象と耳鳴り: 推理小説 (祥伝社文庫 お 13-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396330903

感想・レビュー・書評

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  • 『自分の死を予期している者は、無意識のうちにその痕跡を残す。それは、セットしていない目覚まし時計であったり、しまいこまれた眼鏡であったり、いつもより多すぎるペットの餌であったり。自分の死を知っている者は、自然とその準備をする』…う〜ん、なんともミステリーの怪しい香りが漂ってくる〈曜変天目の夜〉という短編のこの一説。

    さて、あなたは、恩田陸さんという作家さんにどんなイメージをもっているでしょうか?

    私にとっての恩田さんはなんといっても「蜜蜂と遠雷」です。文字だけの本の上に音楽が鳴り響いた瞬間、私の心はすっかり恩田ワールドの虜になっていました。この「蜜蜂と」の他にも「夜のピクニック」、「ネバーランド」などの”青春!の煌き”を感じさせてくれる作品はまさに恩田さんの真骨頂です。また、27人と一匹が縦横無尽に活躍する「ドミノ」、美少女剣士が立ち回る「雪月花黙示録」に見られる”エンタメ!祭り”も恩田さんという直木賞作家さんの筆の力をこれでもか!と魅せてくださいます。そして、時空感を飛び越えてゆく「ライオンハート」や異世界に入り込む「ネクロポリス」などの”絶品!ファンタジー”には、そんな不思議な世界に自身も没入できる懐の深さを感じさせてもくれます。他にも、ホラーあり、SFあり、グダグダ呑みまくりなエッセイありと、とにかく多彩な作品を発表し続けるマルチな作家さん、それが恩田陸さんです。そして、そんな恩田さんには、もう一つ忘れてはならないジャンルの作品群があります。

    『作家になって十年経ったが、今でも読者として一番好きなのは本格ミステリである』とおっしゃる恩田さん。そう、恩田さんと言えば”不思議世界!のミステリー”作品にもたまらない魅力があります。デビュー作の「六番目の小夜子」、学園ミステリーの傑作「麦の海に沈む果実」など、もう傑作揃いです。そんな恩田さんも、大好きなミステリー作品を生み出すことに苦悩された時代もあったようです。『思えば、当時はまだ駆け出しで、個人的に「本格ミステリの短編集を作りたーい!」という夢を実現することしか頭になく、おのれの能力等は考えもせずに突っ走っていた』と過去を振り返る恩田さん。そんな恩田さんが、苦悩の末に生み出した「象と耳鳴り」というこの作品。恩田ワールド満載の魅力溢れるミステリー短編集です。

    …ということで、12編もの短編から構成されるこの作品。恩田さんの夢が実現した世界、つまり、全てがミステリーの世界観で統一された短編集です。そんな中でも秀逸だと思ったのが一編目の〈曜変天目の夜〉です。

    『今しも、倒れた老婦人が目の前を運び出されていくところであり』、『一瞬自分がデジャ・ヴを見ているのかと思った』というのは主人公の関根多佳雄。『黒い茶碗。降るような星空』という光景を見て『あの夜と、同じだ』と思う多佳雄。『大丈夫でしょうかねえ、こんなに混んでいますものねえ』と隣で心配そうな妻の桃代。『確かに会場は混んでいた』、『国宝の茶碗の久々の限定公開、しかも本日が最終日』というその会場。『意外と貧弱だな』とその茶碗を見て感じた多佳雄。『もっと大きな茶碗を想像していたのに、目の前の茶碗は大きめの真っ黒な御飯茶碗、くらいのサイズだった』というその茶碗。しかし『中に浮かんだ数々の星紋は、確かに自然の造形物であるとは信じられないほどだった』というその茶碗。そんな中『自分が何かを思い出しかけている』予感のする多佳雄。『ねえ、なんといいましたっけ、あの人。八王子の。十年ほど前に亡くなった』と訊く多佳雄に『ああ、酒寄さんですね』と即答する桃代。『あなた、その場に居合わせたんでしたね。どうしたんですか、急に』と訊く桃代に、多佳雄はあの時の記憶を辿ります。『酒寄順一郎。そうだ、そういう名前だった』と鮮明な記憶が蘇る多佳雄。『彼は司法学者だった』という酒寄の自宅をたびたび訪れる裁判官をしていた頃の多佳雄。『深夜まで熱心に判例の解釈について話し合った』若かりし時代。『その日も、すっかり遅くまで話しこ』み、『一階の客間で眠りこ』んだ多佳雄。『二階の寝室に引き上げ』た順一郎。そして『彼は帰らぬ人となった』というその夜。翌朝『冷たくなった順一郎を発見した』多佳雄。『緑色のカーペットの上に順一郎は倒れており、片手はカーペットの上に転がった黒い抹茶茶碗にかけられていた』というその現場。『死に顔は安らかだった』、そして『離れた板張りのところに、ティーポットとカップが落ちて割れていた』というその現場。『自分のティーセットを非常に大事にしており、決して他人には触らせなかった』順一郎。『最近、抹茶用の茶碗にも興味を持ってね。君、曜変天目茶碗というのを知っているかね?』と聞かれた死の前夜。『中国から伝わり』、『茶碗そのものの美しさが珍重された時代に最上のものとされた』曜変天目茶碗。『すっぽり宇宙が収まっているんだよ。あれにはすっかり魅せられてしまってね』と語った順一郎。『今日は、曜変天目の夜だ』と語った夜に亡くなった順一郎。そんな順一郎の死後に多佳雄は順一郎からの手紙を受け取ります。『自分の衰弱ぶりから、死期が近いことを悟っていたらしい』順一郎からのその手紙。そんな手紙の最後には『年寄りのささやかな感傷。悪いが、君にはこれを持っていてほしい』という言葉。そして、封筒を逆さにすると『ぱさ、と軽いものが机の上に落ち』ました。それは『髪の毛だった』という衝撃。『順一郎の白髪が、数本束ねられてそこに落ちていた』…とまさしくミステリーな展開に魅せられるこの短編。『曜変天目』という、謎に満ちた魅惑の茶碗を巧みに引用しながら、雰囲気感抜群にまとめられた短編でした。

    そんな12の短編は、一部他の作品と繋がる表現が見られるものの基本的にはそれぞれ独立した短編の集まりとなっています。そして、そんな短編を完全に一本に繋ぎまとめるのが主人公・関根多佳雄の存在です。恩田さんのデビュー作「六番目の小夜子」を読まれた方には、関根と言えばピン!とくるその名前。「小夜子」で大活躍を見せた関根秋、その秋の父親がこの作品の主人公・多佳雄です。『元裁判官』の多佳雄、一見ぼうっとした印象も受けますが、12の短編それぞれにおいて絶妙な推理によってミステリーを解き明かしていきます。また、関根秋というと「小夜子」の中でその兄と姉の存在も語られていましたが、この作品にも『検事』の春、そして『弁護士』の夏という形で兄と姉も登場します。そんな二人から見る多佳雄は『もう既に引退しているが、名判事と言われた人である。立派な人ではあると思うのだが、子供たちから見ると、捕らえどころのない天邪鬼』という側面が語られるなど、関根一家勢揃い!を満喫できる関根ファンにはたまらない作りになっています。そんな兄と姉は短編〈机上の論理〉において、一枚の『古い白黒写真』を元にして、『ある人の部屋を撮った昔の写真なんだ。犯罪に関係した人間なんだけど、どんな人間だか分かるかな』という問題に対しての推理合戦を繰り広げます。それぞれの目の付け所が非常に興味深いこの短編は、そうきたか!という絶妙なオチでサクッと物語を締め括ります。関根一家に親近感がさらに増す好編だと思いました。

    そんなこの作品は他にも表題作の〈象の耳鳴り〉の不思議世界も魅力です。『あたくし、象を見ると耳鳴りがするんです』と言い出す老婦人。『あたくしは七歳でした』、『その日、なぜかあたくしは一人きりでした』というある日。『突然、象の鳴き声がしたのです。あのパォーンという、独特で高らかな鳴き声』と幼き日を語る老婦人。『どしん、どしん、という何か大きくて重たいものがゆっくり移動してくるような音』、そして『あたくしは見たのです』というその瞬間。『細長い曇りガラスに血飛沫がぴしゃりと飛んだ』というその瞬間。そして『その日からあたくしは象が怖くなりました』という、まさかの戦慄が描かれていくこの作品。恩田さんらしい不思議感満載のミステリーホラーといった趣きの好編でした。

    そして、さらに、おお、こんなものまであるのか!と驚いたのが〈往復書簡〉という短編です。「往復書簡」というと、湊かなえさんの同名小説が思い浮かびますが、この短編もそれとまさしく同じ構成です。『就職の時には伯父様にはたいへんお世話になりました』という渋谷孝子という人物が送るその手紙の相手が多佳雄です。そんな二人の間の手紙のやり取りだけで展開していくこの作品。一見何の変哲もないやりとりから始まったその手紙は、やがて『奇妙な放火事件が続いていて』と、孝子の身近で発生した事件の話へと展開していきます。そこに、多佳雄が見事な推理を見せていくというこの短編。孝子から多佳雄へは6通、多佳雄から孝子へは4通の計10通の『前略…草々』、『拝啓…敬具』という手紙のやり取りで起承転結が見事に描かれるこの作品。短編なので、湊さんのような凝った展開までは期待できませんが、短い中にミステリー要素がうまく盛り込まれた好編だと思いました。

    『こじつけだ、詭弁だ、よくみると論理的でないと言われようとも、小説を読んだ時に読者がその中で「納得」し、「説得」されれば、その本格ミステリは成功しているのだ』と語る恩田さん。物語の世界に入って主人公たちの気持ちを共有していく、それが小説の面白さです。そんな中でもミステリーというジャンルは独特な読書の楽しみがあります。主人公と一緒に、そこで起こった謎を一緒に推理していくというその楽しみ。この作品は短編集なので、凝った仕掛けが用意されているとまでは言えません。短いものでは数ページしかないものもあります。しかし、その中には恩田さんらしい雰囲気感に溢れた、その物語の雰囲気を楽しむための工夫が数多くなされていたように思いました。

    『あたしが知りたいのは、あの日あの庭で何が起きたかってことなの』というミステリー世界をサクッと満喫させてくれるこの作品。恩田さんはやっぱりミステリーもいいねぇ!、そう感じた作品でした。

  • 恩田陸さんのデビュー作『六番目の小夜子』の主人公の父親、関根多佳雄を中心とした短編集。彼が日常の中で出会った怪異や謎をわずかな手掛かりをもとに解き明かす。

    初めて恩田陸さんの小説を読んだとき、推理小説を読んでいるつもりで読み進めていたのに真相があいまいに終わり、なんだか消化不良のようなもやもやした気持ちになった。それなのにほかの小説も読んでみたくなり、手に取ったもののやっぱりすっきりしたラストを迎えることはできず、といったことを繰り返しているうちに、このもやもや感こそが恩田陸さんのテイストなんだな、とようやく理解した。

    本書は推理小説の体をとっているが、きっちりと謎が解決されるわけではない。退職判事が聞き及んだちょっとした謎やふとした一言から真相を推察する話である。あくまでも推察なので真相は闇の中、しかし明らかにならないからこそいろいろな解釈が生まれ、一見単純に思えるエピソードに奥行きが生まれる。

    本書は12編の短編からなる。ちょっとした手掛かりから犯人逮捕につながる比較的推理小説に近いものもあるが、やはり恩田陸さんの真骨頂は、人間の心の闇を垣間見せ、ぞっとした気持ちにさせるテイストのものだろう。
    表題作「象と耳鳴り」は特に印象に残った。象を見ると耳鳴りがする、と打ち明ける上品な老婦人。彼女の心の奥に棲みついた恐怖と悔悟の念、そこから引き出される生々しいイメージに、恐ろしさと哀しみを感じる。

    主人公の関根多佳雄は飄々として魅力的だ。『六番目の小夜子』はずいぶん前に読んだきりだったが、久しぶりに読み返してみたくなった。

  • 再読。恩田さん読んだ中でベスト3に入るくらい好きで最近また読みたいと思っていたところ今日見つけ即購入。会話や写真などから謎がロジカルに解き明かされるのと、名作映画を観ているようなお洒落な人達の姿が本当にかっこいい。装丁も素敵。

  • このゾワリとする感じが恩田さんなんだなぁと何となく分かってきました。
    謎が解けたようで実は解けていない、物語が終わったようでまだ終わっていない。そんなモヤモヤとしたものを抱えさせられるお話もあります。読者のわたしはその先を自分の力で想像するしかありません。が、これがまたゾワリとするようなことしか思い浮かばないのですよ。
    あ、ちゃんとすっきり謎が解決するお話ももちろんありますよ。

    『六番目の小夜子』に登場した関根秋くんのお父さん、多佳雄さんが主役の短編集です。
    この多佳雄さんが、実はわたしには一番の謎かもしれません。多佳雄さんの優秀な子どもたちでさえ、父親は捕らえどころのない天邪鬼と思っているようです。奥さん、子どもたち、友人、昔の仕事仲間……それぞれの人に多佳雄さんは違った面を見せているように思うのです。このお方、短編ごとにホント印象がコロコロ変わります。
    そんな多佳雄さんが主役なので、お話もひとつとして同じ色がなくて、バラエティに富んでいました。そして亀の甲より年の功なのでしょうか、引退した名判事である彼の謎解きはどれも、どっしりと落ち着いた雰囲気を醸し出しています。多佳雄さんの子ども、頭脳明晰な春くん夏さんの謎解きは若さと勢いがあって爽やかな風のようでしたけどね。
    どれも面白く一気に読んでしまいましたよ。

  • 再読。

    「あたくし、象を見ると耳鳴りがするんです」
    という老婦人の台詞が、読んだ当時はとてもインパクトがあり
    動物園で象を見る度にそのフレーズが頭に浮かぶようになってしまった(笑)
    最近もそれを思い出す出来事があり、久しぶりに手に取ってみる事にした。

    昔読んだ時は地味な作品だと思っていたのだけれど、今読み返すと面白い!
    あちこちに共感できるような台詞や文章があり
    もしかして自分も年を取ったのかしら…と、嬉しいやら、悲しいやら。

    本格的な推理小説とは少し趣が違うのだけれど
    ある一つの出来事を別の角度から眺める事によって
    思いもよらない結末に辿りつく。非常に奥の深い短編集です。

    「魔術師」の都市伝説は、いかにも恩田さんらしくて思わずニヤリ。

  •  恩田陸の初期の連作短編ミステリ集。純粋ミステリというより不思議物語というべきものもあるが、一種独特のトーンをまとって魅力がある。ちょっとした手がかりから推理をふくらませて真相に至るという、よくある構図の繰り返し。強引なところも多々あるが、何度も書くようにとにかく難しい短編集にしては、まずまずの出来。主人公の関根多佳雄がもうちょっと魅力的に造型されていたらよかったかな。息子が春、娘が夏ときて、次の関根秋がなんと六番目の小夜子の主役だったのにはびっくり。そういうつながりだったんだ。

  • 本格ミステリの短編集。1999年に編まれた物の2003年発行の文庫版。
    練り上げた味わいに感動。
    退職した判事・関根多佳雄を主な主人公に、その周辺で起こる事件。
    高齢の男性の視点だからか、男性が書いたかのような淡々とした面もあり、女性ならではのなめらかさもあり…
    ふとしたことから気づく友人の死の真相、渋谷の雑踏に突然現れた男の死体の謎、写真を見て持ち主を推理する関根の息子と娘など、思いがけない着想となんともいえない面白み。
    「往復書簡」というタイトル通り、手紙の往復するうちに事件が解決する話など。
    趣向が凝らされていて、洗練の極みという評があったというのもうなずけます。

  • 退職判事「関根多佳雄」の短編ミステリー小説で
    従前のミステリー小説とはストリー構成が違うもので
    よく「これがミステリー」という王道というものでは
    ない。
    私はこれも有りだし、とても面白かった。
    「春と夏」の話も、私にはお見通しであったが、どう
    話をつないでいくのかを楽しめた。

    彼みたいミステリー好きの親がいたら、楽しめる。

  • 本当に些細な要素が断片的に散らばる中、それをうまく引き合わせて1つの結果を導き出していく登場人物たちの洞察力がとてもおもしろかった。 閉架式の図書館という例え、本当にそう、、と思った。

  • 2020.3.17 読了。

    あまり短編集は読まないのだけど、
    タイトルと装丁に惹かれて手に取った。

    恩田さんの作品はあまり多く読んではいないけど、思っていたイメージとは違い、渋いなあ。という印象。

    とはいえ、個人的には想像を裏切られながらも楽しく読めた。
    真実はどうなのか。がわからなく、またどこか薄暗さや気味悪さを感じるような、この雰囲気も好み。

    また、江戸川乱歩などの往年のミステリーへの想いや愛情も感じ、そういった少し昔の雰囲気を感じながら読むのも楽しかった。

    初期の作品だから、また雰囲気が違うのか。
    同時に、恩田さんの言葉や表現はやはりすきだ。

    とまた他の作品を読んでみたくなった。


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著者プロフィール

1964年宮城県生まれ。92年『六番目の小夜子』で、「日本ファンタジーノベル大賞」の最終候補作となり、デビュー。2005年『夜のピクニック』で「吉川英治文学新人賞」および「本屋大賞」、06年『ユージニア』で「日本推理作家協会賞」、07年『中庭の出来事』で「山本周五郎賞」、17年『蜜蜂と遠雷』で「直木賞」「本屋大賞」を受賞する。その他著書に、『ブラック・ベルベット』『なんとかしなくちゃ。青雲編』『鈍色幻視行』等がある。

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