ぼくはマサイ: ライオンの大地で育つ (NATIONAL GEOGRAPHIC)

  • さ・え・ら書房
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (161ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784378034041

作品紹介・あらすじ

「ライオンを恐れないで、夢をもちつづけてください」。「目標を定めて努力すれば、どんな困難も乗りこえられる」。マサイ族の少年が、周囲の理解を得て学業をつづけ、アメリカの教壇に立つまで。

感想・レビュー・書評

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  • 遊牧民「マサイ族」の子どもとしてケニア北部に生まれた著者が、現代の教育を受けてその価値を知り、機を得てアメリカの大学で学ぶことになるまでの半生を描いた自伝。

    単に成功譚というではなく、幼い頃からのマサイ族としての習慣や生活を丁寧に描いていて、マサイというもの、ケニアの遊牧民というものの在り方を強く印象付けている。
    それは著者であるジョゼフ・レマソライ・レクトン氏が、自分のルーツである遊牧民としての生活や伝統を心から大事に思っていることの表れであり、アメリカの教育を受けてなお、そのルーツを恥じたり捨てたりするのではなく、継承し守っていこう
    とする姿に感銘を受ける。
    自分たちの命を生かす牛を育てるための労働がすべてで、「勉強など必要ない」と誰もが思っている遊牧民の中にあって、レマソライ少年が勉学に価値を見出し得たことに驚く。政府の政策で義務付けられている勉強だが、必要のないものとして途中で投げ出して帰ってきてしまう人が多くいる状況の中で、一見目の前の生活、牛を育て、命を繋いでいくことには直接には繋がらないとも思える勉学に価値を見出し、その先を思い描くことのできたレマソライ少年には、勉学の才能は勿論、物事の先を見越す力や、物事を公平に見るバランス感覚が優れていたように思う。それはどこから培われたものだろうか。彼が生まれながらにして持っていた資質だろうか。

    マサイの生活は、実を言うと「ヤノマミ」を読んだ直後に本書を読んだので、ライオンが出てこようが荒野を何時間歩こうが、ケニアは十分「文明的」な世界だなぁと思ってしまったのであるが、遊牧民や先住民といった伝統的な暮らしを営む人々と、文明社会のなにがしかがぶつかる時、伝統的な暮らしを営む人々が割を食うのはどこも同じなのかと思った。それでいて、ヤノマミが文明社会に入っていった時、ヤノマミ自身が文明社会の中で分裂し、粉々になって壊れてしまうのだろうという昏い予感しかなかったのであるが、レマソライ氏の在り方を思う時、一つの希望が生まれた。
    レマソライ氏は、学を持ち、アメリカ社会でも通用するグローバルな人間となり、その資質を自分のルーツであるケニアの遊牧民に還元する活動をされている。年の半分はケニアに帰り、時には伝統的な民族衣装を着て暮らす。飛行機がアメリカまで何時間も空を飛んでいくということを想像も出来ない母親に、牛を贈る。
    文明に触れることで、変わってしまうこともあるかもしれない。
    けれど、守ることができることもあるのではないか。
    レマソライ氏の生きざまは、遊牧民や先住民を壊すことではなく、生かすことが出来るという希望を私に抱かせてくれた。もちろん、マサイとヤノマミでは全然状況は違うだろうが、一つのモデルとなったのは確かである。

    「西欧の世界で多くを学んではいても、ぼくが先祖伝来の文化を捨てることはない。ぼくの目標は、ケニアの遊牧民がその言語や文化や伝統を守るのを援助すること、そして彼らが教育をうける機会をふやすことだ。」

    今、日本では、教育というものの価値がいかほどの重みを持つだろうか。
    少し見えにくくなっているのではないかと思う。
    けれどやはり、教育こそが、物事を発展させていく、よりよい世界を目指すために必要なものなのだと思わずにはいられない。

  • こういう本が図書館の289(個人伝記)の棚にあっても、本人が全く知られていない人だから、誰も借りない。
    小学校高学年から中学生には世界を知るにいい読みものだと思うけど。
    マサイ族の生活や習慣も興味深いのだが、家族や共同体のつながりが良く分かって非常に面白い。村の人間関係は非常に密で、どんな大人も容赦なく子どもを叱る。(つねり屋という恐ろしい体罰専門の大人さえいる)
    一夫多妻制だが、夫が死んだら長男が主人となり、全員の面倒をみる。村人が家族のように付き合い、飢えたり孤児になったりすることはない。
    日本の昔の村でもこうはいかない。
    やはり遊牧民であることと、危険と隣り合わせでいきていることが、村人を結びつけるのだろう。
    著者も貧しさを感じるのはかなり長じてからで、豊かでのびのびとした子ども時代を送っている。
    こんな風に(ちょっと危険すぎではあるが)自然の中で成長し、自ら学びたくなってから真剣に勉強し、ちゃんとした仕事も得て、なおかつ自分の出自を誇れる人間になるというのは、今の日本人には無理だけど、「マサイ族」という、普段知り合いになる機会のない人の生活や考えを知るのは大切だと思う。
    たいへん平易で読みやすいので、大人には物足りないかもしれないが。

  • マサイ族の少年が宣教師の学校に通うことで、洗礼を受け欧米の文化にも触れることになるが、マサイの暮らし(遊牧民)の価値を忘れず大切に思い続ける。アメリカの大学に通い、アメリカの大学の教壇に立つことになるが、1年の半分はケニアに戻りマサイ族の暮らしを続けている。
    この、マサイの暮らしを大切に思い、周りの人々へのリスペクトが感じられるから、周りも応援するんだろうな。
    アメリカの懐の深さよ!
    マサイの暮らしは想像すら難しいほど、私たちの暮らしとかけはなれているが、それを本の中で披露してくれているところに誇りを感じます。

  • 小学生でも読める本、というテーマでの選書です。
    アフリカの、マー語を話すアリアールという支族に生まれた著者、ジョゼフ・レマソライ・レクトン氏は、いわゆる「マサイ族」です。
    マサイ族は家畜を育てることで生計を立てる遊牧民族で、現在でも古来変わらぬ伝統的な生活を送っている人々ですが、著者はケニアの「1人は学校にやらねばならない」という政策の下、アメリカの宣教師団が運営する寄宿学校で学び始め、マサイの伝統文化と西洋の文明との双方を自身のアイデンティティとしてもちながら成長していきます。

    世の中のありとあらゆるものをまっすぐに受け止め、自身の定めた目標に対して努力を決して怠らず、「勇敢な戦士たるべし」というマサイの掟を胸に秘めながらアメリカへと留学して学問を修めてゆく著者の姿は、これからの地球市民としての生き方のひとつのモデルとなるのではないでしょうか。

    決して説教臭い本ではなく、著者の幼少期からの思い出が小説のような語り口で綴られ、とても面白く読みやすい作品です。
    ……成人の儀式である割礼の場面では、男として思わず痛みを感じてしまいましたが。

    身分(社会的な立場)や経済力によって他者を判断せず(たしかにマサイ族にも経済力の差やそれに伴う発言力の差はありますが、マサイの「経済力」は所有するウシの多さで決まり、多くの牛を所有し続けるためには日常の仕事に真摯に取り組む必要があり、他の手段はありません)、その弱みに付け込むことをせずに個人として為すべき務めを為す著者の姿は感動的でした。

  • おすすめ資料 第11回異文化に生きる人たち(2007.2.2)
     
    アフリカのマサイ族といえば、赤い民族衣装をまとった戦士の姿が浮かびます。
    著者はマサイ族に生まれ、ケニア国内を縦横に移動しながら育ちました。
    現在は米国で一年の半分だけ教壇に立ち、残りの半分は赤い戦士の衣を身にまとい、マサイとして生活しています。想像できますか?
    読んでカルチャーショックを受けてください。
     
    この本を読んで面白かった方には、『砂漠の女ディリー』[N289.3=387]もおすすめです。
    また違った視点から、異文化に生きる人の姿に触れることができます。

  • 「母さん、もうおれを坊やとは呼ばないで。
     割礼をうければ、もう子どもではないのだから。」

    そんなに割礼ってすごいのかな、この言葉を
    読んだに時思った。
    そして、その「割礼」のところを読んでみたら、
    凄すぎて、唖然としてしまった。
    日本に生まれて良かったと、心から思ってしまった。

    知らないところの生活や文化を知るのは、
    面白い。これからも時々、このような本を読んで
    いきたい。

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