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- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393138021
感想・レビュー・書評
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雨の日、いつの間にか片手で傘を差し、もう一方の手で本を読んでいた事に気づいたその瞬間、忽然と「手は手にあらず、故に手なり」ということを了知した。あらゆるものにその理が当てはまるという直感故に、世界が膨大な自由と無尽の可能性を内包し、離合集散の中で生滅しているという現事実と、その一部でありそれを体現する一見本である自己がだしぬけに剥き出しにされ、ただ圧倒された。涙さえ滲んだ。
「空」と「隻手音声」に参じたことも、その無中にあった体験も、そこからの工夫も、ずっと一人だった。
ただ、これが鈴木大拙の「AはAにあらず故にAなり」という即非の論理と一致するかは検証の機会を得ていないが、彼や西田幾多郎に至るまでの禅自体の変遷を俯瞰できたことは、そのまま自らの内部に起こったことに置き換えられもした。無師故に胸を撫で下ろすような安堵を感じながら、禅という型への信頼と、更なる自己の探求への動機を得ることができた。
分別を押さえ込みながら、同時にどれだけ現在把握している限りでの剥き出しの自己を分別の実生活に発揮できるか、そのぎりぎり緩まない身体性に根ざした自己の発揮を、最近試みていた。
その時にはたらいている自己とは何なのか、どのような自己が行為に即して生じているのか、いないのか。ただ自己肯定するのではなく、四六時中、この問題に身心で参ずることに取り組んでいた。
この本を読んで、今目の前にある工夫のプロセスを踏んで先がまだありそうだと、伸びしろが増えたような気がして、晴れやかな気持ちで読了した。詳細をみるコメント0件をすべて表示