フーコー (Century books―人と思想)

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  • 清水書院 (1999年5月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784389411589

フーコー (Century books―人と思想)の感想・レビュー・書評

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  • ミシェル・フーコーの生涯と思想の解説書です。今村仁司と栗原仁の二人が著者となっていますが、それぞれがどの部分を執筆したのかは記載されていません。

    フーコーは、『狂気の歴史』や『臨床医学の誕生』で、西欧社会における「知」の分析をおこないました。ここでいう「知」とは、科学自体を表現する言葉でもなければ、科学的な知識の寄せ集めでもなく、科学が成立するための可能性の条件を意味します。フーコーの関心は、精神医学や臨床医学の学説史を記述することではなく、そうした理論的・科学的な認識と、それを取り巻く制度、施設、技術、政治などとの関係を分析することでした。このような仕事を通じて、フーコーは科学の成立基盤を問題にしたということができます。

    他方『言葉と物』では、西洋の諸学問と社会的実践や制度、施設などとの関係ではなく、ある時代における諸科学の関連が考察されています。そうすることで、ある時代に共通な知の全体的なシステムを描き出すことが、フーコーの目標でした。彼はこのような知の全体的なシステムを「エピステーメー」と呼びます。『言葉と物』は、エピステーメーの歴史をたどる「思考史」の試みです。

    また、『監獄の誕生』などの中期の著作では、私たちに「自分はしかじかの者である」と語ることを要求し、自己同一的な「主体」へとみずからを形成していくことを迫る権力を明らかにすることがめざされました。つまり、人間の意識を超えた非主観的で匿名的なレヴェルにおける権力の働きを捉えることがテーマとなったのです。それゆえ、彼の権力論は、自己同一的な主体を前提にするのではなく、むしろそうした主体の成り立ちを批判的に解明するものとなっていきます。ここでフーコーは、言説的実践と秘言説的実践がそれらを取り巻く社会的な体制によって調整され、統治の実現に向かって合理的に組織されていくという意味での「装置」(dispositif)という概念を導入し、知(言説的空間)と権力(非言説的空間)の相互嵌入のありようを問うていくことになります。

    『快楽の活用』と『自己への配慮』に示されたフーコーの晩年の思想についての解説では、著者たちは『知への意志』執筆後のフーコーが取り組んだ二つのカント論、すなわち「批判とは何か」と「啓蒙とは何か」に注目しています。これらの論考の中でフーコーは、カント哲学における道徳的な「自律」の意義について論じています。カントは、人びとがどのような権威にも盲従することなく、自己の理性を用いて思考することを要求します。このような自己は、デカルトの「私」のような、いつどこの「私」であってもかまわないような自己ではなく、「自己と自己の関係性」の中で保持される自己だといわなければなりません。このような各人の自己統治ないし「自律」が、カントの啓蒙の理想と考えられています。フーコーはここに、彼自身の考える「自己のテクノロジー」のヒントを見いだしました。権力論的視座が「装置」に焦点を当てるのに対して、道徳論的視座は自己と自己とがかかわる「倫理」と呼ばれる関係性から眺め、その種別や歴史的推移を比較・検討すること「倫理」に焦点を当てることを可能にしたことに、著者たちは注目しています。

  • まとまりが非常に良いが、こぎれいにしようとしすぎた感がありあまり印象に残る論評ではなかった。

  • まずこれを読む。

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