しない生活 煩悩を静める108のお稽古 (幻冬舎新書)

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  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344983403

感想・レビュー・書評

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  • ・一番強い欲は、自我だったんですね^^; そう言われてみると、ちっぽけな自分を少しでも大きく見せようと懸命に背伸びしている自分がいるんですけど、直ぐふくらはぎがつって、踵をついてしまうんですよね…

     先に読んだ、アルボムッレ・スマナサーラ氏の『ブッダが教える 執着の捨て方 (だいわ文庫 B 176-4)』に書かれていた内容と似ている。小池龍之介さんも、頻繁にブッダの言葉を引用していますが、ルーツは一緒なんでしょうね。もしかしたら、アルボムッレ・スマナサーラ氏の著書も、読んでいらっしゃるかもしれませんね。

     アイタタ―とか、ガーンとか、ご住職としては相応しくない言葉が使われているので、変だなぁ~と思っていたのですが、ウィキペディアで調べてみたら、小池龍之介さんは『坊主失格(2016)』という本で「物心ついたときから、いつも淋しく満たされず、多くの人を傷つけてきました」と告白されてるような経験があるみたいですね。

     だから、この本に書かれていることは、師が弟子に灌頂を与えるような語り口でなく、同じ尊厳を持つ人間同士の対話のように対等な感じがするのでしょう。読者は、失敗談に支えられた煩悩を静める方法に納得するのです。

     普通、欲って言ったら、物欲だと思ったら、一番強い欲は、自我だったんですね^^; そう言われてみると、ちっぽけな自分を少しでも大きく見せようと懸命に背伸びしている自分がいるんですけど、直ぐふくらはぎがつって、踵をついてしまうんですよね…

     高野山の宿坊でいただいた精進料理は、とても美味しかったのですが、人間は、動物性のたんぱく質を摂らないと、やっぱり体調を崩してしまう人ですかね?だとしたら、僧侶らしく戒律を守って生きることは、とても大変なことですね(^^ゞ

  • 自分自身イライラしやすいタイプであり、そのイライラの原因は周りにあると考えてしまうことも多々あった。「あいつがちゃんとしていれば」「これは自分のせいではない」となんでも自分を正当化しがちであった。しかし、これらの考えは全て煩悩によるものであると考えると、だんだん自分自身が恥ずかしくなってきた。言われてみれば確かに今までの八つ当たり的な考え方は、赤ん坊や幼児の我が儘と大差ないと気付いてしまった。何かイライラした時に読み直したい本である。


  • 煩悩だらけ、
    自分を見つめる時間って難しくなくてみんなあるんじゃないかな。
    スマホを手に取りたくない気分。
    私は寝そべって雲を眺めたり、車に乗ってる時。
    流れているものを見ている時。
    きっとわいて出てくる煩悩を静かに流しているのだと思います。
    人生クソゲー

  • 勉強になった、、。どうしても辛い、、疲れたという時も呼んでもいいかもしれない、、。でも心に余裕があるときに読んだ方が響くかもしれない。

  • 最初に読んだ小池氏の本は面白いと感じたが、内容も似たようなものとなり、新鮮味に欠けた感がある。

  • 108つかあ・・・読み終わって気づいた(笑)

    いつも筆者は優しく鋭く説明してくれていて
    なるほどとひざを打つ

  • 坐禅中にきゃりーぱみゅぱみゅが脳内再生される話が印象的(笑)

  •  修行が足りん、といたく感じる。しかし、これら一見簡単そうな心構えの更新が、実に難しい・・・。

  • 繋がり過ぎない。
    入ってくる情報が増えるほど、心は乱れる。
    あなたのため。と言う時の本心は自分のためであることに気付く。自分の利益を正直に伝えることから信頼関係が築けるのかもしれない。
    いい人をやめ、嫌なことは素直に断る。
    どちらが得かを迷うのは心にとっては損。
    他人の心のブレに対して寛容になる。
    私を分かってと欲するほど、分かってもらえなくなる。
    正義感をふりかざしても、醜悪な小悪人になるだけ。
    間違いは悪いもの。という罠から抜け出す。
    自分が隠している情け無い感情を認めると楽になる。

    イライラしない。
    自分もやりかねない。と潜在的な可能性を知っていればありえない。とはならない。
    謝る時は余計な言い訳を加えない。
    自分を正しく理解して欲しいという欲望を手放す。
    自分の考えを返す前に、そうですね。と一呼吸置く。
    自分の価値は他人の価値とは、無関係である。
    心を保つ前にまずは体を保つべし。
    体を保つ基本は食事を腹七分目にとどめること。
    砂糖の強い甘味は気分を乱高下させる。じっくりよく噛むことに専念する。

    人と繋がり過ぎない孤独を味わう勇気を持つ。
    その場しのぎにイエスと言わず、少し考えさせてと留保する。
    人から失望されてもかまわないという勇気を持つ。
    物事に集中するには、頑張り過ぎず、だらけ過ぎない。
    相手の方が間違っている証拠があっても追い詰めない。
    手仕事をせず、頭ばかり使っていると思考が鈍る。
    人を自分の思い通りに変えることは出来ないとあきらめる。つまり、他人は他人の内部の法則に従ってしか動かない。
    人生は生きている限り、満足しないという苦を味わう。
    苦労が報われない。という無力感から逃げ出さない。
    やる気を保つには自分の意思でやる。という形式が重要である。
    日常生活に取り入れて行こう。

  • 心を平静に保つ考え方のコツを説いているのだが、その要諦は物事に対するコダワリを捨ててサラッと行こう!と言うもの。確かにこんな枯れた境地に辿り着けたらイライラはなくなるだろうが、反面人生がとても味気ないものになる気がする。何事もホドホドが肝要と言うことか。
    それにしてもここでの教えは一見他人や世の中のための様に見えるが、全ては自分の平穏を得るための利己的な目的であるところが面白い。仏教は内面だけを突き詰め、世直しを志向しない所が他の宗教と摩擦を起こさない所以か?

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著者プロフィール

1978年生まれ。山口県出身。東京大学教養学部卒業。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。僧名は龍照(のちに空朴に改名)。住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導も行う。執筆活動も手がけ、『考えない練習』(小学館文庫)、『しない生活』(幻冬舎新書)、『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など、多くの著作を持つ。2018年9月に月読寺を引き払い、路上生活者に。11月には修行の旅に出る(現在は音信不通)。

「2019年 『やっかいな人を自分のお城に入れない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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