他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑 (幻冬舎新書)
- 幻冬舎 (2015年9月30日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (195ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344983908
作品紹介・あらすじ
マスコミやネット住民はバッシングが大好物。失言やトラブルによって「悪人」となった対象を見つけては非難するが、最近ここに一般の人も追随し、まるで国民総出のいじめの様相に。このとき、非難する側は必ず「正義」を振りかざすが、実は他人を傷つけて楽しむ心理も混在する。もともと、似た価値観を共有する日本人は、差異に対して敏感で嫉妬を抱きやすく、異物を排除する傾向が強い。さらに、適度に豊かな現代には空虚さが蔓延し、若者は悲観的で自信がない。現代人の心の歪みを、精神科医である著者が斬る!
感想・レビュー・書評
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精神科医である著者が、閉塞感からくるネットの炎上やマスコミの加熱するバッシング報道について、日本人の特性や現在に至る社会変革なども交えて考察する。
頷けることばかりで、うーむとなるのだが、明確な解決策があるわけでもない…ついこの前も吉本興業のお家騒動が加熱報道されたばかりだが、暫く日本の社会はこういった息苦しさを抱えたまま進んでいくのだろう。
10代〜20代の若い世代が抱く、未来に対する希望も自己肯定感も低いという事実。先進国の中で最下層に位置するというのは、この状況を写す鏡であるのだろう。2019.8.9詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
みのもんた。
朝青龍。
沢尻エリカ。
一世を風靡した有名人が、一つの出来事をきっかけに日本中から情け容赦のないバッシングを受け姿を消していく。
その攻撃には、マスコミだけでなくインターネットやSNSなどの発展に伴い、誰でも参加が出来てしまう。
攻撃対象を見つけては炎上を繰り返していく。
最近では攻撃の対象は有名人だけでなく、一般人にまで広がっている。
そして改めて思う。
自分もその参加者の一員なのだと。
人を攻撃している時に感じる、正義感による陶酔。
指先一つで裁判官に、場合によっては神にすらなったように錯覚できる時代。
ある日突然、誰もが被害者になり、加害者にもな
る。
大事な時間を費やし、「好き嫌い」で一時の憂さ晴らしをする。
ちょっとした差異から生まれるジェラシー。
攻撃することそのものが目的となる。
不寛容で、再チャレンジがしにくい社会。
若者が悲観的で希望が持てない日本。
著者は、統計と精神科医としての経験から分析する。
「日本ほど物質的に豊かな上に、便利で安全な場所は他にはない。文化的にも豊かだ。現代の日本に欠けているものがあるとすれば、それは『智慧』であり、『教養』である」 -
最近の、どうにも挙げ足取りな風潮に心底、嫌気がさしています。
どうでも良いことに、イチイチクレームつけたり、炎上したり。
例えば、ベッキーの不倫。当人たちで解決させればいいのに、全く迷惑もかかっていない人たちが、面白く盛り上げて。
そんな事をイチイチ、ネット記事にする記者もいますね。(そんなのは記者じゃないけど)msnも最近ヒドイ。
ブログで誰が何と言ったことで炎上→謝罪とか。誰々のSNS発言に誰々がSNSで応酬とか。
そう言うのに、うんざりしてました。
そんな所で、本書を知り読んでみた。
精神科医の視点から、色々な考察が書かれています。
読んで、「解決。スッキリした。」とはなりませんが、なるほどです。 -
パッシングする個々の心理、社会環境、歴史から分析されていた。
この類を本を読んだことがない人にはおすすめ。
重要な内容はそれ程多くなく、ある程度想像していた内容であった。
全体的に一般的で優しく、ページ稼ぐために話をのばしている節がある。
少し流しながら読んでも十分内容を理解できる内容。
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身近に相手を貶すことでしかコミュニケーションが取れない人がいて借りてみたら、もっとマクロな視点だった。でも実は根っこは同じなのかも…と勉強になった。
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他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑。岩波明先生の著書。他人のちょっとした過ちや失言をことさらに大きな問題に取り上げて、傲慢な上から目線で非難したり、バッシングしたり、いじめ・ネット私刑と思われるようなことをしたりするのは、多くの人が嫉妬感情や欲求不満を抱えているから。岩波明先生によると、それは日本社会特有の問題。ではそのような不寛容な日本社会に渦巻いている嫉妬感情や欲求不満を少しでも減らすためにはどうすればいいのかについても知りたくなりました。
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日本人の特性、ネット社会、SNS、メディアの取り上げ方、興味があることは人の不幸、炎上、等々、現代社会での現状を語る。匿名性の中で他人を吊し上げることで溜飲を下げることが一般化しているのか。著名人や公の立場の人はうっかり本音など言えたものではない。
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社会
心理 -
201607/
国連児童基金(ユニセフ)は、2008年に先進国に住む子供達の「幸福度」に関する調査報告を発表した。
子供の「主観的な幸福度」に関する項目の中で、「孤独を感じる」と答えた日本の15歳の子供の割合は29.8%と、対象国の中で第一位で、ずば抜けて高かった。日本に続くのはアイスランド(10.3%)とポーランド(8.4%)だった。もっとも低いのはオランダの2.9%だった。
このように、日本の子供における「孤独さ」は、先進国の中で際立って高い。この点は、これまでに述べてきた社会的な「まなざしの欠如」と関連している現象であろう。つまり、子供達を見守り、同時に縛ることにもなる、目に見えない社会的なルールや、インフォーマルなコミュニティが、希薄となっていることを示している。その一方で、子供達を縛る「規則」は多い。けれどもそれらは管理的なきまりであり、あるいは学校社会のルールやネット上での約束事であり、子供達の本質的な内面と結びつくものではない。/
内閣府は、2013年度において、わが国と諸外国の若者の意識に関する調査を行った。その結果の一部であるが、「自分自身に満足している」という問いにイエスと答えたのは、日本の若者の45.8%にすぎず、欧米の若者の80%以上という回答と比較すると極端に低かった。
このように、多くの調査の結果は共通性が大きい。具体的に言えば、他の先進国と比較して、日本の若者は、「孤独で、将来への希望がなく、自己評価が低い」のである。/