芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか: 擬態するニッポンの小説 (幻冬舎新書 い 9-1)

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  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344981744

感想・レビュー・書評

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  • 買ってからしばらく放置していたけど、札幌で半分くらい読んで、そこから一気に読み終える。

    基本的に春樹について書かれているところ(芥川賞での実際の選評も、大江健三郎の春樹への評価の推移とかも)は面白かった。芥川賞の選考風景とか、賞をとりまく時代変化とかも。文中の加藤典洋の『アメリカの影』からの引用文とかも、久しぶりにこういった「批評」めいたことに触れたら、新鮮だった。

    坊ちゃんとメロスについては、ふ〜ん程度。

    P67 …日本文学の枠組みにアメリカを充填することにおいて村上春樹は、「アメリカに依存し模倣する日本と日本人」を、自分自身の姿と作品とで再現したことになる……という、何重にも模倣を重ねてしかしそのことで同時代の(ポップな)アメリカ的であるような、きわめて複雑で倒錯めいた試みが完成することになります。それはほとんど、〝アメリカン・ポップアートとしての日本〟を発見することであり、それを引き受けた日本人として、アメリカを「擬態」することでした。それは結局、無意識のうちにアメリカ的な日本、に対する批評的な作業をすることでもありました。

    P97 だから、とりあえずはこう言っておきましょう。芥川賞が村上春樹に与えられなかったのは、一義的には、村上春樹の携えるアメリカとの距離感が彼らにとって受け入れがたかったからであるけれど、つまるところそれは、彼らとアメリカ=父との関係の問題であり、村上春樹と「父」との距離の問題なのだ、と。
    もしも村上春樹が「父」を描くことができていたら、「父」になる姿を描けていたら、とっくにその賞は彼のものになっていたはずです。逆に言えば、それができなかった/しなかったところに、村上春樹の倫理があった、と言ってもいいでしょう。

  • タイトルになっている「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったのか」という問いのほか、「夏目漱石の『坊っちゃん』のヒロインは誰か」「多くの人が、太宰治の『走れメロス』に感動した記憶を持っているのはどうしてなのか」という問いを追いかけ、日本における「文学」のあり方を論じています。

    芥川賞の候補になった村上春樹の『風の歌を聴け』と『一九七三年のピンボール』は、「アメリカ的なもの」をキッチュかつフェイクな形で描いていると著者は指摘します。そして、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』のようにアメリカへの「屈辱」をモティーフにするのでもなく、また田中康夫の『なんとなく、クリスタル』のようにアメリカへの「依存」をぎりぎりの批評性とともに表明したのでもなく、「アメリカの影」にある私たちの「根っこ」をあけすけに描き出したことが、春樹に芥川賞が授賞されなかった理由だという見方が語られます。

    一方『坊っちゃん』については、老年の下女である清が、坊っちゃんのヒロインだという主張が展開されています。漱石は、文明の幕開けである明治の時代を生きた「近代小説」の「根っこ」に、それまで彼ら自身が属していた「江戸」の終焉という出来事があったということを、清を愛惜する『坊っちゃん』という物語の中で示していたのだと、著者は考えます。

    太宰治の『走れメロス』は、私たちのノスタルジーを喚起する「夕陽」という仕掛けが効果的に用いられています。そして著者は、「夕陽」を通じてノスタルジアに浸るという私たちの感情が、近代の中で作られてきたということを抉り出しています。

    こうして著者は、3つの問いを通じて、近代以降の日本文学の「根っこ」を掘り出すという作業をおこなっています。ただ、そうしたテーマ設定は興味深いと思いましたが、一冊の本として読むとき、すこしまとまりに欠ける印象を抱いてしまったのも事実です。

  • タイトルはつかみでした。近代日本文学の流れを紐解く内容でした。

  • タイトルは本屋・図書館で手に取らせる、買わせるための「つかみ」。本当に語りたいことは新書じゃ足りないけどメジャー出版社ではなかなか単行本にならないのかな。でも斎藤美奈子さんとかトヨザキ社長はバンバン出してるぞ。リーダビリティとつっこみ話芸のみで評価すると私に教養がないせいか採点が伸びないのでした。残念。

  • [ 内容 ]
    『1Q84』にもその名が登場する日本でもっとも有名な新人文学賞・芥川賞が、今や世界的作家となった村上春樹に授賞しなかったのはなぜなのか。
    一九七九年『風の歌を聴け』、八〇年『一九七三年のピンボール』で候補になったものの、その評価は「外国翻訳小説の読み過ぎ」など散々な有様。
    群像新人文学賞を春樹に与えた吉行淳之介も、芥川賞では「もう一作読まないと、心細い」と弱腰の姿勢を見せている。
    いったい選考会で何があったのか。
    そもそも芥川賞とは何なのか。
    気鋭の文芸評論家が描き出す日本の文学の内実と未来。

    [ 目次 ]
    「でかいこと」としての芥川賞
    『風の歌を聴け』がアメリカ的であるのはなぜ?
    「戦争花嫁」としての戦後ニッポン
    芥川賞と「父の喪失」とニッポンの小説
    そもそも芥川賞が「でかく」なった理由
    夕暮れのマジック
    メロスはなんで「走る」のか
    「明治」から考える
    社会の一部としての「小説」
    『坊っちゃん』のヒロインって?
    もういちど、芥川賞と「父の喪失」
    ニッポンの小説―おわりに

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