人望の研究: 二人以上の部下を持つ人のために (祥伝社黄金文庫 や 1-2)

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  • 祥伝社
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  • Amazon.co.jp ・本 (241ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396310349

感想・レビュー・書評

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  • 人望という言葉に憧れる。そこに居るだけで、「あっ、あの人だ」となるのだ。その為には、学び続け、そして、どんな人からでも自分を正すために学び続ける意気込みが必要。まずは、その気持を持とう、と思わせてくれる。

  • ”昭和58年(1983年)発刊の山本七平氏 著書の文庫版。『近思録』や『旧約聖書』から、国際的に通用する「人望の条件」を探求した一冊。友人のオススメがあり手にとった。

    結論として、山本氏は「人望=徳+才能」だという。さもありなんな見解だが、本書「おわりに」ではこの2つを『大学』の「?矩の道」になぞらえて解説し、2種類のものを獲得せよと示している。いわく、「徳」と「自分なりの行動基準(ものさし)」である。才能を発揮するためには「常に一定して変わらぬ法則に照らして行う方法」を獲得することが大事、という解説は、最近思い出した TPOV(Teachable Point Of View) とシンクロしていて興味深い。

    他に、文中で詳述されている『書経』の九徳 と 棋士界と社会における“破門”の話 が強く印象に残った。

    ちなみに、30年以上前に発刊された本書で語られる「次の時代」とは、まさに「今」のことじゃないだろうか。自分にとって、息子にとって、関わるすべての人にとっても、ますます「人望」は大切になってくるように思う。

    たびたび紹介されていた『近思録』にもチャレンジしよう。

    <キーフレーズ>
    ・「人望」は国際的に通用する一つの基準だ
    ・七情…喜・怒・哀・慴(おそれ)・愛・悪(にくしみ)・欲
    ・九徳(寛にして栗、柔にして立…) →(それぞれの両方が欠けると…)→ 十八不徳
    ・だが、その人間を社会は黙って“破門”する。
    ・トップは徳のみ、中間管理職は徳と能力
    ・2種類の「?矩(けつく)の道」
     - 徳
     - 常に一定して変わらぬ法則に照らして行う方法 の獲得 = 能力を発揮するために…


    <抜き書き>
    ・この「人望の条件」とは何なのか。
     それを探求したのが本書である。(p.4)

    ・さらに私は、本書を女性に読んでもらいたいと思っている。というのは、子どもを教育するのは結局は母親なのである。自分の子を男女を問わず、将来「人望ある人」に育てるためにはどうすべきか、といった問題をも、「自己教育」「自己修練」の方法とともに記したからである。

    ★次の時代は今よりも平等化し、今よりも国際化しているだろう。それはさらに「人望主義」が徹底した社会であり、同時に、本書で指摘したように、「人望」は国際的に通用する一つの基準だからである。

    ・平等社会においてもリーダーがいることは同じだが、平等であればあるほど、また社会が平和であればあるほど、リーダー選出の要件として、人望が絶対化していくであろう。というのは、平等社会には、それ以外にリーダー選出の要件がなくなってしまうからである。(p.23)
     ※階級社会のような「生まれながらの…」が強い場合は別。

    ・ある種の非常識は逆に「人気」になる場合はあるが、人望にはならない。(p.38)
     ※人望と人気は違う!

    ・確かに徳川時代には朱子学が絶対であったが、普通の人が読むのはその概論もしくは入門書ともいうべき、『近思録』であった。明治の指導者の若き日の読書に必ずこれが入っている。知識階級の必読書だったのだろう。(p.66)
     ※★読んでみるべし!

    ・たとえ「克伐怨欲(こくばつえんよく)」を抑えても、人間には「情」がある。この「情」とは、「人情」よりむしろ「感情」とか「情動」に近い言葉で、これには喜・怒・哀・慴(おそれ)・愛・悪(にくしみ)・欲の「七情」がある。(p.75)
     ※★七情!

    ★九徳については『尚書』(五経のうちの『書経』の別名)の「皐陶謨(こうようぼ)編」にもあり、行為に現れる九つの徳目を、舜帝の臣・皐陶が舜帝の面前で語ったものとされている。次に挙げると──。
     (一)寛にして栗(寛大だが、しまりがある)【かんにしてりつ】
     (二)柔にして立(柔和だが、事が処理できる)【じゅうにしてりつ】
     (三)愿にして恭(まじめだが、ていねいで、つっけんどんでない)【げんにしてきょう】
     (四)乱にして敬(事を治める能力があるが、慎み深い)【らんにしてけい】
     (五)擾にして毅(おとなしいが、内が強い)【じょうにしてき】
     (六)直にして温(正直・率直だが、温和)【ちょくにしておん】
     (七)簡にして廉(大まかだが、しっかりしている)【かんにしてれん】
     (八)剛にして塞(剛健だが、内も充実)【ごうにしてそく】
     (九)彊にして義(強勇(ごうゆう)だが、義(ただ)しい)【きょうにしてぎ】  (p.91-92:【】はルビを書き起こしたもの)

    ★大体、重要なことは言葉にすると平凡である。だが、それぞれの二つの言葉には相反する要素があるから、その一つが欠けると不徳になる。(略)全部がそうなれば、「九不徳」になり、両方がない場合は、「十八不徳」になってしまう。(p.92)
     ※基準は九徳ってこと。

    ・日常においても、何か事件が起こったときに、自分はそれを「九徳」の原則どおりに行っているかを、絶えず自ら検討する。こういう練習のことを古人は「修養」と言った。(p.101)

    ・『箴言(メシャリーム)』の原意は、「たとえ話」で、箴言(しんげん)という言葉は中国訳である。この「箴」とは、元来は針医の鍼の意味だそうだが、中国人は実に巧みな訳をしたと思う。いわば体の病いを癒す鍼のように、心の病いを癒やす言葉の鍼なわけである。(p.136)

    ・『ベン・シラ』もまた「述べて作らず」なのである。孔子が「五経」を絶対化したように、これもまた伝統的な「律法・預言・知恵」を絶対化している。そして、さらに広く旅して見聞を広め、社会の各層と交わって知識を得、かつ体験を積んだ者を、「知恵ある者」とし、統治能力があるとしている。(p156-157)
     ※欧米社会でも、徳や賢者(ハーハーム)は、人望の条件の基本になっている、と。

    ・『小学』はいわば、いまの小学生ぐらいの子どもの教育のために、朱子の指示のもとに門人の劉子澄(りゅうしせい)が編纂したものだといわれる。徳川時代のカリキュラムは、小学・近思録・四書・五経の順で、『小学』までは寺子屋で教えていたらしい。(p.161)

    ★「門下生にとって、師の評価と彼らが生きてゆく社会の評価は一致している。碁は真剣である。強いか、弱いか。間はない。師が見放した時、彼らは碁からも見放され、“破門”といわれた時、すべてが終わる(畏怖の対象)。
     学校の評価は、そうはいかない。教師の評価は、世間に通用しない。だから、それほどこわくない。おまけに公立中学校では、何をやっても“破門”になるということはない」
     だが、その人間を社会は黙って“破門”する。ある意味では、そのほうが恐ろしい。というのは、碁の世界で生きて行けなければ別の道がある。だが社会ではそうはいかない。また、たとえ“破門”しなくても黙って「有段者=社会人有段者」にしない。(p.176)
     ※前半部は俵萠子さんのVOICE記事『誰が学校を荒廃させたか』より引用。大枝雄介八段の内弟子制度の取材をもとにしたもの。これ、鋭い指摘。

    ・中国の小説の世界でも、完全に「徳だけ」は帝王のみで、その周囲に集まってくるのは超能力的人物である。こう見ていくとき、トップは徳のみ、中間管理職は徳と能力という形であり、上に行けば行くほど徳の比重が高まっていく。いわば「徳は才の主にして、才は徳の奴なり」(菜根譚)ともいえる。したがって、能力もまた重要な人望の要素であり、これなしで人望を得ようと思ってもそれは無理、とくに機能集団では無理である。(p.188)
     ※「人望=徳+才」か。分かるなぁ。

    ★『大学』のいう「?矩(けつく)の道」とはどういう内容であろうか。
     (略)
     「上の人について好ましくないと考える行ないは、(自分も)その行ないで下の人を使わず、下の人について好ましくないと考える行ないは、その行ないで上の人に事(つか)えず、前の人について好ましくないと考える行ないは、その行ないで後の人を導くことをせず、後の人について好ましくないと考える行ないは、その行ないで前の人に従うことをせず、右の人について好ましくない考える行ないは、その行いを左の人に及ぼさず、左の人について好ましくない考える行ないは、その行ないを右の人に及ぼさない。このようにすることを?矩の道というのである」と。(p.225-226)
     ※赤塚忠氏の訳。?矩は、矩(さしがね)を手にとってはかる、の意。自分のまごころを基準として他を思いやる。恕。

    ★このつまらない「矜(プライド)」を去って、「七情」を「中庸」に則して制御し、社会に対する「静虚動直」を訓練し、まず「九徳」を獲得するように修練し、最終的には「?矩の道=徳」を目指す。
     同時に「中庸」に即しての自己抑制によって能力を獲得する。その能力を発揮するため、別の意味の「?矩の道=常に一定して変わらぬ法則に照らして行う方法」を獲得し、それを「十七文字」に要約するような形で自己の尺度とする。(p.240:おわりに)

    <きっかけ>
     大学時代の合唱団仲間 Hくんからのおすすめ。感謝!”

  • 今読むと、当時のことを知らない世代には、ピンと来ない部分も多いが、そのことをわきにおいても、考察の一つ一つがジワジワ染みてくる。本書をテキストとして、現代の事象に当てはめて考えてみるのも一興であろう。

  • 「第一線で働いている人間はいろいろな矛盾を抱えつつ、その辺を矛盾なく成り立たせている」というあたりに今現在にも使える「徳」なり「人望」なりのエッセンスがあると読んだ。

  • ■書名

    書名:人望の研究
    著者:山本 七平

    ■概要

    人間評価最大の尺度「人望」の条件とは何か。
    (From amazon

    ■気になった点

    ・平等社会では、血縁、決闘、学歴、身分も問題にされない。
     残るは、人望だけになってしまう。

  • 最近はリーダーシップというと、欧米流のコミュニケーションや心理学をベースにしたものが多いように思いますが、本書は、人徳に焦点を当てています。仁と徳。論語が中心ですが、西洋にも同様の思考があることが紹介されています。また、人徳をベースにしてもなお、人望を得るためにはスキルも重要であることが指摘されていて、読んでいて納得感がありました。

  • 本書は、人望とは学んで習得する能力であり、文化を越えて通用する国際的な能力であるとする。優れた教育論でもある。最近は、研究倫理とかやかましいが、要は「徳育」。古典に学ぶにしかず。

  • 信頼を勝ち得るために何が必要かを説いた書。繰り返し読んでます。
    ”人間は確かに誤るものだが、これを極力避けるために、まず何をなすべきか。<中略>これに対して氏は、自分の好きな言葉として「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と請う」を引用されたが、確かにこれが要点なのである。”

  • 読みにくい。。。

    非常に興味のあるタイトルであったが、ちょっと期待していた内容とは違っていた

  • 自分には難しすぎた。1回では到底理解できず。
    人望がないからか・・・。

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著者プロフィール

1921年、東京都に生まれる。1942年、青山学院高等商業学部を卒業。野砲少尉としてマニラで戦い、捕虜となる。戦後、山本書店を創設し、聖書学関係の出版に携わる。1970年、イザヤ・ベンダサン名で出版した『日本人とユダヤ人』が300万部のベストセラーに。
著書には『「空気」の研究』(文藝春秋)、『帝王学』(日本経済新聞社)、『論語の読み方』(祥伝社)、『なぜ日本は変われないのか』『日本人には何が欠けているのか』『日本はなぜ外交で負けるのか』『戦争責任と靖国問題』(以上、さくら舎)などがある。

「2020年 『日本型組織 存続の条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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