究極の終戦秘史日本・原爆開発の真実: その戦慄の破壊力と昭和天皇の決断 (ノン・ブック 421)

著者 :
  • 祥伝社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396104214

感想・レビュー・書評

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  • ノストラダムスの大予言関連の本を中学生の時から読んでいた私は、五島氏には偏見を持ってしまうのですが、この本は、終戦のころには日本でも原爆の開発が終了していて、後は当時の日本の最高責任者である天皇陛下の承認を得るだけの段階だったそうです。

    原爆開発の是非はともかく「終戦時に原爆を日本が使ったら、その何倍もの仕返しをされて日本さらには人類が破滅するので使用を許可しなかった」と見通した昭和天皇陛下の決断は素晴らしいです。

    日本の科学者は、原子核の研究を武器を創るためでなく、新しいエネルギー(原子力発電)を開発するために取り組んでいました。今日(3月11日)で震災から1年目となり原子力発電を取り巻く環境は厳しいですが、当時の科学者が進めようとしていた安全な原発(ウラン、プラトニウムでなくトリウム等)に切り替えるのは難しいのでしょうか。

    現時点では私が知る限りでは、この主張は日下氏くらいですが、今後、御用学者ではない純粋な科学者によるわかりやすい説明がされることを期待しています。

    以下は気になったポイントです。

    ・B29は能率よく大量殺戮するために、最低でも30機程度の編隊を組んでいて、大都市への大量破壊以外は目的にしていない、小さな目標を相手にする機能・役割はなかった(p17)

    ・1万メートルの上空を飛びなれているB29が、昭和20年のある日、福島県石川町の上空300メートルを何かを確かめるように飛んだ(p19)

    ・B29は戦略空軍に属していて、個々の戦場で攻撃や防御に当る一般の「戦術空軍」よりもずっと高い役割(アメリカの国家全体の戦略に関わる大目的の空軍)を持ち、大統領直轄である(p23)

    ・東大は文部省の外郭の巨大学術機関(理化学研究所)と研究、それに反発する京大・阪大は、湯川秀樹博士(中間子)、そのライバルである朝永博士、彼等を教えた教授が荒勝博士である(p46)

    ・彦坂論文は、当時の原子物理学の父である「ボーア理論:陽子と中性子は渾然一体となって原子核を構成」を否定するもので、画期的であった(p52)

    ・ボーアは彦坂青年の理論を冷笑したが、その後、多くの科学者は彼の理論を認める方向に傾いた、アンダーソン博士やヨネハス博士はそれぞれノーベル賞を受賞した(p63)

    ・現在の原子炉は、第二次世界大戦後に原爆開発の副産物として考えついたもので、基本的には原爆と同じものである(p75)

    ・彦坂博士は、ウラン238(ウラン元素の99.3%含有)を使う原子炉のプランを論文で発表している、ウラン235が0.7%混じっても臨界に達しないので爆発しない(p76、79)

    ・ボーアからは東洋人の唯一の愛弟子と遇された仁科博士は、ドイツのハイゼンベルグと並べて「ボーア門下の東西の二大逸材」と言われた(p96)

    ・アメリカが広島に落とした原子爆弾(4トン半)の中には、60キロもの濃縮ウラン235が詰め込まれていた(p108)

    ・日本の原爆開発は、できる限り小型化して限定した戦場でアメリカの軍隊のみに使いたいと考えていて、アメリカ(大型化、非武装都市への使用)とは異なっていた(p116)

    ・広島に落としたのはウラン原爆で、長崎に落としたのはプルトニウム原爆であり、アメリカは両者のデータ比較をしたかった(p120)

    ・ゼロ戦は、ジュラルミンの板や支柱のいたるところに穴をあけたり、支柱を巧みに組み合わせて、機体を弱めずに機全体の重量を、米欧戦闘機の60%に下げていた(p135)

    ・戦争末期、ナチスドイツは日本へUボートを使って、ウランやメッサーシュミット262型(スピードはゼロ戦の2倍、B29も撃墜できる機関砲装備)の設計図、部品も送付しようとしていた(p145)

    ・Uボートが日本へ運ぼうとしていたウランは、560キロであった、当時のアメリカの技術では1発の原爆をつくるのに1トン必要であったことを考えると、日本は驚異的な技術を持っていたかもしれない(p149)

    ・戦争終了後、米軍の先発特殊部隊は、日本占領が始まる9月17日以前に、武装ジープを連ねて、福島県石川町にある工場や研究所から多くの資料を持ち去った(p172)

    ・ウランより小さいトリウムの爆発力をさらに制御して、自然の低い放射線しか出さない、最初から地中に埋めて運転する小規模なトリウム原発を考えていた(p176)

    ・最後の日本一部軍人のリベンジ作戦として、厚木基地に集結した日本海軍最後の虎の子(200機の高性能戦闘機)と、それに乗せる最高性能の火薬爆弾、新魚雷、首都圏に分散した70機の陸軍爆撃機もあった(p186)

    ・昭和天皇は、完成の近い日本原爆のハワイへ落とすことを、人類絶滅の悪の宗家になるとして、却下した(p208)

    ・アメリカの原爆使用に対して、北欧とインドの小さな新聞の中に「キリスト教国にあるまじき残虐さ」と非難した記事もあった(p226)

    ・敗戦でなく終戦としたのは、原爆を使って人類破滅になりかねない戦争というものを終わらせなければならない、という天皇の思いが込められている(p230)

    2012年3月11日作成

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