なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか 最強11神社―八幡・天神・稲荷・伊勢・出雲・春日・熊野・祗園・諏訪・白山・住吉の信仰系統 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344983274

作品紹介・あらすじ

日本全国の神社の数は約8万社。初詣、宮参り、七五三、合格祈願、神前結婚…と日本人の生活とは切っても切り離せない。また伊勢神宮や出雲大社など有名神社でなくとも、多くの旅程には神社めぐりが組み込まれている。かように私たちは神社が大好きだが、そこで祀られる多種多様な神々について意外なほど知らないばかりか、そもそもなぜ神社に特定の神が祀られているかも謎だ。数において上位の神社の中から11系統を選び出し、その祭神について個別に歴史と由緒、特徴、信仰の広がりを解説した画期的な書。

感想・レビュー・書評

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  • 「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」幻冬舎新書 2013年 島田裕巳さん。

    軽いタッチで書かれた読み易い本です。新書ですものね。
    宗教学者の島田裕巳さんの本は、寺社巡りが好きなので時折愉しく読ませて貰っています。これは、八幡神社とか、諏訪神社とか、そういう「どこにでもある身近な神社」がそれぞれどういう謂われがあるか、というのをまとめた読み物です。
    こういうの、電子書籍で持っておくと、どこでもいつでも読めるし検索も出来て便利です。

    細かい情報は備忘するにも煩雑すぎるので、ここに書きませんが。読み終えて、どの神社の歴史も、「伝説レベルの歴史」と「証拠が残っている歴史」とを突き合わせてみると、「仏教伝来と明治維新」というものに翻弄されているなあ、と思いました。

    神社はつまり神道です。神道っていうのは、まあ、宗教なんですが、「原始宗教」なんですね。つまり、むちゃくちゃです。適当です。
    「キリスト教」「イスラム教」などと比べると、なんて素敵にどうでもいいんです。同レベルに論じるのは、照れちゃいますね。マイルス・デイビスとか、小澤征爾と、「うちの中学校の音楽の先生は歌が上手い」とかを同列に並べるようなものです。メッシ、ロナウド、イブラヒモビッチを論じているのに、「うちの村のサッカークラブのエースも負けてない」とか言えませんよね。
    (善悪とか、だから素敵ではないというつもりは毛頭ないのです。好みはそれぞれだし。ただ、スケールが違うことは事実です。けれど、地元民としてはだから神社って面白い、と思います)

    奈良の大神神社がそうなんですが、つまりは「山」とか「河」とか「太陽」とかを拝んでただけなんですね。

    ただ問題は、この原始宗教を「権威」にして、権力が成立しちゃってたんです。古代天皇家、大和朝廷ですね。

    そこに、外国から「仏教」が入ってきます。
    これに、ヤマトの権力者たちは度胆を抜かれる訳です。
    と言っても、むつかしい教義とか学問に、ではありません。仏教は、建築とか仏像とか錬金とか、そういうビジュアルに触覚で誰にでも分かる超絶な技術と共にやってきたんですね。
    恐らく大和朝廷なり古代権力の中の多くの人々が、外国からの帰化人、あるいはその子孫だったんです。今風に例えて言うと、権力の中枢を握る人はほぼみんな、アメリカの大学で経営を学んでMBAだったりする訳です。
    そうなると、アメリカの流行、アメリカのモラル、価値観に一目置くのは当たり前。そして、アメリカから「いまどき、これが当たり前ですよ」って来たのが「仏教」。

    まずは仏像とか建築とかそういうレベルで度胆を抜かれるし。語ってみれば、仏教の世界観はなんだかすごい。
    ヤマトとしても、「やっぱり、うん、俺たちもそりゃ仏教だ」となるんです。
    そこで困っちゃうのが、でもこれまでは「山の神」とかなんとか原始宗教でやってきたんですね。ここと世界観が矛盾しちゃう。
    それで仕方ないから、「いや、俺たちの神様っていうのも、実は仏教の仏様の親戚だったわけよ」ということにしちゃうんです。これが、愉快なくらい笑えます。
    しかも、ここのところで論理的に突きつめて考えると、ぶっちゃけ「いやそりゃ、仏教の方が上ですよ。グローバルですから。うちはほら、仏教の日本支店が神道っていうかなんていうか...」という感じなんですね。かわいい。

    それからずーっと、神社っていうのは、お寺と喧嘩しないんですね。というか、日本では、神社とお寺は表裏一体、かならず同居してたみたいなものなんです。
    今でもかなりあちこちにありますけれど、大きな寺の中に小さな神社があったりします。逆も。

    という、実にめちゃくちゃで適当な時代が長かったんですが、明治維新が起こります。

    薩長などの力のある勢力が、「今のままの仕組みでは、日本は植民地になっちゃうぜ」という生理的な危機感から、徳川幕府を倒すんですが、このときに、「おみこし」として「天皇家」が担がれる訳です。
    そして、明治新政府が出来てから、「えっと、西欧風の国民国家っていうのはどういうふうに作ればいいんだっけ?」と頭を抱えます。
    このときに、「やっぱり天皇家っていうのをもっと権威付けしよう。すごく尊い感じに祀り上げて、これで国民全体を一体化させよう」ということになるんです。若い明治天皇自身がざっくばらんに参加して「天皇家のイメージとスタイル」について議論したそうです(笑)。
    そして、「天皇ってほら、神道だからさ、神道優遇しよう」ということになります。
    これが行政にブレイクダウンされていくときに、かなりヒステリックな「仏教は絶滅させろ!」という「赤狩り的な運動」に、数年の間なってしまうんです。

    このときに、寺と神社がくっついているような施設は、全国的に大幅な改訂を強いられます。更には、立派な寺が打ち壊されたり。
    (なんだけど、不徹底に終わったんですね。地域の現場の末端で、ヒステリックになりつつも、「いやあ、壊すのも勿体なかろう」「まあええんちゃうか」という妥協が多かったようです。このいい加減さ、すばらしいぞ、日本)

    というわけで、今残っている神社をちゃんと見て資料を漁っていくと。どの神社も、明治維新(廃仏毀釈)の段階で相当な変化を受けている、というのが判ります。もっと言うと、それ以前は何かしらか寺とべったりくっついていたことが多いんですね。
    更に伝説レベルの物語も、「もともとの地元チックな伝説」と、「仏教伝来以降に、割と強引に仏教由来に変化した伝説」とが混在していることが多い。それがまた廃仏毀釈で変形したり。つまりそういうわけで、良くワカラナイ。

    もともと、神社っていうのは教義もなければ経典もなくて、専任職の人も居なくて良い。グローバルレベルで言うと「国民国家をまとめる宗教」というレベルでは、ぜんっぜん、ないんですね。そんな大らかな、かなりアナクロで不合理な産物が、なぜか21世紀の今でもあちこちに残っていると考えると、目が眩む思いです。立派そうな裏で実はものすごくあけすけで笑えるような、日本と言う国のローカルさ、可愛らしさ、歴史の右往左往が親しみ深く思えます。それはそれで空間として悪くないなあ、と感じます。

    (現在、「神社」というのが経済的に社会的に政治的に果たしている役割、あるいは果たしてきた役割、ということをちゃんと考えると、どっちかっていうと不愉快な気になるんですけれど。つまりは自民党安倍政権的な考え方ややり方の支持基盤だったりするので...。まあそれはまた別の話。)

  • 「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」
    島田裕巳著
    2013年11月30日発行
    幻冬舎新書

    著者はオウム事件前の第三次宗教ブーム(90年代初頭~)ともいわれた時期からマスコミで名を売った宗教学者。オウムに好意的な発言をし、批判されるも、オウムにより自宅玄関に爆発物を仕掛けられ、結局、大学教授を辞めて一時は消えていた人。

    この本は、タイトルとは違い、八幡神社が日本最多である理由を解説した本ではなく、神社数の多いベスト25のうち、11神社について章立てして歴史や由緒、信仰のあり方などについて解説。ただし、1章1神社のタイトルだが、その中に別の神社の説明も入っているので、20ぐらいは解説している。

    独自研究というより、参考文献をまとめた「主要神社総カタログ」的な趣。タイトルの付け方は、本の売りを考えたマーケティングから来ていると思われる。そのせいか、図書館で半年以上待たされた。

    それでも、白山信仰の祖の泰澄や、修験道の祖、役小角は伝説上の人物だと言い切るなど、驚く説も展開している。

    (メモ、ほんの一部だけにしておきます)
    ユダヤ、キリスト、イスラムの各教は、一神教。しかし、日本の信仰は八百万(やおよろず)の神という多神教。例えば、靖国神社に祭られる「英霊」は、246万柱を超える神様。しかも、神様の数はどんどん増え続け、例えば、近年でも稲荷山に作家の阿佐田哲也が神として祭られている。新日本麻雀連盟が祭った。(22)

    ■八幡信仰
    神社本庁が傘下7万9355社の神社を対象に1990年から7年かけて行った「全国神社祭祀祭礼総合調査」では、八幡信仰が断トツ。
    1.八幡信仰   7817社
    2.伊勢信仰   4425社
    3.天神信仰   3953社
    4.稲荷信仰   2970社
    5.熊野信仰   2693社
    6.諏訪信仰   2616社
    7.祇園信仰   2299社
    8.白山信仰   1893社
    9.日吉信仰   1724社
    10.山神信仰   1571社                (34)

    「託宣集」に「辛国(からくに)の白に、始めて八流の幡と天降って、我は日本の神と成れり」とあるが、辛国は韓国のことであり、渡来人が生活するようになった地域に八幡神が天降り、日本の神となった。八幡神は日本固有でなく、外来、韓国の神だった。(45)
    8世紀末から9世紀はじめの太政官符という公文書には「八幡大菩薩」の呼称が記載されている。神道の神だけでなく、仏教の菩薩としての役割を担うようになっていた。(57)

    ■稲荷信仰
    密教を媒介にして神道と仏教が結びつくことで、神仏習合の信仰が生まれ、それを理論化したものが「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」。(104)

    応仁の乱後の伏見稲荷は「稲荷本願所」と呼ばれ、東寺の末寺となる愛染寺(あいぜんじ)が神宮寺(神社を守る寺)として建てられ、愛染寺の僧侶が稲荷本願寺所の管理や運営をした。(107)
    伏見稲荷は神道の神社だが、稲荷信仰には、豊川稲荷を中心とする仏教系の信仰が並立する。(107)

    神仏習合は江戸時代まで当たり前のこと。
    神仏分離は、明治政府が出した「神仏判然令」により、神道の純粋性を確保するため、神社に祀られていた仏教関係の仏像を撤去したり、境内にあった神宮寺を廃止した。これが廃物毀釈の動きへと結びつき、廃寺や寺の荒廃が増えた。(112)

    ■伊勢信仰
    伊勢神宮の正式名称は「宗教法人神宮」。「伊勢」はつかない。(120)

    遠い伊勢まで行くのはお金がかかるため、人々は「伊勢講」を作り、お金を出し合って代表者(くじで決めた)が参拝した。
    また、犬に「伊勢参宮」という木札と銭の入った袋をくくりつけて送り出す方法がとられたこともあった。代参の一種となりが、無事に犬が参拝をすませて戻ったという話も伝わっている。(145)

    ■出雲信仰
    神話では、大国主神は天照大御神(あまてらすおおみのかみ)に国を譲れと迫られ、自分の住む宮殿を建ててもらうことを条件に受諾。それが出雲大社。
    これは、大和朝廷による出雲族支配に対する侵略行為を神話として表現したものではないか。(161)

    ■春日信仰
    春日大社は藤原氏の氏神であり、隣の興福寺は氏寺である。
    藤原氏は天皇に対しても春日大社への参拝を促し、通常は行かない洛外への神社仏閣への行幸を989年に行い、後の天皇も続いた。その結果、大和全体が春日大社の神領となり、さらに春日大社を興福寺が支配する構造ができあがった。(185)

    ■熊野信仰
    神仏習合の時代には、神社のある場所が浄土と見なされるのは当たり前だった。春日大社と興福寺を同時に描いた「春日宮曼荼羅」には、「春日浄土曼荼羅」がある。
    熊野那智大社がある那智は、観世音菩薩の住む補陀落浄土(ふだらくじょうど)と見なされ、熊野速玉大社のある新宮は薬師如来の東方浄瑠璃世界と見なされた。(198)

    沖縄では神社の殆どが熊野権現を祀っているが、そこには補陀落渡海で沖縄に流れ着いた日秀の影響がある。(212)

    ■祇園信仰
    祇園祭も怨霊を鎮めるための御霊会として始まった。八坂神社の名称は明治以降のもので、それ以前は、祇園社、祇園天神社などと呼ばれていた。(220)

    祇園祭の山鉾巡礼は、999年に曲芸や手品を行う雑芸者の無骨(むこつ)という人物が、天皇の即位儀礼である大嘗祭で用いられる作り物の標山(しめやま)に似せて「作山(つくりやま)」を作り、行列に加わったのが最初、という話があるが、根拠は不明。(227)

    ■諏訪信仰
    諏訪大社という単体の神社はなく、上社と下社に分かれ、上社はさらに本宮と前宮に、下社は秋宮と春宮に分かれている。4つの集合体であり、別々の場所にある。諏訪湖の南、北。(236)

    神社本宮では、正月元旦の朝に「蛙狩(かわずかり)神事」が営まれる。宮司以下の神職が見守る中、2人の使丁(ちょうし)役が本宮前を流れる御手洗(みたらし)川に入り、氷を割って2匹のカエルを生け捕りにし、神前でカエルの胴体を柳枝の弓と篠竹の矢で射抜き、捧げる。(240)

    ■白山信仰
    白山信仰の拠点、白山比咩(しらやまひめ)神社の奥宮を創建したとされる奈良時代の修行僧、泰澄についての物語は、基本的には伝説。修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)と共通。※この本では「おづの」とルビがうってある
    役小角と泰澄はともに伝説上の人物と考えるべき。※この説には超おどろき!(254)

    ■住吉信仰
    住吉大社に祭られている4柱のうち、神功皇后を除く3柱は、九州の安曇氏の祖神。古代における海人族(あまぞく)でもっとも有力と言われた安曇氏が移住して瀬戸内海経由近畿、中部、伊豆、山形へ、そして長野の安曇野へ。(273-274)

    恵比須(えびす)は、蝦夷(えみし)が転訛したものではないかという説がある。朝廷が全国支配する中で蝦夷のような異なる民族と戦わなければならなかったが、その敵は強く、恵比須には、最初、たけだけしい武神のイメージがあった。(284)

    ■その他
    近代に入ると、政治的な意図をもって、天皇や皇族、南北朝時代の南朝の忠臣、近世の志士や神道家を祭る神社が次々と創建された。
    橿原神宮、平安神宮、明治神宮、湊川神社、阿倍野神社、乃木神社、東郷神社・・・・(293)

  • 宗教学者島田裕巳著
    武士に愛された八幡さん
    菅原道真さんの祟り雷天神さん
    豊年祈念のキツネお稲荷さん
    最強アマテラスを祀る神宮お伊勢さん
    国づくり得意出雲さん
    藤原氏威厳ありあり春日さんなど
    神社参拝のちょっとしたウンチクに
    いいかもですよ。

  • 記紀神話に登場する神は367柱。その他、神仏習合で出てきたり、廃仏毀釈、神仏分離で勧請したりで、新たに生まれたり、中世から近代になると故人が神に昇華する、と。乃木神社の乃木希典のような軍神だったり。
    寺については、学問が絡むので、書物など歴史を紐解くものが残っているが、神社については、歴史書はとても稀有だ。
    しかし、八幡様は元々、韓国の神だったのか。神様分けたり移したりってのは知っていたが、八幡様を戦時中に軍神として崇めていたのは既知だが、よもや朝鮮半島からだったとは。
    渡来人から諸々入ってきたから当然ちゃ当然だけども。
    日本人が、各国の文化を何でも咀嚼してものにするってのは、太古から変わらないんですね。
    しかし、神様ってのは洗顔したり息吐くだけで、新しい神が生まれるんだから大したもんだ。少子化なんて何のそのだな。伊弉諾命が左目洗うと天照大御神が生まれて、右目を洗うと月読命が、んでもって天照大御神が息を吐くと宗像三女神が誕生だ。
    忙しいったらありゃしない。
    神々の由来や言われについて、興味を持てる一冊でした。ただ、やはり神の名前が覚えられないな。

  • どなたかも書いているが、読むのにやたら骨が折れ時間がかかった。ルビの問題は大きいと思う。何せ初出にしかうってない。あと日本の神様ってやたら別名がいっぱいあるのね。これ全部覚えてわかる人尊敬します。

    本書では、夫々の信仰の概略を丁寧に解説してあるのだと思うが、当方の理解力がないせいか、読み終わっても何も残ってない。日本に山のようにある神社仏閣を少しは理解した上で参拝できればと思い読み進めたが、結局は、現地の解説板に頼るしかないか。

  • 神道の神社を系統ごとに説明した一冊。様々な種類があることについて疑問を持ち始めたら、その解決にはうってつけな内容。

    メインで紹介されているのが、国内に多いものを中心に、小見出し順に、八幡、天神、稲荷、伊勢、出雲、春日、熊野、祇園、諏訪、白山、住吉。しかし、白山の項にて日吉、浅間、日光など一連の山岳関係信仰が、住吉の中に宗像、恵比須、金比羅など海神系が含まれるなど、小見出しよりも豊富な内容になっている。

    一冊の新書にしては内容が豊富であるため、事実の列挙のような書かれ方になっているようなきらいがある。

    稲荷、春日、祇園など、普通はその縁起は触れることはないのではないか。義務教育の中でようやく天神信仰の単著がわかるのではないかと思う。高校の日本史のレベルでも上っ面な理解すら難しいと思う。好事家の世界か。

    読むにつけて、地主神、渡来神、神仏の習合が激しいことがよく分かる。古い神社ほど式年遷宮が残っているとか。江戸間で神仏習合があったからこそ栄えた信仰が多かったとか、逆に明治以降は神仏分離により、居心地の悪そうな整理をされた寺社が多かったように思う。春日、熊野、祇園とかは典型的なように思う。

    著者の他の著作も読みたくなってきた。日本仏教版と思える「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」とか、神仏習合系と思える「神も仏も大好きな日本人」とかね。

  • 毎年いろんな神社に行くが、こんなに種類があったなんて知らなかったし、それぞれの歴史がかなり面白かった

  • 昨年、阿蘇神社でご朱印帳を手に入れたのをきっかけとして始めた神社めぐり。
    神話の話やご神体の話はそれぞれにあるのですが、どうも系統だとか全体像がよくわからなかったなかで、新書版というお手軽さの中で要点がわかりやすくまとめられており入門書として最適でした。

  •  日本の神社の多様性を理解する上で基本的なことを勉強出来る一冊。興味が深まる。

  • なぜ八幡神社が日本で一番多いのか、というタイトルだが、
    八幡、天神、稲荷、伊勢、出雲など、神社入門のよう。

    そして、なぜ八幡神社が多いのか、というのは

    本来は記紀神話にも登場しない異国の神が、応神天皇と習合して皇祖神としての地位を確保、朝廷の信仰を集め、武神として朝廷を補佐し、武家の信仰も集めることに。
    最終的に庶民層にも信仰が広がり、一般の民衆が八幡神を勧請して地域の氏神として祀ることに発展していく。

    という歴史を経てきたからだそう。

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著者プロフィール

島田裕巳(しまだ・ひろみ):1953年東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、現在は東京女子大学非常勤講師。現代における日本、世界の宗教現象を幅広くテーマとし、盛んに著述活動を行っている。 著書に、『日本人の神道』『神も仏も大好きな日本人』『京都がなぜいちばんなのか』(ちくま新書)『戦後日本の宗教史――天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書)『神社崩壊』(新潮新書)『宗教にはなぜ金が集まるのか』(祥伝社新書)『教養としての世界宗教史』(宝島社)『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)等多数あり。

「2023年 『大還暦 人生に年齢の「壁」はない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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