- Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344983519
作品紹介・あらすじ
戦後、解体された軍部の手を離れ、国家の管理から民間の一宗教法人としての道を歩んだ靖国神社。国内でさまざまな議論を沸騰させ、また国家間の対立まで生む、このかなり特殊な、心ざわつかせる神社は、そもそも日本人にとってどんな存在なのか。また議論の中心となる、いわゆるA級戦犯ほか祭神を「合祀する」とはどういうことか。さらに天皇はなぜ参拝できなくなったのか-。さまざまに変遷した一四五年の歴史をたどった上で靖国問題を整理し、そのこれからを見据えた画期的な書。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
本書は靖国神社の成り立ちや変容、それを巡る論争を中立的な立場から事実に基づいて検討している本である。著者の主張は「おわりに」に少しある程度で、基本的にはない。
著者が指摘している通り、靖国神社について知ってはいても、それのどこが問題なのかを理解している人は少ない。とりわけ若者にかんしてはその傾向が顕著であろう。この本は先述の通り、筆者の主張が少なく、他の靖国本よりも比較的中立的な立場から論じられているため、靖国問題を理解する上では最適な1冊である。
本文にその都度記載されてはいるものの、最後に整理された参考文献リストが欲しかったのが正直なところ。 -
社会
-
比較的客観的な立場で書かれている。
過去の経緯を知ることが靖国問題の解決には必要という考えは納得できる。
靖国問題に関心のある人は読むと良い。 -
「靖国関係の書物は、賛成か反対かどちらかの立場に立つもので、多くは批判書である。中立的な立場から書かれたものは少ないのである。」
「問題をわかりやすい形で整理し、議論の前提となる事柄を共有できるようにすることが、この本の目的」
との姿勢は、とかく善悪二元論に陥りがちなイシューのひとつである靖国問題を考える上で、賛同できる。
そのために、靖国の設立当初からの重要な事実を拾い上げていることは評価できるし、確かに知っておいたほうがよい事実であると感じる。
しかし、どんなに中立であろうとしてもどうしても著者の意見が意識的・無意識的に入ってしまうのもまた事実であり、本書で取り上げられた歴史的事実も、その事柄自体が本当に事実なのか、という論点を脇においておくとしても、新書にまとめる上で事実を選別、選択、編集するところで、どうしても著者の価値観が入り込んでしまうのではないか。
したがって、読者としては、本書を踏まえながらも、鵜呑みにせず、さらに調べ、考え続ける姿勢が求められるのであり、それが著者の真に意図するところでもあろう。 -
東京招魂社 戊辰戦争
-
靖国神社の歴史は知ってるようで全然知らない。勉強になった。あとがきの予想も良かった。
-
靖国の本はこれまでたくさん出ているから、靖国のもと東京招魂社の創建が戊辰戦争での政府軍戦没者の慰霊からはじまっているとか、その後、国家としての団結のため、反政府方の人間も徐々に祭るようになったとか(しかし、佐賀の乱の江藤新平は祭られず佐賀の護国神社に祭られているそうだ)は知っている。にも関わらず本書を手に取ったのは、今度の集団的自衛権で自衛官が戦死したときどうするのかという帯のことばに動かされたからである。これまで自衛官が殉職したときは市ヶ谷駐屯地の慰霊塔に祭られることになっているらしい。しかし、今後はどうか。島田さんは、靖国問題は平和な時代だからこそ起こる問題で、一旦戦時になれば靖国問題は消えてしまうという書き方をしている。ぼくはそのときこそ、別の意味で靖国問題が出てくると思う。戦死した自衛官たちが祭られるのは靖国なのか。ぼくは問題はそう単純ではないと思う。なんにせよ集団自衛権を認めれば、戦死者がでるのはもちろん、その人たちをどう祭るのかという問題にまで及ぶことはたしかだ。どちらにしても、靖国の合祀行為はかれらの独断で、合祀されるものの許可を一一得るわけではない。なんと傲慢なことか。本書では靖国の戦後史を二つに分ける二人の宮司の信条、行動が詳しく描かれている。A級戦犯合祀はもともと元軍人からなる厚生省援護局の強い働きかけがあったが、最初は靖国の方で動かなかった。それは長く宮司をつとめた筑波の考えでもあった。ところが、それを実現させたのは、宮司がそれまでの筑波から松平に交替したあとである。松平は確信犯で、A級戦犯を合祀すれば天皇は参拝できなくなることを知りながらやったという。松平すなわち現在の靖国神社の考えは要するに今度の戦争はあくまで自衛の戦いであり、東京裁判史観、サンフランシスコ体制否定が根底にある。だから、人間宣言した天皇には用はないと思ったのだろう。安部さんは口では言わないが、実際には東京裁判史観、サンフランシスコ体制をにがにがしく思っている。だからこそ靖国に参拝できたのだ。戦後長く宮司をやった筑波は世界平和運動にも関心をもった人で、神社の中に鎮霊社なるものをつくり、敵味方を分けず、すべての人を祭るようにしたという。そこは今回安部さんが、参拝があくまで平和希求のためであるという口実のために訪れた場所であるが、筑波が亡くなった後松平のために、一般の人は入れなくなってしまった。同じ靖国神社の宮司でありながら、筑波と松平の考えが天と地ほどもあることがわかる。