- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393136331
感想・レビュー・書評
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医師と僧侶、いずれも人生の最期に深く関わる職業であるが、宗教界で既に高い立場にいた僧侶がなぜ40歳半ばを過ぎて医師を目指すに至ったのか。現在「僧医」として活動している著者が、医学生時代に綴った一冊。(2F閲覧室 490.4/T)
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偶然知った著者、対本宗訓さん。禅宗の立派なお坊さんが医師を目指す!ただそれだけで十分興味がそそられました。
医師を目指すより前にまずは禅僧になるための波乱万丈な人生。そして周りの反対を押してまでも医師になると言う強い意志は本当にすごいです。
現代のお坊さんと言うのは葬儀、法要の時のみ必要な存在となっていまっている現代にあえて「死」を迎えようとしている人達の側に寄り添いたいとの想い。こんなお坊さんがもっと増えたらいいと思います。 -
091210 -090420by朝日 『僧医として生きる』ほか他著あり
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現代の医学は身体のみを診て心を診ない傾向を強くしている。一方、宗教者は心は見るが、科学が明らかにした生命のメカニズムには無頓着である。これでいいのか。「二十一世紀の宗教者は人類の精神史を統合しつつ、なお温かく柔軟な自然科学者でなければならい」とする著者は、宗教と科学の止揚を自ら体現しようとしている。 -
臨済宗14派の一つ佛通寺派の管長まで務めた、対本氏が結果的にその職を辞すことになっても、医学部受験をし、医師を目指した理由を綴っている。
そこには、生老病死の専門家である僧侶が病に苦しみ、死を恐れる人々の本当の意味での救いになりえていないことへの苦悩から、医師の道を志たことがよく分かる。
そしてそこには若き日の父親の死が少なからず影響を与えていることが分かる。思うことも大事だが、そこまでの人はたくさんいるだろう。
実際、今日の宗教のあり方に疑問を持っている僧侶の方も多いだろう。しかし、実際にそれを実行に移す人がどれだけいるだろうか?そこに対本氏の凄みがある。
http://ameblo.jp/use04246/entry-10197838987.html