日本人に一番合った英語学習法―明治の人は、なぜあれほどできたのか (祥伝社黄金文庫 さ 12-1)
- 祥伝社 (2006年3月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784396314019
作品紹介・あらすじ
新渡戸稲造、伊藤博文、南方熊楠…満足な辞書も英会話学校もなかった時代、彼らはいかにして最高レベルの英語力を身につけたのか。話せない、読めないと悩む現代人が手本とすべき、先人たちの「学びの知恵」を探る。
感想・レビュー・書評
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小学校での英語必修化が始まり、本当に必要なのか疑問に感じていた。また、中学校以降の英語教育がコミュニケーション重視に流れていたり、実用英語検定のレベルが下がっているのではないかと聞いたりし、文法偏重、訳読重視教育を受けてきた私としては自分が受けてきた教育は間違っていなかったと思っていたので、読み終わったあとすっきりした。やはり、外国語を身に付けるには努力が必要で、楽しくやって身に付くものではない。先人たちの事例を読んで確信した。素読、暗唱、文法、多読。ローマは一日にして成らずですね。
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言いたいことは分かるけど、英語を勉強するのって大変だ
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そもそもなぜ、日本人なのに英語が必要なのか?英語に取り組む前に根本的なところを考えさせてくれる本。
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偉人たちの英語習得のエピソードを紹介しながら、現在のコミュニケーション重視の英語教育を批判している。偉人たちの英語習得のエピソードはそれぞれ面白かった。
なんで中学・高校で英語を習うのに話せないのか、日本語と英語の異質性が習得を難しくしていることにも触れている。
ちょっと極論的な部分もあるが、納得できる部分も多数あった。
正しい日本語を習得した上での英語の習得が大事だと思ってきたので、その点は筆者の意見に一致した。 -
本書は、英語の達人であった先人達の学習法から、日本人に合った学習法を探るというユニークな視点で書かれている。
また、現在の英語教育に対する批判、英語習得の方法など、著者独自の発想が面白い。
最後に述べられている著者の英語に対する考え方―中途半端に英語にあこがれ続けるかぎり、日本人はいつまでたっても英語から自由になることはできない。日本人一人一人が日本人たることに誇りを持ち、それぞれの道に邁進していれば、英語など、まったく恐れるに足るものではないのである―という言葉で、英語に対する劣等感が軽減した気がする。
そして、母語である日本語をしっかりと話せてこその英語だということを認識したうえで、英語学習に取り組みたいと思った。 -
英語が現在ほど簡単に学べなかった時代の偉人達が
いかに英語を身に着けたか。
勉強法自体は、目新しいものはないが、
勇気とやる気をもらえる良書。 -
ところどころ、ちょっと強引かな…と思ってしまう部分もあるが、概して筆者の主張に大賛成。日ごろ感じていた英語学習に対するモヤモヤが晴れた感じがした。母語を大事にすること、自分の本業を全うすること、逆説的なように見えて、実はこれらこそがグローバル化時代に本当に大事なことなのだと思う。英語に対する向き合い方を見つめ直させてくれるよい本だと思う。
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最近の実践的コミュニケーション重視の学習指導要領や小学校英語教育導入を徹底的に批判し、明治時代を生きた英語の達人の英語との接し方を観察しながら、日本人として英語とどう付き合うべきか、英語が上達するためには何をすれば良いのかということが分かりやすく書いてあり、コンパクトにまとまった文庫本。
今よりも英語を学ぶツールの少ない明治時代で(逆に現代はそのツールが溢れすぎていることが弊害となっているのかもしれないが)いかに本物の英語を身につけたかという先人たちの地道な努力や苦労には脱帽。正統派の英語学習、つまり「素読・暗唱・文法・多読」がいかに本物の英語を身に付けるために重要であるかということを再確認した。特におれの指導教官の話では、大学生の時、その先生は授業が終わって家に帰ると晩飯も食わずにずっと1日1冊の洋書を読んで明け方に読み終わり、午前中寝る、という生活を続けて英語が読めるようになったと言ってるし、別の先生も、とにかく英語をたくさん読んでいればいつかスッと英文が頭に入る時が来る、と言っているので、明治時代の先人を見るまでもなく、英語の上達には英語を読むことであるということは間違いのないことだと思う。
特に英語教育に関心のある人は、安い本だしすぐ読めるので、ぜひ買って読むべき。