禅への道: 香しき椰子の葉よ

  • 春秋社
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393332269

感想・レビュー・書評

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  • p189
    地球上どこへ行っても,対して違いはなく,心の持ち方こそが決定的な決め手になる。(中略)最近、宇宙旅行についての記事を読んで、宇宙船に乗って地球の軌道をまわっている自分を想像してみました。計器の誤作動で,私の乗ったロケットの燃料噴射系が故障して,地球に帰還することができなくなります。私に残された道は,食料と酸素が尽きるまで軌道をまわりつづけることだけです。地球への通信装置も故障して,天涯孤独のうちに死にいたるのです。地球が恋しくなります。かつて軽蔑していた、卑劣かつ残忍、狭量の人々が、いまや親友のように貴重な存在に思えてきます。これからの人生をずっと彼らといっしょにすごさなければならないとしても、地球に戻れるならば、喜んでともに暮らすでしょう。しかし戻るすべもなく、愛する地球の大地に骨を撒くこともできない。宇宙船のハッチを開けて飛びおりようにも、重力がないので地球まで落ちてもいけない。地球は私など必要としていない。引き戻してもくれない。地球からも人類からも、はるかかなたに引き裂かれたのです。

    p196
    みんなどんどん寂しくなっていく。いつもどこかでひらかれている、宗教団体の集会や親睦会のたぐいをのぞいてみてください。教会やお寺は、宗教の名のもとに男女が集うパーティー会場になっています。教会やお寺は気晴らしや出会いの場なのです。人々が政治集会、男女のグループ、慈善団体や学生組織、果ては核兵器反対集会にまで出かけていくのは、自我という固い殻にとらえられた自分の空虚さや孤独から逃げようとしているのです。しかしどこへ行っても自分の固い殻のなかで空まわりするだけです。こうしたむなしい集会は、みずからの殻を外部に反映したにすぎないのです。

    p197
    苦をもって苦を制す
    こころに巣食う暗い喪失感や疎外感を一掃する特効薬は,人生の苦しみに直接触れてみることです。他者の苦しみや不安に触れて,それをわかちあうことです。偽りの(自我という)殻に閉じこもるから、あなたは孤独なのです。自分自身を、他者とは関係ない独立した存在だと思いこんでいるのです。仏陀はこれを「自我への執着」と呼びました。真実は、他者から切り離された自我などなく、空なのです。これを悟るのに、仏陀の言葉を待つまでもありません。あなたの現実を深く見つめてみたら、人はわかれて存在するものではない、と気づくことができるのです。

    p199
    しかしもちろん、いちばん大切なのは、生きる姿勢です__どこで暮らすかという問題よりも、はるかに大切なことです。細菌が健康体の免疫システムを冒すことができないように,疎外感が強靭な精神と,揺るぎない心を打ち負かすことはむずかしいのです。最高の解決策は,今いるところを逃げ出して,どこか別のところを探すのではなく,健全で強固な精神を育てることなのです。

    p212
    ヴェトナムでは村ごとに小さなお寺があり、少なくともひとりは住職がいます。山村すべての住職が、人々の生活を向上させるという私たちの仕事に協力してくれたら、この運動は短期間で成功するでしょう。(中略)必要なのは村の発展に寄与できる訓練を受けた専門家です。私たちは村人たちを訓練して、村の専門家に育てあげようとしているのです。八つぁんの活動を観察していてわかったことは、社会福祉青年学校のコースに、医学と鍼灸の基礎コースをとり入れる必要があることです。また学生は、八つぁんのように、効果的かつ自然体のコミュニケーション技術を学ぶ必要があります。村人たちが持つ豊かな体験をひきだすことができなければ、計画は失敗します。伝統的方法に代わる新しい技術を提供するのではなく、すでにそこにある資源を補うものでなければなりません。

    p250
    師を失ったヴェトナムでは、カトリックを擁護する政府によってヴェトナム仏教の根絶が謀られていた。そして一九六三年六月十一日、ナット・ハンの恩師であったあのタイ・クァン・ドック師の壮絶な焼身抗議が起こる。「クァン・ドック師の焼身自殺による抗議のニュースは全国に広がり、6月16日の葬儀に際して、政府と仏教徒のあいだに五つの妥協案が提示された。……しかし葬儀がサイゴンの市街地の三分の一をまわっても、なお人々の怒号はおさまらなかった。政府は葬儀を6月20日に延期せざるをえなくなった。こうして遺体は火葬されたが、六時間燃やしたあとにも、その心臓だけは灰と化さず,再度焼き尽くしても、師の心臓はそのままの形をとどめていた」

    p251
    ナット・ハン師はコーキン村での農村プロジェクトの章の末尾で、他者を助ける仕事に関わってきて、仲間の活動と努力の最初の受益者は自分であったと述懐している。「善行の最初の恩恵を受けるのはいつも、その行為者自身です。トウモロコシの種を撒けば,トウモロコシが収穫でき、豆を撒けば,豆が収穫できるのです。こんなに単純明快な事実に気づくのに、どうしてこんなにも多大な試練を経験しなければならないのでしょうか」。

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