ミリンダ王: 仏教に帰依したギリシャ人 (センチュリーブックス 人と思想 163)
- 清水書院 (1998年12月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784389411633
作品紹介・あらすじ
紀元前二世紀の中頃、インド西北部(今のパキスタン・パンジャーブ州など)を中心に広大な地域を支配していたギリシャ人のミリンダ王(ギリシャ名はメナンドロス)と、当時の仏教教団の優れた指導者ナーガセーナ長老との間に、仏教の教理思想の根本をめぐって鋭い対話討論が交わされた。それはギリシャ思想とインド仏教思想の対決でもあった。その結果、王は仏教に帰依した。問答の内容は、古代インド語の一種であるパーリ語で書かれた『ミリンダ王の問い』という大変ユニークな経典や、その漢文訳『那先比丘経』など、現存の資料によって詳しく知ることができる。本書は、右の二人の伝記や時代背景、経典の成立伝播翻訳の歴史、対論の教理思想の解説に、現地踏査の旅行記を付した書である。
感想・レビュー・書評
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「黄金のアフガニスタン展」をみにいって、アレクサンダー大王の遠征から生じた古代のアフガン〜パキスタンの文化に関心をもった。
で、以前から気になっていた「ミリンダ王」を読んでみようかなと。でも、原書は厚くて、高いのでとりあえず新書版の解説書をよんでみる。
紀元前2世紀くらいにその地を統治したギリシア人のミリンダ王の仏教への疑問にナーガセーナ長老が答えるという、いわばQ&Aみたいな感じ。
「無我というが、ここにたしかにあるわたしがどうしてないのか?」
「世の中は不平等。自分のしたことが、自分に帰ってくるという因果応報は本当か?そもそも、無我であるなら、自己の行為が帰ってくるという自己はそもそもないのではないか?」
「輪廻転生というのは本当にあるのか?どうしてあると分かるのか?転生する主体はなんなのか?無我と矛盾しているのではないか?」
「人生はどうして苦なのか?苦しいときにそのことは考えればよく、人生全体を苦とみなして、なんか意味あるのか?」
「涅槃とはなんなのか?それはどうしたら到達できるのか?」
王の出す疑問は、普通の感覚の現代人として、いちいち、ごもっともなもので、わたしも全くそうだと思う。
これに対する仏教側からの返答は、分かったような、分からないような。。。
ミリンダ王は、これでよく納得して仏教に帰依することになったな〜、と結構不思議。
私的には、「無我というのは、今、このわたしが存在していないということを言っているのではなく、わたしというのは現象であって、それは実在するなにかではない」ということについては、知的には一応納得。
が、その考えと因果応報と輪廻の関係については、いろいろ言われても、やはり納得できないかな。ちょっとこじつけな感じがする。
大乗仏教には、「すべては空である、つまり相互依存のなかでなりたっている。実在はない」という考えが基本にある。それは、ここでいう無我と同じ考えである。しかし、因果応報や輪廻転生みたいなものは、いわば「方便」。そういうと納得する人にはそう言えばいい。
要するに、大乗仏教って、「だれでも、今、ここをしっかり生きなさい」みたいな考えだと思っているのだが、わたしには、そっちのほうが共感しやすいかな?(ちなみにこの対話は大乗仏教がおこる前の世界ですね)
この本でも、最終的には、「いろいろあるけど、結局、涅槃、すべての苦がなくなった世界を得るのが大切で、そのために正しい道を歩みなさい」なたいなことに帰着するので、それはそれで納得。
仏教的には、やや周辺的な経典(いわゆる三蔵にははいらない)だけど、現代人にとっては、意外に入り易いものかもしれないな。詳細をみるコメント0件をすべて表示