなかなか目が向かないのである。
・きっかけになった出来事
・あなたは、それをどう受け止めたか
・あなたは、それにどう反応したか
・後で冷静になったとき、考えたこと
・その後、どうなったか
解離性健忘 スプリット 部分対象関連 妄想・分裂ポジション 投影性同一視 パラドキシカル パラタクシス的(並行的) 二分法 ダブルバインド
臨界期 アノミー 愛情剥奪 不認証体験 チアリーディング戦略 「聞く」テクニック映し返し セルフモニタリング効果 認知療法
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病因と病症とそれぞれについて丁寧にまとめられていて解かりやすい。ただ、それであっても両価的な態度を取られた時に受け止めきれるのか心配なのは、たぶん他書を読んでも変わらないのでしょうね...。
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私には情緒的すぎた。
■境界性パーソナリティ障害の増加の社会的な要因
①密室化した家族 ②再接近期(歩行ができるようになった幼児(1歳半〜3歳)の、母親との距離感の掴み方、ジレンマ(だっこ→おろせ→だっこ の繰り返し))の母親が忙しくなったこと→愛着障害 ③アノミー(無規範、無規則状態)化する社会と父親機能の不在 ④過保護すぎる環境 ⑤趣味や仕事を優先する親
■基本障害(9項目中5項目以上)
①見捨てられることへの強い不安 ②対人関係が両極端で不安定 ③めまぐるしく気分が変わる ④怒りや感情のブレーキがきかない ⑤自殺企図や自傷行為の繰返し ⑥事故を損なう行為に耽溺する ⑦空虚感 ⑧自分が何者なのかはっきりしない(生きることへの違和感、居場所のなさ) ⑨一時的に記憶が飛んだりする