真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話 (幻冬舎新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344984394

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  • 図書館にない

  • 最近よく目にする、仏教と量子力学が繋がっていたという類いの話ではないことに安心感。科学と宗教それぞれの専門領域から世界を正しくみること、いきる意味を見いだすこと、苦しみを乗り越えることを目的とした説明が詳細になされている。

  • 物理学と仏教の会話。どちらにも興味があったこともあってか、とても興味深く読めた。面白かった

  • 真理の探究 佐々木閑 大栗博司 

    答えが出る世界を
    摩擦による有限界と言い
    具体的な答えの出ない場を
    有って無い無限と言うのでは無いか
    果てしなく真球を目指す世界観が
    手段として必要とするのは
    重力場における有限界による
    相対の関係なのでは無いか
    鏡となる相手の存在から
    我を知る為の情報得る
    無限と有限の相対関係
    神と悪魔の相対関係
    意識と肉体の相対関係を
    追求して行くことで
    無限につながる集合意識を育てていく
    この果てしない冒険こそが
    連鎖する生命環境なのではないのか


  • p144
    “生きることは本質的にすべて苦しみであって、楽しみはその上に浮かぶ儚い泡のようなもの。その生きる辛さを自分の知恵で解消しろと釈迦はいうわけです。



    ● 科学も仏教も生きる意味を与えない。ならばどうする? p185

    (大栗)宇宙そのものに意味がないとすれば、生きる目的は最初から与えられているわけではありません。目的や幸福感は自分で見つけるしかないでしょう

  • 仏教と宇宙物理のそれぞれの話はおもしろいと思う。けど、それらがうまく混じり合っているという印象は受けなかった。

  • 自然の法則を研究し、宇宙の真理から粒子までの成り立ちを追究する近代科学。
    人間の真理を追究し、涅槃に入る道を説いた釈迦の仏教。
    この二つは一見全く違うもののように思えますが、世の中の真理を求めて両者が到達したのは、「人生の目的はあらかじめ与えられているものではなく、そもそも生きることに意味はない」という結論でした。
    ではこのような世界で、どのように生きるのか、なぜ物事を正しく見ることが必要なのかを、一流の仏教学者と物理学者が語り尽くします。
    最新の物理学は私の頭ではあまり深くは理解できませんでしたが、両者の共通点には驚かされるものがあります。
    とにかく素晴らしい本です。

  • 仏教の学者と素粒子の学者の対談。ビッグバン、相対性理論、量子力学。科学者のような釈迦、四諦、三宝。基本的な話とやや難しい話がうまくブランドされていてとっても面白かった。

    ・キリスト教やイスラム教では唯一の神がいるが、釈迦は神ではなく法則を発見した。
    ・この世は苦に満ちているが、消す方法はある。
    ・修行ではなく、スーパーパワーにすがるのが好都合な大乗仏教が中国で主流→日本へ入ってくる。
    ・一般相対性理論と量子力学がブラックホールで矛盾するのを証明したのがホーキング。

  • 仏陀の「苦しみは現実の誤認から生まれる」という考え方と、最先端の物理学から明らかになってきた「本当の現実」を組み合わせ、最終的に「人はどう生きるべきか」という問いへのヒントを与えてくれます。現時点で私が最も影響を受けた本です。

  • 宗教者の佐々木閑、宇宙物理学者の大栗博司両氏の対談。対談と言っても普通の会話のやり取りではない。宇宙物理学と量子論、原始宗教と大乗仏教に関する専門分野のセッションを3回にわたって行い、間に質疑が入る。最新の科学情報と宗教情報が融合して、生きることの意味を考えさせてくれる。(大栗博士の超弦理論は理解できないが面白い、すごいと思う)以下は気になったメモ▼▼(大栗)死後の世界を佐々木先生はどう考えられますか。▼(佐々木)死んだ後の世界は信じません。釈迦の教えによれば、私たちの存在はたんなる構成要素のゆるやかな集合体にすぎず、それが生まれ変わり、死に変わりに際して離合集散していくのが輪廻だからです。そこには「自己」という不変の実在はありません。これを仏教では「諸法無我」と言います。もしも業のエネルギーがなければ、死によって発散した「私」は二度と再合成されないはずなのですが、そこに業が作用して、再び別の形で「私」を形成してしまうので、輪廻が繰り返されるというのです。▽私自身は業や輪廻という現象を信じませんから、結果として、私という存在は、「再構成の可能性を持たない、構成要素の緩やかな集合体だ」ということになります。それはつまり、私に死後の世界はない、ということを意味します。▽ここで申し上げておかねばならないのは、私自身が死後の世界を信じないからと言って、「死後の世界はある」と主張する人たちの立場を否定するつもりは全くないということです。大栗先生もおっしゃったように、「死後の世界があるかないか」という問題自体が、科学とは関わりのない宗教世界での問いですから、それに対する答えが科学的事実である必要がありません。▼(大栗)仏教では、意味がない人生をどうすればよく生きられると教えるのでしょう。▼(佐々木)釈迦は、「みんな同じようにこういう意味を持って生きろ」といったことは一切言いません。教えの内容は、日々の生活の具体的な方法を語る生活マニュアルなんです。そのマニュアルを実践することによって、自分が向上する、すなわち煩悩が消えていくことを確信する。

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著者プロフィール

1956年福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学バークレー校留学をへて現職。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『宗教の本性』(NHK出版新書、2021)、『「NHK100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』(NHK出版、2012)、『科学するブッダ』(角川ソフィア文庫、2013)ほか多数。訳書に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波文庫、2016)などがある。

「2021年 『エッセンシャル仏教 教理・歴史・多様化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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