- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396311155
感想・レビュー・書評
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BOOKOFFで懐かしい人の名前を見つけたので手にとりました。
米長邦雄氏は見るに、多彩すぎたように思えます。だが、運命の女神は見捨てなかった。
七たび名人へ挑戦し得たもの奇跡なら、50歳の時に、名人になれたのも奇跡である。
一度だけだが、彼に微笑んだのである。
対して、同時代人の大名人中原誠はひたすら将棋を指し、書いた本の中身もほぼ将棋一色です。
女に溺れたのを悪く書くようであるが、名人という重圧の元でそうは思いません。
でもその相手が米長の内弟子であったことも稀有の因縁なのでしょうか。
書中気になった言は以下のとおりです。
・いかなる局面においても、「自分は絶対に正しい」と思ってはならないということだ。謙虚でなければならない。
・どんなに自信があっても、それを絶対と思い込んで発言してはならない。
・足らぬ物は余る 余るものは足らぬ
・足りないと思っているうちに必ず間に合う、いくらでもあると思っているといつの間に足らなくなる
・どんな将棋でも、全力投球しなければならない。加えて、森下の実践哲学はその上を行く。目の前の一局がすべて。
・どうしても勝たなければならないのだ。さもなければ殺される。食うか食われるかの時代であった。
・言うは易く、行うは難し
・幸運は七度人を訪れる
・勝負も商売もおなじですよ。「運」「鈍」「根」。この3つが大切だ。
・世の中には、運と根の大切さに気付いている人はたくさんいる。でも、鈍ということをわかっている人は少ない。
・根というのも、よく知られている。根性、性根です。みんな大切だと思っている。しかし鈍はむずかしい。
・言葉だけは知っている人も多いようだが、これを実践できるかとなると、できる人はほとんどいないんです。
・「学ぶ」より「捨てる」ことのほうがむずかしい。一所懸命に学んで、どんどん捨てなければ、進歩はない。
・多くの企業人、経営者と接していくうちに、どんな人が出席していくかを見分けられるようになった。簡単にいうと平社員のときから、社長のような発想をしている人である。
・(勝負の)女神は、結果よりも、過程に興味を持っている
・天の時、人の和、地の利
目次
まえがき
第1章 生涯の女運を賭けた勝負
第2章 眼前の一局に生きる
第3章 惜福で生きる
第4章 馬鹿になれるか
第5章 トップの気概とは何か
第6章 女神の好きな国・嫌いな国
第7章 奇跡の起こし方
第8章 薹(とう)が立って咲く
第9章 七度目の名人戦
第10章 仰げば尊し
ISBN:9784396311155
出版社:祥伝社
判型:文庫
ページ数:256ページ
定価:533円(本体)
発行年月日:1999年02月
発売日:1999年02月10日詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
幸運の女神に好かれようとするってのは考えたことなかったな。心がけよう
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20年も前に、思春期の息子さんを持つ上司に貸してあげた。そのおかげで彼は、上場企業の社長に成った。運・鈍・根。私は切れると評されたが根気がなく、運も掴めなかった。
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・一つは、いかなる局面においても「自分が絶対に正しい¥と思ってはならないということだ。件k所でなければならない。どんなに地震があっても、それを絶対と思いこんで発言してはならない。
・攻めるべきところ、守るべきところ、これをはっきりと区別できない人間は身を滅ぼす。長期的に見て無いんが最善か、自分の幸せにとって何が大切なのか、それが洞察できなければ、白星の積み重ねが裏目に出てしまうことも多いのである。
・幸福に合う人の多くは「惜福」の工夫のある人であって、不運の人のとんどは、その工夫のない人である。
惜福は倹約や吝嗇ではない。「全て享受し得るべき所の福佑を取り尽くさず、使い尽くさずして、これを点と言おうか将来という押下、何れにしても冥冥たり茫々たる運命に預けおき、積み置くを福を惜しむという」のである。
・余裕・ゆとりの気持ちの有無が第一のポイントになる。
・勝負も商売も同じですよ、運、鈍、根、この三つが大切だ。世の中にはうんと根の大切さに気づいている人はたくさんいる。でも鈍ということをわかっている人は少ないです。
・深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質。
・逆境はにんげんにとってつらいことが有る。しかし順境によく耐えうる人ひとりに対して、逆境に耐えられる人は100人もあろう。
・謙虚であることと、信念を持つことは、全く別次元のことで、ほんとうに強いものは、この2つを対立させることは無い。何のむjんもなく両煎りつさせる。ところが、弱いものほどこの2つの次元の違いがわからず、混同してしまう。
・多分、彼は謙虚、素直ということは、弱みを見せる、負け犬になる、と同義語だと思い込んでいるのだろう。弱者はこれを混同し、同時に女神にも見放される。
・人間は環境の産物である。生まれついての才能も関係するが、それが芽を吹き、話そ咲かせるかは置かれた環境に左右される。そして恐ろしいことに、芽吹かぬ環境に見を置き過ぎると、時の経過とともに、人生とはそういうものだと思い込んで、s子にないzんで行く。
・不平をこぼす人間に与えられるものは、一般に哀れみよりむしろ軽蔑である。
・アメリカが勝利の女神嫌わせて自滅するのを、黙ってみているしか指し手がない状況だ。
・たとえ1%でも可能性があるののなら、負け犬になってはいけない。敗北や失敗を前提に行動すると、その悪影響は、その行動の結果だけにとどまらないのである。 -
司馬仲達の逸話の米長流解釈が面白い。空城の計に引っ掛かって撤退した仲達はよく腰抜け扱いされるが、最終的に仲達の孫の司馬炎が晋を平定したことからも、仲達が勝利を避けた可能性があると。オセロのように、多くの駒をひっくり返すことが命取りに繋がることもあると。
他にも、有名な米長語録の一つ「運の女神は謙虚と笑いを好む」や「勝負や商売には運、鈍、根が必要」など、頭で理解できても実践は難しい言葉が並ぶ。この「鈍」を体現している人にはなかなかお目にかからない。単に鈍いのとは違うからねえ。 -
最初のエピソードは面白かったが、次第に将棋の話中心になり散漫になり話の筋が見えにくくなる。それが心地いいこともあるけど、やっぱり最初のエピソードが一番いい。
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失礼ながら将棋界にはあまり詳しくなく、某囲碁漫画から得た知識の類似で将棋界の空気を想像しながら読んでいた。将棋界は、大学全入といわれ私のように20を過ぎても親のすねをかじっているのが標準という現代にあって、若くからプロとして勝負の世界で生きるという選択をした人々が集まっている。人の脳みその成長が20代で頭打ちになるとして、今のとりあえず大学、という風潮は人の脳をサビさせると感じる。米長さんはかなり極端なところもある方だなとは思ったが、若くから勝負の世界に身をおいてきた人の頭はキリキリと回って気持ちが良いなと思った。
私は10年以上野球部で活動してきた経験として、勝ちは勝ちを呼び寄せると思う。そして勝利の女神というような、勝負の空気を擬人化したような存在も肌で感じてきた。米長さんいわくこの女神は"何度肘鉄をくらわした相手にでも、見直した点さえありさえすれば、それまでの冷たい態度を急変させて惚れてくれる"らしい。世界中の全男子が熱い視線を注ぐ相手をおとさねばならんとは、中高男子校で干からびた生活を送った私には少々辛いが、またなにか男として燃えるところがあるのも確かである。 -
けっこうおもしろかった~
一番印象に残ってるのは
お墓に行ったら、そこで神頼みするんじゃなくて
お墓の人を思って、フツウに話してくればいいって
そうするとそれを女神が見てて、気が向くと微笑んでくれるらしい^^
ま、どっちにしろ前向きにがんばってる人にしか女神は微笑まないってこと!
米長さんと将棋に興味がわきました。 -
あ
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数々の将棋の勝負を通して「いかに運を育てるか」という考え方と実践法をまとめた本。米長さんの勝負に対する心構えなどが垣間見える。
特に印象に残ったのは、プライドと謙虚さを併せ持つ物にしか運命の女神は微笑まないとの一節。人生の指針となるような本。
将棋界の話から子育て論まで載っていて話題が幅広く読み物としても楽しい。