なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか 仏教と植物の切っても切れない66の関係 (幻冬舎新書)
- 幻冬舎 (2015年3月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344983731
作品紹介・あらすじ
不浄である泥の中から茎を伸ばし、清浄な花を咲かせるハスは、仏教が理想とするあり方、極楽浄土に最もふさわしい花とされる。このように仏教ではさまざまな教義が植物に喩えて説かれ、寺や墓のまわりも仏教が尊ぶ植物で溢れている。球根が土砂崩れを防ぐ特性から墓地を守る花として重宝されたマンジュシャゲ、疫病を避ける物質を持つため鬼門に植えられるナンテン、神聖な花の象徴であり寿命が長いために墓に供えられるキク。人気植物学者が、仏教が理想とした植物の生きる知恵を楽しく解説。植物と仏教の新たな魅力がわかる一冊。
感想・レビュー・書評
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非常に面白い本で、次々とページをめくる手が止まらなかった。
植物そのものについての知識は既知の事柄がほとんどだったが、宗教、それも仏教と結び付けて考えたことはなかったので、その点がとても新鮮だった。
仏教と言えば菩提樹と沙羅双樹が真っ先に浮かぶ。
菩提樹には出会えたのに、沙羅双樹にはいまだに出会えてない。
夏椿を代用としているお宅もたまにあるが、やはり元の沙羅双樹とはまるで違うらしい。
いや、そもそも挿絵でさえも沙羅双樹を観たことがないのだ。
こうなったら自分で庭に植えてしまおうかと考えてもみるが、苗さえ入手できない状態がもう10年以上続いている。
だが、この本を読んでみると、そんなことは些末なことに思えてきた。
カタバミのような路傍の草花でさえも、その特性を生かして仏壇を磨くのに用いるという古のひとの知恵に、もう恐れ入ってしまったからだ。
もちろんそれだけではない。
盆花で有名なミソハギやレンゲやクローバーの賢さ、そうだったのか!の連続で、もう愛おしいことこの上ない。
タイトルになっているハスの花の話は、一番最初に登場する。
泥の中から茎をのばし、清浄な花を咲かせるハスは、仏教が理想とするあり方だという。
これのみでなく、仏教では様々な教義が植物にたとえて説かれているというのだ。
平易な文章ながら大変奥が深く、生かされている恵みにあらためて気づくきっかけにもなった。
たくさんのトリビアにあふれ、どの花のページにもモノクロのスケッチが挿入されている。
3章までは仏教と縁の深い植物の由来と解説。仏教における植物の活用法など。
4章になると話が植物全体に広がり、植物の生き方が仏教にどのような影響を与えてきたかを語っている。この章が大変心にしみる。
命というものの不思議さ。すべてのことには意味があるということ。自分というものの小ささ。
もっともっとこのお話を聞いていたい。読んでいたい。
そう強く思い出した頃に読み終えた。
植物学者であるという著者の作品を、この先も追っていきたい。-
2020/03/09
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goya626さん、こんばんは(^^♪
古いレビューを見つけて下さってありがとうございます!
私が稲垣栄洋さんの本に出会ったのは、これ...goya626さん、こんばんは(^^♪
古いレビューを見つけて下さってありがとうございます!
私が稲垣栄洋さんの本に出会ったのは、これが最初です。
ここからどんどん著作を読んでいきましたが、今でもこの本が一番好きですね。
はい、ぜひぜひお読みください。
そちらの図書館でも入手できますように!
2020/03/09
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この著者の本は何を読んでも発見がある。
(20220904) -
仏教誌に連載されていた、仏教にまつわる植物の話色々。
曼珠沙華が元は食用として持ち込まれたなど、興味深い話が盛りだくさんだった。
人は古来より植物の特性を知り活用してきた。いつの間に自然は遠いものになってしまったのだろう。
個人的に納得したのが日本人の植物に対する価値観。
教義や体質や嗜好ではなく「動物は可哀想だから」と言う菜食主義者の話には違和感を持っていたのだが、植物にも動物と同じように命があると感じるのは日本人の自然観からくるもの。
そこから植物も食べた人間が成仏すれば、その人間の糧となったものも全部成仏するという考え(植物も成仏する)となったそう。
雑草も活用し、その言葉も「雑草魂」などとポジティブに活用するのが日本人ならではらしい。
植物の話から命とは、生きるとは、と宗教らしい話になっていくのは掲載誌ならでは。
でもそれが押しつけがましくなく、植物すごいという印象で読み終えることができた。 -
タイトルから仏教の本なのかと思いきや、
植物の本だった。
著者の稲垣栄洋さんは植物学者。
読み始めてから、そういえば以前読んだ
「世界史を大きく動かした植物」も
同じ著者だったことを思い出した。
植物学者でありながら、仏教に関する知識も深く、
昔から植物も仏教も人々の暮らしの中に
関わってきたものなのだなぁ、と感じる。
話が驚くほど多岐に渡るので、
また時間をあけて再読したい。 -
仏教誌に連載された植物のお話し。そこそこと植物のことも仏教のことも学べる。
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本書は、仏教と植物、またそれにまつわる人々の暮らしについてとても分かりやすく解説してあり、専門知識が無くとも楽しく読めます。
何故マンジュシャゲは暮らしに身近な場所に生えているのか、何故蓮は清浄な花とされるのか、等改めて問われると答えに詰まってしまう事柄の回答がここにあります。
仏教や植物、日本文化に興味のある方なら楽しんで読めると思います! -
仏教には植物に関する例え話が多い。仏教では植物にも仏生があると考える。しかし、キリスト教やイスラム教では、人間と人間以外の生物を大きく区別している。植物は人間に利用されるものと考える。一方、日本人にとっては全ての生物が仏生を持った存在だ。
植物は動かない。種が落ちたところで生きて行く。そこで精一杯生きている。環境が悪くても文句を言わない。環境は簡単に変えられない。変えられるのは植物自身の生き方だけだ。植物は環境に合わせて自分を変えて生きている。
うん!確かに!植物の生き方は仏教の教えによく似合う。 -
稲垣氏は仏教の言葉も次々と出てきて、とても博学だな、と感じました。専門の植物学に比べると掘り下げ方が今ひとつですが、エッセイとして楽しく読ませて頂きました。
・ハスは約1億年前、白亜紀に地球に出現。恐竜が闊歩していた時代。化石として発見されている。花びらが多いという古代植物の特徴が見られ、おしべとめしべがやたら多くごちゃごちゃしている。
・哺乳動物は辛いトウガラシを食べられない。鳥はカプサイシンを感じる受容体がないため、食べられ、遠くにタネを運ぶ。
・もともとは仏教で肉食が禁じられていたにもかかわらず、現在、中国や韓国の料理に肉を使うのは、蒙古支配の影響。
・仏教伝来以降、日本で肉食が解禁されたのは、明治時代。
・「雑草」という概念は、明治時代以降に持ち込まれた。
・キリスト教では、悪い草は「雑草」、よい草は「ハーブ」。
・「雑草」が褒め言葉に使われたり、「雑草」と呼ばれて喜ぶのは、日本人くらいのもの。