それでも人生にイエスと言う

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制作 : 山田 邦男  松田 美佳 
  • 春秋社 (1993年12月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393363607

それでも人生にイエスと言うの感想・レビュー・書評

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  • ナチスの強制収容所体験をした著者は、“人間は楽しみのために生きているのではない”、“生きる意味があるかないかは、その人次第”と語っている。
    読み終えた後、今までとは違う生き方が見えてくると思います。

  • フランクルが強制収容所から解放された翌年にウィーンの市民大学で行った講演集。

    人間と人生の価値について、がメインテーマ。個人的には「価値」というものは、それぞれの人がそれぞれに決めるものだと思っている。だから、「私は自分の人生にこうありたいと思う」とは言えても、人生の普遍的な価値は語れないと思うのだ。

    永遠に関して、今この一瞬で価値がないものを永遠に引き延ばしたところで価値がないと確かに僕もそう思う。儚く消えてしまうものに価値があるのだろうか、ということについて昔友達と議論したことがあった。
    その友達は、「溺れる子供を助けに川に飛び込んだとする。子供を助ける事はできず、助けに飛び込んだ人も死んでしまった。死体は上がらず、飛び込んだ瞬間を誰も見ていなかったため、残された人で飛び込んだ人の行為を知っている人はいない。飛び込んだ行動は無価値なのではないか。」と言うのだ。
    僕は例え死んでも、本人が満足していればいいのではないかと思う。

    何もない真空に少しの揺らぎから偶然宇宙が開闢する。そこから果てしない時間と空間が広がり、そこに生命が誕生し得る。この宇宙で、(または別の宇宙で)自分と同じような経験をしたり、同じように考える存在が起こり得る。それは僕じゃないけれど、まあ全く僕が消えてしまう訳でもないような気がして少し慰められる。宇宙観の話しになって随分脱線してしまったけれど、そういうことを考えさせられる根幹のテーマに真っ直ぐ向かっている本でした。


    ・また、強制収容所では、私たちは、「スープをやる値打もない」といって非難されることさえしばしばでした。そのスープはといえば、一日に一度きりの食事として与えられたものでした。しかも私たちは土木工事を果たして、その経費を埋め合わせなければならなかったのです。価値のない私たちは、この身にあまる施しものを受けとるときも、それにふさわしい仕方で受け取らなければなりませんでした。囚人はスープを受けとるとき、帽子を脱がなければならなかったのです。
    さて、私たちの生命がスープの値打ちもなかったように、私たちの死もまた、たいした値打ちはありませんでした。つまり、私たちの死は、一発の銃弾を費やす値打もなく、ただシクロンBを使えばよいものだったのです。
    おしまいには、精神病院での集団殺害が起きました。ここではっきりしたのは、もはやどんなみじめなあり方でも「生産的」ではなくなった生命はすべて、文字どおり「生きる価値がない」とみなされたということです。

    ・「なにかを行うこと、なにかに耐えることのどちらかで高められないような事態はない」―ゲーテ

    ・私たちが不死の存在だったら、私たちはなんでもできただろう、しかしまたきっとなにもかもあとまわしにすることもできただろう。

  • フランクルは、ナチスの強制収容所を体験し九死に一生を得たウィーン大学教授で精神医学者・心理学者。生きる意味を問い続けた人です。彼は、収容所生活を生き抜けた人は決して身体が壮健な人ではなかった、精神が強い人だったと言います。それは例えば、収容所の水溜りに映った空の雲を見て、ああ春だと実感できる人、泥道の傍らに咲く小さな花に歓びが見出せる人、そのような心のあり方であると。もっと言えば、人生の意味がわかっている人、未来を信じることができる人、であるといえるかもしれません(同『夜と霧』、1947年、池田香代子新訳、p.58,66,125,128)。
    東日本大震災にあっても、私たちはその運命と向き合って生きていかなければならないのです。フランクルは、「私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、『人生の問い』に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのです。生きること自体、問われていることにほかなりません。私たちが生きていくことは答えることにほかなりません。」(p.27-28)と言っています。平穏な毎日においてこそ深く受け止めるべきことと思います。そして解答はそれぞれですから、正解は自分の<外>にはありません。生きる意味は与えられるものではない、自分でつくらなければならないということです。
    [塩見図書館長]

  • 「私の生きる意味って何だろう?」
    この問いそのものがそもそも間違っているなんてね。
    終戦直後のフランクル氏の講演内容をまとめたものらしいけれど、現代人にとっても必要な考え方ばかり。
    落ち込むことばかりでも、悲しいことばかりで辛くても、私は私の人生にイエスと言うんだ。
    図書館で借りたけど、近いうちに買おうかな。

  • 世間一般に若者といわれる年齢を過ぎても、ずっと生きる意味ってなにか?何をしたいのか?意味もなく長生きする価値はあるのか?
    なんてことを悶々と悩み、目の前のことをただこなしていけば、
    死ぬときに人生の意味に気づくのかもしれないと考えてたころに
    出会った本。

    衝撃的でした。

    「我々が人生の意味を問うのではなく、問われているのだ」

    自分の人生の意味を答えるのは自分。どんな答えをえるのかは自分次第。
    あの世の入り口で閻魔様に聞かれるのかな。

    人生は宝探しなのかも。

  • すばらしいの一言につきます。フランクル入門書でしょうこれは。帯にもかかれていますが(^^; 私もこれから読めばもっと理解できたでろうと。まずはこの本に出会えたことに感謝。昨日も軽く書いておりますが、その辺のなんちゃって人生本を読むくらいなら、フランクルのこの本を読んでみてください。

     人間の汚く残忍な部分を見、非常で壮絶とも言える環境におかれて、いかにして人間としての尊厳を自身で保てたか。あたまでっかちの人生論よりも、身を削った本当の意味での生き様からみる、"生きる意味と価値"を話しています。1946年、強制収容所から開放された翌年にウィーンにて講演した内容がまとめてあります。この過酷な時代に、生き延びそしてなぜにここまで問うことができたのか、この本を読んでいるとだんだんわかってきます。そして、この題名にも。・・・・それでも・・・・自らの人生が本当によかった・・という瞬間があるのだと言わしめるものがあります。

     私は、163ページから218ページまでの訳者:山田邦男氏の解説を先に読まれることをお勧めします。55ページにも及ぶこの訳者の解説、私はもちろん後に読んで失敗した!とおもいました。推理小説でもなんでもないので、この訳者の心意気から読まれると、もっともっとフランクル氏を理解できるかと思いますし、自分の今までの人生そしてこれからの人生について、また、今この瞬間の自分の道に悩む人たちにはとっておきの書であり、この本を読むことに多大な力を添えてくれているのがこの訳者の"解説"の部分だと私は感じました。

     私は160ページの"責任のよろこび"という項目の部分に、はっとさせられました。常日ごろ、いや、私が仕事を始めたころからずっとずっと思っていたことであり、こころがけていたことだったから。

    人間の責任とは、おそろしいものであり、同時にまた、すばらしいものでもあります。おそろしいのは、瞬間ごとにつぎの瞬間に対して責任があることを知ることです。・・・すべて永遠の意味がある決断なのです。

     ・・・将来、つまり私自身の将来、そして私のまわりの事物と人間の将来が、ほんのわずかではあってもとにかく、瞬間ごとの自分の決断にかかっていることを知ることです。
    私はフリーで仕事をしております。様々な業界と様々な人に出会います。そのときに、常に、自分がここに"いる"ということで、一人でも、そう目の前にいる一人でも多くの人が、プラスになるものを備えられるようにと願います。そして、そのようになって欲しいとおもい、尽力することをモットーとしています。だから、自分自身が瞬間的に決断した大きなこと、小さなことに対して、絶大なる責任を負うことを自ら望んでいます。

     人間はもともと怠惰なのでなかなか責任を負おうとはしません。そこで、責任教育がはじまるのです。・・・責任を、そして人生を肯定するのは難しいことです。
    というフランクル氏。自らに重い枷を貸すことは大変な力がいります。自分が正しいと"決断"し、そこに自己の"責任"を負わせ、人文の"人生"を"肯定"するということには、勇気がいるから。


    人生はそれ自体意味があるわけですから、どんな状況でも人生にイエスと言う意味があります。
    とくくられています。

     最初この題名の意味が理解できなかったこと。そして、このフレーズがブーヘンヴァルト収容所の囚人がつくって歌った歌からとったものであること。それを知ったとき、とても胸が熱くなりました。人間はなんのために生きるのか、幸せとはなんなのか。そういうことは、人生を"まっとう"した"結果"であり、今現在わかるものではないものだ。というフランクル氏のとても深い深い話し振りに感動しました。

    先に購入した『夜と霧』については、もうしばらく後に再読することにしよう。もっとフランクル氏を理解できない限り、あの本は読めないとそう思います。

  • 苦悩には必ず意味があり、人生が我々に課す課題である。

  • 本文は読めたが、解説が難しかったので、解説は読んでいない。人生にはそれ自体に意味があり、いつ何時でもその意味を問われ続けていて、人生の答えを差し出すために私達は生きている。というようなこと?だから生きる意味がわからないと自殺をすることは、オセロの勝負中に、盤をぐちゃぐちゃにしてちゃぶ台返しをするようなもの。と理解した。

  • 2ヶ月に1冊は古典を読むことにしている。本を登録するときに気付いたが「夜と霧」の著者か。アドラーに影響を受け精神科医になった後、ナチスの強制収容所に入れられたら経験を持つ著者の人生論。
    古典を読むときは「そうかな?と思っても自分の経験が足りないだけだ」と思い読むようにしている、が本作はなかなか頭に入って来なかったな。特殊な状況下に置かれた著者だが、後世にも通じるような普遍的な内容では無いのではと感じてしまう。

  • 何度か思い出したように手に取ったりパラっと読んでみたりばかりでしたが、昨日今日と思い切って最初からパラパラと読んでみました。

    アドラーを読んだら次はコレだなと思います。改めてですが、フランクルはフロイトに学びつつ、アドラーの弟子でもあるのだなと感じさせる内容でした。
    ただ、フランクルの言葉が圧倒的な重みを持って響いてくるのは、やはり彼自身の潜り抜けた限界状況、つまり「強制収容所」の生活というのがあるからでしょう。『夜と霧』でも半分以上の紙面を収容所の体験に割いていますが、この本でも収容所の体験が多く引かれています。

    素晴らしい言葉は沢山散りばめられているのですが、一つ印象に残ったところを挙げるなら、「不治の病を抱えた患者はこの世に生きる意味がない、殺すべきだ」という意見に対して徹底的に反駁を試みるフランクルの姿です(第2章)。
    おそらくフランクルは、当時の安楽死の議論の中に、精神病棟での悲劇の根本、ひいては強制収容所そのものを生み出した根源的な誤解・偏見・差別を見ていたのでしょう。だからこそ、そうした邪見に対して身を投げ出して敢然と立ち向かわなければならなかったのだと、そんなふうに読みました。

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それでも人生にイエスと言うの作品紹介

『夜と霧』の著者として、また実存分析を創始した精神医学者として知られるフランクル。第二次大戦中、ナチス強制収容所の地獄に等しい体験をした彼は、その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展開した。本講演集は、平易な言葉でその体験と思索を語った万人向けの書であり、苦悩を抱えている人のみならず、ニヒリズムに陥っている現代人すべてにとっての救いの書である。

それでも人生にイエスと言うのKindle版

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