- Amazon.co.jp ・本 (200ページ)
- / ISBN・EAN: 9784385365640
感想・レビュー・書評
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上田先生の「プレイフル・ラーニングの旅」を中原先生のナビゲーションでたどる。
上田先生が歩んでこられたプレイフル・ラーニングの道のりと、実践の今がわかる貴重な一冊。
(追記)ブログに書きました。
http://akyoshi.cocolog-nifty.com/knowledge_design/2012/12/post-1342.html -
渡辺の授業の「プレイフルな学び」の原点
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上田信行のライフヒストリーを聞き出すインタビューと、中原淳のアカデミックな解説な本編。
アンカンファレンスの実践編もおろしろいが、居合わせることができなかった悔しさが募るばかりである。
全編を通じて、お前もやってみろ、と言われれているような本なので、成長的知能観の赴くように、実践に乗り出そう。 -
セサミストリートに衝撃を受けた上田先生の実験的なワークショップの記録。ワークショップのためだけの空間「ネオミュージアム」設立のお話など「プレイフル=わくわく」な気持ちで、学びの場をつくる上田先生の歴史が見えます。
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ピアジェが自分が生きている時代に生きていたなんてびっくり。ずいぶん昔の人と思っていたから(ーー;)
プレイフルラーニングとは、「人々が集い、共愉的な活動に従事する場において、学び、気づき、変化すること」
頭の良さと言うものは固定的なもので変わることがない=固定的知能観。
知能と言うものは、勉強すればするほど伸びる。成長する。明日こそは獲得できるものだ=成長的知能感。
この2つの知能観の違いはとても大きい。どちらの知能感を持っているかによって、学習のパフォーマンスが変わってくる。「努力しても自分は変われない」と言う固定的知能顔持った人は、そのメモリの多くを、他人の目に自分がどう映っているかを気にすることに使ってしまう。つまり、課題解決のためのメモリ容量が小さくなる。一方、「努力すれば自分が買われる」と言う成長的知能観を持っている人は、メモリの多くを課題(=タスク)そのものに振りを向けることができ、より高い成果を上げることができる。
著者は、パフォーマンスゴールをラーニングゴールに変えることができるのか。どうすれば、成果ではなく、学ぶこと自体に意識を向けてもらえるのだろうか。それを可能にする環境とは何だろうか、と言うことを考え続けた。
その中で学習者が夢中になってしまうような学習環境デザインができれば、子供の意識は課題に向けられ、探求すること自体を楽しみ、探求そのものがゴールになるのではないか、と考えた。
「人は没頭できる活動と環境さえあれば、やる気が生まれてくる」環境が良ければ子供わかる。そうした環境を、「場のデザイン」をすることこそ学習研究の役割だと考えた。著者は、自分はデザイナーだと思っている。学習者を夢中にする活動、それを支援する道具、様々な物事をリアルな物理的環境においてデザインし、学習者を高揚させるのが仕事だと。
「人は知識を伝達される存在だとである」といった受動的な人間観ではなく、「人は自ら環境に働きかけ、考え、知識を構成することができる存在だ」といった能動的な人間観が80年代には広がってきた。
ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」とは、「ある個人が独力で可能なこと」と「他者の助けを借りればできること」の間の心理的距離を指す概念。発達を今何ができるかと言う現時点の能力ではなく、明日、あるいは近い将来、どのようなことができるようになるのかという、次に続く発達の可能性に注目した。そして明日の可能性を開いていくために他者の存在が大切だというところにも。
「発達の最近雪領域」というのは、その人が持っているポテンシャル(知的発達の可能性)であり、そのことを自分で意識しながら他者と協同すれば、自分の可能性をどんどん広がっていくと言うこと。
そこで著者は、ヴィゴツキーの相手を発展させて「憧れの最近雪領域」と言う考え方を作った。他者の存在が自分の可能性を広げていく、そうした希望を込めて作った。
「教えないピアノ教室」面白かった。ライブハウスのようなミニ公園、テレビ放送、レコーディングなど、そして本物のステージに立つと言うことで、人の能力はぐんと引き出される。ともかく練習不足でも、まずはステージに立ってみる。そのことがとても大切。
ネオミュージアムが、空間によって人の行動、認知を緩やかにコントロールできていると言うのも面白かった。空間から空間の「移動」を通して人々のマインドセットが変わり、学習は内省のスイッチがおされる。1階が経験のレベル(スタジオ、カフェ、茶室がある)、2階が省察のレベル、3階が意味付けのレベルとなっている。
学び、学びについて学ぶ=リフレクション(省察)、学びについて学んだことをもう一度学ぶ=意味付け、と言うメタ認知的空間を創出したのだ。
著者は、教育とは楽しくて良いのだと考え、次に知識とは与えられるものではなく、自ら作り出すものなのだという考えを持ち、人々が学ぶときには、他者が必要であり、そしてワークショップや展覧会という場が学びのディバイスになると考えた。
「学ぶこと」は「変わること」であり、「変えること」である。「読む事は、あなたの世界を広げる。でももしあなたが描くことができれば世界を変えられる」という意味のことを言ったパウロフレイレは凄い。アウトプットして初めて世界が変わる。インプットでは世界は変わらない。自分の中だけは変わるかもしれないけれど、世界は変わらない。実はアウトプット=リフレクション。自分がどう思ったかを語ると言う事は、語っている自分を俯瞰していないと語れない。体験が経験になっていく、体験がリフレクションを通し熟成して経験になっていくと考える。それは、ループ、サイクルになっていて、本当に学び直し、経験の見直し(意味付け)の連続。
事前課題を楽しいミッションに錯覚させる。
祝祭と日常を比較する時、その時に「あっちは良かったけど、こっちは最悪だ」と思うのが、「あんないいことがあったんだから、そこから何か仕事の世界にもキャリーオーバーできるものがあるはずだ」と思えるかどうかが日常を変える鍵。ハレの場で経験したことをケの場にも持ち帰り、展開できるか、祝祭で感じたことを日常にもみなぎらせることができるか、これが実践的な問い。
「昨日は楽しかったけど、今日はまた嫌な職場に戻るのか」ではなく、「この体験を生かしてもっと楽しい職場にしよう」と言うような1つのマインドセットのようなものが大事。
チクセントミハイも言っているように、「仕事の中にフロー経験が全くない」と諦めている人は、もったいない。仕事を通して少しでもいいから、マイクロフローのような楽しい瞬間とか、フロー経験に近いことを経験したことがあれば、「骨が折れるところも、後少し頑張ってみよう」とポジティブに転化しやすくなるのではないか。
いずれにしても、祝祭空間での体験を何かの形で意味付けし、少しでも日を変えるきっかけになれば良い。
仕事に楽しさや遊び心を取り入れてみようかな! -
プレイフル ・ラーニングとは、人々が集い、ともに楽しさを感じることのできるような活動やコミュニケーションを通じて学びや気づきを得ること。
その概念が生まれた経緯や背景、実践が紹介されています。
これからの時代の学びのスタイルを考える上で、多くのヒントをくれる一冊です。 -
昨年読んで、非常に良かったプレイフル・シンキングの著者上田先生と、数年前にラーニングバーに参加してこれまた感銘を受けた中原先生のコラボな本。
通して読んで価値が浮かび上がってくるすごくよい本で、他者との関係性も含めて学びの環境の一部、という考え方は生態学をやっていた身には特にしっくりくる。
3章の上田先生、中原先生、金井先生の鼎談は、この本全体のよいラップアップになっていて特にオススメ。
なんか、まわりに働きかけたくなった! -
東2法経図・6階開架:379.6A/U32p//K