ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生

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  • 三省堂 (2008年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784385363714

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ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生の感想・レビュー・書評

  • 本書は二人の著者が特定のテーマで対談したものを文字化したもの。当たりだー。

    だれもが本当に考える力が必要だと思っているのだろうか。あらためて問われると迷うのではないか。自分で考えるというのは難儀であり、大きな流れに身をまかせていたほうが楽である。皆と同じように考え、皆と同じことを言っていた方が世の中は渡りやすい。皆もそれを期待している。世間でよくいう「もっとよく考えろ」というのは、「自分の頭で考えろ」という場合より、むしろ「まわりの考えに合わせろ」という場合のほうが多いのではないか。 p.200

    「なぜ人を殺してはいけないのか」に対して「だめなものはだめなんだ」ということに意味はないだろう。だって実際に人を殺している人がたくさんいる。普遍的な答えはなくて、共に考えていくことが必要だろうと著者はいう。大いに共感できる。けれども、目の前でいじめが起こってたら?ケンカをしていたら?それでも「ねーねー、どうしてそれっていけないのかな?」というだろうか?「だめなものはだめだ」はある程度必要な気もする。

    社会変化に対応する人間を育てる教育は、従来の価値観を無批判に受け入れるのではなく、さまざまな価値観に触れながら、ひとりひとりが自ら価値判断していくような学びの場を創出するところから始まる。 p.26

    問題解決型の学習は最終的にはその時点で最善のものを各人が見出して終わる。クラスでまとめる場合もあるという。ここで著者は「個人個人の内面とアウトプットが違っていてもいい(p.47)」という。そして「個人の内面のほうは、そのまま自分の中でずっと持ち続けていい(p.47)」という。これもその通りなんだけれど、それを個人がずっと磨いていくにはどうすればいいのだろうか。

    印象に残ったのは次の文章たち。
    ・学校というところは、意見を言うことが本質的に持っている危険性を子どもたちが経験を通して学んでいく場所です。 p.54

    ・子どもたちは、発想はすばらしくても表現が未熟なことがあるので、「ああ、多分それはこういくことだよね」と話しを整理して、ほかの人にもわかりやすくしてあげたりする。それがファシリテーターの役割です。何かを教えるという役割ではない。自分の意見とか、自分の知識とか、自分の情報を生徒に伝える役割ではないんです。 p.82

    ・アメリカのホテルでエレベーターに乗ったとき、無言ってことはない。(中略)じゃあアメリカ人のほうがコミュニケーションがうまい(中略)のかというとそうでもないと思うんですよね。アメリカという社会はそうせざるをえない社会だったわけでしょう。自分から相手に形やことばにして「わたしはあなたに敵意を持っていませんよ」っていうことを積極的に示さざるを得ない社会。 p.154

    ・相手の見解があって自分の見解がある、それが対立する、対立するとお互いが変わってくる、まさに、その変わってくるところを楽しめるか、そこを重視できるかですよね。 p.167

    (まっちー)

  • 非常に面白い本だった。
    価値観を同じくしない者同士が対話していくことの大切さ。そのための根気と精神的強さが日本人に必要だという主張が心に残った。「心からわかり合うことだけが、コミュニケーションの本質ではない」ということばは、忘れないようにしたい。
    グローバルコミュニケーションというと、日本人が外に出ていくシチュエーションばかり思い浮かべてしまうけれど、「移民」というケースも、もはや日本人に縁遠いものではないという指摘にははっとさせられた。確かに私のご近所さんにはブラジル人(日系含む)が結構多い。

    「これは!」と思ったところを手帳に書き留めていたら、数ページが真っ黒になってしまった(笑)

  • 日本人が国の違う人と海外において、あるいは国内において、そして日本人同士も、これからどのようにコミュニケーションしていけばよいかの指摘やヒントがいっぱい。示唆に富んだ本。
    日本の教育者は自分の価値観や価値判断を押し付けがちだというのは確かにその通りだと思った。

    「読書をすれば心が豊かになります、だから読書をしましょう」ということもふつうに言われていますが、「他人の心が豊かであるかどうか」の判断がなぜあなたにできるのか、そんなことはあなたが決めることではない、それは子どもといえども個人の内面に踏み込むことだという感覚が、大人たち側にあまりにもないんじゃないかと思うんです。(p.10)

    自分がよいと信じたものを子どもがわかってくれなくてもそれはそれとして受け入れていかなくてはいけない。
    それはすごく難しいことだけど、人を教えるということはそういう孤独に耐えていくことなんだと。
    そういう意識のある教育者が日本にどれだけおられるでしょう!?自分自身、教員免許を取る過程でそんな意識はまったくなく、今もそういう発想はなかったので目から鱗でした。

    広島や長崎に原爆が落ちたことは事実だけれど、それをどうとらえるかは色々な考え方があるのも事実だと。
    原爆問題を劇で演じるとすれば、あなたが原爆爆撃機のパイロットだったら、あなたが地上戦に向かうアメリカの兵士の母親だったら、植民地支配されている韓国人だったらどういう選択をしますかというふうに、それぞれの立場を自分の問題として考えないとほんとうに演じきることはできない…。
    原爆は決して落とすべきでなかったと教師が思っていてもそれを子どもに押し付けてはいけない…なるほど…でもなんて厳しいことだろう。

    だから表現するということには必ずリスクを伴うことになる。
    水俣病の問題にしても、チッソが悪かったという朗読劇にするのは簡単だけど、先進国である日本の中学生がそれをすると、発展途上国の中学生たちに「だから経済発展よりも環境を優先しなければなりません」と言うことになる、と。

    いやはや本当に難しい。
    と、一つの方向に導く日本的教育を受けてきたわたしは思うけれど、フィンランドでは「心とか考えというものは全員違うのがあたりまえ」と思っているから、こう感じなければならないんだという指導はむしろ罪に近いというのだから驚きだ。

  • 名言の嵐です。何度読んでもしびれます。

    『伝えたいという思いは、伝わらないという体験からしか生まれない』平田さんの言葉。

  • 対話の方法も大事だが、それにもまして対話の中身も大事だと思った。いかなる場合に対話をすることがそれをしないことより正当化されるのか。


    フィンランド、嘘を言うことと大げさに言うこと/いじめることからかうことなどの境界線を設けずに話し合い、じぶんで価値判断していく学力が求められる。

    考える力、話し合う力を本当にもとめていくのであれば学校の先生がまず既成の価値観や道徳観の教え込みに対して敏感にならないといけない。問題解決型。

    先生の価値観の押し付けが子供の個性や選択を萎縮させる。

    わかりあえないことには我慢という感覚はない、それが当たり前だから。こう感じなければいけないという指導は罪に近い。しかしヨーロッパ人も価値観の押し付けを嫌う一方で自分たちの文化には普遍的価値があるとして善意で押し付けてくる。価値観の押し付けには敏感にならなくてはいけない。相手がパーンと押し付けてきたらパーンと跳ね返す。冷静かつ論理的に嫌味ったらしく言い返すのが効果的。相手が戦略的に押し付けている場合にはむしろそうしたほうが物事はスムーズにはこぶ。



    自分の罪、傷つけてしまう、という部分を見つめる。ダメなものはダメという思考停止教育は危険、ナチス的。

    日本には答えが一つでない授業が必要。答えが一つの授業のほうがコントロールしやすい。教える側が教えやすい授業。現状では自分の意見を持てない教育。考え方のベースは問題解決のプロセスをみんなでやりましょう。

    一つの方向や結論に向かって意見をまとめたり絞ったりするような話し合いと対極にあるものとしてオープンエンドという話し合いがある。でも出し合ってそのまま終わりじゃだめ。
    アウトプットの段階では何か一つに絞るというかまとめるという作業になるが、強調すべきは個人個人の内面とアウトプットは違っていい。
    そこに最善を追求する話し合いがあれば。

    対立や選択に伴う痛み。
    多数決は最終的に有効になる。それが最善、つまり仕方ないという意味で。実際現実では多数決で流されるので理不尽を感じたりもするが、みんなで意見を出し合って解決に向かうことがみんなで生きていくためには大切なんだということが大事。表現すること、人とコミュニケーションすることには痛みやリスクを伴う。そこを通過させずに多数決をしないというのは本当の優しさではないし対話の場も生まれない。

    みんなで一つのものを作るということで意見や思いを戦わせると子供達は仲間に対して優しくなる。本当の意味で思いやりが生まれる。中途半端な妥協や諦めじゃないところから生まれる。

    日本の民主主義の成立のための正念場にある。あなたの意見には反対だがあなたが意見を表明することの権利は命懸けで守る、というところを大人が守れるか。

    空気を読む技術は体験的に理解する必要。リスクを冒すことをおそれるあまり最初から自分で抑制して何も言わないという状況は望ましくない。学校が安全だというのは表現に伴うリスク、コミュニケーションのリスクを子供が侵しても現実的なダメージを負わなくてすむように最終的には先生が守ってくれる場所であるべき。

    根拠がない発言は認めないというルールを作って根拠を探すために学べる環境を作るべき。

    上から目線、一番だめなのが中年男性。自分の知識自慢経験自慢になりがち。

    知識人とも対等にかたる。知識人ー情報提供、アドバイス、素人ー自分の意見を言う

    若者のコミュニケーション下手。最先端の企業ほどコミュニケーションの不具合を個人の責任にしないでシステムの方をかえはじめる。

    会議の仕方を変えるんじゃなく、会議のバリエーションを作る方が解決に近づく。ライフスタイルが多様化して若者たちは意見を言いやすい場が一人一人違う。問題を社会システムや教育に求める。

    モンスターペアレンツは地域社会の破綻が... 続きを読む

  • この書と共に歩んできたといっても
    過言ではないくらいとても大切な1冊。

    対話(ダイアローグ)や多様な価値観
    異文化におけるコミュニケーション
    というテーマに向き合う機会が多い方には
    ぜひ手元に置いておきたい1冊かと思います。
    全章にわたりオススメですが、とりわけ
    第三章は激しく共感するパート。

  • 6/30 ブックトーク Sさん紹介本

  • 大学時代、哲学の恩師に薦められた一冊です。授業に出るならこれは必ず読んでおいてくださいという一冊でした。ただ、さらっと読むでもなしに積んでしまう不良学生だったので、卒業した今更ですがしっかり通読しました。

    うん、学生のうちに真面目に読んでおくべきだった。良著です。

    実際、日本の田舎に住み、田舎の一般企業で働くと分かります。いかに、将来の日本が「外国人」(つまりは移民)だらけになってもおかしくないか。むしろ、いかにそれくらいしか今の日本を救うすべがないか。そして、それに対して当の日本人が全く気にもしないことが。それどころか、どこへ行っても同調圧力だらけで息苦しい。<対話>という環境が望むべくもないまま、過疎化高齢化を迎えていく。ジジババと、外人と話せないひきこもり・ヤンキーばかりが残って、いつしか衰退するのを待つばかり。これが日本の多くの田舎の偽らざる現状です。にもかかわらず、「外国人の移民を沢山受け入れて、人口と雇用を増やそう」「そのために、異文化の人に自分たちの地域や文化について世界中に発信しつつ、実際に呼び込もう」「異文化の人と街のルールを決めたり、作り直したりしよう」とは殆ど誰も提案しない。同調圧力が通用しない、話の通じない他人が怖いからです。「自分の話を聞いてもらいたい」「自分の気持ちを分かってほしい」という気持ちの方が強過ぎるからですね。
    その点、平田さんの「協調性より社交性を」というメッセージ、それから、「分かり合えない人と、分かり合えないことはそのままでも、どう共生していくか」を目指す方法としての<対話>という繰返し登場する重要な考え方は、必要でしょう。具体的に平田さんは演劇を教育に取り入れています。他の芸術の分野でも、こうしたことを教えたり、伸ばしていける教育のやり方を考えていけたらいいですね。

  • 終章の「移民社会への秒読み」を最初に持ってきた方が、なぜ今、対話なんだというところがはっきりするような気がしましたが、それだとそのメッセージが強烈すぎて、本のタイトルすら変わってしまうので、あえて最後に持ってきてるのかと思いました。

    少子化問題というのは、労働力問題と同じことという視点は、当たり前のようであまり指摘されない。それを考えたときに、現実的には移民受け入れの話が出てきて、その場合に社会はどうしていくのか、というところまで話して、やっとなぜニッポンには対話がない、という話に繋がってくるのかと。

    実はこれからは内なる国際化ために、色んな文化的背景を持った人と話すために対話が必要なんだ、ということが最後まで読まないと見えてこないので、なんとなく読んでてモヤモヤしました。

    身も蓋もないけどこれを先に言っちゃわないと、単に外国はこうです、でも日本はなんでそれに合わせないといけないの?みたいな受け取られ方しかされないのでは。

    最後まで読んで、これからは日本に暮らしている普通の人たちにも対話が必要になってくる、そのための教育はどうあるべきか、という話までやっと自分の中で繋がってスッキリしました。

  • 演じるのだ、それが、世界。

    シェイクスピアが言ったように、この世は劇場で、私たちは皆役者だ。演じるのを悪いことのように言い、「本当の自分」を探すことが至上の価値のように言われても、それはしんどすぎる。元外交官でフィンランド教材作家の北川達夫氏と、劇作家で演出家の平田オリザ氏の対談。刺激的な話がたくさんとあった。こういう授業を組み立てたい。共感するよりも、(だって他人の感情を自分が理解しようなんておこがましい)「もし自分だったら」と想像する、それが求められること。人は完全にわかりあえない、そこから始めて、だから、お互いの共通点を探るために対話が必要なのだ。あとは、最近ずっと気になっている、民主主義の基本、あなたの意見には賛成できないけれど、あなたがその意見を主張する権利は命をかけて守る、っていうやつ。図書館はそういう場所でありたい。

  • 370.4 / 教育 コミュニケーション /

  • 教育の在り方についての本。心や考えは全員違うことが当たり前にも関わらず、「考え方はこうだ」という指導をする傾向にある日本の教育現場。これにより正解のない問題に取り組むのが日本人は苦手だと指摘されているところが印象に残りました。おもてなしの国、日本。相手のしぐさや会話で何を相手が求めているのかを感じ取り、さりげなく接する。個人的なおもてなしに対するイメージですが(笑)、これはいろんな経験やコミュニケーションを通じて培われるものだと思っていたので、日本人は得意だと思っていましたが、特に若い世代は受験勉強の影響もあり、速く一つの答えを求めた者が勝つという教育を受けていて、答えがないものに取り組むことが苦手だということでした。

    世の中、答えがないことの方が多いと思うのですが・・・

    本書は対話式になっていて、読みやすく、堅苦しい本でもありません。個人的には教育論に興味はないのですが、読みやすかったのでさらりと読んでしまいました(笑)

    ほかに、地域の関わり方が昔と違ってきているのでモンスターペアレンツが生まれているなど、人との関わり方の変化が今の社会問題につながっているなど、学校教育にとどまらない教育論が展開されています。

  • 北川達夫・平田オリザ『ニッポンには対話がない』三省堂、読了。本書は元外交官でフィンランド教育の紹介者・北川氏と演劇ワークショップで名高い平田氏の対談集。品格や武士道精神よりも、日本社会に必要なのは対話力。本書でふたりは「学びとコミュニケーションの再生」(副題)を縦横に論じる。

    正しい意見と間違った意見を先験的に設定し正解へ誘導する日本と、考える力の習熟を目指すフィンランド。冒頭で国語の授業を対比し、リスク(対立や選択に伴う痛み)から移民社会の問題まで。教育現場のコミュニケーション概念を一新する。

    「桃太郎は鬼を殺すべきだったか」。「教える立場の人間が、『教え込むことの誘惑』を抑えることができるか」等々。理由もなく人の意見を封殺する風土が根強くある日本社会と現状の不具合だらけのコミュ力を痛罵し、オプションを提案する。

    平田氏あとがきが印象的。「協調性(価値観を一つにまとめる能力)がいらないとは言わないけれど、それよりも社交性(異なる価値観をそのままに、知らない人同士がうまくやっていく能力)が必要」。カントを彷彿!教育者に手にとって欲しい。

  •  会話は親しい人同士のおしゃべり、対話は異なる価値をすりあわせる行為。この対話について、日本人は非常に苦手な面がある。ムラ社会のせいなのか、島国気質というか、全員が賛成な状況の中で、反対の声を上げにくい。道徳的な面においても、そこの規範意識に反することは否定される。郷に入れば、郷に従えである。しかし、国際社会の中で、ググローバル化に向かうにつれて、今までの日本の常識は通じない。相手はこちらの規範や常識が分からないからである。となると、対話ができる日本人へと変わっていかなければならない。教育でもPISA型の国際標準が叫ばれているが、本書はフィンランド教材作家の北川達夫氏と劇作家の平田オリザ氏の対談である。
     日本の教育では、生きる力の育成のもと、学校で指導が行われているが、やはり物事の正解主義的な流れは依然のこっている。話し合い活動になると、意見を言う子が決まっていたり、どうしても力のある意見に流されてしまう。しかし、物事に完全な正解はない。求められるのは、話し合いでみんなの意見を聞くことによって他人の価値判断を知ると同時に、自分で価値判断をしていく学力を身につけるということである。学校の教育の段階で、意見を出し合ってみんなで考えを出し合う経験を増やしていくことが大切である。
     そして、ある程度の型は大事だが、型を学び、型通りに表現することは、あくまでコミュニケーションの基本動作である。その通りの表現に違和感を覚えたとき、また、その型を破りたいと欲望が生まれたとき、そこに「自分の表現」「自分の個性」を獲得する道が開けるのである。
     表現で最も大切なことは、相手に「伝わること」である。その際、自己移入型(エンパシー)のコミュニケーションを取り入れていくべきだという。つまり、「相手の気持ちは分からない」という前提に立って、「もし自分がその立場だったら、どう考えてどう行動していくか」ということである。そしてグローバルコミュニケーションの中では、自分の立ち位置を明確にして、それをしっかりいえることにすることが大事である。
     価値観の共有を前提としない。勝ち負けにこだわらない。変わるをよしとする。いま日本に必要なのは。「対話」の発想を、家庭、学校、職場、地域のコミュニケーションに取り入れることである。そして互いの違いを受け入れた上で、対立を恐れずに話し合いを尽くし、問題に対処していく力をひとりひとりが育てていくことである。
     
     

  • 厳しいこと言われてるけど。

    「表現しても伝わらないことがある」
    「いつでも通じていたら表現は上手にならない」

    このあたりの精神的体力を、鍛えなくては。

  • 日本人ー欧米人の価値観/コミュニケーションスタイルの比較より、日本の「詰め込み教育」への警鐘を鳴らす。グローバル化が進む中で、教育の世界規準を日本の教育でも導入していくべきか。など、グローバル化と教育の関係を考える機会を持てる。対談形式になっており、文章自体も大変読み易い書籍。

  • 日本と、日本以外の国におけるコミュニケーションの違いについて対談している本。日本人の場合、「相手のことは分からなくて当然」という前提のもとで、戦略的に組み立てる「対話力」が足りないと述べている。自分の興味や関心にとらわれたり、「本当の自分」を表現することにより相手と心から分かり合おうとしていたら、対話は永遠にできないと説く。
    ちなみに、著者の一人の平田オリザ氏は、政権交代直後、鳩山総理の最初の所信表明演説を書いたゴーストライターであり、また、菅政権においては、東日本大震災直後、最悪の事態に備えて「関東全域に対する避難勧告」の文案を秘密裏に用意した人物でもある。レトリックの運用に関しては天才的に上手い人なんだと思う。

  • 社会人必読。世知辛い21センチュリーを生きる社会人必読。

  • 共感することを求めずに議論し、お互いの考えを変化させながら妥協点を見出だす。
    この本では教育や移民によって起こるであろう身近な異文化コミュニケーションの話として書かれているけれど、仕事で目的や背景を異にする者の対話にも言えることと思いながら読んだ。

  • ブログにレビューを書いてます
    http://ameblo.jp/happysmile2you/entry-11038657894.html

    対話って大事だなと感じます

  • 名言だらけの濃い1冊だった。
    これから移民が増えるとしたらとても楽しみだし、そこでうまく共存できる日本だといいなと思う。
    すべての人に読む事をおすすめしたいです。

  •  すべての人に読んでほしい一冊。対話を、会話とは区別し、ある種の創作活動のように位置づけている。相手の考えを取り入れて、自分の考えを発信するというやりかた。日本人は、対話の力を持っていないため、国際社会で生き残っていけないのではないか、という論を展開している。
     戦争について討論したとき、中身を深く考えなければ、「戦争はいけない」という主張にあまり意味を感じない。「戦争はいけない」という考えを支えるための情報や、戦争をする人々の立場、状況までも考え、それを取り入れなくてはならない。どこに妥協点を置くかということが、違う考え方を持つ人々と共存するには必要なのである。

  • <ニッポンには対話がない-北川×平田>互いを主張する個性が社交性を持ち掛け合わさることが多文化共生社会では必要とされるが、その手法としての対話が日本人には欠けているとのこと。自らを他者に投影して考え、行動する=Empathyの考え方。様々解決策はあれど、僕はコレ一番大事と思う

  • 震災前に出ている本はもうなんだか少し違う感じがする。多文化共生の世界になってきているのに、異なるもの「外資」を排除して買収防衛策はたてたけど、結局日本から汚水を垂れ流して外国に説明せよと言われているのに説明すらしない。できないのか。

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ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生の作品紹介

品格や武士道よりも「対話力」。「違い」を前提として互いの考えを粘り強くすり合わせていく対話の発想を軸に、気鋭・奇才の二人が、教育と社会の再生を語り合う。

ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生はこんな本です

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