身体感覚で「論語」を読みなおす。―古代中国の文字から

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  • 春秋社
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  • Amazon.co.jp ・本 (289ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784393436370

作品紹介・あらすじ

古来日本人の教養・考え方の基本にあった『論語』の核心を、孔子時代の文字と身体作法の視点から解き明かす力作。

感想・レビュー・書評

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  • なかなか興味深い内容であった。
    『論語』の本と言うよりは、漢字の解説本のような印象であった。

  • 自分の興味対象となる内容ではなかった。。。

  • w

  • 論語の話も面白いのだけど、甲骨文字金文漢字、と意味を持ちながら形を変えていくその様がとても興味深い。

  • 現代読まれている書き下し文は日本語の漢字で書かれているが、この本は中国古代文字から読み解いている突き抜けた本。論語で多く語られている『心』は孔子の時代にはまだ存在しない漢字だったなんてあまり語られていない。心と表裏一体な漢字は『命』。命とは何ぞやから様々な徳目の立ち位置、意味を解き孔子が言いたかった心を解説する。

  • 松岡先生の本から流れてきて、ようやく読み終わった。最初から最後まで息の抜けない展開だが、「おわりに」を読んで、あらためて考えさせられた。下名も、現代日本が特に戦後積極的に自分たち自信をすてるよう洗脳させられてきた事を非常に憂慮しているのだが、安田氏もつまるところそういった動機があって本書を記したという。政治外交経済科学と、やたらグローバルだとか目を外に向けるのは良いが、自分たちが何者か、自分たちの価値観や文化がどの様にして育まれてきたのかさえ知らずに、やたらと横文字を使いたがる。憂慮すべき事態である。安田氏は日本が日本たる所以は、世界で最も長い歴史を持つこの日本文化の重層せいにあるという。それは「猿真似」では無く、取り込もうと真似する事柄の本質を一瞬で抜き取り、それをいまの自分たちに融合する「ものまね」という類稀な気質である。ところが、いまの日本人は漢籍はおろか、論語すら読んだ事がないひとが大半。そんな状況で、やたらと外のもの、横文字に翻弄され、もともと自らの足元にあったものにも気がつかず、さも今発見した、日本にはない素晴らしいものだ、的な扇動が多すぎる。こう言った人たちには、是非一度、論語をはじめとする四書五経を読んでもらいたい。いかに自分たちが自分たちについて無知で、表面的な事に固執して居たかよくわかるというものである。私の知っている世界も、さほど広くはないが、それでもICTの分野でさえ、論語に書いてあるではないか、と気づく事が多く、自分が掴みあげた金貨が葉っぱであったことに気づく。
    氏も本文で述べているが、「感動」とは感覚の中でも、もっとも揮発性高いもので、一瞬のうちに消え失せる。だからこそ、その感動を長続きさせるには、自らが以下に空洞であるか、そしてそこからいかに欠乏感を持ち得るかが、重要である。
    311において、世界は、我々は多いに感動した。つながりあった気がした。そして、強い絆を取り戻した気がした。
    しかし、一年ちょっとたって、現在はどうだろうか?相変わらすすまぬ復興、そんな現地で本当に困っている人たちとかけ離れた派閥争い、相変わらずなくならないゆきずりの傷害事件。
    我々は結局311から何も学んでいないのである。
    森先生は「災害は神仏の恩寵的試練である」とのべた。日本人は、過去長い歴史のなかで、自然災害などに叩かれ、壊滅的な被害にあいながらも、しぶとく復興してきた。
    しかしそれもこれも、一人一人の心の中に、天を信じ、命を知り、禮によって徳を培うことを生き方として守ってきた日本人の生活の基本的姿勢がある。
    そんな大事な事を失いつつあることにさえ、いまの日本は気がついていない。それなくしては単なる猿真似である。単なる猿真似なら何処かの国のほうが得意である。
    一時的な煌びやかな物から一歩引いて、必死で目を開く努力をするタイミングにきているのではないか?
    ドラッカーは知っているが、渋沢を知らないなら、あなたはすでに猿真似という病気に蝕まれている。既にあなたの中から日本人を消し去ろうとしていることを重々肝に命じねばならない。

  • 前半の導入の部分で抱えている「四十にして惑わず」の解説はとても面白いと感じた。けれどもその後の(安田氏自身も言っている)独自の解釈の説明が長々としていて、読む側の興味をそぐ構成になっている。命(メイ)と心(シン)の対比もわかるような、わからないような…。「心という文字が孔子が生まれるわずか(?)500年前に生まれたてホヤホヤの文字」という記述は理解に苦しみます。当時の時間感覚が今とは違うとは思いますが、500年という時間の経過を軽々しく扱いながら、一方で能の600年は長く受け継がれてきた、という恣意的な解釈には疑問が湧きます。

  • ラジオを聞いて内容がとても面白そうだったので本を買ったのですが、活字で見るとイマイチ面白さが伝わらないのが残念。

  • 11/09/13。

  • 命と心

    「心」の概念が生まれたのは、3000年前。それ以前の殷の時代は、人は運命に従っていた。周の時代になり、心を生み出した人々は運命を変えうる可能性にめざめた。孔子は、心誕生の500年後に登場するが、人々がまだうまく使うことができなかった心について、その可能性と使い方を人々に示した最初の人ではないか。

    【命グループの漢字】
    郷(饗)とは神事の後に行われる直会(なおらい)をさす。打ち上げのように思われているが、本来は直会までが神事であり、共飲共食の儀式。

    「命」を学ぶとは
    世の中の制度や仕組み、政治や経済などの社会システムから、生物学、医学など、あらゆるものに流れている原理を知ること、秩序を学ぶこと。

    Ⅰ 前•学
    ①孝弟(意思と従順さ):家の中では孝行をせよ、家を出たらば弟(従順)にせよ
    →吉田松陰が「親思う心にまさる親心」と詠ったように、孝行は親が子を思う心にかつことは難しい(自然の摂理の逆であるので
    )。その努力の過程で意思を鍛える
    ②謹信(言葉):言葉は謹み、しかし言ったことは必ず実現させよ
    ③愛仁(人間関係):多くの人に気を配り、仁(人間関係)に親しむようにせよ

    ※敏:素早く、(祭事のように)丁寧に

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著者プロフィール

安田 登(やすだ・のぼる):1956年生まれ。 能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。関西大学特任教授。 著書に、『身体能力を高める「和の所作」』(ちくま文庫、2010年)『異界を旅する能』(ちくま文庫、2011年)、『日本人の身体』(ちくま新書、2014)、『身体感覚で『論語』を読みなおす――古代中国の文字から (新潮文庫、2018年)、『見えないものを探す旅――旅と能と古典』(亜紀書房、2021年)『古典を読んだら、悩みが消えた。――世の中になじめない人に贈るあたらしい古典案内』(大和書房、2022年)、『魔法のほね』(亜紀書房、2022年)など多数。

「2023年 『『おくのほそ道』謎解きの旅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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