誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義

著者 :
  • 春秋社
3.78
  • (57)
  • (56)
  • (74)
  • (7)
  • (4)
本棚登録 : 739
感想 : 60
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393332719

作品紹介・あらすじ

禁断の世界史講義、開幕。世の初めから隠されていた秘密が明らかになる…。シリーズ「世界と日本の見方」第2弾。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 日頃、生物多様性を謳うなら、人間ってどうなってるんだ?みんな欧米化して、外来種になり変わらないと生きていけなくなってる と思っていたけれど、その欧州の進化の歴史ややり方を概観できた
    自分を質に入れるな という言葉を得て、今後を考えて見たい

  • 読了

    アマゾンのコメントを見てると、気持ち悪いのだらけでムカムカ

    人間、素直さが大事です

    工作舎の本が総じてそうであるように、隙間恐怖症的な詰め込みで、情報量は凄いけど、あっちこっちと行くから圧縮し辛くて記憶容量を超えるので、理解していくというよりも、喉越しで読んでいくしかない

    こういうふうに俯瞰できるようになると良いと思うよ、という本であって、そのためにやらないといけない膨大な宿題を提示される本であって、それはやっぱりできないから、この本を読んでその感じをつかんだだけで満足ってことにしておこう、という結論に達するしかない本、というのが、松岡正剛と工作舎の本

  • 松岡正剛が歴史を綴った内容だが見事!の一言に尽きる。
    歴史を振り返る上でのプラットホームとしてこれだけ完成された内容は他に類をみないだろう。
    一般的に小難しく呑み込みづらい歴史の箇所も松岡正剛によって噛み砕れた記述で記されて教養の新たな上積みに繋がる、他の歴史を断片的に扱った本よりも「歴史」という大枠を成して中の内容部分に一切の隙がない。
    本書を読んで初めて歴史の紐と紐が繋がり、新しい側面を伺い知れた。

  • 博覧強記の著者による、ゆるりと融通無碍な歴史講義。

    個別には粗さやストーリー理解の強引さがあるが、個人が持ち得る知識とその有機的なつながりに感服。

  •     ―2008.04.23

    副題に「自由と国家と資本主義」、2007年12月の新刊書。公開講座の語りおろしによる著者独自の史観で読み解く近現代史。

  • また読み返してみるかな。。何書いてたか忘れたw、けど、自分は高校で世界史を習ったはずなのに本当のことは何一つ学んでなかったのだとショックを受けた思い出はある。

  • 〜社会進化論(社会ダーウィニズム)的に信奉される新自由主義への疑問符を編集工学で考察し、「日本という方法」を提案する〜

    本書は、日本を含む世界の歴史をタテ・ヨコ・ナナメに輪切りにして、巨視的な視座で俯瞰するというものです。
    既存の情報をテーマごとに再編集し、多様な文化や新たな方法を創発する試みは、大変興味深いものでした。
    イギリス、ナポレオン、朝鮮半島、ドイツ哲学といったテーマを史学、哲学、経済、文学などの視点から垣根を超えて情報の関連性(あいだ)について考察しています。
     
    これらの考察は、以下の結論に帰着するよう構成されており、その精緻なロジックには舌を巻きました。

    世界は、もともと決して同質なものではないから
    世界が、たった一つの強力な原理や制度で動いていくとした考えは、大きな「まちがい」である。
    とした上で新自由主義の潮流の只中にいる日本の舵取りについては、「日本という方法」を編集していくべきとしています。
    本書においては、「日本という方法」について「苗代」を例にして考察されていますが、それはつまり、グローバリズムを含むさまざまな成果の芽をいったん苗代にして、それから本番で植え替えるという方法があるのではないかという提案です。

    終始興味深い内容で、楽しく読了しましたが、全体を通して、縦横無尽に思索が目まぐるしく移動し、それが醍醐味といえばそうですが、私の知識量では少々ついて行けてない、置いてけぼり感が否めない感じでした。(ドイツ哲学の系譜については特に?でした。)
    悔しいので、本書で紹介されている数多の書籍から興味のあるものを選別し、手に取ってみたいとも思いました。

  • 積読本をかたづけようシリーズ。
    
    『17歳のための世界と日本の見方』に続く、松岡正剛による世界史講義。文学、哲学、経済などをからめながら読み解く近現代から現代史編。
    
    「〜はみなさんご存知ですね」といった言葉が頻出するのですが、いや、知らないって。
    私が世界史に疎いのもありますが、これはもう正剛先生はワザとやっていて「これくらいは勉強しといてね」みたいな感じで固有名詞やら歴史上の事件やらがバンバン出てくる。情報量が多すぎて消化できません。
    
    「エリザベス女王は信長の一歳年上」みたいな歴史を横断する視点というのは必要だなと思います。
    

  • 著者は凄まじく博覧強記な人で意外な場所から意外なロジックを組み立てて眼前に提示してくれる。それが快感。そういうのが著者の肩書きである「編集」なんだろうね。この人の本は今までは思想・文化などの分野しか読んだことがなかったが、今回は、歴史や社会科学について。近代以降の歴史の概観が1章〜9章、現代・日本の課題が10章、11章。最後の2章はかなり面白い。

  • 社会
    思索
    歴史

  • 【由来】
    ・学園の図書館で2冊になってたのを少し読んだら無類に面白かった。

    【期待したもの】
    ・ちょうどマクニールの「世界史」を読んだ後で、色々とふくらませていくのにちょうどいいかと。

    【要約】


    【ノート】
    ・ちょっとした雑学からフランクフルト学派まで縦横無尽。それゆえ、「おもしろかったけど、何だったっけ?」という危険性も。

    ・株式会社って、つまり、何だっけ?P172を読んで。「爆発的に増えた」、なぜ、その形態でなければならなかったのか。つまり、不特定多数から資金を調達する、手っ取り早く、ということ?にしても、登場してから、その形態が信頼されるまでには時間がかかったのでは?最初は金持ち同士だったから問題も発生しなかった?

    【目次】
    第一講 ネーション・ステートの謎
    「異質」に世界を見る
    世界の歴史はタテ・ヨコ・ナナメ
    紅茶だって世界を動かす
    どこに行っても資本主義
    情報ネットワークと自由
    資本主義のきびしい掟
    自由なサービスはどこまで可能か
    「みんな」が受け入れられるサービスとは
    「みんなの国家」が引き受ける
    ネーション・ステート ー 国民国家の意味
    近代をまたぐ欲望
    慾望と機械がくっついた社会

    第二講 エリザベス女王とリヴァイアサン
    エリザベスは信長のお姉さん
    近代のカギを握る「イギリスの謎」
    フランスとの確執
    英国国教会の誕生
    キーワードは「エミグレ」
    移住という思想
    一神教と「神の戦争」
    カトリックvsプロテスタント
    クロムウェルのピューリタン革命
    近代国家論の出発、「リヴァイアサン」

    第三講 将軍の国と華夷秩序
    そのとき日本はどう「世界」と接したか
    徳川社会と「負のはたらき」
    大帝国「明」の興亡
    日本のダブル・スタンダード ー 和・漢
    徳川日本、中国離れのシナリオ
    日本乞師と呼ばれた男
    開国と通商という宿命
    黒船が日本に来るまで ー ネーション・ステートのめざめ

    第四講 列強の誕生とアジアの危機
    「モーラ」の世界から見えるもの
    フランスの立て直し ー 英雄ナポレオン?
    欧州各国の自立化を促す ー 英雄ナポレオン?
    ドイツ人が考えたこと
    「ロマン」が国をつくる
    列強の近代へ
    アヘン戦争が世界を変えた
    ひどかった南京条約

    第五講 開国の背景に何があったのか
    強い国家・広い国家 ー イギリス・フランス
    武力帝国の誕生 ー ドイツとロシア
    自国を強化するフロンティア魂 ー アメリカの拡張
    ペリー来航 ーとうとう日本もフロンティア
    イタリアにも「維新」があった
    日朝の深い関係
    古代朝鮮の歴史
    決定的な敗戦、「白村江の戦い」
    充実の李氏朝鮮時代
    朝鮮半島への侵略

    第六講 明治日本の戦争と文化
    日本画と「二つのJ」
    東北アジアをめぐる争い
    日本が朝鮮に開国を迫った
    日清戦争への道のり
    アジアか、「脱亜入欧」か
    三国干渉による横やり
    閔妃殺害のシナリオ
    世界を分割する野望 ー 帝国主義国家の成立
    アフリカ分割の悲劇
    朝鮮を舞台にした日露戦争
    列強入りした日本が得たもの ー韓国併合

    第七講 社会も国家も進化しつづける?
    「共産党宣言」の爆発
     アタマの中の弁証法・セカイを丸ごと唯物史観
     個人から社会へ ー 経済思想の流れ
     理想社会をつくる実験
     マルクス経済学のチェック・ポイント
     ダーウィン「種の起源」の衝撃
     社会は進化しているか?
     未来を目指して一直線 ー スペンサーの社会進化論
     変化を受け入れる視点 ー 仏教思想の影響

    第八講 カフカとフロイトの部屋
     語りえぬ二十世紀を語る
     イギリスの3C、ドイツの3B
     バルカンの火薬庫に火がついた ー 第一次世界大戦
     フロイトが見つけた「内なる闇」
     世界と自分を観察する ー 現象学の登場
     人間って何だろう ー 実存主義
     自と他を結ぶ、ヤスパースの「了解」
     説明できない「世界とのかかわり」 ー カフカの文学
     「中心をもたないという立場
     カフカとフロイトの部屋にいた「アウトサイダー」

    第九講 二つの世界戦争の間
     中東って何だ
     イスラム的「エミグレ」のパワー
     アラビアのロレンスの真相
     中東問題の火種
     立ち上がるガンディー ーvsイギリス
     したたかな革命家ホー・チ・ミン ーvsフランス
     ワイマール体制とナチスの台頭
     世界恐慌の余波 ー 第二次世界大戦突入
     民主主義は本当に勝ったのか
     アラブとバース主義 ー 第一次・第二次中東戦争

    第十講 資本と大衆の時代
     数が質になる、大衆のパワー
     冷戦時代のポリティクス ー 代理社会の代理戦争
     新植民地主義とは何か
     ゲーム理論に溺れるアメリカ
     パクス・アメリカーナと新自由主義
     1970年代の世界経済の大転換
     合理的な自由競争のゆくえ
     いくつもの資本主義
     資本主義社会の病気と症状
     世界の均質化を「編集」でのりこえる

    第十一講 日本の苗代をとりもどしたい
     日本人の「ものの見方」
     苗代という方法
     「失われた十年」の意味
     証券化の嵐が日本にも吹き荒れる
     「リスク」が商品になる時代
     日本人の「道理」もある
     驚くべきレベッカの資本主義
     世界のあちこちに「苗」をうえる勇気

    おわりに ー 苗代の智恵

  • w

  • 『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』(春秋社)の続編です。近代以降の西洋史と江戸幕府から明治にかけての日本の歴史をたがいに照合させながら解説をおこなうとともに、資本主義と帝国主義に共通する問題を考察しています。

    一つの主題について考察するというスタイルにはなっていないのですが、「グローバリズム」の持つヘゲモニー的な性格に対する批判へと著者の議論は収斂していき、日本の伝統文化の中にそれを乗り越える「編集」技術を見いだそうとしています。とはいうものの、具体的な方法についての記述は不足しており、大まかな方向性が示されるにとどまっているように思います。

    「編集工学」という著者の方法論的立場は、領域横断的にネットワークを張り渡していくところに一番に醍醐味があると思っているのですが、グローバリズム批判というテーマはアクチュアルにすぎるせいか、どうしても議論の粗さが目についてしまうような印象を抱きました。

  • 博覧強記松岡正剛氏の世界の中の日本史一筆書き講義録。話し手(書き手)は楽しいんだろうな。でも聞く(読む)方は、俺にも言わせろ的な気分になってフラストレーションが溜まります。日本史に一家言の無い人向け。

  • 大衆とは、自分では何も考えずに、みんなと同じであると感じることで安心する連中である

    世界が同質性を有することに警鐘を鳴らしています。いわゆる「アメリカン・スタンダード」ですね。

    しかし、同質であることは、すなわちプレーヤーが多いとも言えます。プレーヤーが多いほど市場規模が拡大し、勝者には規模に沿った恩恵が得られます。

    今私のいる仕事の世界は、そういった意味ではプレーヤが少ないように思います。プレーヤーが少ないということは、それだけ専門性が高く、専門家であること自体に希少性が生まれます。

    しかし、専門性が高い程、他分野での融通が利かず、リスクを抱えることにもなります。専門性と普遍性のバランスをどう取るかを考える毎日です。

  • 残念な説明。ペリーの黒船は、太平洋から来たのではありません。インド洋からです。
    タイトルの「誰も知らない」は、まちがいなく、まちがいである。人々は、百年以上前から、それを帝国主義と称している。
    言いたいことは、「おわりに」で言い尽くされている。饒舌が邪魔して、ちょっとうっとうしい。他方で、鋭さとオリジナリティーに欠ける。編集者だから、当然か。色んな本の内容を寄せ集めて語った近代史と文化論。日本のまちがいが、説明不足。日露戦争~昭和日本の政治・世論のまちがいをすっとばして、急に未来展望で、昔からの日本の良さを生かす話になるところが、論理の飛躍だ。
    半藤一利氏が、物知りで人のいい近所のご隠居さんだとしたら、松岡正剛氏は、本好きでちょっと上から目線の近所ののお兄さん。近所にいたとしても、人格面で、あんまり、かかわりたくない。志において、どこか、胡散臭いのだ。

  • 松岡の主張は次の一文に要約できると思う。
    「世界はもともとけっして同質ではない。にもかかわらず、現在、世界はアメリカの
    ルール・ロール・ツールによって均質化されつつある。これは間違いである」
    これが松岡の主張である。本書は、第一に、このような状況が「いかに」生じたのか。第二に、この「間違い」に対抗する術はあるのか。この二点について解答を提示することを目的とし、論じられていく。

    ・私たちはいかなる時代に生きているのか
     松岡は現代とは「資本主義」の世界であるとみる。松岡の資本主義観は、ウォーラーステインによっている。本書でも幾度も引用される。ここでいう資本主義とは、世界システムとしての資本主義である。資本主義は今や世界中に網の目のように広がり、グローバル資本主義となりつつある。しかしながら、資本主義は必ずしも安定的システムでもなければ、安心できるシステムでもない。これまでにも資本主義の問題や矛盾は指摘されてきた。もちろん、反対に資本主義を正当化する理論家も多く存在する。なぜ問題や矛盾は存在するのか。その大きな理由は、「世界はもともとけっして同質ではない(P8)」にもかかわらず、世界をある一つの特殊なシステムが覆おうとしているからであると松岡は考えている。

    ・現代社会はいかにして生じたのか
     ではこのような資本主義社会が世界を覆うようになったのは一体なぜなのか。その起源・原因を探っていく。資本主義はそれ自体で発生し、発展してきたものではない。それは「国家」と密接な関係がある。したがって、近代国家の成立を探ることと資本主義モデルの起源を探ることは不可分の関係となる。松岡はその起源を二つの段階に分けて考えているようだ。第一の段階ではその起源をフランスとイギリスに求める。第二の段階ではそれをアメリカに求めている。
    まずフランスであるが、ナポレオンが近代システムの確立のため多くのことをもたらした。第一に国民国家の確立であった。第二に、大陸封鎖令によって、ヨーロッパ各国に経済的自立をうながした。第三にイギリスの産業革命と結びついたことも相まって、商業資本主義から産業資本主義への転換をもたらした。一方でイギリスはグローバル資本主義の成立に大きな貢献をしている。イギリスの三角貿易の発明であるという。その技術的背景には「株式会社」の発明があった。イギリスは覇権を維持するためにアジアとヨーロッパを結びつけた。後に三角貿易はアヘン戦争の原因となり、いよいよヨーロッパ列強がアジアに進出してくるきっかけを作った。その後、イギリスは近代植民地を地球上の各地域につくることによって栄えることとなる。これが「パクス・ブリタリカ」である。この植民地経営による繁栄は、同時にそれまでヨーロッパの内部で興っていた資本主義が世界に広がることを意味した。
     日本が列強の論理(世界帝国のルール)で生きることとなったのは、「日清戦争」の勝利からである。このことは以下の文で表されている。
    『これは一言で言えば列強が用意した「グローバル・スタンダード」に入ったということで、それをしたからには戦争に勝とうが負けようが、どこに植民地を作ろうが奪われようが、ようするに資本主義市場でアップダウンを繰り返して国家を経営していくしかないということを単に示しているだけなんです。』(P234, L9~L10)
    こうしてイギリスの論理が世界の論理となり、日本もその論理の中で生きることとなった。この第一の段階についてもう一点重要な点は「思想的観点」である。それは「社会ダーヴィニズム」だ。ダーヴィンは「種の起源」を記したことで著名な人物である。このダーヴィンの「生物学」における「進化論」とマルクスの唯物史観が合わさり、曲解され、「歴史は発展する」という見方が広まったのである。この思想が資本主義の発展に大きく寄与したことは言うまでもない。
     続いて第二の段階としてアメリカについて述べられている。第一次世界大戦、第二次世界大戦が終結すると世界の中心はアメリカに移っていった。「ブレトンウッズ体制」が確立され、「パクス・アメリカーナ」の時代が開幕した。「パクス・アメリカーナ」は大きく三つの経済政策が柱となっていた。反共主義、新植民地主義、新自由主義である。新自由主義とは、「市場原理主義」と「小さな政府」による資本主義を展開していく政治方針のことをいう。この新自由主義が日本を含め世界を飲み込もうとしている。以上が現代社会の資本主義がいかに生じたのかについての松岡の診断であった。

    ・処方箋としての苗代
     冒頭にも述べたが松岡は「世界が、たった一つの強力な原理や制度で動いていくなどということは、はなはだおかしいこと(P456)」だと考えている。しかしながら現実には、小泉・竹中改革に象徴的であるがアメリカの「新自由主義」が浸透してきている。そこで、松岡が提案することは、その「アメリカのもの」をいったん「苗代」にすることである。苗代とは、稲作で行われてきた方法の一つである。それは、いったん蒔いた種を「苗」にして、それをふたたび田植えで移し替えるという方法である。つまり、いきなり田んぼで育てないのである。成長を二段階にしているといってもいい。グローバリズムの導入をいったん幼若な苗にして、それから本番で植え替えるという方法があるのではないか、このように提案し、本書は終わる。

  • 「世界と日本の見方」の続編的な本。
    相変わらずの正剛ワールドで、読んでいて、ある意味忙しい。

    正剛さんは、世界を「輪切りにして」語っていくため、その切り口や角度によって実は様々な側面が出てくるのだろうが、本書では、結構斜めに輪切ってきたなという感じ。
    初めて世界に触れる時に、正剛さんから入ると、メリットも大きいが、その視点は常に一側面だよというのを、強く意識していないと、曲解されてしまう危険性もあるなと思った。
    というのも、自分が読んでいて、ついついそんな感じになりそうだったから。

    特にイギリス。

    これだけ読むと、イギリスひでー。って思いますw

    とにもかくにも、今回も間違いなく、面白かった。

  • タイトルに惹かれて読んでみましたが、思ってたんと違う内容でした。タイトルに世界と日本のまちがいとありますが、日本は3分の1ほどで、世界のことがほとんど。しかもチャプターが細かく分かれていて、一つのチャプターの内容が「これだけ?」と思うほど少なかった。もう少し日本と世界を対比させて、掘り下げて欲しかったどす。

  • こんがらかっていた近現代史がよくわかりました。世界を縦横無尽にかけめぐりながら、歴史をみていく楽しさもわかりました。
    松岡正剛さんの本を読むといつも、今度はこの本も読みたいと思うものに出逢えます。今回も、何冊か読んでみたい本、知っておきたい本に出逢えました。

  • 世界史を、タテヨコナナメに見る・・・通史を見たり、同じ時期の複数地域を見たり、テーマによって複数時期、複数地域を見る・・・といった、松岡さんらしいところは、たしかに面白い。
    でも、「誰も知らない」世界史というほどなの?と思いながら読んだ。
    やっと面白くなったと思ったのが、第八章、第十章。
    ちょっと遅すぎやしないか?

    フッサール、ハイデッガー、カフカら、第一次大戦後のドイツ文化。
    世界との関係を問い直し、中心を持たないありかたを指向したというところは面白かった。
    それから、第十章のゲーム理論が隆盛した背景。
    経済学で鍛えられてきた理論家と思っていたら、それよりも早く、東西冷戦で実用に供されていたとは。
    そして、ゲーム理論の人間観が、資本主義に最適化された「合理的人間」をベースにしているという指摘にははっとさせられた。
    この本の前に読んでいた『使える経済学』にある、ゲーム理論どおりには行動しない日本人の話にも通じるところがある。

    さて、松岡さんは「日本」を方法化して、資本主義の行き着くところまで行った世界を「再編集」することはできないかと考えているようだ。
    ・・・う~ん、できるのかなあ???

  • 資本主義ってのがどこから生まれて、どこへ向かっているのか?時代や国やジャンルを超えて、とてもわかりやすく語られていて面白かった。
    「編集」の大切さや日本の持つ可能性など、いつもこの人の本を読むと様々な視点とアイデアが勉強になる。

  • 仕事のために再読。

    実際の講義を文字に起こしただけあって非常に読みやすいし、最初の方で著者が提唱した「編集」という概念の大切さはとても共感できる。
    で、著者自らがその「編集」とはどういうことかってのを、歴史を語るうえでも実践していて、「こういうの、20代の初めに読んでたら、またその後の知的好奇心は変わってただろうなあ」と思わせてくれる。

    ただ、ところどころ「ん?それは違うんじゃないの?」という事実認識が出てきたりして、たぶん語っているからつい口が滑ったとかだと思うんだけど、そこがちょいとマイナス。

  • ざっくりと歴史が分かる。

  •  歴史の雑学を披露し、常識とは別の角度からモノ申す趣向の本である。日本文化研究者の第一人者、松岡正剛の本を読んでみた。第10講「資本と大衆の時代」について、こちらの内容についてはとても興味深い。

  • 松岡氏の書かれた本は初めて読みましたが、資本主義の発生・成長過程にスポットをあてて、近代史を解説してくれている本です。最近、資本主義が行き詰まりを見せかけていますが、資本主義というものが、誰によってどのように生まれてきたかを知ることは興味あることでした。

    乱暴な言い方かもしれませんが、資本主義は労働コストが低く抑えられていた始めのころ(奴隷や、それと労働コストが変わらない人たちが、働いていた頃)はうまくいったシステムですが、その方法がとれなくなると、うまく機能しないのかもしれませんね。

    以下は面白かったポイントです。

    ・ヨーロッパの列強が、強大な力を持ったオスマン帝国を追い詰めることになったのが第一次世界大戦である(p13)

    ・イギリス国内では紅茶の消費税を引き下げたのに、植民地のアメリカでは関税をかけたことが、1773年の「ボストン紅茶事件」、独立戦争につながった(p15)

    ・連帯保証人とは、連帯債務者であり、人的担保(人質)そのものである(p24)

    ・秀吉が関白秀次に密かに託した「国割り」には、後陽成天皇を北京に移し、大日本帝国の首都を北京、秀次は内閣総理大臣(大唐の関白)、日本国内政治は、宇喜田秀家あたりを考えていた(p51)

    ・日本に伝わったキリスト教は、新教(プロテスタント)に反対した旧教側の、ラディカルな団体(イエズス会)であった(p60)

    ・イギリスの王(ヘンリー8世)が離婚して、アン・ブリーン(エリザベス1世の母)と結婚するときに教皇に許しがもらえなかったので、1534年に首長令を発布してイギリス教会は自立した(p61)

    ・森林型の「多神多仏」では、時期を待つ、多くの意見を聞いてまとめる、リーダーが何人もいる、見送る、チームが分かれる、といった保留という考え方が成り立った(p75)

    ・株式会社の誕生とともに三角貿易(本国、植民地、相手国の三角:イギリスが本国生産の絹布をインドへ輸出、インドはアヘンを中国へ輸出、中国から紅茶を輸入)を生かして本国が利益を圧倒的に有利にする)が始まった(p92、160)

    ・中国の人口が漢代(0.6億程度)から、18世紀に4億人になったのは、サツマイモのおかげ(p95)

    ・産業革命には、動力革命・交通革命・産業革命の三段階がある、1757年にプラッシーの戦いでイギリスはフランスを破ってインド獲得、1763年に7年戦争でフランスからアメリカ植民地を獲得する(p121)

    ・1842年の南京条約は、香港割譲・5港の開港・没収アヘンの代金支払い・イギリス戦費補償・関税(5%)・領事裁判権・最恵国待遇、などである(p162)

    ・主体や主語を二人称や三人称において、自分の位置を一歩控えて、そこから状況を見るのが日本の特徴(p197)

    ・ベルリン西アフリカ会議では、アフリカに興味を持つ14カ国がアフリカ分割を行った、コンゴの人口はこれにより2000万から900万人に減少した(p243)

    ・20世紀初頭には、欧米列強はアフリカ分割・アジア侵略を経て、世界の84%を支配した、そのころの工業力は100年前比較で、イギリスは2倍、アメリカは3倍、ドイツは4倍である、欧州人口はその間に、2→4.5億人となった(p301)

    ・ドイツでは1900年には戦艦はイギリスを凌駕していた(戦艦:38、巡洋艦:42)、ついにイギリスがドイツと衝突したのが第一次世界大戦である(p304)

    ・第一次世界大戦の敗戦国は、ドイツ・トルコ・オーストリア・ブルガリアの4カ国、戦勝国は英仏露米等の27カ国、但し両者とも米国以外はかなり消耗した(p306)

    ・新植民地とは、政治的に独立していても軍事基地がおかれているような地域(日本にも10箇所の米軍基地あり)、アメリカが保有する、ジャマイカ(ボーキサイト)、ベネズエラ(石油)、ペルー(石油と銅)、グアテマラ(石油とバナナ)、かつてでは、フランスのアルジェリア、イギリスのザンビア・ジンバブエ、ベルギーのコンゴである(p395)

    ・高度経済成長のシンボルである新幹線の資金は世界銀行から借りた、その条件が日本の石炭産業の整理であった(p409)

  • はじめにで「まちがい」をキーワードにして歴史を解説するとあって期待。前半の日本史の流れを世界史の流れの中で解説している部分については、とてもわかりやすかった。後半は、歴史の大きな流れを理解するのには役立った。

    ・国家が介入しない資本主義は世界各地の民衆の権利をなんら擁護できない(アマルティア・セン「貧困と飢饉」)
    ・国家は人権がたくさん寄り集まってつくられるもので、王権と人権をつなぐもの(ホッブス「リヴァイアサン」)。
    ・家康がサツマイモに関心を持ったのは、10アールの土地で5人を養うことができるため(小麦は1人、コメが3人)。18世紀に入ってから国内で栽培されるようになった。
    ・14世紀に建国した明は、民間の海上貿易を禁止して、国による貿易で国益にしようと考えた海禁を行ったが、うまくいかなかった。第3代の永楽帝の時に、それを大規模に行ったのが鄭和の大遠征。
    ・失われた十年は1989年の日米構造協議に端を発したアメリカの要請に日本が応じ過ぎたことが要因になっていた(「拒否できない日本」関岡英之)

  • 近代史を大きく俯瞰しながら、現代を読み解く、松岡正剛の「編集力」に感服・感激。

    やっと、積ん読から「読み終わった」になった・・・・。

  • 椎葉は柳田国男の後狩詞記の舞台
    明治初頭廃仏毀釈、宮崎はとくに神仏分離がきつかった
    タテイワタツは阿蘇山の神、日向一帯を阿蘇の一族がおさえていた時代が長かった。宮崎神社をつくった。ですから、あそこは明治神宮や平安神宮や靖国神社などと同様明治になって創建された神社、明治国家という近代日本の複雑な事情が色々絡んでいる
    平和台公園。あめつちのもとばしら。八紘一宇が侵略的でよくないから平和の塔に
    世界と日本を同時に見るには異質排除して歴史を見ようとしてはダメだということを強調
    歴史とはそのつど異質の発生との出会い
    ブッダもイエスも親鸞も世阿弥もケプラーも古田織部もみんな異質の塊で例外者だった。歴史はそういうことをまぶしていきます。そして同質的なものに入れて行こうとする
    民主主義とか資本主義とかとても大きなしくみのなかにいて、それを便利な空気のように当然と思っているわけですが、よくよく見ると、そこには矛盾だって、不都合なことだって、いっぱいあるわけです。それをまるめこんでいい社会だとかもっとよくなるとか安易に言ってはならない。今の日本は家族社会も学校社会も企業社会も官僚社会もけっしてうまくいってませんからね。でもそれは現在の我々のせいだけではないとも言うべきなんです。成立してきた基盤や背景にもともといくつもの矛盾や問題が起源していた。世界はもともと同質なんかじゃない。
    どんな歴史の出来事もヨコにもナナメにも動いています。
    編集工学。これは情報と情報の、知識と知識の間にひそむ隠れた関係に着目してそれぞれの情報や知識を新たに読み替えようということ。その組み替えの中から、多様な文化や有効な方法を創発しようということ
    コーヒー豆の原産地はエチオピアあたりです六世紀ごろにアラビア半島で栽培されるようになってバターでボール状に固めて移動のときに携帯していた。暑い地域での活性効果があった13世紀ごろ飲み物になりアラビア語でカフアと呼ばれるように。イスラム神秘派スーフィーの僧侶たちが好んだ飲み物。現在のものよりどろっとしていた。スーフィーは食事を貪らないように食前に飲んだ。安眠を貪らないためにも飲んだ。オスマントルコイスタンブール(コンスタンティノープル)に二件の珈琲屋。16世紀後半には600件
    ヴェネツィアの商人たちなどによってヨーロッパへ、炒って香りを出すように。文化飲料になった。ロンドンでは紳士だけが集まる時のシンボルになり、パリではたっぷりミルクを入れたカフェオレとして男女問わず広まった。コーヒーは異質な飲料だった。世界は思いがけない質のようなもので動いている。コーヒーの味なんて好みにすぎませんがそれが価値になった。価値になったということはその価値の争奪と吸収とが起こったということ。
    ヨーロッパ列強はオスマン帝国の拡張をいかに防ぐかで合従連衡を繰り返していた
    ロンドンのコーヒーハウスは今日の社会にいくつもの近代モデルを送り出した。ジャーナル(雑誌)、トーリー党やホイッグ党といった政党、保険会社も広告も
    スターバックスはハーマン・メルヴィルの白鯨に出てくる一等航海士のスターバックス君からとった名
    トワイニングという紅茶はトーマストワイニングがつくったブランド。コーヒーハウスをやっていたが中国やインドからの紅茶がおもしろくなってきた。18世紀になって紅茶がやたらブームにティーガーデンが流行。好みは気まぐれ。紅茶の関税が問題でボストン茶会事件。イギリスによる紅茶の意地悪がアメリカの独立を促した。歴史にはそういうことがしょっちゅうある。特に食物の恨みは怖い
    グローバルというのはグローブ的なという意味ですから、地球規模のという意味。世界のどこにも自由競争市場が広がっていて、資本主義のルールが君臨しているのがグローバル資本主義。どんなことだってどんな一瞬だってこの資本主義の網の目と無縁ではいられない。
    株式制度に席巻
    エマニエルウォーラーステインはこれを歴史的な世界システムの発動といった
    しかしそのような資本主義をわれわれは理解しているとか、納得しているとか言っていいのかというと必ずしもそうでもありません。儲かっているときはともかくも赤字続きや大失敗があるとついついお金を恨んでしまう。だいたい世界がこれほど資本主義一色になることを、われわれが望んでそうなったかどうかも、わからない
    会社はみんなのものだと思っていたら、あるいは経営者のものと思っていたら、株主や投資家のものだということになっていた。会社は仕事をするところではなく株が動いているところになってきた。
    ルーツの話は置いとくとして高度に爛熟しつつある今日の資本主義はまさに日々の暮らしの隅々まで及んでいます。クレジットカードのない生活など考えられないし、国際市場の株式動向がメインニュースに流れない日もなくなっている。円の相場や為替市場の数字
    買い物一つAmazonで本を注文するごとに好む好まざるとにかかわらず資本主義と情報主義の監視と管理をうけていることにもなっている。ということは今日の社会は情報ネットワーク資本主義の時代にもなっているわけです。けれどもなんでも手元でチェックできるようになったぶん、何もかも登録されていることにもなっているわけでそのぶん外側で私の欲望が管理されていることになる。

    アーキテクチャ論

    人類が作り上げたさまざまなシステムのなかで一番強靭なものなのかどうか。
    資本主義って自由を満喫できるほど、それほど高性能なものか、景気は安定しないし、恐慌のおそれはいつだってあるのに高性能なんでしょうか。あんなに倒産や合併が多いのにどうして株式会社は万能に見えるのか
    自由市場とか自由競争なんていいますねそれではその自由ってどういう意味なのか
    ケインズは、市場は不安定であるという分析から出発した
    ジョージソロスさえ金融市場を核としたグローバル経済ほど不安定なものはない、と
    アマルティア センは国家や政府が介入しない資本主義は世界の各地の民衆の権利をなんら擁護できないと
    フリードリヒハイエクは資本主義は個人の自由と分かち難いものでそこに国家が介入してはいけないという思想を主張。これはこれで素晴らしい自由思想かもしれません。でもね、個人の自由を資本主義しか保証できないだなんて誰が得心しているでしょうか。これってお金がないと自由は手に入らないと言っているのとどこが違うのか
    起業家は常に創造的な破壊をしなければ生き延びられない、それゆえイノベーション(技術革新)が必要と付け加えました。ということははっきりいえば技術に従属していかないと人間の社会生活は自由にならないということですよね。これって、自由競争の素晴らしさを語っていると共によほどのことをしなければ企業は勝てないと言っているだけでもある。
    正当化するにも批判するにもどうも、奥歯にモノが挟まった感じが拭えません。それなのに世界は豪然とグローバル資本主義に向かっている
    それが社会の向上につながるとそのつもりになっている
    市場にまかせようという民営化政策これをなぜか新自由主義ともいいます
    乾坤一擲
    民営化がもっとも効果的な機能を社会にもたらすのだとしたら、警察や裁判をどうして民間の競争にしないのか
    警備保障会社
    いまや安全や安心だって自由市場で買えるわけですからね。優れた安全システムが世の中に残っていくかもしれません。これが資本主義のいいところです
    武力的な危険がある時は公営警察力の力を頼むことになっている、
    小さな軍拡競争
    国営と民営のあいだのどこかに問題がある
    スポーツのレフェリーはほとんどが民営
    罰則を与えるのは公的機関か、さもなければ企業や学校のような閉じた組織のなかで、あらかじめ決めておいたルールに則ってペナルティを与えるだけです。ヤクザであれば、まあ、指をつめさせる。それは当事者間の処理というもので、そういう処理ではどちらが加害者でどちらが被害者か案外はっきりしません
    都市国家領主国家王権国家近代国家
    ルネジラール 国家というものの本質は暴力である
    国家はそもそも暴力装置でありそれをどのように合法化していくか工夫しているうちに今日のような近代国家が仕上がった
    ネーションステート国民国家 エスニックステート民族国家 宗教国家 多民族国家 はなはだ民族的ではなはだ宗教的
    金融力、デリバティブズ
    世界をまたぐ流通を可能にした技術や機械
    今日の社会は様々なテクノロジーによって支えられています。日常生活のどんな細部にも。たいてい国境を超えている?国境は超えていながら個人の日々の欲望にも突き刺さっている
    技術万能社会らをのうのうとうけているうちに、われわれはそのツケを払わざるを得なくなってきた。私はそこには近代の欲望と私の欲望というものが技術によって分かち難いものになったのだと。
    徹底したテクノソサイエティ
    人間の欲望が対応しなければそんな技術はすたるはずですが、実際はそうではなくて、その多くの技術に欲望が結びついてしまったんですね。技術と欲望が不即不離になった
    ジルドゥルーズとフェリックスガタリというポストモダン思想を代表する哲学者と精神分析医。欲望と機械がくっついた状態を問題にした
    資本主義は欲望社会とでもいうべきものになっているんじゃないか
    分裂症(統合失調症)は資本主義がつくった。分裂症の本質は欲望が内部に向かって押し潰されたものであるのだから、資本主義が欲望の市場らを作っているのだとしたらその内部化された資本主義も現代社会の大問題として議論の俎上にのぼってこなければいけないんじゃないか。資本主義というものは欲望を内部に溜め込んで人間の精神を犯す機械だという主張をしている。技術と欲望が不即不離、そのくっついたものが精神障害がつくられているのではないか、むろん精神障害には今や多くの原因が複合的に組み合わさってストレスになっているというのが一般的で一概には言えないでしょうがしかし資本主義の発達が個人一人ずつの心理にまで及んでいるというのは事実でしょう(ポストモダン、ポスト構造主義)
    近代の揺動
    信長の三つ下が秀吉、秀吉の五つ下が家康、エリザベス女王が信長の一つ上、フェリペ2世はエリザベス一世の6つ上。フィリピンの由来。還暦スペインに(還暦はないが)を迎え無敵艦隊が敗れる。信長の時代は各国が同じように世界を支配するのさことに関心をもっていた時期。ロシアにもものすごい支配者が登場していました。イワン四世は強い意志と異常な行動によってイワン雷帝と呼ばれる
    ロマノフ家のアナスターシャという娘を后にし、カザン、ノヴゴロド、カフカス、シベリアにまたがる大帝国を築いていく。ソ連の天才的映画監督エイゼンシュタインがイワン雷帝をつくりました。
    インドでも同じような帝王が登場しています。ムガール帝国のアクバル大帝。家康とぴったり同い歳。ディーネ・イラヒーという一種の神聖宗教システム。ヒンドゥー教に寛容。
    秀吉の国割りというプランがある。首都を北京にして、自分は寧波あたりに住むぞとも書いてある。日本国内は秀次の弟あたりに、東アジア豊臣王朝。信長にも大陸進出の野望があったと。
    イギリスの謎こそが世界と日本の見方に欠かせない要素。コーヒーハウス、議会、背広、サッカー。イギリスがわからないと植民地主義のことがわからないし、それがわからないと資本主義の確立がわからないし、ひいてはアメリカのこともわからない。それにアメリカとソ連が世界の支配権を争う前まではイギリスこそが資本主義国家の代表チャンピオン。中東問題も。
    つかみにくい
    先住民のブリトン人をウェールズとかスコットランドに追いやって七王国をつくる。この前後の事情を背景にアーサー王伝説
    ノルマンディ公ウィリアムスがヘースティングスの戦いでイングランドを支配してアングロ・ノルマン帝国となるまで国内統一はなかった。このころ日本は藤原政権が貴族社会を確立している。
    まだ北フランスの延長ロビンフッドの物語の原型の言葉が古いアングロサクソン語やケルト語的だった。ノーマンフレンチに対する対抗としてこの物語を昔言葉で語っていた。日本でも大和朝廷に対抗する各地の物語が概ね方言のまま風土記などにのっています。けれどもロビンフッドの物語はマイナーのままおわる。古英語として復活してくるのは12世紀以降。JKQWZといった文字がない。そのあとは中英語を生み16世紀に近代英語としての新英語となってやっとエリザベス女王時代のシェイクスピアの英語になる。現在の英語は新新英語
    キリスト教がノルマン的でフランス貴族な気質とアングロサクソン的でケルト的な気質の対立と対比をキリスト教が間をとって、たえず国民的な統一観をつくっていくという役割をもった。
    イギリスはフランスを似て非なる近親憎悪していた。百年戦争
    フランスは太陽の国ルイ14世太陽王、イギリスは星の国エリザベス女王はアストレア星界の女王
    バルザックも谷間の百合のなかでイギリスとフランスはいつだって敵同士だと書いてる。
    功を奏する
    イギリスという国家と国民を特徴づける英国国教会アングリカンチャーチ、つまりアングリカニズム。これこそがイギリスの本格的スタート。イギリスの失敗は現代の失敗につながる
    ヘンリー8世の時代、宗教改革、ルネサンス
    エルンスト トレルチはルネサンスよりらも宗教改革のほうが近代社会に与えた影響が大きいと断言
    トマスモア カトリック人文主義の第一人者
    カトリックが恋しいのはトマスモアだけでなく女王メアリー、勢い余ってブラッドメアリーというふうに呼ばれる
    ヴィア・メディア、カトリックとプロテスタントの融和ないしはどちらにも偏らない
    ブッシュの戦争と同じで背景に互いに宗教的バックボーンはあるけれどもそれは表沙汰にしない
    フランシスドレイク提督がアルマダを破る
    ピューリタニズムはケンブリッジ大学にそのころできたばかりのカレッジで生まれます。そこにトーマスカートライトという青年神学者のフェロー若きエリザベスと模擬討論
    大学の人事紛争にまきこまれて追放されるんですがその孤立をかこつところへエミグレというムーヴメント
    エミグレーション移住民、メアリーのとき大陸に落ちのびた連中に差別的につかわれるように。彼らが持ってきたものカルヴァン主義の火種。聖書のみ主義。ストロングな思想
    プロテスタントでもルターは信仰のみ主義
    大木英夫
    だいたい影響力を持ったイデオローグというのは何かの危機とか退出を余儀なくされてから、そのイデオロギーは広まるんですね。
    イギリスを特徴づける国家感覚コンフォーミズム
    ピューリタンという呼称は純粋ぶってる連中と呼ばれたため。だいたい歴史用語の多くはこういう差別用語が定着している。やっぱり異質が鍵を握っている
    地下説教運動、クライシス運動はエクソダス。ピルグリムファーザーズ、メイフラワー号、新しいエルサレムとしてのアメリカを作る
    キリスト教の拡張の歴史は教父の思想といものを持ったことに始まる
    移住者は定住者とちがうし、遊牧民ともちょっとちがう。もともとは故郷を持っていながらどこかへ移住していくわけですからその先には第二の故郷を求めたい。みなさんのなかにもそういう人はいるはずです。引越し先に対する期待。この移住者たちはたんに旅をしたいわけではありません。だいたいこの時代に旅のロマンなんてまだ発明されてはいない
    ユダヤ人ディアスポーラ離散民異教の地に理想の天地を求めます。
    寛大だから移住者を受け入れているんじゃない。アメリカという国家そのものが移住先という国家なんですよ。テロが怖いからといって移住者を警戒するようになったらアメリカはアメリカじゃなくなる
    国会議事堂の板垣退助と伊藤博文と大隈重信の彫像。西村西望や朝倉文夫
    右手にコーラン、左手に剣という格言はウソですよ。恐ろしさを誇張するためにつくったイメージでコーランにそんなことは書いていない。コーランに書いてあるのは右手優先
    旧教と新教の分派と片付けるのはあまりにも異なる思想。戦争好き
    プロテスタンディズム。ルター派、改革派、長老派、バプテスト派、クェーカー派、敬虔主義、メソジスト運動、信仰復興運動、自由主義神学、YMCA、エホバの証人、モルモン教もプロテスタント、冬の街頭で献金を求めている救世軍などはメソジストの流れ
    プロテスタントは多様で教育的。ハーバード大、イエール大学、ボストン大学などはみんなプロテスタント教会に由来。過激なものもある。
    韓国のエヴァンジェリストの分鮮明が起こした統一協会は原理主義
    プロテスタンティズムは近代社会や近代思想そのものに深く根付いて多くの社会革命運動にも結びつき、さらには勤労や労働や生産という今日の社会の基本となっている日々の生活を支える仕組みに食い込んできた。プロテスタント抗議者でそもそも社会改革や社会進歩という思想の萌芽と密接に繋がっていることから発していた。それは資本主義ともつながりやすかった。明日こそ進歩するという希望と結びつきやすい。というか資本主義の前提にすら根をおろしているマックスウェーバー
    ジェームズ一世はマグナカルタいらいの議会を無視、宗教改革もかなりナショナリスティック
    クロムウェルは議会内対立を内戦にしてしまおうと動きます。これは革命を起こす時に誰もがとる戦略。内なる矛盾を外に出してしまおうという戦略
    ありがちなこと
    ピューリタン革命には国民の身体と財産の不可侵を高らかに説いたという先駆性。議会の勝利と共和政治のスタート
    懐刀
    ホッブズ リヴァイアサン 自然状態 王権神授説のレジティマシー正統性
    生存にはきわめて格別な社会的な特色がある。生命は譲渡不可能なものだということ 自己保存権(社会学 生存保存権(政治学 人権の基本
    自分の生存を守りきろうとすると他人もまた自己生存権を守ろうとしているわけですから競争や摩擦や侵犯がおこる。実際にも憎悪や対立や殺害はこうして起こることが多い。みんな自分がかわいいですからね。人権はそれを認めるだけでは保護できない。王権が臣民の生存権を認めるためには、ときには臣民に絶対服従をしてもらう必要もある。そういうことのほうが多い。生存を認める代わりに王のやることに服従
    上からの王権と下からの人権、ほおっておけば自然状態がぶり返すばかりなにか考え方を変える必要があると推理。王権と人権をつなぐ国家というものがあるんだろうというふうに気がついた。人権がたくさん寄り集まって国の仕組みのようなものをつくっているんだろうという図式を思いついた。王権は人権の集合体である
    リヴァイアサンという幻想動物の名を借りて国家というものは人間が人間を素材に作りあげたリヴァイアサンのような人工人間の集合体だ人間集合装置の仕組みだと
    ほぼ同じ力の人間同士が集まって互いに生存を保持していこうとするには、その状態が歪曲されず、また壊滅しないで維持されるようになるには、国家は強い主権でもってこの人権を持った怪獣たちの集合体になるしかないだろう
    先駆理論
    主権を絶対君主から人民のほうに移せばそれがフランス革命
    ホッブズはクロムウェルの革命を評価しなかった。それどころかキリスト教による社会にも言及して、キリスト教による教会権力が社会的な力を持ちすぎることを批判した。キリスト教の信仰はキリストが人類の罪を償う犠牲者だと信じる以外にはないのではないか、ということまで言ってる
    キリスト教という一神教の流れがイギリスという王権国家に組み上げられて行くプロセスに重なった。そしてそういうことがその後のアメリカの出現や資本主義の席巻の引き金
    徳川社会は近代日本の大元
    幕府は世界の情報を閉ざしたのではない。むしろ時々刻々の国際情報をオランダからちゃんともらっていた。オランダ風説書というインテリジェンス情報のレポート。インテリジェンスというのは知性ということではなくて、国益をめぐる国家情報のこと。CIAやKGBなどが扱っている情報のこと
    日本にはCIAにあたるものはありませんが内閣調査室がその代行機関
    徳川幕府はオランダ国王の署名のあるインテリジェンス情報によって、ずっと国際動向の情報をキャッチしていた。抜け目ない
    メキシコのサツマイモは単位面積あたりカロリーが最も高い作物で、10アールの農地で養う人口でみると小麦が一人分、米が三人分、サツマイモなら五人分が養える。明代の中国にサツマイモが入ってきて福州の陳振龍によって救荒作物として広がっていた。金署とよばれて重視されていた。徐光啓の農政全書にも載っている。こういうことを家康は初めて知った。日本でサツマイモが甘藷として国内栽培されるのは、琉球経由で青木昆陽が着手したころ、18世紀に入ってからになりますが、家康はそういう情報を入手するたびに徳川日本は自力で食っていくんだという方針を固めていた。中国は漢代に6000万人ほどになってからずっと変わらなかったようですが、18世紀には一挙に四億人になる。これにはサツマイモが大きかったと中国の歴史書では説明している
    スイトンというさつまいも食
    信長も秀吉も関心を持つ一方で警戒をしていた。
    秀吉は伴天連追放令ですが家康は禁教。神仏儒によってかためる
    耶蘇御法度になった
    日本とキリスト教の関係は教科書以上にとても重要。日本の宣教がフランシスコザビエルのイエズス会によって始まったことこれが大きい。ゴアとマカオを東インドの拠点としていたイエズス会は次に日本をターゲットにしました。日本に最初に来たキリスト教徒がプロテスタントの牧師だったらおそらく日本史は変わってました
    神父はカトリック、牧師はプロテスタント
    ミサもカトリックでは毎日、プロテスタントは日曜が中心
    武家諸法度と禁中並公家諸法度、元和偃武。鎖国の道とも重なったこともあって、想像以上に様々な効果をもたらした。たとえば日本にいま武道とか剣道というものが残っているのはこのため。慶長年間にたくさんの浪人が溢れたんですが、この連中は仕官を求めるために剣に励むんだけれど、その使い道はほとんど実戦には向けられなくなっていく。そこで型を磨いたりやむなく内面的なものに向かっていくしかなくなっていった。それがかえって新たな精神性や日本美学を陶治することになった
    日本は古来以来ずっと中国的なものを常に一方の軸において他方で日本的なるものををつくってきた。仏教というシステムを持って来て鎮護仏教というふうに国の軸に置きながら、他方では寺院と神社を混ぜたような神宮寺をいっぱいつくって、そこに日本風の編集を加えてきた。天皇の称号にも必ず和名と漢名の両方をつけてきた。字義の感覚は変わってはいるがずっと継承されている。

  • 17歳のための~とあわせて、大著、というか、大講演。
    まさに世界が編集されて届けられている。
    松岡正剛の世界の見え方、読み解き方。
    なぜいまここがあるのか。これが本当の歴史の授業だと思う。

    苗代の考え方はとても示唆に富む。
    一度受け止める。まず苗代に。
    そこから、色んなやり方、方法、考え方、思想で田に植える。

全60件中 1 - 30件を表示

著者プロフィール

一九四四年、京都府生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。一九七〇年代、工作舎を設立し『遊』を創刊。一九八〇年代、人間の思想や創造性に関わる総合的な方法論として″編集工学〟を提唱し、現在まで、日本・経済・物語文化、自然・生命科学、宇宙物理、デザイン、意匠図像、文字世界等の研究を深め、その成果をプロジェクトの監修や総合演出、企画構成、メディアプロデュース等で展開。二〇〇〇年、ブックアーカイブ「千夜千冊」の執筆をスタート、古今東西の知を紹介する。同時に、編集工学をカリキュラム化した「イシス編集学校」を創設。二〇〇九~一二年、丸善店内にショップ・イン・ショップ「松丸本舗」をプロデュース、読者体験の可能性を広げる″ブックウエア構想〟を実践する。近著に『松丸本舗主義』『連塾方法日本1~3』『意身伝心』。

「2016年 『アートエリアB1 5周年記念記録集 上方遊歩46景』 で使われていた紹介文から引用しています。」

松岡正剛の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×