- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784393364758
感想・レビュー・書評
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精神科医の信田さよ子、アミティ(アメリカを拠点に暴力の問題を抱える人たちを支援する非営利団体)のシャナ・キャンベル、ダルク(薬物中毒の女性のための支援団体)の上岡陽江の鼎談および随筆。
評価にものすごく迷った。
経験の部分(主にキャンベルさん)はいっぱい読みたい。お勧めもしたい。
思想の部分(主に信田さん)は違和感がある。
キャンベルさんの壮絶な体験と、上岡さんの表現しにくい辛さと、信田さんのカウンセリングルームにくる(支払い能力のある人たちの)ケースはあまりにも違う。
こっちのほうがひどいとか、あれよりはマシだとか、体験に優劣をつける意味はないんだけど、並べて語ってしまうことに違和感がある。
それはジェンダー関係についても同じ。
日本のふたりは「男性は」「女性は」「日本は」「いまどきは」と言いすぎだ。
それぞれの事情に沿うために分類することは必要だけど、これはどうもステレオタイプ化に見えてしまう。
被害者の加害者性について語っていても、信田さんは夫に殴られる妻が子供を虐待するケースを想定するのみで、殴る男の被害者性を認めたくなさそうだ。
キャンベルさんは暴力にふりまわされるメカニズムに男女の別はないと言っているけれど、これは伝わってるのかな?
出版されたのが2004年のせいか、言い方が妙に古く感じる。
内容自体にそう違和感はないけれど、理解度とか常識とか、こんなに遅れた時代だっけ?
2004年に読みたかった。今読んだからそう感じるのか、その時すでに古かったのか判断できない。
たとえば性暴力が語られてこなかったと繰り返し書かれるけれど、そこまで無視されてたっけ?量じゃなくて質とか文脈の問題だろうか。
アミティに対するふたりの「誤解」も「理解」も、なんかズレてる感じがする。
坂上香さんでアミティを知ったせいか、この本のなかの理解がすごく後進的に見える。
信田さんは正義にとらわれすぎだと思った。
それ自体は悪いことじゃないけれど、表現してしまう「率直さ」は治療者としてはいただけない。
こんなに暴力男を憎んでいて、理解できない別種の生き物だと考えている人に加害者更生プログラムができるんだろうか。
こういうクライアントよりああいうクライアントのほうが好みだと公言するカウンセラーを、「好みじゃない側」に分類される人が信用できるだろうか。
DV被害者が相談先に「絶対大丈夫、逃げられる」と言われて逃げる勇気を持てたというエピソードをひいて、信田さん自身が「こういう仕事をするにはハッタリをかませることが大事」と言っている。
内心は嫌っていても軽蔑していてもいいけど、それを伝えてしまうのは治療者として絶対にしてはいけないことだ。
メンタルに問題を抱えて弱っている人が弱いところを安心できない相手にさらせるわけがない。
男性の暴力と女性の暴力への解釈の違いなど、ダブルバインドが目につく。
日本では性暴力が隠されている、という話もおかしい。
それ自体はそうだし、「いたずら」という表現の問題もわかるけれど、言い分がおかしい。
実名報道されている犯人の被害経験や、性犯罪の被害者の名前が報道されない。隠すことでスティグマ化に拍車をかけ、問題を隠蔽してしまう。
というのもわからないではないけれど、だからアウティングしろってことならそれはおかしい。(そこまでは書いていないけれどそう読める)
興味深い部分もあるにはあるけれど、解釈や怒りを向ける対象など、いろいろと少しずつズレている感じがして座りが悪い。詳細をみるコメント0件をすべて表示