紀文(ネリモノ)の社長さんが、雑誌・致知で紹介していた記事を見て興味をおぼえ読んだ本。
著者は、外科医(医者)を辞めた後、春日大社の宮司を務めた方。
表現が適切かどうかはわかりませんが…
私は、医学は科学的、神社・神道は非科学的というイメージを持っていて、医療従事者(著者)が神さまについて語るのは意外な感じでしたが、恐ろしく説得力がある内容。。
ですよね。。と。
日本人、と名乗る事が恥ずかしくなってくる、自分の無知が悲しくなった内容でした。
特に印象に残ったのは
◯神さまは人間のいろいろな悩み、苦しみを聞いてくださり、われわれを救ってくださると考えている人が多いのですが、日本人本来の考えとは真逆です。本来の祭りは人間の我欲の願いなど一切行っていません。ただ神さまをお悦ばせするということだけを行なっている。
神さまがお悦びになれば、こちらからお願いをしなくともお恵みをくださる。
◯正月とかお祝いの時に晴れ着を着る理由は、自分のためではなく、神様への感謝を表すための服装だから。
自分を美しく見せるためにきれいな服を着るというように考える事は我欲の表れ。
◯「いのち」という言葉の「い」は生きること、「ち」は知恵。「生きるための知恵」という事が「いのち」という言葉の本質。
◯この世の中というのは、栄えるというのではなく、続くという事が大切。
◯努力して結果は自分で求めない。
◯「聖人」の(日本での)本来の意味は、「聖=ひじり=日知り」(暦について)
◯日本人は人の幸せを考えれば自分が幸せになるという考えをもっていた。どうやったら人が喜んでくれるかを考えなさい。
◯祭りというのは自分の個人的な願いを祈るというのではなく、神様に喜んでいただこう、神様と一緒に生きようという事が原点にある。