なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか 最強11神社―八幡・天神・稲荷・伊勢・出雲・春日・熊野・祗園・諏訪・白山・住吉の信仰系統 (幻冬舎新書)
- 幻冬舎 (2013年11月29日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344983274
作品紹介・あらすじ
日本全国の神社の数は約8万社。初詣、宮参り、七五三、合格祈願、神前結婚…と日本人の生活とは切っても切り離せない。また伊勢神宮や出雲大社など有名神社でなくとも、多くの旅程には神社めぐりが組み込まれている。かように私たちは神社が大好きだが、そこで祀られる多種多様な神々について意外なほど知らないばかりか、そもそもなぜ神社に特定の神が祀られているかも謎だ。数において上位の神社の中から11系統を選び出し、その祭神について個別に歴史と由緒、特徴、信仰の広がりを解説した画期的な書。
感想・レビュー・書評
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「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」幻冬舎新書 2013年 島田裕巳さん。
軽いタッチで書かれた読み易い本です。新書ですものね。
宗教学者の島田裕巳さんの本は、寺社巡りが好きなので時折愉しく読ませて貰っています。これは、八幡神社とか、諏訪神社とか、そういう「どこにでもある身近な神社」がそれぞれどういう謂われがあるか、というのをまとめた読み物です。
こういうの、電子書籍で持っておくと、どこでもいつでも読めるし検索も出来て便利です。
細かい情報は備忘するにも煩雑すぎるので、ここに書きませんが。読み終えて、どの神社の歴史も、「伝説レベルの歴史」と「証拠が残っている歴史」とを突き合わせてみると、「仏教伝来と明治維新」というものに翻弄されているなあ、と思いました。
神社はつまり神道です。神道っていうのは、まあ、宗教なんですが、「原始宗教」なんですね。つまり、むちゃくちゃです。適当です。
「キリスト教」「イスラム教」などと比べると、なんて素敵にどうでもいいんです。同レベルに論じるのは、照れちゃいますね。マイルス・デイビスとか、小澤征爾と、「うちの中学校の音楽の先生は歌が上手い」とかを同列に並べるようなものです。メッシ、ロナウド、イブラヒモビッチを論じているのに、「うちの村のサッカークラブのエースも負けてない」とか言えませんよね。
(善悪とか、だから素敵ではないというつもりは毛頭ないのです。好みはそれぞれだし。ただ、スケールが違うことは事実です。けれど、地元民としてはだから神社って面白い、と思います)
奈良の大神神社がそうなんですが、つまりは「山」とか「河」とか「太陽」とかを拝んでただけなんですね。
ただ問題は、この原始宗教を「権威」にして、権力が成立しちゃってたんです。古代天皇家、大和朝廷ですね。
そこに、外国から「仏教」が入ってきます。
これに、ヤマトの権力者たちは度胆を抜かれる訳です。
と言っても、むつかしい教義とか学問に、ではありません。仏教は、建築とか仏像とか錬金とか、そういうビジュアルに触覚で誰にでも分かる超絶な技術と共にやってきたんですね。
恐らく大和朝廷なり古代権力の中の多くの人々が、外国からの帰化人、あるいはその子孫だったんです。今風に例えて言うと、権力の中枢を握る人はほぼみんな、アメリカの大学で経営を学んでMBAだったりする訳です。
そうなると、アメリカの流行、アメリカのモラル、価値観に一目置くのは当たり前。そして、アメリカから「いまどき、これが当たり前ですよ」って来たのが「仏教」。
まずは仏像とか建築とかそういうレベルで度胆を抜かれるし。語ってみれば、仏教の世界観はなんだかすごい。
ヤマトとしても、「やっぱり、うん、俺たちもそりゃ仏教だ」となるんです。
そこで困っちゃうのが、でもこれまでは「山の神」とかなんとか原始宗教でやってきたんですね。ここと世界観が矛盾しちゃう。
それで仕方ないから、「いや、俺たちの神様っていうのも、実は仏教の仏様の親戚だったわけよ」ということにしちゃうんです。これが、愉快なくらい笑えます。
しかも、ここのところで論理的に突きつめて考えると、ぶっちゃけ「いやそりゃ、仏教の方が上ですよ。グローバルですから。うちはほら、仏教の日本支店が神道っていうかなんていうか...」という感じなんですね。かわいい。
それからずーっと、神社っていうのは、お寺と喧嘩しないんですね。というか、日本では、神社とお寺は表裏一体、かならず同居してたみたいなものなんです。
今でもかなりあちこちにありますけれど、大きな寺の中に小さな神社があったりします。逆も。
という、実にめちゃくちゃで適当な時代が長かったんですが、明治維新が起こります。
薩長などの力のある勢力が、「今のままの仕組みでは、日本は植民地になっちゃうぜ」という生理的な危機感から、徳川幕府を倒すんですが、このときに、「おみこし」として「天皇家」が担がれる訳です。
そして、明治新政府が出来てから、「えっと、西欧風の国民国家っていうのはどういうふうに作ればいいんだっけ?」と頭を抱えます。
このときに、「やっぱり天皇家っていうのをもっと権威付けしよう。すごく尊い感じに祀り上げて、これで国民全体を一体化させよう」ということになるんです。若い明治天皇自身がざっくばらんに参加して「天皇家のイメージとスタイル」について議論したそうです(笑)。
そして、「天皇ってほら、神道だからさ、神道優遇しよう」ということになります。
これが行政にブレイクダウンされていくときに、かなりヒステリックな「仏教は絶滅させろ!」という「赤狩り的な運動」に、数年の間なってしまうんです。
このときに、寺と神社がくっついているような施設は、全国的に大幅な改訂を強いられます。更には、立派な寺が打ち壊されたり。
(なんだけど、不徹底に終わったんですね。地域の現場の末端で、ヒステリックになりつつも、「いやあ、壊すのも勿体なかろう」「まあええんちゃうか」という妥協が多かったようです。このいい加減さ、すばらしいぞ、日本)
というわけで、今残っている神社をちゃんと見て資料を漁っていくと。どの神社も、明治維新(廃仏毀釈)の段階で相当な変化を受けている、というのが判ります。もっと言うと、それ以前は何かしらか寺とべったりくっついていたことが多いんですね。
更に伝説レベルの物語も、「もともとの地元チックな伝説」と、「仏教伝来以降に、割と強引に仏教由来に変化した伝説」とが混在していることが多い。それがまた廃仏毀釈で変形したり。つまりそういうわけで、良くワカラナイ。
もともと、神社っていうのは教義もなければ経典もなくて、専任職の人も居なくて良い。グローバルレベルで言うと「国民国家をまとめる宗教」というレベルでは、ぜんっぜん、ないんですね。そんな大らかな、かなりアナクロで不合理な産物が、なぜか21世紀の今でもあちこちに残っていると考えると、目が眩む思いです。立派そうな裏で実はものすごくあけすけで笑えるような、日本と言う国のローカルさ、可愛らしさ、歴史の右往左往が親しみ深く思えます。それはそれで空間として悪くないなあ、と感じます。
(現在、「神社」というのが経済的に社会的に政治的に果たしている役割、あるいは果たしてきた役割、ということをちゃんと考えると、どっちかっていうと不愉快な気になるんですけれど。つまりは自民党安倍政権的な考え方ややり方の支持基盤だったりするので...。まあそれはまた別の話。)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
宗教学者島田裕巳著
武士に愛された八幡さん
菅原道真さんの祟り雷天神さん
豊年祈念のキツネお稲荷さん
最強アマテラスを祀る神宮お伊勢さん
国づくり得意出雲さん
藤原氏威厳ありあり春日さんなど
神社参拝のちょっとしたウンチクに
いいかもですよ。
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記紀神話に登場する神は367柱。その他、神仏習合で出てきたり、廃仏毀釈、神仏分離で勧請したりで、新たに生まれたり、中世から近代になると故人が神に昇華する、と。乃木神社の乃木希典のような軍神だったり。
寺については、学問が絡むので、書物など歴史を紐解くものが残っているが、神社については、歴史書はとても稀有だ。
しかし、八幡様は元々、韓国の神だったのか。神様分けたり移したりってのは知っていたが、八幡様を戦時中に軍神として崇めていたのは既知だが、よもや朝鮮半島からだったとは。
渡来人から諸々入ってきたから当然ちゃ当然だけども。
日本人が、各国の文化を何でも咀嚼してものにするってのは、太古から変わらないんですね。
しかし、神様ってのは洗顔したり息吐くだけで、新しい神が生まれるんだから大したもんだ。少子化なんて何のそのだな。伊弉諾命が左目洗うと天照大御神が生まれて、右目を洗うと月読命が、んでもって天照大御神が息を吐くと宗像三女神が誕生だ。
忙しいったらありゃしない。
神々の由来や言われについて、興味を持てる一冊でした。ただ、やはり神の名前が覚えられないな。 -
どなたかも書いているが、読むのにやたら骨が折れ時間がかかった。ルビの問題は大きいと思う。何せ初出にしかうってない。あと日本の神様ってやたら別名がいっぱいあるのね。これ全部覚えてわかる人尊敬します。
本書では、夫々の信仰の概略を丁寧に解説してあるのだと思うが、当方の理解力がないせいか、読み終わっても何も残ってない。日本に山のようにある神社仏閣を少しは理解した上で参拝できればと思い読み進めたが、結局は、現地の解説板に頼るしかないか。 -
神道の神社を系統ごとに説明した一冊。様々な種類があることについて疑問を持ち始めたら、その解決にはうってつけな内容。
メインで紹介されているのが、国内に多いものを中心に、小見出し順に、八幡、天神、稲荷、伊勢、出雲、春日、熊野、祇園、諏訪、白山、住吉。しかし、白山の項にて日吉、浅間、日光など一連の山岳関係信仰が、住吉の中に宗像、恵比須、金比羅など海神系が含まれるなど、小見出しよりも豊富な内容になっている。
一冊の新書にしては内容が豊富であるため、事実の列挙のような書かれ方になっているようなきらいがある。
稲荷、春日、祇園など、普通はその縁起は触れることはないのではないか。義務教育の中でようやく天神信仰の単著がわかるのではないかと思う。高校の日本史のレベルでも上っ面な理解すら難しいと思う。好事家の世界か。
読むにつけて、地主神、渡来神、神仏の習合が激しいことがよく分かる。古い神社ほど式年遷宮が残っているとか。江戸間で神仏習合があったからこそ栄えた信仰が多かったとか、逆に明治以降は神仏分離により、居心地の悪そうな整理をされた寺社が多かったように思う。春日、熊野、祇園とかは典型的なように思う。
著者の他の著作も読みたくなってきた。日本仏教版と思える「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」とか、神仏習合系と思える「神も仏も大好きな日本人」とかね。 -
毎年いろんな神社に行くが、こんなに種類があったなんて知らなかったし、それぞれの歴史がかなり面白かった
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昨年、阿蘇神社でご朱印帳を手に入れたのをきっかけとして始めた神社めぐり。
神話の話やご神体の話はそれぞれにあるのですが、どうも系統だとか全体像がよくわからなかったなかで、新書版というお手軽さの中で要点がわかりやすくまとめられており入門書として最適でした。 -
日本の神社の多様性を理解する上で基本的なことを勉強出来る一冊。興味が深まる。