虐待という迷宮

著者 :
  • 春秋社
4.10
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本棚登録 : 30
感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393364758

作品紹介・あらすじ

閉じた家族の出口を求めて"被害者性"を超えていく!暴力を語ること、みずからの経験を名づけることから始まる静かな希望の物語。

感想・レビュー・書評

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  • もちろん内容は虐待に関することなんだけれど、これは何らかの支配構造に共通することだと思う。
    いじめ、依存症、虐待、優しさの仮面をかぶった支配、モラハラ、パワハラ、セクハラ…。全部。
    それらは暴力であると定義し、自分を被害者であると自覚することで、加害のからくりを知り、最終的に脱被害者となることができる。
    これは確かに、希望の本だ。

    • みのさん
      そうですよねぇ…
      「加害者も元々は被害者だった」ということが関係ありそうですが、加害者が自分を振り返るきっかけって…何でしょうねぇふぅむ。
      ...
      そうですよねぇ…
      「加害者も元々は被害者だった」ということが関係ありそうですが、加害者が自分を振り返るきっかけって…何でしょうねぇふぅむ。
      自分にできることは「支配されていないか、支配していないか」を常に感覚を研ぎ澄ませて生きるだけ、でしょうか…。
      2012/09/20
    • みのさん
      そういえば、著者の上岡陽江さんの講演会を聞いてきます!
      本ではなく、ご本人の言葉を聞くのは本とは違った発見があるでしょうね。楽しみです。
      そういえば、著者の上岡陽江さんの講演会を聞いてきます!
      本ではなく、ご本人の言葉を聞くのは本とは違った発見があるでしょうね。楽しみです。
      2012/09/20
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「上岡陽江さんの講演会を聞いてきます!」
      講演だと、活字に出来ない部分とかも話されるかも知れません。新たな発見があると良いですね。
      「上岡陽江さんの講演会を聞いてきます!」
      講演だと、活字に出来ない部分とかも話されるかも知れません。新たな発見があると良いですね。
      2012/09/21
  • DV、虐待、依存性は、暴力とつながっている。
    そして、暴力の本質は支配である。

    当事者の方の声に触れることのできる、貴重な一冊です。

  • 自助グループに興味があって読んでみた

  •  虐待とまで行かずとも、ごく身近で聞く言葉として「こんなの冗談だよ」「ツッコミだよ」「セクハラじゃないでしょ?」という言葉がある。しかしながら、被害者にとって「害」があると認識されれば、もうそれは「暴力」なのだよなぁ……と感じた。
     「痛い」「辛い」ということが言いにくい、言わせないというのも「暴力の一環」なのかもしれないね。

  • 精神科医の信田さよ子、アミティ(アメリカを拠点に暴力の問題を抱える人たちを支援する非営利団体)のシャナ・キャンベル、ダルク(薬物中毒の女性のための支援団体)の上岡陽江の鼎談および随筆。

    評価にものすごく迷った。
    経験の部分(主にキャンベルさん)はいっぱい読みたい。お勧めもしたい。
    思想の部分(主に信田さん)は違和感がある。

    キャンベルさんの壮絶な体験と、上岡さんの表現しにくい辛さと、信田さんのカウンセリングルームにくる(支払い能力のある人たちの)ケースはあまりにも違う。
    こっちのほうがひどいとか、あれよりはマシだとか、体験に優劣をつける意味はないんだけど、並べて語ってしまうことに違和感がある。
    それはジェンダー関係についても同じ。
    日本のふたりは「男性は」「女性は」「日本は」「いまどきは」と言いすぎだ。
    それぞれの事情に沿うために分類することは必要だけど、これはどうもステレオタイプ化に見えてしまう。
    被害者の加害者性について語っていても、信田さんは夫に殴られる妻が子供を虐待するケースを想定するのみで、殴る男の被害者性を認めたくなさそうだ。
    キャンベルさんは暴力にふりまわされるメカニズムに男女の別はないと言っているけれど、これは伝わってるのかな?


    出版されたのが2004年のせいか、言い方が妙に古く感じる。
    内容自体にそう違和感はないけれど、理解度とか常識とか、こんなに遅れた時代だっけ?
    2004年に読みたかった。今読んだからそう感じるのか、その時すでに古かったのか判断できない。
    たとえば性暴力が語られてこなかったと繰り返し書かれるけれど、そこまで無視されてたっけ?量じゃなくて質とか文脈の問題だろうか。
    アミティに対するふたりの「誤解」も「理解」も、なんかズレてる感じがする。
    坂上香さんでアミティを知ったせいか、この本のなかの理解がすごく後進的に見える。

    信田さんは正義にとらわれすぎだと思った。
    それ自体は悪いことじゃないけれど、表現してしまう「率直さ」は治療者としてはいただけない。
    こんなに暴力男を憎んでいて、理解できない別種の生き物だと考えている人に加害者更生プログラムができるんだろうか。
    こういうクライアントよりああいうクライアントのほうが好みだと公言するカウンセラーを、「好みじゃない側」に分類される人が信用できるだろうか。
    DV被害者が相談先に「絶対大丈夫、逃げられる」と言われて逃げる勇気を持てたというエピソードをひいて、信田さん自身が「こういう仕事をするにはハッタリをかませることが大事」と言っている。
    内心は嫌っていても軽蔑していてもいいけど、それを伝えてしまうのは治療者として絶対にしてはいけないことだ。
    メンタルに問題を抱えて弱っている人が弱いところを安心できない相手にさらせるわけがない。
    男性の暴力と女性の暴力への解釈の違いなど、ダブルバインドが目につく。

    日本では性暴力が隠されている、という話もおかしい。
    それ自体はそうだし、「いたずら」という表現の問題もわかるけれど、言い分がおかしい。
    実名報道されている犯人の被害経験や、性犯罪の被害者の名前が報道されない。隠すことでスティグマ化に拍車をかけ、問題を隠蔽してしまう。
    というのもわからないではないけれど、だからアウティングしろってことならそれはおかしい。(そこまでは書いていないけれどそう読める)

    興味深い部分もあるにはあるけれど、解釈や怒りを向ける対象など、いろいろと少しずつズレている感じがして座りが悪い。

  • 性的虐待、暴力、情緒的虐待などのサバイバーとカウンセラーが語る虐待からの回復について。

    サバイバーの経験を語るところは、あまりにも残酷で途中読めなかった。よくこれだけの傷から生き抜いたものだと思う。
    薬物依存には明らかに暴力が関連しているというのが勉強になった。
    上岡さんの体験談「いつもしっかりした子どもで、母親を元気付けていて、母が抑圧されたことを私が全部背負ってしまい何も言われないけれど競争にあおられる」という内容が印象的だった。
    「父と母とは関係ないとこでひとつずつやっていくことが私にはすごく大切だった」「家族が情緒的コミュニティになって親と情緒を分け持っていた」「親を責める時期があるかもしれない。でもずっと責めつづけるのではなく、自分がどうしてこうなっているのかを考えられるようになることが重要」「加害者を支えるからくりを知ることで加害者を超える」・・珠玉の言葉たち。

    最後のほうの「自分より弱い立場の人を置いておかなければ自分に自信がもてない男たち」というのが、周囲にもそういう人いそう・・とリアルだった。

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著者プロフィール

公認心理師・臨床心理士、原宿カウンセリングセンター顧問、公益社団法人日本公認心理師協会会長。1946年生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了。駒木野病院勤務、嗜癖問題臨床研究所付属原宿相談室室長を経て、1995年原宿カウンセリングセンターを設立。アルコール依存症、摂食障害、ひきこもりに悩む人やその家族、ドメスティック・バイオレンス、児童虐待、性暴力、各種ハラスメントの加害者・被害者へのカウンセリングを行ってきた。著書に、『母が重くてたまらない』『さよなら、お母さん』『家族のゆくえは金しだい』(いずれも春秋社)、『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)、『アダルト・チルドレン』(学芸みらい社)、『家族と国家は共謀する』(角川新書)、『タフラブ 絆を手放す生き方』(dZERO)、『共依存』(朝日文庫)などがある。

「2023年 『家族と厄災』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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